「・・・申し訳ありませんでした」
「や、別に気にしちゃいねぇよ。お互い無事ならそれでいいだろ…つってもまぁ、少なくともカミやんさんの呼吸器官は無事で済まなかった訳ですが…」
アリスのあまりにも強すぎる抱擁で上条が意識を失っている間、既に昨夜の悪夢は過ぎ去って朝を迎えていた。闇の軍勢の襲撃を退けた後、村から避難した全員は教会に戻り、怪我人の治療や食事を用意していた。そしてその中で上条は教会の長椅子に横たわり、彼の前でアリスは正座して謝罪を口にしていた
「おはよう。お姉さま、カミやん。これお水とパンよ。長持ちするしか取り柄のない味気ないヤツだけど」
「ありがとう、セルカ。そんなの気にしないわ。食べる物があるだけでもありがたいことだもの」
「ははっ、懐かしいなこのパン。ユージオとギガスシダー切ってる時の昼飯はいつもこれだったな。あーん…がっ!」
横たわっていた体を起こした上条は、アリスと一緒にセルカからパンとコップの水を受け取った。それから麦で出来た黒いパンを見て懐かしむように呟くと、上条は大口を開けて恐ろしく硬いパンを嚙り取った。しかし、そんな気楽な彼とは対照的に、セルカはその言葉を聞いてあからさまに視線を落とし、アリスもまた眉間に皺を寄せていた
「・・・なぁ。なんだってアリスもセルカも、俺をそんな腫れ物でもあるような目で見るんだよ?昨日村の南門で出会った時も、セルカは俺のこと幽霊でも見たように動揺して…アリスもセルカと同じように、俺のこと見て有り得ないとか何とか。俺からしたら、この村にアリスがいることの方が不思議でしょうがねぇっていうか……」
「わ、私は別にそんな…カミやんのこと、腫れ物だなんて…というか、そんなの私たちだって同じよ。あなたがここに居ることそのものが不思議というか…違和感が拭いきれないのよ。半年前にアリス姉様が村に帰ってきた時も、まぁ驚いたけど……」
「半年前…そ、そうだった!今何月だ!?ギガスシダーの所からここまで走ってくる時にも疑問に思ったんだ!まだ蒔かれて時間の経ってない麦の芽!紅葉してる草木!俺の中にある最後の記憶は、カセドラルに登った五月のことなんだ!だけど、五月にしては妙に肌寒いって言うか…そもそも紅葉なんて…!」
「・・・今は11月です。カミやん」
短く答えたアリスの言葉に、上条は絶句して椅子にへたり込んだ。そしてゆっくりと右手を持ち上げて頭を抱えると、くしゃりとツンツンに尖った髪を握りつぶした
(は、はは…いや何もそんな驚くことかよ。どうせ先生がアンダーワールドを作り直したら、半年が経過してたってだけだ。そんな、些細な問題のハズなのに。どうして、どうしてこんなにも心が騒つくんだ…!?)
「・・・カミやん。私から一つ、相談…もとい、お願いがあるのですが…」
「相談?」
どこから来ているものなのかも分からない胸の焦りに、上条が怒りにも似た表情を浮かべたまま俯いていると、アリスが一つ咳払いをしてから声をかけた
「私も昨夜、あなたが眠っている間、自宅に戻って色々と現状を推察してみました。そこで、今から私が推察したことのいくつかをカミやんに質問します。カミやんはそれに正直に答えてもらえませんか?」
「・・・分かった。なんでも聞いてくれ」
アリスの申し出を上条は快く承諾すると、アリスはセルカから手渡されたコップの水を一息に飲み干した。それから両目を瞑って深く息を吐くと、ゆっくりと口を開いた
「では、聞かせてもらいます。カミやん…あなたは本当に『この世界の住人』ですか?」
「ーーーッ!?」
ついに、気づかれたのか。自分がこのアンダーワールドという仮想世界ではなく、現実世界という本物の生命が芽吹く世界の住人であることに。自分はこの状況に、ただ違和感を抱くだけだったというのに、アリスはある種で人工フラクトライトの人智すら超えているとも思える視点に独力で辿り着いたのであれば、掛け値なしに驚異的な推察力だと上条は息を呑んだ
「・・・ねぇ、アリス姉さま…それってつまり…その……」
「何も言わないで、セルカ。今は私がカミやんに質問しているの」
アリスは口を挟もうとしたセルカを一瞥もせずに口を閉じさせた後も、毅然として上条の両目を真っ直ぐに見つめ続けていた。まるで自分を試しているような視線に、上条は根を上げるように深いため息を吐きながら言った
「分かった、場所を移そうぜアリス。あんまり大勢が聞くべき話じゃない」
「・・・それもそうですね、表に出ましょう。それとセルカ」
「え?な、なに姉さま?」
「ここから先の話を、あなたは聞かない方がいいわ。ここより先は最高司祭や公理教会の実態を知り、この世界の本当の姿に迫った者にしか到底理解しえない話だから」
「ッ!?そ、そんなの嫌よ!私だって気になること…知りたいことがたくさんあるわ!」
「それは然るべき時に、必ず私の口から説明するわ。だけど、これだけは言える。今はまだその時じゃない。今セルカが聞いても、きっと心の重荷が増えるだけだわ」
「・・・約束よ?姉さま。その時が来たら、必ず私にも話して」
「ええ。整合騎士として、そしてそれ以上に…あなたの姉である私、アリス・ツーベルクの名に誓うわ」
そう言うとアリスはセルカの背中に腕を回し、彼女をそっと自分の胸に招き入れた。セルカも同じように姉の体を抱きしめると、5秒ほどお互いの熱を感じ合ってから共に体を引き離した
「それでは行きましょうカミやん。セルカ、負傷した村のみんなのことを頼みます」
「うん、分かったわ姉さま」
「悪りぃな、セルカ。俺もアリスの意見に賛成だ。だから俺も誓う。きっと必ず、アリスに話をさせる」
そう言って上条は硬いパンを無理やり口の中に突っ込んで顎に力を入れながら咀嚼すると、そのまま水で腹の中に流し込んだ。そして空になったコップを長椅子に置いて立ち上がり、そのまま一切の寄り道をせずに教会のドアから外に出た
「つってもどこで話す?村の外にもまだ人は結構いるし…」
「それなら問題ありません。私の住んでいる小屋に行きましょう。そちらの方がいくらか話もしやすいですから・・・雨縁っ!」
アリスは空を見上げると、唇の端に右手を当てて愛竜の名を叫んだ。すると、竜らしい太い鳴き声が聞こえてから少しして、教会前の広場に砂埃を上げながら一頭の白竜が着地し頭を下げた
「う、おぉ…やっぱり近くで見ると迫力あるな…」
「さぁ、私の後ろに」
「お、俺が乗っても大丈夫なのか?乗った瞬間に振り落とされたりしません?」
「何を今さら…大丈夫ですよ。雨縁はこう見えても、優しくて社交的ですから。初めて乗る人だからと言っていきなり落としたりはしませんよ」
「で、では…失礼して」
アリスは雨縁の首元に飛び乗ると手を差し伸べ、上条が恐るおそるその手を掴んだ。それからアリスは一気に彼の体を引っ張り上げながら自分の後ろに座らせると、雨縁の首筋を優しく叩いた。すると雨縁がそれを合図に低く鳴くと、少し助走を付けた後に翼を広げて地面を蹴り、大空へと舞い上がった
「おお、おおおおお…!すげぇ!すげぇよ!ドラゴンに乗るなんて初めてだ!」
「この雨縁は、元は私が整合騎士になった時に授かった飛竜なのですが、最高司祭様を倒した後に拘束術式を解除して自由の身にしました。けれどこの子は、それでも私の元に残ることを選んでくれたのです」
「へぇ…好きなんだな、アリスのこと」
「・・・これだけ高く飛べば他人に会話が聞かれることはないでしょう。カミやん、私の小屋に着く前に、私の質問に答えてくれますか?」
ルーリッド村から離れて遥か上空に高度を保ち始めたところで、アリスが顔を半分だけ後ろに向けながら上条に言った。対する上条はアリスの言葉にゆっくりと頷くと、風を切る音に自分の声が掻き消されないよう大きめの声で答えた
「あぁ。多分アリスの思ってる通りだよ。正直に答えるなら、俺はアリスやセルカ達みたいな、この世界で生まれた人間じゃない」
「やはり、そうなのですね…」
「でも、今度は俺からも聞かせてくれ。アリスは、なんで俺にそれを聞いたんだ?俺がこの世界の人間かどうかを疑う、相応の理由があるはずだ」
「・・・私は昨夜、あなたと村で出会った時に…『あり得ない』。そう口にしたのを覚えていますね?」
「あ、あぁ。さっきも言ったよ。俺を見たセルカもアリスも、同じ言葉を口にした」
「ええ、何故ならこんなことはあり得なないんです。私は自分の中で立てた推論が、全て正しいなどという烏滸がましいことは考えませんが、これだけは確固たる自信を持って言えます」
アリスが何を言っているのか分からず、呆けてしまっている上条のために彼女はそこで一呼吸置くと、上条が真剣な表情で生唾を飲んだのを合図に、あり得ない言葉を口にした
「ここにいる私は、本当の意味であなたと共に戦ったアリスではありません」
「・・・は?」
アリスの発した言葉の意味が上条はまるで分からなかった。間違いなく目の前にいるのはセントラル・カセドラルで自分やユージオと共に、最高司祭アドミニストレータを討つべく戦ったアリスのハズだ。だというのに、アリスはそれが自分ではないことを確信しているようだった
「ど、どういうことだよそれ!?お前はアリスなんだろ!?俺とユージオと一緒に、元老長チュデルキンや最高司祭を倒した、あのアリス・シンセシス・サーティなんだろ!?」
「・・・詳しくは、そうではありません」
「なっ!?なにが…!何が違うってんだよ!?まさかお前…もう一度誰かにシンセサイズされて記憶をいじられたのか!?」
「記憶をいじられた…という部分では否定できないかもしれませんね。ですが決してシンセサイズされた訳ではありません。シンセサイズの秘儀と呼ばれる神聖術を行使できるのは、最高司祭様だけです」
「あぁ!そうだよ!だからソイツを倒したんだろ!?お前は右目の封印を自分で破って、俺やユージオとカーディナルと、一緒にアドミニストレータと戦った!そして勝った!」
「確かにカミやんの言う通り、私は自らの意思で右目の封印を破り、アドミニストレータ様を倒しました。ですが実際の戦場に、あなたはいなかったのです。私がこの世界で共に戦ったのは、もう一人の最高司祭であるカーディナル様、罪人としてカセドラルの牢獄に入れられたユージオ」
「そして、そのユージオを相棒と呼ぶ、彼と共に罪を犯してカセドラルの牢に入れられるもそれを破り、人界の民を守るべく公理教会に反旗を翻した、もう一人の反逆者の少年でした」
「もう一人の…少年?」
「『キリト』。それがその少年の名です。聞き覚えはありますか?」
「ーーーーーッ!?」
上条当麻は戦慄した。背筋だけでなく全身に寒気が走りながら総毛立ち、鳥肌が立った。なぜアリスはその名前を知っているのか。彼女が言った通り、アリスがその名前を知っていることは絶対にあり得ないのだ
「あ、あり得ねぇ…あり得るハズねぇだろそんなの…!?」
上条当麻とキリトは、並々ならぬ事情があり面識があるとはいえ、どこまで言っても別世界の人間だ。その事情を知り得るはずもないアリスの口からその名前が出ることなど、本来あってはならないことだ
「・・・その反応…知っているのですね。であるならば、どうやら私は推論を元に今起こっている全てに説明がつきそうです」
「ど、どういうことだよ!?なんでアリスがキリトのことを知ってるんだ!?まさかアイツが…キリトがこの世界にいたのか!?」
「その答えを今、お見せします」
アリスがそう言ったのとほとんど同時に、雨縁が降下を始め、下方向に強く翼を打ちながら徐々に高度を下げていき、ルーリッド村から少し離れた平坦な野原に着地した。それからアリスと上条は銀鱗の竜から飛び降りて、ほど近くに建てられいる丸太小屋に歩み寄ると、アリスが扉を開いて中に入るよう促した
「どうぞ、入って下さい」
「・・・お邪魔しま……ッ!?」
上条が丸太小屋に足を踏み入れて中を見渡した瞬間、彼はあまりの衝撃に体を仰け反った。彼の視線の先には、テーブルの手前に置かれた椅子に座る、仮想世界で数多の冒険を共にした戦友とも呼ぶべき少年の姿があった
「・・・キリ、ト…?」