「・・・ふむ」
『グロージェン・ディフェンス・システムズ』の最高作戦責任者『ガブリエル・ミラー』は薄い笑みを浮かべていた。主に軍や大企業から依頼される警護や訓練、更には戦地での直接戦闘をこなす彼は今回、真正ボトムアップ型AIことA.L.I.C.Eを奪取するための行動していた
「・・・中々に悪くはない、な…」
ガブリエルは自分の体の感触、および記憶的視覚情報を体感すると、薄い笑いをほんの一瞬だけ不気味な微笑みに変えてから表情を無にした。極めて現実に近い感覚を再現した仮想世界、アンダーワールドにおける闇の中心『帝宮オブシディア城』の玉座の間に降り立った彼は、まず部屋に飾られた鏡を見やった
「・・・なんとも悪趣味なことだ」
鏡に映ったのは、口中でそう呟く自分と同じ行動を取った男だった。顔の造作や白に近いブロンドの髪は現実の自分と同じものだが、額には黒い金属に赤い宝玉を埋め込んだ宝冠が飾られ、服は黒い革製のシャツとズボンに、漆黒の毛皮のガウンを纏っている。そして腰には黒い鞘に納められた細身の長剣がぶら下がり、背中には血の色に染まったマントがあった
「・・・まぁいい。相応の見てくれがなければ『暗黒神ベクタ』などとは呼ぶまい」
その風貌はガブリエルが望んでしているものではなかった。STLにはあらゆる状況に対処するため、あらゆる身分のアカウントが用意されている。その頂点に立つ『スーパーアカウント』の1つ『暗黒神ベクタ』を使ってログインした瞬間から、ガブリエルはもはやただの軍人ではなく、闇の世界の住人を統べる神として生まれ変わったのだ
「ーーー顔を上げ、名乗るが良い。そちらの端のお前からだ」
玉座にドカリと座り込んだ闇の神は、人間味を失った冷徹で不気味な声を、芝居掛かった口調で発した。玉座の間に集った十人の将軍を睥睨しながら放ったその声が響き渡った時、彼が指差していた右端の中年男が、床にくっつかんばかりに平伏していた顔を上げて上体を起こし、流暢な日本語で名乗った
「ははあっ!私は商工ギルドの頭領を務めております『レンギル・ギラ・スコボ』と申します!」
この実際には存在しない男にも、自分と同じ人間としての知性と魂があるのか…とガブリエルが思慮深く視線を注いでいる間に、スコボと名乗った商工人が再び頭を下げると、その隣で重低音の利いた声が上がった
「ジャイアント族の長『シグロシグ』」
そう言って立ち上がったのは、12メートルは超えるであろう巨人だった。この巨躯の怪物にもフラクトライトがあることにガブリエルは少し驚愕していると、次はその亜人とは比べ物にならないほど華奢やローブの人影が、フードを被ったまま頭だけを上げた
「・・・暗殺者ギルド当主…『フ・ザ』」
静かに一言だけを残してフードが下がった。顔も覗けないほど深く被ったフードと体を覆うローブのせいで年齢も性別も分からなかったが、暗殺者ギルドの当主と言うからには、顔を見せない相応の規則でもあるのだろうとガブリエルは捨て置いた
「オーク族長の長ぁ、『リルピリン』だぁ」
一言で言えばそれは、醜かった。丸く太った腹と、豚と人を合わせたような頭には、平らな鼻と剥き出しの牙を生やした口があった。ファンタジーの世界を題材にした物語やゲームでも、その見た目から特に嫌われるオークと呼ばれる異形は甲高い声で名乗ると、短すぎる足をそのまま倒してドカリと座り直した
「拳闘士ギルド第10代チャンピオン…『イスカーン』!!」
この重苦しい底の見えない暗闇のような空間に、どう考えても不釣り合いな元気一杯の声が響いた。まだ少年と言っても差し支えない男は、鍛え上げられた上裸に革帯とズボンとサンダルを履き、両手に鋲のついたグローブをしていた。拳闘士とはボクサーなのか、拳で剣の相手が務まるのかと、ガブリエルは疑問に思いながら首を傾げた
「ぐるるっ!オーガの長『フルグル』…るるる…」
次に人間以上ジャイアント以下の体躯を誇る亜人が名乗った。頭部は狼のそれに酷似し、全身は長い体毛に覆われていた。それが名前なのか唸り声なのかよく分からないままとりあえずガブリエルが頷くと、直後にキイキイと耳障りな声が鳴り響いた
「山ゴブリンの長『ハガシ』に御座りまする!陛下、栄えある一番槍の名誉は是非とも我が種族の勇士にお与え下さりますよう!」
「とんでもない!我らはこんな連中よりも10倍は陛下のお役にまするぞ!平地ゴブリンの長『クビリ』めに御座ります!」
山ゴブリンの長ハガシが名乗るやいなや、平地ゴブリンの長クビリがそれに割って入った。人間以下の背丈しかない二匹の緑の亜人は、互いの名乗りが終わった後も座ることなくその場で言い争いを始めた
「なんだと!?このナメクジ喰らいめ!湿気た土地のせいで頭がブヨブヨにふやけたのか!?」
「そっちこそ!頭の味噌が日差しでカラカラに干上がったか!?」
ギャアギャアと喚き散らすゴブリン達にガブリエルが呆れたように舌打ちすると、二匹の鼻の前に青白い火花が散った。ゴブリンの長はそれに驚いて飛び退くと、その先には右手を差し向ける女がいた
「皇帝陛下の御前ですわよ、お二方」
どこか艶やかな声で言って右手を戻しつつ頭を上げたのは、褐色の肌をほとんど隠していない衣装を纏った若い女だった。ゆるりと立ち上がった豊満で妖艶な肢体の女は、ピンヒールをコツンと鳴らしながら立ち上がり、気取った仕草で一礼した
「暗黒術師ギルド総長『ディー・アイ・エル』と申します。我が配下の術師三千、そして私の体と心は全て陛下のものに」
色気を誇示するように名乗った女は、青い瞳でベクタとなったガブリエルを見つめた。常人であれば一瞬で虜になりそうな誘惑だったが、ガブリエルは自らの性的衝動に駆られることなく、ただ鷹揚に頷いた。そして最後に残った一人に視線を仰ぎ、名乗りを待った
(・・・この男…)
「暗黒騎士団長『ビクスル・ウル・シャスター』。我が剣を捧げる前に…皇帝に問いたい」
傷だらけの漆黒の鎧に全身を包んだ壮年の男は、顔を上げて低い声で名乗ると同時にガブリエルに訊ねた。男の様相にガブリエルは、かつて自分が戦場で相見えた数少ない『本物の兵士』と同じ風格を感じ取りつつ、静かに頷いて呟くような声で言った
「許す。言ってみろ」
「・・・今この時に玉座へ戻った皇帝の望みは、奈辺にありや」
(・・・なるほど。この目、表情…声の圧…確かにコイツらは、単なるプログラムではないようだな)
名乗りよりもいっそう低い声で告げたシャスターの視線は、これまで名乗った他の9人からは見られなかった、ある種の覚悟のようなものが見え隠れしていることにガブリエルは気づいた。彼と視線を重ねるだけでその覚悟の如何を読み取ることは出来なかったが、それを常に意識しておくことを念頭に置くと、彼の問いかけに皇帝らしい冷たい声で答えた
「血と恐怖。炎と破壊。死と悲鳴」
闇の神その人の声に、オブシディア城はおろか、広大な赤黒に染まった空の下、ダークテリトリー全体が静まり返った。ガブリエルは眼前に跪く十人の顔を、名乗った順からもう一度見返すと右腕を高々と掲げ、往年の俳優が演じる悪役にも勝る演技で言い放った
「余を天界より追い払った神どもの力溢れる西の地、その護りたる東の大門は今まさに崩れ落ちんとしている!余は戻ってきた…我が威光をあまねく地上に知らしめるために!」
「大門が崩れたその時こそ!人界は我ら闇の民の物となるのだ!余が欲するはただ一つ…時を同じくして彼の地に現れる『光の巫女』ただ一人!それ以外の人間どもは望むままに殺し、奪うことを許そう!今この瞬間こそが…全ての闇の民が待ち望んだ約束の時だ!!」
「「「・・・う、うお…うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」」」
しんと静まり返った空間で、ガブリエルの言葉に最初に反応したのは十人の将軍らが後ろに連れていた士官達だった。彼らの雄叫びは言いようのない歓喜に満ちており、それに続くように伏していた将軍達も次々に立って声を上げた
「ギイイイッ!殺す!殺すぅ!白いイウムども、みんな殺すゥゥゥッ!」
「ホオオオオオウッ!戦だ!戦だ!!」
「ウラーーーッ!戦だ!戦だーーーっ!!」
ゴブリン、オーク、拳闘士ギルドの長、果ては暗殺者ギルドの面々もゆらゆらと細い体を揺らし、暗黒術師ギルドの魔女達も奇妙な術で思い思いの火花を散らした。しかしその中で、シャスターだけは跪いた姿勢のまま、身動きしていないことにガブリエルは気づいた。それが軍人としての知性によるものなのか、先刻の視線に宿らせた覚悟によるものなのか、知ることのないままガブリエルは表情を曇らせた
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「兄弟にあんな才能があったとはね!いっそ軍人なんかより役者になった方が良かったんじゃねぇか?」
会合が終わったその夜、彼と共にアンダーワールドに『暗黒騎士』としてログインした男『ヴァサゴ・カザルス』は、ガブリエルを見てニヤニヤしながらワインの瓶を彼に向けて放り投げた
「その呼び方は止めろと随分前に言ったはずだが?まぁあくまで必要に応じたまでだ。お前の方こそそれらしい演説の仕方くらい考えておいた方がいいんじゃないのか。一応はあの連中より一段上の立場なんだからな」
オブシディア城最上階にある皇帝の居室に設置された、見るからに質のいい高級感溢れる赤い布地で拵えられた椅子に腰掛けながら、ガブリエルはヴァサゴの投げ寄越したワインの栓を抜いた。一方のヴァサゴもテーブルを挟んでガブリエルの向かい側の椅子に座り、上等な年代物のビールを一息で呷った
「かーーーっ!そんな事よりオレぁ、何よりもまず先頭で切り込みてぇな。せっかくこんな物凄ぇVRワールドにダイブしてるんだからさ、この酒もボトルも本物と相違ねぇぜ」
「だがその分、斬られれば激痛が走り、血も出る。ここはペイン・アブソーバが効かないのだからな」
「ノンノン、それがいいんじゃねぇかよ兄弟」
ニヤリと笑いつつも、相変わらず呼び名を改めないヴァサゴにガブリエルは肩を竦めてみせると、ルビーにも似た色合いのワインを一口含んだ。それから部屋の片隅にある紫色の結晶板、システム・コンソールに触れると、メニューを手早く操作して外部オブザーバー呼び出しボタンを押した。それによって時間倍速が等倍に低下する奇妙な感覚を頭に覚えていると、コンソールから早口で喋る声が聞こえた
『隊長ですか!?まだ隊長とヴァサゴのダイブを見届けて、メイン・コントロール・ルームに戻ってきたばっかりですよ!?』
現実世界側からガブリエルに話すその男、名を『クリッター』というグロージェン・ディフェンス・システムズの『サイバー・オペレーション部門』で非正規に雇われているハッカーに、ガブリエルは早口の彼とは対照的な平静な声で答えた
「こちらではもう一日目の夜だ。解ってはいたが時間加速とは奇妙なものだ。とりあえず今のところは予定通り順調に進んでいる。二日後にはヒューマン・エンパイアへ進軍できる手筈だ」
『素晴らしい。いいですか隊長、アリスの身柄を確保したら今通信してるコンソールまで運んで、メニューからメインコントロール・ルームへのイジェクション操作を行って下さい。それでアリスのライトキューブ…もとい『限界突破』フラクトライトなる、真正ボトムアップ型AIはこっちのモンです」
「あぁ、分かった」
「それと、これはヴァサゴのバカによく言って聞かせてほしいんですが……』
「あぁ?おい今なんつった四ツ目野郎」
「一々騒ぐな。こんな状況でも仕事中だ」
「・・・チッ、わーったよ兄弟」
コンソールから聞こえるクリッターの声に、ガブリエルの後ろにいたヴァサゴが眼鏡ハッカーの物言いに反応を示すも、ガブリエルが眼力を利かせて口を噤ませた
『まぁ端的に言わしてもらうと、管理者権限のない操作しか出来ない現状じゃアカウントのリセットも不可能です。つまり隊長もヴァサゴも、そっち側で死んだら二度とそのスーパーアカウントは使えません。そしたら今度こそ野良の一兵卒で出直しですからね!』
「あぁ。当面は前線に出るつもりはない。そちらの『自衛隊』の動きは?」
『いや、今のところは特にないですね。まだ隊長達のダイブにも気づいてないかと』
「よし、それでは通信を切る。次の連絡はアリス捕獲後といきたいものだ」
『了解。期待して待ってます』
クリッターの言葉を最後にガブリエルは通信ウィンドウに軽く触れ、紫色のソレを閉じた。途端に、時間加速の倍率が通信前の速さに戻る違和感を覚えたが、頭を振るってその違和感を追い出しながら後ろを振り返ると、黒染めの鎧を床に放り出して革のシャツとズボン姿になったヴァサゴがいた
「んーと、兄弟。ちょいとダウンタウンに遊びに行く…ってのはダメだよな?」
「当たり前だ、しばらくは我慢しろ。作戦完了後には時間をくれてやる」
「だーよなぁ…了解。殺しも女もお預けね…そんじゃ、大人しく寝て神経尖らせるかな。そっちの部屋使わしてもらうぜ〜」
「好きにしろ」
そう言うとヴァサゴは手を軽く振って隣接した寝室の一つへと消えていった。それを見届けるとガブリエルも一先ず自分も就寝しようとマントとガウンをソファに放り、腰の長剣を留め具から外してその上に投げた。そして上着のボタンを外しながら、ヴァサゴが入った方とは別のドアのノブを回して中に入ると、僅かに感じる人の気配に目を細めた
「・・・誰だ。召使いを含む何人も、玉座の間よりも上には立ち入るなと命じていたはずだが?」
広大な寝室に置かれた豪華なベッドに目をやると、その気配の元凶たる人影がベッドの傍らに平伏していた。ガブリエルはその何者かに睨みを利かせ、細心の注意を払いながらベッドに歩み寄ると、少しハスキーでありながらも女性の影を感じさせる艶のある声が返ってきた
「・・・わたくしが、今宵の伽を務めさせていただきます」
「誰の命令だ?」
床に平伏しているのは、薄い衣を纏った若さが見える女だった。女は少し青みのある髪を結って飾り紐で留めているだけで、それ以外には何も身につけている様子はなかった
「いえ…これが私の役目でございますゆえ」
「そうか。では果たすがいい」
「・・・失礼いたします…」
女は薄着を解いて床に落とすと、ベッドに腰掛けたガブリエルの右隣に音もなくすり寄った。そして、髪を留めていた飾り紐をおもむろに解くと、広がった髪の中から滑り落ちるようにして姿を現したナイフを左手で掴むと、それをガブリエルに向けて閃かせた
「ぐぅっ!?」
闇に染まる寝室に、短い悲鳴があった。しかしそれは、ナイフに身を貫かれそうになったガブリエルではなく、ナイフを振り上げた女の方だった。ガブリエルは女の放つ殺気を既に感じ取っており、彼女の左腕を己が右手で捉えると、女の体をベッドに叩きつけ、残った左手で細い首を締め上げた
「がっ!ぁはっ…!?」
「誰の命令だ」
女は激痛に顔を歪め歯噛みしながらも、なおもナイフを突き出そうと抗っていた。ガブリエルはそれを強引に力で抑え込むと、左手の指を女の喉笛に沈めつつ、感情を感じさせない冷ややかな声で訊ねた
「これ、はっ…誰の命令でもない…!私自身の、意思だっ…!」
「・・・ほぉ?」
首を締めるガブリエルの左手に、女は右手の爪を立て、覆いかぶさるガブリエルの目を睨みつけながら、漏れ出すような低い掠れた声の端に力を込めて言った。ガブリエルは実に瀕死の人間らしい必死の形相を見せる人工フラクトライトの女に感心を抱きつつ、もう一度付け加えながら訊ねた
「もう一度問う。その猛々しい表情、化粧のぎこちなさや筋肉の付き具合から見るに、こういった事を生業にする暗殺者ギルドの遣いではあるまい。加えてその顔を見るに異形の類でもない」
「ふっ!んぐっ…!?」
「となると、貴様は拳闘士とやらか、暗黒術師あるいは暗黒騎士のいずれかの配下ということになる。お前の上官はこの内の誰だ?」
「・・・いな、い…」
「それはまた、殊勝なことだな」
気道を抑えられつつ必死な息遣いで答える女に対し、ガブリエルはそれを鼻で笑いながら言った。そしてこの世界にログインするにあたって教授された、ダークテリトリーに唯一存在する法を口にした
「『力で奪え』。それこそが、この闇の世界における絶対の法だ。禁忌目録などという複雑に絡まる法がある人界とは違い、我らには力こそが全てだ。そしてそれに支配されたるお前たちは、上位存在から与えられた法や規則、命令には絶対に逆らわない」
「つまり、貴様にとっての上位存在は少なくとも皇帝にして神たる余ではないということになる。言い換えれば、ぽっと出の余よりも長年仕えて来た己の主の方が強いと思っているのだろう?」
「言ったはずだ…!私に上官など、いないっ…!」
「・・・まぁ良い。では何故だ?よもや商工ギルドに金を積まれたわけではあるまい。なぜ余の命を狙う。何が貴様をここまで突き動かす?」
ガブリエルはどちらにせよ、この女を差し向けた将軍を殺すつもりでいた。この女の口からその名を聞かずとも、その人物を炙り出す方法も思いついていた。故にそれは、さしたる思慮なく発した質問だった。しかし、女の口から即座に帰って来たのは、ガブリエルの予想だにしないものだった
「大義の、ためだ…!」
「・・・大義とは?」
「今戦が始まってしまえば歴史は100年、いや200年も後退してしまう!もう力なき者が虐げられる時代に戻してはいけないのだ!食事もままならぬような孤児をこれ以上…未来永劫生み出すわけにはいかんのだ…!」
ガブリエルは驚嘆した。この女が、これでまだブレイクスルー以前の段階であるという事実に舌を巻いた。そしてガブリエルはその女の灰色の瞳を凝視し、その奥にある感情を読み取っていった
「・・・なるほど、実に下らん。そういうことであれば、お前はもう必要ない」
決意、忠誠、そしてその奥にある何よりも強い熱を帯びた感情…それを除いたガブリエルは、呆れたように短く息を吐くと、無造作に首を絞める左手に力を込めた。骨が軋む音と共に、女の両目がかっ開き、悲鳴もあげられずにただ身をよじる。なおも暴れる四肢をガブリエルが押さえつけると、やがて女は全てを悟ったような安らかな顔で、部屋の天井を見上げながらも、どこか遠くを見るような瞳に涙を浮かべながら、一つ静かに呟いた
「愛して…います…閣下……」
ゴギン!という鈍い音を最後にその女『リピア・ザンケール』はアンダーワールドを去った。彼女の筋肉や軟骨が破壊されていく感触を左手に味わいながら、ガブリエルはあり得ないものを見た。両目をつぶり眠る女の額から、虹色に輝く光の雲のようなものか湧き出している
「おお、おおおおおおお……!!」
それを見た瞬間、ガブリエルは口を大きく開き、虹の光を吸い込んだ。彼にはその光に見覚えがあった。幼きありし日に手ずから命を奪った『少女』も、死の際に同じものを見せた。そう、それは紛れもなくあの日誰よりも愛していた少女の『魂』だったのだ。その虹の光、魂の雲が、それを吸い込んだガブリエルの五感をどうしようもないほど満たした
「あぁ、あはははははは!わははははははははははははははははははははは!!!!!」
恐れや痛みが生み出す苦味、悔しさや悲しさの酸味、そして死にゆく女が最後に抱いた感情…愛という甘味を残さず味わい尽くした。天上の蜜に浸されたガブリエルは、女の骸を抱きしめながら何度も笑った。あの日から人生を賭して追い求めてきた現象を、ついに再体験できた喜びを噛みしめるように、静かに愛した少女の名を口にした
「あぁ『アリシア』…あの日君が見せてくれた魂に…もう一度私はたどり着いたよ…!もっとだ…もっと…もっと殺さなくては…!この魂という極上の食物を!余すことなく味わい尽くして!アリシア以上の魂を見つけなくてはならない!あははははははははは!!!」
その男は、ただ恍惚としていた。彼の感情は紛れもなく、常人のそれではなかった。それが10の歳にして『アリシア・クリンガーマン』を殺めたことに起因するものなのかは、ガブリエル自身にも分かっていない。ただ、あの味を知ってしまっては、もう戻れないということだけが自らの魂に刻まれていた
「アリシア…いや、アリス……」
未だ見ぬ光の巫女、全人類の叡智が初めて生み出した、新たなる魂の象り…A.L.I.C.E。その姿、仕草、声、唇、瞳、その全てを想像し、アリシアに重ねながら、この世に遍く全ての魂に敬服するように、あるいは冒涜するように、ガブリエルは口中で小さく呟いた
「