とある魔術の仮想世界[4]   作:小仏トンネル

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第18話 光なき者

 

帝宮オブシディア城の寝室に、名も知れぬ女アサシンが忍び込んだ夜の二日後。再び十人の将軍たちと各陣営の幹部が集まって低頭しているサマを見下ろすと、ガブリエルは満足げに笑った。彼らは宣言通り、二日間で人界への進撃の準備を完了させたのだった

 

だがそれは、まだここにいる者が皇帝の力を信じているが故の行動に過ぎない。その力に疑いがかかれば、いとも簡単に裏切りも起こりうる。それを起こしうる懸念を抱かせる人物がいるとすれば、あの夜部屋に忍び込んだ女アサシンを従えていた、この十人いる将軍の内の一人であることはガブリエルにとっては明白だった

 

故に、女アサシンにとってがそうだったように、その将軍は事と次第によってはガブリエルよりも強者にもなり得る。その将軍は本心では忠誠を誓っていない可能性は拭いきれない。そのような麾下を抱えて進軍すれば、寝首を掻かれることもあり得るだろう

 

それを未然に防ぐためにも、ガブリエルにとってはその将軍をこの十人の中から炙り出し、圧倒的な力を誇示して処分することで、残る九人に皇帝の力を示し、この世界の最強が誰なのかを知らしめておくことが進軍前の最後のミッションだった

 

 

「時に一昨夜、余の寝所に忍んできた者がいた。短剣を髪に隠して、な」

 

 

ガブリエルの一言に、玉座の間が騒ついた。横並びに跪いている十侯の面々も微かに息を呑み、ある者は喉の奥で低く唸り、またある者は分厚いローブに体を沈めた。後方に控える配下達は同じ種族同士で顔を合わせ、それぞれ静かな声で耳打ちし合っていた

 

 

「刺客を差し向けた者を、余は詮議しようなどとは思わぬ。力こそが法であるこの闇の国において、持てる力を駆使し更なる力を求めるその意気や良し。余の首が欲しくば、いつでも後ろから斬りかかるが良い」

 

 

闇の玉座に腰掛ける帝王の言葉に、あからさまに顔をしかめた者がいたのをガブリエルは見抜いていた。滑らかな褐色肌を晒す暗黒術師の女と、腹を据えたように黙っている暗黒騎士長の二人だ。その二人を眺めてガブリエルは内心でほくそ笑むと、肘掛けに置いていた片手をおもむろに上げながら続けた

 

 

「もちろん、そのような賭けには相応の代償が求められることを理解していれば、だがな」

 

 

玉座の右側のドアが開き、召使いの一人が黒い布が掛けられた銀盆を持って玉座に歩み寄ると、その銀盆を玉座の手前に置いて、一礼した後にその場を去った。そしてガブリエルは玉座に座したまま足を伸ばし、銀盆に掛けられた黒布の端に置くと、下卑た笑みを浮かべながら言った

 

 

「その者が受ける報いとしては、これがその良い例えだ」

 

 

バサッ!という空を薙ぐ音がして、黒布が乱雑に蹴飛ばされた。黒布が剥ぎ取られ、露わになった銀盆の上にあったのは、青く透き通った立方体だった。しかしその整った面の奥は、永遠に醒めることのない眠りについた女の首が内包されていた

 

 

「・・・リピ、ア………」

 

 

その男、暗黒騎士シャスターは唇の動きだけで、氷に閉じ込められた生涯で最も愛した女の名前を呟いていた。本当に死んだのか、皇帝に刃を向けたのが本当に愛するリピアだったのか、もう考える暇はなかった。気づけば視界はおろか、思考さえもが真っ赤な殺意に染まり、シャスターの腕が許す最速の動きで右手が腰の剣を抜いていた

 

 

「シャアッ!!」

 

 

シャスターは殺の一文字だけを脳裏に浮かべ、愛刀『朧霞』を上段に振りかぶった。その属性は銘の霞にちなむ『水』。彼の愛する者を奪われた怒りと嘆きという莫大な心意が込められた太刀は、霧状の影へと変化していた。霧へと化した刀が持つ特性は、『長く伸びる霧に何かが触れた時点で天命に斬撃のダメージを与える』というものだった。死の刃となった霧がガブリエルに迫る、その刹那のことだった

 

 

「ーーーーーッ!?」

 

 

剣を抜いたシャスターの動きが、斬りかかろうと膝立ちになった姿勢のまま、石像のように固まっていた。配下を殺され、怒りのままに殺意をこちらに向ける。それが誰であろうと、ガブリエルにとっては予想の範囲内だったが、その動きが直前で止まることまでは予想していなかった。ガブリエルは完全に動きを止めたシャスターの体を注視してみると、その左脇、鎧の継ぎ目に一本の投げ針が刺さっているのを見つけた

 

 

「フヒッ、フヒヒヒ……」

 

 

不気味な笑い声を漏らしながらユラリと立ち上がったのは、灰色のローブを纏う暗殺ギルドの頭首、フ・ザだった。彼の率いる暗殺ギルドには、生業とする暗殺において極めて厳格な決まりがあった。それは『猛毒』を用いた武器による暗殺。あらゆる場面で忌み嫌われる毒という技術は、たった今放られたフ・ザの投げ矢にも、ふんだんに塗り込まれているのはシャスターの様子から見ても明らかだった

 

 

「こんな、取るに足らない小物に……そう思っていますね、ビクスル」

 

 

自分に向かってくる足音と擦れるような声が耳に入ったシャスターは、体を床に沈めながらも、まだ自由がきく目許を顰めてフ・ザを睨みつけた

 

 

「お前なぞに名前を言われる筋合いはない…そう言いたげな顔をしていますね?ですが、私があなたをビクスルと呼ぶのはこれが初めてじゃないんですよ?まぁあなたは覚えていないでしょうがね、幼年学校で自分が叩きのめした子供たちの顔など。そしてその内の一人が、屈辱のあまり水路に身を投げ、学校から永久に姿を消したことも」

 

 

突如として始まった演目に、ガブリエルは嘆息吐きながらもその成り行きを見守ることにした。しかしそれは、皇帝ベクタたる自分を恐れず刃を抜いたシャスターに、このローブの男が何を思うのか、一介の人工フラクトライトたる彼らがどのような因果で繋がり、また感情を抱いているのか純粋な興味があることの裏返しだった

 

 

「えぇ、なにせ30年も経ちましたからねぇ。ですが私は一度として忘れたことはありませんでしたよ?流れ着いた地の底で暗殺者ギルドに拾われ、奴隷としてこき使われた長い年月の間、ずっとね。私は多くの知識と技を蓄え、新しい毒を開発し、ついには暗殺者ギルドの頭首にまで上り詰めた。全てはあなたに復讐するためです、ビクスル」

 

「何を、言って…?」

 

「あなたの体に打った毒はね、あなたを殺すために私が手ずから開発した毒です。気が遠くなるほどの時間をかけて、ね。実験では天命量が三万を超える大型地竜ですら1時間で死に絶えましたよ。まぁあなたであれば、もって後2、3分と言ったところでしょうか。さぁ…返してもらいますよ。あなたに預けてあった、私の恨みと屈辱を」

 

 

フ・ザ。かつての名を『フェリウス・ザルガティス』と言ったその男の深く被っていたフードが、ほんの少し傾いた。その素顔が、目の前にいるシャスターにだけ晒される。その顔は毒の影響か、酷く溶け崩れていた。そんな元の顔が見る影もない顔の見覚えを、シャスターが感じるはずがなかった。だからこそ、もう彼は恨みに燃える醜い暗殺者の顔など見ていなかった

 

 

「ーーーーーーせん…」

 

 

その僅かな唇の動き、そして朧霞の刀身が再び霧に変じていることに、フ・ザは気づいていなかった。ただ長年の恨みを果たした悦楽に酔うばかりで、五感の感覚を全て放棄していた。それに気づいていたのは、ガブリエルだけだった。リピアが呈した大義は、間違いなくこの男の中にもある。そう確信した頃には、フ・ザの『殺の心意』を上回る、シャスターの『義の心意』が奮い立った

 

 

「邪魔はさせんっ!!!」

 

 

毒によって麻痺していたはずのシャスターの口から猛々しい怒号が飛び出すのとほぼ同時に、灰色の竜巻のようなものが右手を中心にして高く巻き上がった。その竜巻はシャスターの心意が呼び起こした、神器による『記憶解放』の術式だった。触れた物体全てを余すことなく分解する、破壊の権化たる竜巻は、避ける間も無くフ・ザの体を飲み込んだ

 

 

「ぶぎゃっ……!?」

 

 

ジリジリジリッ!!という微細な音の中に、顔の爛れた暗殺者の短くも醜い悲鳴が混ざりこんだ。それに続くように全身が濃密な血煙となって竜巻に引き込まれると、面影も残すことなくフ・ザは世界を去った。しかし血の惨劇を巻き起こした竜巻は、彼一人を飲み込んだだけでは収まることはなかった

 

 

「ひっ!?あああああっっっ!?!?!」

 

 

続いて甲高い悲鳴を迸らせたのは、暗黒術師ギルド長ディー・アイ・エルだった。フ・ザに次いでシャスターの近くに座していたディーは、シャスターが発した怒号に悪寒を覚えた瞬間に飛び退いたが、その時には既に右足の膝から下が崩れ落ちていた。その事実に驚愕しつつも必死に神聖術で風素を生成し、後方に全速力で飛行するも、死の竜巻はそれを上回る風速で周囲をを巻き込んでいた

 

 

「クギャーーーッ!?」

 

 

生死を賭けた飛行を続けるディーの真横を、山ゴブリンの長であるハガシが通り過ぎた。直後にビシャッ!という水の跳ねる音がした事から察するに、彼の体は視認できないほどに細切れになったのだろうとディーは分かっていた。今でこそ右足一つ、この程度であれば自分の神聖力を活かした治癒術でどうとでもなるが、粉々に刻まれればそれも叶わない故に、すぐ背後まで迫っている死の予感に純然たる恐怖の念を抱いた

 

 

「ヒギャアアア!?離せっ!はなっ……!」

 

 

平地ゴブリンの長クビリは、ディーも気づかぬ間に鮮血を伴う竜巻に呑まれていた。ディーがほとんど衝動的に振り向くと、その先では竜巻の中心に立つシャスターがクビリの足を掴み、そのまま竜巻の中心に引き込むと、彼の断末魔が途切れた。そしてなお悪いことに、振り向いた所為で減速したディーの右足が、根元から千切れた

 

 

「ひいいいぃぃぃっっっ!?!?」

 

 

苦痛に顔を歪めながら、ディーはすぐさま前を向き直して、空中を泳ぐように上半身をバタつかせながら飛んだ。元から距離のあった六人の諸侯達は、西側の壁まで避難していたが、驚愕に目を見開いて言葉を失うばかりで、逃げ惑うディーに手を差し出すことはなかった。もう直ぐあのゴブリン達の後を追うことになる…そうディーの脳裏に思考がよぎった瞬間、死の竜巻が奇跡的に停止した

 

 

「はあっ…!はあっ…!」

 

 

引き合う力がなくなると、ディーは床を這うようにして六人の諸侯が群がる西側の壁まで避難した。そこでようやく部屋を見渡すと、部屋の後方で待機していた各陣営の幹部も無事だった事と、玉座に座るベクタは顔色一つ変えていないことを知った。そして部屋の中央には、半透明の霧で覆われた男の上半身。それがシャスターの写し身であることは、混沌とする思考でも間違いないと確信した

 

 

「・・・・・」

 

 

シャスターも含め、ほぼ同ステータスであるはずの将軍ユニット三人を一瞬で亡き者にした現象に、顔色こそ変えなかったが流石のベクタも驚愕を覚えていた。このアンダーワールドには、今の事象を引き起こした、自分もクリッターも知らないロジックが存在するのではないか。そうガブリエルが考えた瞬間に、竜巻の巨人が天地を揺るがすような雄叫びを上げた

 

 

「ヴォォォォォォォォォォォ!!!!!」

 

 

咆哮が玉座の間を飾る窓ガラスの大部分を砕いた。ある者は耳を塞ぎ、ある者は吹き荒ぶ暴風に耐えきれず頭部の前で両手を交差させた。しかし、そんなことなど露知らず、巨大な霧の巨人は眼前のガブリエルに向けて拳を振り下ろした。剣で受け止めても意味はないし、回避できる距離でもない。そう判断したガブリエルは、副官のヴァサゴが飛び退くのを横目に見ながら、巨人の振り下ろす灰色の拳を待ち受けた

 

 

「・・・面白い」

 

 

シャスターが今際の際に発生させた心意は、もはやアンダーワールドのシステムの枠組みを超えていた。かの竜巻は数値的な天命を減らしたのではなく、彼らのライトキューブに直接『死のイメージ』を叩き込み、フラクトライトを破壊することでそこから逆算するように肉体を消失させたのだ。さればこそ今度の拳も、ガブリエルの莫大な天命を減らすことなく彼の意識の中核、自我へと迫った

 

 

「ブルゥワアアアァァァッッッ!!!」

 

 

この時シャスターの主観では、己の放った一撃が自意識と同化し、皇帝ベクタの内部へと侵入したのが感覚で分かっていた。本来の肉体の天命が既に尽きたことは今の状況からでも明白であり、これが生涯最後の一撃であることを悟った。それでも彼は、愛するリピアの首を晒した皇帝に一矢報いるべく、ベクタの額を貫いた

 

 

[・・・これ、は…]

 

 

心意と同化したシャスターは、皇帝ベクタの自我に存在する魂の中核に突入した。そこを破壊すれば、さしもの暗黒神と言えど、フ・ザやゴブリン達と同じように消滅すると考えていた。しかし、その魂の中に入り込んだシャスターは、生涯最大の驚愕を目の当たりにした

 

 

[ーーーーーない…]

 

 

光の雲にも似た魂の中核、そこには意識の精髄が集中し、世捨て人のフ・ザでさえも貪欲な生への執着がギラギラと光っているのが見られた。だというのに、今いる魂の中核には、一筋の光さえも差すことのない、濃密な闇が広がっていた

 

 

[コイツは…この男は………]

 

 

STLが量子回線を用いて再現したガブリエルのフラクトライトには、感情すらも窺い知れない、無限の闇が広がっていた。その闇に呑まれるようにして、シャスターの意識が溶けていく。消えていく。蒸発していくーーー

 

 

[・・・命を……知らない、のか………]

 

 

生命の、魂の、そして愛の輝きを知らぬからこそ、この男は他者の魂を求める。この男の前では、どれほど強力な心意であろうと、殺意に由来する心意では斃せない。なぜなら、この男には生という概念がない。生まれながらにして死する、人の形をした屍ーーー

 

 

[・・・無念……。・・・リピア……]

 

 

そこでシャスターの意識は、プツリと途切れた。無限の深淵に覆い尽くされるようにして、光の差さない闇の底へと落ちた。愛する者の姿を浮かべる思考さえも弾けてしまったのを最後に、暗黒騎士の将軍ビクスル・ウル・シャスターの魂は完全に消滅した

 

 

「・・・・・・・・・・」

 

 

消滅してしまったシャスターの魂の輝きに意識を貫かれたガブリエル・ミラーは、恐怖よりも歓喜を感じていた。それは2日前に喰らったリピアの魂よりも、より濃密な感情を含有していた。あの女への愛、ダークテリトリーに住む人々への慈しみ、それを動力源とした殺意。つまり、その魂に連なるは愛と憎しみ。これ以上に甘美なるモノが、この世に存在するのか、そんな疑問を抱えながらも、ガブリエルはシャスターの魂を喰い尽くした

 

 

「・・・・・は。くっくっ……」

 

 

甘美なる味わいに浸り、騎士の魂を咀嚼するガブリエルの口から、くつくつとした笑みが漏れ出した。己が生命の危機に晒されてなお、それを意識することなく騎士の魂を喰らい尽くすことを選んだ。もしも彼がシャスターの真意による攻撃に少しでも恐怖すれば、STLを経由した死のイメージが、連鎖的に彼のフラクトライトを吹き飛ばしていたはずだった

 

 

「・・・・・礼を言おう。身を持たぬ魂よ」

 

 

しかし彼が命を知らないばかりに、シャスターのフラクトライトによる破壊信号は、ガブリエルのフラクトライトに広がる虚無を前に、何にも衝突することなく消滅してしまったのだった。そんな理屈をガブリエルは知る由もなかったが、この世界には通常攻撃や呪文以外にも攻撃方法が存在することと、その攻撃が自分には通用しないことを知った。その解析を後にクリッターに解析させねばと考えるのと同時に、彼は玉座から立ち上がった

 

 

「・・・将軍の失われた軍は、直ちに次点の位にある者が指揮権を引き継げ」

 

 

生き残った諸侯六人は、未だかつて味わったことのない恐怖に震え上がりながら、皇帝ベクタを呆然と見上げていた。一瞬にして三人の将を血煙に変えたシャスターの一撃を正面から受けても、この男は傷一つ負わなかった。『力ある者が支配する』という、闇の世界にたった一つ存在する法を、この皇帝がその言葉通りに体現していることは、六人の諸侯や背後に控える百人以上の士官にも一目瞭然だった。その事実を噛みしめるように、その場にいる全員が深々と頭を垂れ皇帝への恭順を示すと、闇を統べる神はそれを見下ろしながら言った

 

 

「我が力の下に集え。一時間後、人界への進軍を開始する」

 


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