「・・・恐れながら閣下…ミニオン800体、降下直前に全滅した模様にございます」
「なっ、なんだと!?」
配下の伝令術師からの報告に、ディーは絶句した。術式だけで八百ものミニオンを屠ることは、実質不可能だと決めつけていた。術で生み出すミニオンの主な素材は粘土であるがゆえに、火炎術や凍結術に高い耐性を持っている
「何故だ!?敵に大規模な術師部隊がいるとは聞いていないぞ!」
然るに最も有効なのは鋭利な刃による斬撃だが、空中にいるミニオンに地上の兵どもの剣が届く筈もない。故にゴブリンのような亜人部隊よりも数こそ800と劣るが、有益な戦果を上げるだろうと予想していたが、結果はそうはならなかった。その歯痒さをディーは何とか抑えつつ、黒衣の術師に訊ねた
「・・・敵の飛竜はまだ出ていないと言ったな?」
「はい。戦場上空におきましては、現時点では一匹も確認しておりませぬ」
「となると、アレか。憎き整合騎士どもの切り札…武装完全支配術。しかし、よもやこれほどまでの威力とは……」
語尾を奥歯でギリギリと嚙み殺しながら、ディーは呟いた。武装完全支配術について彼女は、誰がどんな技を使えるといった、大雑把な情報しか持っておらず、実例を目にしたことがなかった。だからこそ少しは侮ってかかっていたその威力を、こうもまざまざと見せつけられては、暗黒術師のギルド長たる彼女も舌を打たずにはいられなかった
「・・・だが、武器をそのように扱えば、天命を大量に消費するのもまた間違いない。そうそう連発は出来なかろう……ならば、ヤツらの位置はどうだ?」
「はっ。上位騎士におきましては、前方に三名、後方に二名の騎士を確認しております。合わせて五、目標を照準中であります」
「・・・よし」
ディーは頷いて、思考に思考を重ねた。彼女は本来、念入りに策を巡らせ、万難を排してから動く用心深い人物だ。しかし、虎の子のミニオン八百体を瞬時に喪失するという予想外の展開が、彼女を自覚なき混迷に追い込んでいた
(・・・私は冷静だ。戦場においては先手を取ってこそ、盤石の体制を敷ける。断じて後手に回るべきではない)
最大の不確定要素たる敵、上位整合騎士の武装完全支配術を更に消費させるため、第二軍主力の暗黒騎士団と拳闘士団を動かすか。それとも、こちらの切り札たる暗黒術師団をここで動かし、一気に勝負を決めるか。その答えは既に、彼女の中で明確に定まっていた
「オーガ弩弓兵団、及び暗黒術師団、総員前進!峡谷に進入後『広域焼夷弾術』の詠唱をただちに開始するのだ!!」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「くるるる」と、甲高くもどこか心細そうな喉声があった。飛竜の雨縁が、主を気遣って発した声だ。自分が乗っている飛竜の鳴き声を聞いた整合騎士アリスは、どうにか微笑らしきものを唇に浮かべ、彼女の耳元で囁いた
「大丈夫よ、心配しないで」
だが実際のところ、アリスはとても大丈夫だと言い切れる状況にはなかった。視界は時折歪み、呼吸は荒く、手足は氷のように冷え切っている。いつ気を失ってもおかしくない。アリスを消耗させているのは、開戦直後から詠唱を続けている巨大術式ではなく、その術式が消費している神聖力の発生源となっている、無数の死そのものだった
(・・・もう既に、何人もの死を見ました。騎士、衛士、修道士。そして敵のゴブリン、オーク、ジャイアント…)
凄まじい勢いで喪われていくそれらの命の、消え去る瞬間の恐怖や悲哀、絶望がアリスの意識を蝕んでいた。だが、それがなければ彼女の巨大術式は発動しない。神聖術に用いられる神聖力とは、自然に生み出されるものだけでなく、人間の命、魂が大きなリソースとなるからだ
(・・・しかし、それが…まさかこのような…)
峡谷に蔓延する神聖力を懸命にかき集めていたアリスは、雷に打たれたような衝撃を受けていた。あろうことか、眼下の戦場で次々と倒れる両軍の兵士たちの天命から生じた神聖力は、人界人のものも、闇の軍勢における亜人たちのものも、まったく同質だったのだ。全てが同じように温かく、清らかで、それを生み出したのがどちらの軍の兵士なのかを感じ分けることは、アリスには不可能だった
(・・・当然と言えば当然なのでしょうか…そもそも私たちは、カミやんが言ったように誰かに造られた存在なのですから。ですが、それではまるで…今から私がやろうとしている事は、住んでいる場所が違うだけの、本質的には同胞である彼らを手にかけていることに……)
そこまで思考してハッとすると、アリスは激しく首を横に振った。例えそうだとしても、やらなくてはならない。もしここで躊躇すれば、自分が何としてでも守ると誓った両親やセルカ、ひいては人界の民に危害が及ぶ。それだけは許す訳にはいかない。しかしそう思えば思うほどに、アリスの心は敵の命を天秤にかけるという現実に苛まれていった
「キリト…貴方がいてくれたら……」
もっと違う道を見つけられたのかもしれない、という言葉は口にせずに押し殺した。いや、本当はもう一人。本来なかったはずの記憶の中に、そんな期待を持たざるを得ない少年がいた
「・・・カミやん。どうか無事で」
戦場に立つ少年の無事を祈って、アリスは静かに目蓋を閉じた。今は、術式に集中しなくてはならない。峡谷に放出される神聖力を集め、術式に換えることだけに集中しようとした。しかし、悲鳴は絶え間なく峡谷に響き渡り、アリスの心を締め付けた。死んでいく。誰かの父が、兄弟が、姉妹が、そして子が
(・・・早く、どうか…)
アリスは心の内で呟いた。いっそ、一秒でも早く『その時』が来てほしいと。これまでの数倍、膨大な死を生み出すとしても、この惨劇が終わるその時をーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「づぁっ!!」
「ブギィッ!?」
左翼側を抜け出た山ゴブリンから補給部隊を守り、前線に戻った上条当麻は再び第一部隊中央に戻っていた。移動から続く連戦にも関わらず力戦奮闘する彼の前には今、豚の亜人オークが立ち塞がっており、次から次へと湧くように迫ってくる敵を盾で防ぎつつ、右拳で叩き伏せていた
「うおおおおおっ!!」
「ブゴッ!?」
「でやああああっ!!!」
ゴッ!グシャッ!バキッ!という鈍い音が彼の周りでは連続して聞こえていた。彼の拳が、敵の顔面、鳩尾、土手っ腹に埋まっていく。だがそれは側から見れば、ただ敵が目に付く度に暴れているだけで、繊細さを欠く隙だらけの戦いだった
「らあああああーーーーーっ!!!」
「五月蝿えガキだっ!」
「ごはっ!?」
「殺せえええええっ!!!」
故に、数で勝る敵の四方八方から迫る攻撃を盾で捌き切れない時もある。どれだけ勇ましく吼えても、自分の倍以上の体躯を誇るジャイアントには軽々と蹴飛ばされる。そして上条が体勢を崩したその瞬間に、たかるようにしてゴブリンが襲いかかってきた
「ッ!?ぅぅぅぅぅぅぁぁぁぁぁぁああああああああああああーーーーーっ!!!!!」
もはや息を吐く暇などなかった。咄嗟に体を起こし、右手を左手に添えながら、体を独楽のように回す。四方八方から飛びかかるゴブリン達が、盾の鉄縁にガガガッ!と次々にぶち当たり、一斉に薙ぎ払われた
「「「ギエエエエエッッッ!?!?!」」」
上条は倒れ込んだゴブリン達に、情け容赦なく右手を振り下ろした。ゴギッ!という首の骨が折れる音があれば、頭蓋骨にそのままヒビが入る音もあった。そして襲いかかってきたゴブリン全てを屠ると、返り血を浴びた頬を服の袖で拭い落とした
「ぜえっ…!はあっ…!ふっ!」
息を整えて、酸素を腹の底に落とし込みながら上条はもう一度走り出した。彼の右拳の強さが、従来の仮想世界にあった右手の強さに劣る理由。それは彼自身を定義付けてきた『右手』の在り方にあった。幻想殺しは本来、現実でも仮想世界でも、上条当麻が特に意識もせずにそこに在った物だ。しかしその右手を今作り出しているのは、他でもない彼の『意識』である。では、彼の右手にこれまで宿っていた幻想殺しの強さを定義するのは、一体何なのか……
(・・・負けられ、ねぇっ…!)
それが明確に分からない。そんな少しの心の淀みでさえも、心意は形にしてしまう。だからこさ今の彼の右手は、繊細さを欠いている、ただの暴力的な拳とも言える物でもあった。それを他でもない、上条当麻自身が分かっていたからこそ、行き場のない焦燥感を胸に抱えたまま拳を振るしかなかった
「おいっ!おい、しっかりしろ!」
「ッ!?」
そんな声が聞こえて、前線にいるにも関わらず上条は振り返る。その視線の先には、頭から血を流してグッタリとしている衛士を必死に抱き起こし、懸命に呼びかける仲間の衛士の姿があった。おそらく神聖術では間に合わないほどの重傷、手遅れであると上条は悟った
「くそっ、クソッ…この野郎おおおおおおおおおおおおお!!!!!」
叫びながら、無我夢中に敵軍の中へ突っ込んでいく。そしてそれが、もう一つの上条当麻の心の淀み。こんな光景を、この戦争で何度も見た。味方が死に、敵を殺す。紛れも無い自分の目の前で。この右手では、守りたい誰かを守り切れないのではないか。そんな悩みが、彼の右手に宿る心意を鈍らせていた
「オラァッ!!」
「ギゴッ!?」
また一匹、オークを屠る。もしも彼らに、目に見える明確なHPと、決められた行動パターンがあれば、いくらか気は楽だったろう。それならばSAOでも繰り返してきた。攻略のために、電子によって生み出された、感情のない敵を何匹も殺すのと同じだったろう。しかし、目の前にいるのは自分と同じ魂、フラクトライトという等身大の感情を持っている。自分に向けられる敵意は生きていて、殴る度に浴びせられる悲鳴はどこか虚しかった
(これしか道がないハズじゃ…他に何か、俺には選べる道があったのかもしれねぇのに…!)
戦争が始まる前までは、絶対に負けない、必ず闇の軍勢を倒し、人界の民を守ってみせると意気込んでいた。しかし、本質的に同じフラクトライトを持つ敵を、生きた感情を持つ誰かを倒す度に、見た目はまるで違うのに、同じ人間を殺しているかのような罪悪感に上条は囚われてしまった
(・・・多分これが…これが戦争なんだ。教科書やテレビでどれだけ史実を教えられても伝わらない…命のやり取り、生きるか死ぬかの賭け…そんなの、そんなのは分かってる!だけどっ…!いくら人工だって言っても、コイツらのフラクトライトは!感情は!こんな戦いをするための物じゃないハズなのに…!)
だからこそ上条当麻の心の内には、自分が手を掛けた相手を、救ってやれなかったという後悔の念が渦巻いていた。誰かを救えていたこの右手が、今は誰かの命を奪っている。例えそれが人工的に生み出された魂だけのモノだとしても、彼はそれを心のどこかで後悔していたのだ
「・・・アリス…」
だからどうか、こんな戦争は早く終わってほしいと願った。どうか自分と関わってくれた人達は、少しでも多く生きていてほしいと。それが出来るただ一人の騎士…アリスが佇んでいる上空を、上条はほんの一瞬だけ見上げると、また拳を握りしめて数多の敵が押し寄せる戦場へと向き直った