竜戦車の床に額を擦りつけて平伏しながら、ディーは自分を見下ろす皇帝ベクタの視線に心底恐怖していた。皇帝の氷色の瞳に怒りはなく、ひたすら無感情に、ディーの価値を計ろうとしているようだった
「・・・ふむ。つまりはお前の策が失敗し、千人の暗黒術師が死んだのは、敵が先んじて空間暗黒力を吸収、消費し尽くしたから…というわけだな?」
「は……はっ!」
やがて、低く滑らかなベクタの声が発せられた。その声を向けられた者、ディー・アイ・エルは短く答えながらも、己が無能、無用の者であると判断された時、果たしてどのような処分が待っているのかと考えただけで、骨の髄まで震えが止まらなくなった
「ま、まさにその通りでございます皇帝陛下!最高司祭なき敵軍に、それほどの術者が残っているという情報は入っておりませんでしたので…!」
「なぁ、ディーの姐さんよ」
必死に弁明するディーの正面から少し横、ベクタの座る玉座の傍らで、暗黒騎士に扮したヴァサゴ・カザルスは果物ナイフを掌で弄びながら話しかけると、褐色の術師はその声にビクリと肩を浮かせてから、おそるおそるヴァサゴの方へと視線を移した
「とりあえず結果的には失敗したんだろ?姐さんの考えてた策ってヤツぁよ。分かってるたぁ思うが、コッチもさして時間に余裕があるわけじゃあねェのよ。他になんか良いのないわけ?向こうの戦力をゴッソリ削げるようなの」
「も、申し訳ありませんヴァサゴ様…!お、恐れながら敵整合騎士を殲滅し得るほどの空間暗黒力が補充されるには、豊かな地力と陽光が必要となりますが、戦場にはどちらも欠けているのが現状でして…オブシディア城の宝物庫になら、暗黒力に転換できる輝石が秘蔵されておりましょうが、回収に向かうにも数日の時間が……」
「・・・つまり、あるにはあるが、その際に使用する空間暗黒力を溜めるのに時間が要る…と?しかし我にはどこをどう見ても、この地に草木が生えてるワケでもなければ、陽光が差してくるようには見えないが?」
ヴァサゴの質問に答えたディーに、今度はベクタが問うた。ディーは恐怖のあまり、暗黒術の開祖であるはずの皇帝ベクタが、ごく基本的な理屈について聞く違和感を意識できなかった故に、己の保身のみを懸命に求めて口を動かした
「はっ、それは、何と言っても戦場でありますから……亜人ども、また敵兵どもの流した血と尽きた命が、暗黒力となって大気を満たしていたのですわ」
「ふむ…血と、命か……」
皇帝が仮の玉座から立ち上がったので、ディーはピクリと平伏したまま肩を震わせた。コツ、コツ、と黒革の長靴が近づいてくる。内臓を絞られるような恐怖に凍りつくディーのすぐ左で立ち止まった皇帝が、毛皮のマントの裾を夜風になびかせながら小さく呟くと、不意にヴァサゴが掌で弄んでいたナイフをストン!と小気味よい音で床に投げ落とし、続いて軽快に指を鳴らして笑った
「All right!そいつぁいいね!そいじゃあディーの姐さんよ。向こうさんがウチの軍を焼き払った時のアレは、大体何人分くらいの死体と血で溜まった空間ナントカってのを使われたんだ?」
「・・・へ?そ、そうですわね…長年峡谷に溜まっていた分も換算するのであれば…大体1000人分ほどかと……」
「んじゃ、その整合騎士っての殺すのに、ソコにいるの3000人くらい使えば足りる?」
ヴァサゴの唐突な質問にディーは思わず平伏していた顔を上げ、どこか呆けた声色で言った。するとそれを聞いたヴァサゴは『ソコにいるの』と表現した、竜戦車の後ろに控えているオーク予備兵達を親指で差した
「・・・どういうことだ、ヴァサゴ」
「なぁに単純な算数だよ兄弟。コイツらの手品には、いわゆるMP的なのが必要で、ソイツは誰かが死んだ分だけ上限なしに空間に溜まるってこった。要はカジノと同じだよ。BETすればBETした分だけ、結果にコミットするってこった。チップは命、あるいは魂。払い戻しも同様に命、あるいは魂ってこった。Do you understand?」
「なるほど」
腕組みをしながら振り向いたガブリエルに、ヴァサゴは口の端から漏れるような笑い声とともに言った。言葉の意味がまるで分からず首を傾げているディーに、皇帝は再び冷たい視線を向けながら言った
「それで足りるか?ディー」
「は、はい…ですが、それはつまり…我々暗黒術師の大規模殲滅術式のために、三千ものオーク予備兵達の命を捨て石にする、と…」
「我は足りるのかと訊いている」
皇帝ベクタの言葉に、多くの死を踏み台にしてギルド長の座にのし上がったと自負しているディー・アイ・エルですら、愕然とした。配下の者の命を、モノと言えるレベルですら扱っていない皇帝に、ディーはもう一度平伏しながら、褐色の唇に微笑を浮かべて言った
「・・・充分でございますわ。ええ、充分でございますとも、陛下。残る術師二千名の総力をあげてご覧に入れて差し上げますわ。我が暗黒術師ギルド史上最大にして最強…この世の誰もが目にしたことのない、我らにとってこの上ない甘美を齎す恐怖の術式を…!」
「期待しているぞ」
「はっ!」
恐怖を払拭したディーが皇帝に答えると、彼女の姿は数匹のコウモリのような紫色の閃光を残して消え去った。その後、ガブリエルは玉座に戻り深くため息を吐くと、その様子を見たヴァサゴが笑って訊ねた
「おうおう、皇帝役も大変だぁね」
「誰のせいだと思っている。MPだのカジノだのBETだなどと…人工フラクトライトに通じるワケがない喩えを使うな」
「悪かった、悪かったって。んで、その上で一個確認させてもらいてぇんだけどよ…」
「なんだ」
「『アレ』は俺らの援軍ではねぇよな?」
「・・・何?」
ヴァサゴが『アレ』と言って指差した先を追うように、ガブリエルは竜戦車の東側を睥睨した。するとその100メートル先ほどに、空と地上を繋ぐようにして、一本の赤い光が一直線に屹立しているのが見えた
「どう見る?兄弟」
「・・・まず間違いなく、味方であるということはあるまい。私たちの占拠したコントロールルームに繋がるSTLは二台しかなかった。現場の仲間が隔壁の耐圧扉をこの短時間で突破したとは考えにくい」
「じゃあ『
「行けば分かる。『走れ』」
ガブリエルが宣言した瞬間、彼らの乗る戦車を引く二頭の地竜が大きく唸り声を上げながら起き上がった。そしてその巨体の周りにいる兵士達が突然の出来事に驚くのも無視し、地竜は行く手にある物全てを蹴散らしながら光の柱が立った東へと走り出した
「おいおい、良いのか兄弟。俺らはコッチ側で死んだら、今ダイブしてるこのアカウントも失って一兵卒で出直しなんだぜ?その為に今日は前線に出るのも控えてたってのに」
「だからといって無視できるものでもあるまい。むしろあの光の下にいるのがJSDF側の人間だったとして、放っておいたが故にアリスを先取されてしまっては、我々がスーパーアカウントでログインしていようが何の意味もあるまい」
「ま、それもそうだ」
「ここで良い。『止まれ』」
とても誰かに聞こえるとは思えない小さな呟きだったが、ガブリエルがそれを口にした瞬間に二頭の地竜はピタリと動きを止めた。それから間もなくして地龍が木の根のような太い足を畳み、ガブリエル達の立つ平台を地面へ近づけると、彼らは地面へと飛び降りた
「・・・貴様、何者だ。日本の組織に従事する人間なのか、それ以外かをまず答えてもらおう」
「・・・・・む?」
先の赤い光が屹立していた場所に佇んでいる一人の男に、ガブリエルが問いかけた。その男と相対したガブリエルとヴァサゴは、やはりダークテリトリーに住む亜人や人間とは違うと感じた。男の佇まいにある殺意は限りなく薄く、何より服装がポロシャツにズボンという、アンダーワールドの世界観には不釣り合いな生活感を感じさせるものだった
「・・・JAP…にゃ見えねぇな…いや、そういう見た目のアカを使ってるだけか…?」
ヴァサゴは今一度、自分の体格の倍以上はある鉄柱のようなものを担いでいる男の顔を凝視した。逆立った茶髪と、整った目鼻立ちは、彼らが危惧していた自衛隊の人間…ひいては日本人であるとは言い難いものだった。すると男は、二人を一瞥した後に僅かに鼻を鳴らして踵を返し、その場から去ろうとした
「待て、質問に答えろ。お前は何者かと聞いている」
「・・・人に名前を聞くときは、まず己を語れと誰かに教わらなかったのであるか?」
重ねて問い質したガブリエルの声に、男が返したのは日本語だった。日本人の風貌ではないのにも関わらず、喋る言語は日本語であることに少しの危機感を覚えたが、やがてガブリエルは小さな声で名乗った
「闇の神、皇帝ベクタ。ダークテリトリーに君臨せし神の一柱だ」
「・・・そちらがそのように名乗るのであれば、こちらは『Flere 210』と名乗らせてもらうのである」
「・・・なに…?」
次に男が発したのは、奇妙な英語と数字だった。その名乗りによって、ガブリエル達の疑心暗鬼は更に深いものになった。試しに隣のヴァサゴに視線を送るも、彼も首を傾げるばかりで、男が発した単語のようなものの意味を理解してはいなかった
「それか、こう名乗るのも良いであろう。『後方のアックア』。ローマ正教暗部『神の右席』の一人にして、神の後方を司る者である」
「・・・後方のアックア…?ローマ正教…?神の右席…?」
ガブリエルとヴァサゴの疑問は尽きない。目の前のアックアという男が発する言葉に、意味が分かるものが見当たらない。どこか頭のネジが飛んでいるのではないかとも思ったが、そんな人間がこんな場所に来るはずがない。ローマという現実の地名を挙げた時点で、この男がアンダーワールドの住人ではなく、自分達と同じ現実世界に住む人間であることに間違いはない
「もう良いか?我は貴様らのような輩には用がない故、立ち去らせてもらうのである」
「待て、貴様は『A.L.I.C.E』について何か知っているのか?」
ガブリエルの質問に、アックアは少しだけ眉を潜めた。恐らくは、この言葉で自分達も同じ外界人であることを察したのであろう。この質問はガブリエルにとってはある種の賭けだったが、この顔を伺えただけでも、賭けの意味はあったと彼が思っていたその時、アックアは短く息を吐いてから答えた
「・・・我はそのような学園都市の画策しているものには、毛ほどの興味もないのである」
「・・・ガクエントシィ…?」
ガブリエル以上に流暢な日本語を話すヴァサゴでさえ、その地名を知らずにどこか間の抜けた声で聞き返した。しかしアックアは、ヴァサゴの声を意に介することなく続けた
「我が欲するのは、あらゆる争いの火種となり、しかし同時にあらゆる争いを消し去ることの出来る、『上条当麻の右手』ただ一つである」
「・・・カミジョウ、トウマ…?」
アックアの口から出てきたのは、またしてもガブリエル達の知らぬ地名のようなものと、人物名のような響きをした言葉だった。だが、それで十分だった。この男は、アリスについて聞いても興味こそないような素振りだったが、否定もしなかった
「俺たちとも、自衛隊とも違う、第三の勢力…ってとこか兄弟?」
「・・・一先ずはそういうことだろうな。だが、それさえ分かれば今は十分だ」
スーッ…という静かに鞘と鉄が擦れる音がして、ガブリエルの腰に据えられた黒い長剣がその姿を晒した。そして彼は、柱のように巨大な棍棒を担ぐアックアに向けて、その剣の切っ先を向けながら言った
「喋りたくないと言うのならば、手足を全て切り落とした後で、骨の髄まで聞けばいい。その方が面倒も省ける。それに、興味がないと言えば嘘になる。我々やアメリカ国家が躍起になってでも横取りしようとするアリスを捨て置いてまで狙う、『カミジョウ』という男の右手についても…な」
「・・・貴様らのような輩に用はない、と我は言ったはずだが?闇の神ベクタだなどと、在りもしない神を語るような輩とは言え、我も正式な神の子である以上、無益な殺生は好まないのである」
「これはこれは。服に十字を刻んでいるだけあると言うべきか、想像以上に敬虔な教徒だったようだな。では、僭越ながら私も本来の名を名乗ろうか。『ガブリエル・ミラー』、それが私の名だ。もっとも、貴様がこの名を覚える必要はないだろうがな」
「・・・ふん」
ガブリエルが懇切丁寧な口調で名乗ると、アックアは呆れたように深く息を吐き出した。そしてその直後、片手に握る巨大な棍棒を振り下ろすと、ビシィッ!という爆音と共に地面に巨大な亀裂が入ったのを威嚇代わりに、漆黒の装備に身を包む二人を睨みながら言った
「まさか、貴様のような雑兵に同じ『