「光の巫女ぉ…?」
人界守備軍の野営地に置かれた天幕の一つ。大きな指揮官用の机と暖炉の置かれたその傍で、干した果物と木の実を刻んで混ぜた平焼きパンを囓り取った騎士長ベルクーリは、大きく顎を動かしながらそれを飲み込んだ後で言った
「はい。オーガの敵将『フルグル』と名乗る者は、たしかにそう言っていました」
負傷者の治療はあらかた終了し、高位術者でもある整合騎士の活躍もあって、瀕死だった者ですらも既に起き上がって暖かいスープを啜っている中で、アリスは特に何も口に入れることなくベルクーリと向かい合って言った
「最高司祭様による記憶の改竄が過去にあったと言えど、私の記憶が確かな物なのであれば、そのような名称の人物はカセドラルにあった、どんな歴史書でも見かけたことがありません。しかし『敵の司令官』がそれを強く求めているのは、実際に相対したフルグルの様子から見ても確かなのではないかと思われます」
「・・・司令官。闇の神ベクタ、か…」
「俄かには信じられるものではありません。創世から語り継がれていた神の復活など…」
同じくしてフルグルの口から語られた皇帝ベクタの存在は、光の巫女と同等かそれ以上に人界守備軍に波紋を呼んだ。唸るようにしてその名を口にしたベルクーリの横に座るファナティオは、コップに注がれた水を一息で飲み干してから深くため息を吐いて言った
「まぁ、な。しかし、得心のいく部分もある。敵本陣を覆う異質な心意を、お前も全く感じてない訳でもねぇだろう」
「・・・えぇ。たしかに、吸い込まれるような冷気を感じる気もしますが…」
「世界が創られて以来、初めて東の大門が崩れたんだ。もう何が起きても不思議じゃねえ、と考えるべきかもしれん」
ベルクーリの言葉に、ファナティオは眉をひそめることしか出来なかった。しかしそれは、そう言ったベルクーリ当人も同様だった。そもそも、これほどの人数を集めた戦争自体、人界暦にはないことだ。歴史に文献すらないのに、これから何が起こるのかなどと聞かれても、人工フラクトライトたる彼らでも検討がつくはずもなかった
「だが嬢ちゃんよ。ダークテリトリーに暗黒神ベクタが降臨したとして、そいつが光の巫女を求めていてかつ、その巫女が嬢ちゃんのことだと仮定してだ。問題はそれが今の戦況にどう影響するかだぜ」
「・・・えぇ。えっと、それは……」
「おっさーん、入るぞ〜…あっ……」
「あっ…カミやん……」
どこか間の抜けた挨拶とともに天幕の垂布をめくって入ってきたのは、上条当麻だった。しかし天幕の中でいの一番にアリスと視線が重なると、二人の間に暫しの沈黙が流れた
「・・・その、カミやん。先ほどは…」
「いいんだ、アリス。俺が悪かったよ。あの時は少し戦いの余熱で気が立ってただけだし、少し一人になったら落ち着いた。だから大丈夫だ」
「し、しかし……」
「本当に大丈夫だって。心配かけて悪かった。俺はちゃんと戦えるよ」
「・・・そう、ですか…」
アリスはそれ以上、何も言うことができなかった。何か気の利いた言葉が出るわけでもなければ、また何か余計に声をかけて上条を傷つけてしまうことを恐れ、ただ頷くことしかできなかった。まだ彼の表情は、どこか暗い影を落としたままなのは、一目見ただけで分かったのに
「・・・そうだな。カミやん、お前さんの意見を聞きたい」
「んぁ?俺の意見?俺はただ、今後どうするのか気になったんで聞きに来ただけなんだけど…」
そんな上条を見るアリスの態度から何かを察知したのか、あるいはただ単に気を遣っただけなのかは不明確だが、ベルクーリが上条に声をかけた。すると上条は後ろ頭を掻きながら彼らが集まる机の方へと歩み寄った
「なんだ、そりゃ丁度良かった。今からそれを話し合おうと思ってたんだ。お前さんも光の巫女についてと、暗黒神ベクタの事くらい耳に入ってんだろう?」
「あぁ……まぁ、な。って言うより、今外じゃその二つの話題で持ちきりだよ」
「なら話は早い。お前さんはどう考えてる?俺が思うに、本当にベクタが復活していて、光の巫女とやらを探してるってんなら、コイツぁ無視できねぇ話だと思ってる」
「えっと…まず、俺は光の巫女についても、ベクタとかいう敵の総大将についても別段の知識は持ってない。でも、その光の巫女がアリスだと仮定するってのは…俺が思うに、仮定でなくてもいいと思う」
「・・・仮定でなくてもいい、ってのは?」
「多分、光の巫女ってのは…アリスのことで間違いないんじゃないかと、俺は思う」
「え、え…?」
「そのワケは?」
上条が告げた内容に、アリスは目を丸くして言葉を詰まらせた。一方でベルクーリは唇をへの字に曲げながら上条に重ねて問いかけた
「確証を持って言ってるんじゃねぇぞ?」
「だが、仮定で済むモンでないのも確かなんだろう?」
「あぁ。まず問題になるのが、光の巫女なんて大仰な呼び名はある癖に、その名前が明かされてないことだ。光の巫女を探してるっていう敵の総大将が単純に知らないのか、何かの理由で伏せてるのかは俺にも分からないけど、少なくとも、そんな呼び名を付けるくらいには他の誰かと区別してるんだろ」
「次に、区別されるべき人間の問題だ。例えば敵の総大将、皇帝ベクタは…まぁなんとなくだけど、アドミニストレータみたいな特殊な存在だと思う。なんでかって、時間の話で言えばソイツは創世の頃に近い時代から半年前まで、つまりは永遠に近い時間を生きてたアドミニストレータが生まれる前のこの世界を見てた…ってことになる。それを他と区別しなくていいってことは、俺には考えられない」
(場合によっちゃ、キリト側の世界の誰か…実際のプレイヤーって線もなくはないけど…それを今みんなに説明するのは難しいな)
口でこそそう言ったが、上条はかつてカーディナルから、創世記が公理教会のでっち上げの神話であることを告げられていた。故に、自分のいたアンダーワールドと全く同じ経緯を辿ってきたキリトの世界のアンダーワールドも同様のはずだと考え、そこに存在する偽りの神が、今本当に自分と同じ大地を踏んでいるのであれば、この世の大半を占める人工フラクトライトと同じなワケがないと踏んでいた
「次に、俺だ。俺は元々はこの世界にいなかった…ある意味じゃこの世界の人達とは違う法則を持ってる人間だ。けど、一つ問題がある。敵が探してるのは『巫女』。つまり女なんだ。なら俺は当てはまらない」
「お、おいおい。そりゃ確かにそうかもしれんが、そんな巫女なんて呼び方の性別だけで区別していいモンなのか?敵は光の巫女って別称を付けてるだけなんだろう?実は男でした、なんてこたぁねぇのか?事実この戦場にいる人界守備軍の連中は、治癒術を使う修道士を除けば、大半がむさ苦しい男の集まりなんだぞ?」
「確かに、そうかもしれねぇな。光の巫女ってのが具体的に誰を、何を表してる言葉なのか分からない以上はその可能性も捨てきれない。だけど、この人界守備軍にはもう一人だけ、他の皆と区別できる人間がいる」
そこで上条は、自分の視線をベルクーリから隣に立つ、金色の髪を持った少女へと向けた。その視線を向けられたアリスは、自分で自分を指差しながら戸惑ったような声で言った
「わ、私…?」
「・・・アリスは多分、ダークテリトリーの連中も含めたこの世界の人たちの中で、唯一…『右目の封印』を破ってる人間だ」
「「!!!!!」」
アリスの右目を見つめながら言った上条の言葉に、その場にいた全員が豆鉄砲を食らったような衝撃を受けた。そしてアリスがその事実を思い出したように自分の右手で右目を覆っていると、ベルクーリがため息を吐き出してから言った
「なるほどなぁ…それが仮に当たりだとすりゃあ、ベクタが人界に攻め込んでまで探してんだから、少なくともダークテリトリーには右目の封印を破ったヤツがいねぇってことか。だがカミやん、あの右目の封印ってのは、最高司祭が公理教会の統治に逆らわないように教会の人間に仕込んだ代物なんじゃねぇのか?」
「いや、違う。あの右目の封印は、教会に入ったこともないユージオにもあった。それに修剣学院のアズリカ先生も、ユージオが右目の封印を破った時に、自分もその右目の封印を垣間見たことがあるような感じの事を言ってた。だから多分あの封印は、この世界にいる全員の右目にあるんじゃないかって思う」
「ふむ…じゃあ、なんで皇帝ベクタはその右目の封印を破った光の巫女…つまりはアリスの嬢ちゃんを狙うんだ?嬢ちゃんを何らかの神聖術で解析でもなんだりでもして、自分もその封印を破ろう…ってか?」
「どうだろうな…アドミニストレータは、あの右目の封印のことを『コード871』って呼んでた。アレをそう呼ぶってことは、アドミニストレータ自身が、あの封印が全員に施されるに至るまでの根源に近しかったことの裏付けになる。だけどそれなら、アドミニストレータより前に生まれてて、あまつさえ神話の存在だっていうベクタが、未だに右目の封印に苛まれてるとは正直考えにくいだろ」
「じゃあ…ベクタが右目の封印を破った人間を狙う目的は何だってんだ?」
「・・・それは…スマン、俺にも分からん。元からこっちの世界にいたキリトなら、何か知ってるのかもしれねぇけど…」
それが、上条が逆立ちしてでも考えられる範囲の限界だった。自分は外界の人間なのに、外界の人間の目的を、このアンダーワールドが、人の魂とリンクする仮想世界が実際に施行されるに至った目的を知らない。初めてそれを自分に説明してくれたキリトならばあるいは…とも考えたが、その当人がマトモに喋れないのだから、どうしてもこれ以上は考えが出てこなかった
「・・・確証があるにせよないにせよ、可能性が少しでもあるというのなら、賭けてみる価値はあります。小父様、私が単身敵陣を破ってダークテリトリーの辺境へと向かいます。敵の司令官が光の巫女を欲しているのなら、少なからぬ手勢と共に私を追ってくるはずです。十分な距離を取って分断したところで、残る敵軍を逆撃、殲滅してください」
「なっ!?そ、そんなのダメに決まってんだろ!アリスが危険すぎる!」
上条が押し黙ると、アリスが彼から視線を外してベルクーリに言うと、予想だにしなかった彼女の提案に上条が食ってかかった
「まぁ待て坊や。どんな意見も真っ向からねじ伏せてたんじゃロクに作戦も練れねぇし、戦況は劇的には変わらん。今日の戦いはこちらの優勢で終わったと十二分に言えるだろうが、それでも死傷者を抱えてるのはウチも同じだ。それに依然として、ウチが圧倒的に数と地の利で劣っているのは事実だ」
「そ、そりゃそうだけどよ…」
「話を戻そうか。嬢ちゃんが言ってるのは、つまり自分が囮になろうって提案でいいのか?」
「はい。そうですね…辺境とは言いましたが、ただ闇雲に走ったのでは意味がありません。ですからもし仮にこの作戦が実現するのであれば、私は峡谷を抜けた先を『ずっと南へ』進もうと思っています」
「!!!!!」
『ずっと南へ』。そう言ったアリスの口の運び方を上条が見たのは、二度目だった。一度目は彼女の住んでいた小屋の中で同じ方角が語られ、その後に聞き知らぬ土地の名前が続いた。『ワールド・エンド・オールター』。この世界のカセドラルの頂上でキリトとアリスが耳にしたという、恐らくはこの世界の管理者が、自ら示した場所の名前。それを聞いた上条は、アリスが囮になりつつそこを目指そうとしているのだと直感した
「なるほど…だが、それじゃ足りんな」
「と、言いますのは?」
「嬢ちゃんには、遊撃部隊と称して一緒に兵の三割を連れて行ってもらう」
「な、なんですって!?そんな、三割もの兵を割いていただくわけにはいきません!私にはこの身一つと金木犀の剣さえあれば…!」
「まぁ聞け。敵軍はまだ3万以上も残ってる。囮が嬢ちゃん一人なら、追ってくる敵もそう多くはねぇだろう。十分な数が共に逃げてこそ、分断策も成功するってもんだ。それに、もし分断策が成功すれば敵軍を挟み撃ちにすることも可能になるやもしれん。そうなった時、嬢ちゃん側から攻める人間がいなけりゃ、逃す魚は大きくなるばかりだ」
ベルクーリの実に的を射ている提言に、アリスは反論する言葉を見つけられなかった。彼の目的は戦争の勝利ただ一つだろうが、自分にはオールターを目指すというもう一つの目的がある。そこに多くの兵を従えてしまえば、かえって行動しづらくなってしまうという事実にアリスがなんとも言えない表情を浮かべていると、不意に上条が口を開いた
「なら、俺もアリスの方に付いていく。元から単独行動なんだから文句ねぇだろ」
「か、カミやん…」
「あぁ、良いだろう。だがもう一つ条件がある」
「条件?」
上条がベルクーリの言葉の端を繰り返すと、守備軍最強の男は自身の分厚い胸板の前で組んでいた腕を解いて、アリスの顔を指差しながら不敵な笑みと共にその条件を口にした
「俺もそっちの遊撃部隊に加わる」