氷柱は人生の選択肢が見える   作:だら子

15 / 28
其の十五: 「上弦の参は弱者に憤る」

気に入らない。

生理的にこの女が気に入らない。

 

上弦の参・猗窩座は目の前にいる白髪の人間を睨みつけた。煮えたぎるような怒りと嫌悪がふつふつと腹から迫り上がってくる。猗窩座が今すぐにでも殺したい女は、青緑色の左目と左腕を欠損させ、身体中傷だらけになっていた。痛みからか、奴が持つ青緑の日輪刀の刃先が小刻みに揺れる。その様子を見て更に怒りが倍増した。憤慨のあまり歯軋りする。

 

(誰かを守るどころか、自分すら守れぬ弱者が! 柱を名乗る法螺吹き者が! この場にしゃしゃり出てくること自体おかしい!)

 

何が氷柱だ。何が「知略の刃で攻撃した」だ。女の姿を見てみろ。この場にいる誰よりもボロボロで、この場にいる誰よりも愚かな行為をしているではないか。どうしようもない弱者だと理解しているのにも関わらず、何故、杏寿郎は女を認めているのだ。何故、甘露寺・胡蝶・冨岡の柱三人も杏寿郎の言葉を否定しないのだ。おかしい。おかしい。おかしい!

 

自分の中で白髪の女に対して否定に否定を重ねる。歯軋りをしすぎて歯がパキリと割れた。しかし、直ぐに再生し、歯軋りを再開させる。その感覚すら嫌悪を覚え、怒りが助長された。

 

「お前はあの時、直ぐに殺すべきだった」

 

上弦の参・猗窩座――――俺は憎々しげに明道ゆきに向かって吐き捨てる。初めて『女』という生き物に対して抱いた明確な殺意だった。

 

明道ゆきは女だ。傷だらけの上半身に巻かれたサラシの膨らみと、長髪から分かるように、奴はれっきとした女であった。だからこそ、殺さないつもりでいたのだ。

 

俺は基本的に性別が女の人間は殺さない。どれほどの弱者であろうとも、生きていることが許せないようなグズでも、女であれば殺さなかった。しかし、鬼殺隊士であれば流石に見逃すことはできない。そのため、手足を切り落としたり、死の一歩手前まで痛めつけたりして、その辺りに適当に転がしていた。「そんなことすれば時間が経てば死ぬ者もいるのではないか」と言われるだろうが、その後、女隊士がどうなるかは己の管轄外である。自分が責任を持つことではない。

 

だが、明道ゆきは『必ず殺さなくては』と思った。思ってしまった。

 

初めはどれほど明道ゆきの弱さを見せつけられようとも、どれほど暴言を吐かれようともイラつくだけで終わった。確かに、「許せない。見る価値もない。こいつは死ぬべきだ」と思ったが、『女は殺さない』という自分の信条の方が大切だったのである。だからこそ、明道ゆきも今までの女達と同じように殺さないつもりでいた。ただ、周りに鬼殺隊士がいるため、己の信条を悟らせないためにもある程度は暴言を吐き、痛めつけ、いつものように捨てておこう。そう、考えていたのだ。

 

列車が爆発するまでは。

 

すさまじい熱量と威力に自身が玩具のように宙へ飛んだ。そのままべシャリと地に平伏した時の感覚は今でも覚えている。加えて、あまりの熱量と激痛に意識が何度かなくなった。目がチカチカして、脳裏には火花が散り、痛みに悶え苦しんだものだ。上弦の位を戴いてからはこのような痛みを経験したことがない。それほどの激痛だった。

 

(何故、俺は今、地に平伏している。何故俺は、)

 

弱者にこれほどまでの大怪我を負わせられているのだ。

 

矛盾だった。どうしようもないくらいの矛盾だったのだ。明道ゆきという剣士は弱い。その弱さ故に俺に指一本すら触れることは叶わなかった。それどころか奴は何もできずに腕を切り落とされ、炭治郎などという不愉快な弱者に心配される始末だ。ありえない。ありえるはずがない。俺が地にひれ伏すなど。

 

(偶然、これは偶然だ)

 

列車が爆破したのは偶然だと心に整理をつけ、爛れ落ちた自分の顔を上げた時だった。己の瞳に一番初めに映ったのは、

 

明道ゆきの笑みだった。

 

青緑と黒の左右非対称の瞳と目が合った瞬間、腸が煮えくり返るような怒りに襲われた。迫り上がってくる憤怒に耐え切られず、本気の技を明道ゆきに向かって放ったほどだ。これは、この爆破は、偶然なんかじゃない。杏寿郎に言われるまでもなく既に気がついていた。ただそれを認めたくなかっただけで俺は分かっていたのだ。

 

この爆破が明道ゆきによるものだというくらい。

 

(――――弱者が! ただの弱者が! なんの力もなく、自分一人では何もできぬ弱者が!)

 

これだから、これだから、弱い奴は嫌いなのだ。弱い奴は正々堂々と戦わない。醜い。弱い。弱い。弱い奴は何もできないくせに、守るべきものも守れないくせに、必要のない無駄なことばかりをする。明道ゆきは剣の才がないくせに、俺に何一つ敵わないくせに、戦おうとしている。それがどうしようもないくらい腹が立った。暴れ回りたいくらいに腹が立ったのだ。

 

(こいつは、)

 

こいつは、明道ゆきだけは、殺す。

女だとかそんなもの関係ない。殺す。

こいつだけは気に食わない。

 

チリッと脳裏に『誰か』の顔が映る。一瞬だったため誰の顔かは良くわからなかったが、怒りが更に増幅したものだ。

 

――――だが、その憤怒も杏寿郎や冨岡、胡蝶、甘露寺が登場したことにより、一時的に消えた。明道ゆきという羽虫よりも心躍るような戦いを繰り広げてくれる強者の方が大事だったからだ。

 

(この柱四人はなんて素晴らしい剣客だろうか!)

 

練り上げられた闘気は至高の域に近い。残念ながら杏寿郎以外の柱は苗字しか分からなかったが、それが気にならないくらい心躍る戦いだった。だが、必ず他の三人、冨岡・甘露寺・胡蝶の下の名前も聞き出してみせる。なんせあの四人は個人の腕も、連携も、一流中の一流。連携においては今まで対面した鬼殺隊士の中では随一を誇るだろう。それほどまでの強者の名は必ず覚えておきたい。そして、鬼になってほしい。

 

そう考えて鬼への勧誘した途端、断られた挙句、不愉快極まりない炭治郎と明道ゆきの話を聞かせられた。杏寿郎は炭治郎も明道ゆきも弱くない、侮辱するなと言うのだ。加えて、明道ゆきに至っては『知略の刃で猗窩座に攻撃した』とまで言い切ったのである。薄れていたはずの怒りが再びぶり返した。

 

だからこそ俺は杏寿郎達に攻撃したのだ。もう明道ゆきや炭治郎の話なんぞしたくもなかったからだ。

 

(なのに、なのに何故、)

 

お前がここにいるんだ。

 

「――――明道ゆき!!」

 

そして冒頭の明道ゆきに戻るのである。刃先をこちらに向け、先程の軽い攻撃で左目を欠損させた『弱者』がそこにいたのだ。

 

明道ゆきは登場した途端、語りはじめた。自分の刃は実際に届かなくていい、ようは最後に鬼の頸を切れたのなら良いのだと、話し出したのである。この場にいること自体癇に障るというのに、弱者の醜い考えを極めた発言に怒りが迫り上がってきた。

 

「お前達に、いや、『お前』に! 俺の頸は切れるものか!」

「いや、何がなんでも切るさ」

 

弱いくせに、大怪我を負っているくせに、身の程を弁えずにしゃしゃり出てきた明道ゆきの言葉に激しい嫌悪を抱く。俺は構えを取り、今度こそこの女を消してやろうと技を放とうとした――――その瞬間だった。

 

再び列車が爆発したのだ。

 

「なっ、」

 

ドンッと先程と同じような強烈な音が自分の背中から鳴り響いた。すさまじい熱量と爆風が己を襲う。木々は揺れ、地面は抉れ、砂埃が舞った。驚いて思わず後ろを振り向く。目に入るのは俺に大火傷を負わせる程の威力で爆破した列車が、さらに大破したものだった。どうやらあの列車がもう一度爆発したらしい。ここからは距離が少し遠いため、今回は俺に被害がなかったみたいだ。それを理解して即座に前を向こうとしたが――――その振り向きがいけなかった。

 

一瞬の硬直。

一瞬の油断。

一瞬の意識の外れ。

 

それを逃す柱ではなかった。

 

息を吐く暇もなく、甘露寺、胡蝶が俺の周りに集ったのだ。目の前には明道ゆき、左には甘露寺、右には胡蝶がいた。次の瞬間、柱で最も速い胡蝶が神速の突きを放つ。ふわりと蝶のような羽織が揺れた。

 

「逃しませんよ。蟲の呼吸・蝶ノ舞 『戯れ』!!」

 

常人ならば視認出来ない程の神速の突きが己の身体へと同時に三回放たれる。本来ならば避けられた剣撃。本来ならば迎え撃つことすらできた突き。この剣撃は『常人』や『雑魚鬼』ならば視認できないだけで、羅針盤で闘気を正確に察知できる俺ならば、避けることができただろう。それなのにも関わらず、『列車の爆破』により一瞬だけ身体が硬直した。意識が飛んだ。結果、無様にも攻撃を受ける羽目になったのである。

 

(いや、それだけじゃない)

 

恐らく、一番初めに柱四人の連携で打たれた胡蝶の毒がまだ残っていたのだ。長らく鬼殺隊士と戦ってきたが、毒の攻撃を仕掛けられたのはこれが初めてである。それ故に解毒が己の身体で完了していなかったに違いない。初めの毒による揺らぎ、並びに列車の爆破のせいで胡蝶の毒を再び受ける羽目になったのだ。

 

毒によりズズズッと瞬時に自分の身体が紫へと染まっていく。普段ならばこの程度「なんてことはない」と攻撃に転じることが簡単にできただろうが、今はそうも言っていられなかった。三方にいる女達を何とかしなくてはならないからだ。明道ゆきはどうとでもなるが、甘露寺と胡蝶は柱だ。下手をすれば頸を本当に切られかねない。

 

(直ぐに離脱しなくては――――ッ?!)

 

その時、バサリと目の前に羽織が落ちてきた。

 

真っ白な生地に水仙が描かれた美しい羽織が上から降ってきたのである。思わず息を呑んだ。理由は分からない。何故だか分からないが、この時の俺は『水仙』――――別名、雪中花と呼ばれる花に目を奪われたのである。それと同時に少女の声が辺りに響き渡った。

 

「ゆきさん!!」

 

ゆき、ユキ、雪。その言葉を聞き、『雪』の名を冠する真っ白な羽織の水仙を見た瞬間、ピリッと脳裏に再び『誰か』の笑顔が映った気がした。誰だ。お前は一体誰だ。花火を背景に佇む小柄な『誰か』が俺へ向かって手を伸ばす。本当に誰なんだ――――そう思ったが、明道ゆきの「真菰!!」という声が俺を現実へと戻した。フッと笑顔の『誰か』は掻き消える。伸ばされた手は俺に届くことなく終わった。それに物悲しさを覚えるも、次の瞬間、ハッとする。

 

(な、に、を、何をしているんだ俺は!)

 

即座に全体攻撃を放とうとして――――身体が再び硬直した。ピシリと固まる姿はさぞや滑稽だろう。さっき受けた胡蝶からの毒で上手く動けないというのもあるが、それだけではない。

 

この場にいるのは全員『女』だった。

『女』しかいなかったのだ。

 

甘露寺、胡蝶、明道、そして真菰と呼ばれた少女の四人の『女』が俺を取り囲んでいたのである。

 

つい先程述べたとは思うが、俺は女は殺さない信条がある。鬼殺隊士の場合は流石にある程度痛めつけてはいたが、それでも最終的には生かしていた。その信条は俺の中でずっと覆されることなく今の今まで続いていたのである。

 

何百年も染み付いた行いは中々消えない。一朝一夕では行動を改めることはできない。だからこそ、俺は戸惑った。例え、明道ゆきに対しては女であろうと殺すと決心をしていても、戸惑ってしまったのだ。基本的に鬼殺隊は男ばかりである。刀を持った四人もの女に囲まれる経験などなかった。

 

加えて他にも三つ、俺の硬直を作り出した理由があった。一つは先程の胡蝶の毒、一つは列車の爆破による動揺、最後の一つは脳裏に浮かぶ謎の『誰か』。

 

不測の事態が四つも重なっていたのだ。これが一つだけ、もしくは二つだけ重なるならまだいい。いつもの俺なら難なく対処できただろう。だが、四つも重なるとそうもいかなかった。列車の爆破で油断させ、胡蝶の毒で身体の自由を一部なくし、脳裏によぎった『誰か』が精神を奪い、周りが女ばかりという状況で戸惑いを誘う。小さなズレが重なり合い、やがて大きな『ズレ』となる。

 

そうして、二度目となる硬直が生まれるのだ。

 

気がついた時にはもう遅かった。俺の羅針盤に二つの闘気が反応していたのだ。それと同時に甘露寺、真菰から呼吸特有の音が聞こえてくる。攻撃されると理解していても、自身の一瞬の硬直のせいで反撃が僅かに遅れた。一瞬。たった一瞬だ。だが、その一瞬は剣士にとって千金に値する。次の瞬間、高威力の技が形を持って襲いかかってきた。

 

「ここで貴方は倒すんだから!」

「行くよ、蜜璃さん!」

 

恋の呼吸・弐の型『懊悩巡る恋』!

水の呼吸・肆ノ型『打ち潮』!

 

甘露寺の弐の型は俺の両腕を、真菰の肆ノ型は両足を切断した。桃色と水色の残像が宙に描かれる。甘露寺の螺旋状に斬りつける技と、真菰の波を打つような斬撃は確実に俺の離脱と攻撃の手段を奪った。

 

(チッ、油断した!)

 

落ちゆく身体と、切断されて飛ばされた両手足に眉をひそめる。だが、この程度で終わるならば上弦の参にはなれない。何人もの柱を地獄へと葬れる訳がない。俺は瞬時に足だけ解毒と再生を行い、蹴り技である「破壊殺・脚式『流閃群光』」を正面の明道に放とうとして、

 

足が爛れ落ちた。

 

「何…?!」

 

再生した足がどろりと崩れていく様を見て、柄にもなく目を見開いた。おかしい。三回目の胡蝶の毒は受けていないはずだ。そもそもあの毒にこんな効力は含まれていないだろう。ならば、何故。一瞬だけ覚えた戸惑いだが、即座に理解した。

 

「日が、太陽が、」

 

朝が来たのだ!!

 

空が白み始めている。既に鬼達の時間は終わり、人間の時間へと移り変わっていた。空が明るくなるだけならまだいい。日が、太陽が、もう昇り始めていた。山の間からキラリと輝いた陽を見て、目が潰れる。足と同じように爛れていくのが分かった。

 

(どうして気がつかなかった!)

 

疑問が頭をもたげた。気がつけなかった己の喉を思わず掻き毟りたい気持ちになる。

 

どれだけ戦闘に気を取られようとも、朝だけは、太陽の昇る時間だけは、必ず注視していた。なのに何故、空が白み始めていたことすら俺は気がつけなかったのだ。

 

そう考えて、何気なく視線を前へやった時、バチリと『誰か』と目が合った。老婆と見間違うような白髪と、先程真菰が持ってきていた雪中花の羽織をはためかせる女、明道ゆきと目が合ったのだ。

 

――――明道ゆきは笑っていた。

 

列車が爆発した時と同じ笑みを奴は浮かべていたのである。唯一明道ゆきの顔に残る黒曜石の右目と視線が交わった瞬間、初めてこの女と対面してから今までの場面が走馬灯のように脳裏に流れた。そして俺は理解する。いや、理解してしまった。脳が正しく情報を呑みこんだ時、再び怒りが腹から迫り上がってくる。吐きそうになるほどの憤怒が己を支配した。衝動的に俺は叩きつけるように叫ぶ。

 

「明道ッ、明道ゆき! 貴様これを狙っていたなァ!!」

 

これは偶然なんかじゃない。

初めから、いや、出会う前から仕込まれた『作戦』だったのだ。

 

明道ゆきは上弦の参『猗窩座』がこの場に来ると察知していたに違いない。だからこそ、あの女は一番最初に対面した時に動揺していなかったのだ。いや、言い方が悪いな。動揺はしていたが、『上弦が登場したことには動揺』はしていなかったのである。まるで俺がここにいることは仕方がないことのような振る舞いをしていたのだ。

 

それを裏付けるように明道ゆきが用意した柱の四人中二人が女である。態々『女の柱』を二人も用意してみせたのだ。男ばかりの鬼殺隊で女の柱がこの場に参戦するなど、意図的なものでなければ有り得ない。

 

(明道ゆきは恐らく、『上弦の参は女を殺さない』と確信していた)

 

基本的に俺達『上弦の鬼』の記録は鬼殺隊側にはあまり残っていない。何故ならば、情報を持ち帰るであろう隊士は全て殺しているからだ。死人に口無し。童磨などの場合は知らないが、己と対面した柱に関しては一人残らず消していた。だが、どんな時でも例外が存在するものだ。猗窩座の場合、一つだけあった。

 

『女性隊士』だ。

 

性別が女の剣士に出会った時、俺は殺さない程度に痛めつけた後、捨てていた。恐らく、その記録を見つけた明道ゆきは『上弦の参は女を殺さない、いや、殺せないのでは』とあたりを付けたのだろう。もしや今まで奴が上半身裸で、サラシしか巻いていなかったのも『女だと瞬時に分からせるため』なのかもしれない。この俺に即座に殺されないために。

 

それに気がついた瞬間、ゾワリと身の毛がよだった。まるで未知の化け物に遭遇したかのような感覚に襲われたのだ。

 

(この女、正気か…?!)

 

女隊士は殺していないと言っても、柱には至れない雑魚隊士数名程度だ。戦場は不確定のことばかりである。その中で女隊士が一名だけ生存しても普通ならば「運が良かったのか」で片付けるだろう。疑問に思う方がおかしい。明道ゆきは、それだけで、たったそれだけで、俺の信条にたどり着いたというのか。正確な情報を掴み取ってみせたというのか。正気じゃない。この女は正気じゃない。

 

何気ない状況の記録から違和感を抱き、数多ある資料をかき集め、分析に分析を重ね、たった一つの『道』を導き出す。言うならば、視界不良の吹雪の中、最善の道筋を選び取り、険しい雪をかき分けて進むような暴挙である。気が遠くなるような調査の果てにようやく掴める道筋だ。常人ならばまずしない。気でも狂っているのか。

 

(それとも、そんな暴挙ができるほどの知略の持ち主なのか)

 

杏寿郎が「明道ゆきは知略の刃で攻撃をしたのだ」と言った言葉を今更ながら思い出した。背筋に悪寒が走る。明道ゆきはどうしようない弱者であるにも関わらず、全身が『あの女を殺せ』と叫んだ。

 

きっと、明道ゆきは柱の武に値する知略を有している。

 

でなければ、現状に説明がつかない。先程も述べたように、前々から明道ゆきは作戦を立てていたのだろう。だからこそ、列車を爆破させることも出来た。一回目は俺を足止めするために、二回目は動揺を誘うために、奴は列車を吹き飛ばした。だが、明道ゆきの策略はそれだけで終わっていなかったのである。その二回はただの布石でしかなかった。

 

本命は、朝が来ることを悟らせないためだ。

 

二回もの爆破により周囲の草には火が燃え移っていた。夜とは思えぬほどの明るさを列車の爆発の炎が生み出していたのだ。明るすぎる戦場は空が白み始めていることに気がつかせず、猗窩座の太陽への意識を鈍らせたのだろう。加えて今回、意識の大半は柱達との戦闘に奪われていた。心躍るような強者四人と戦う状況は緩やかに俺の『朝の来る時間』を測定する頭を奪っていったに違いない。

 

ゾゾゾゾッと背筋に冷たいものが走る。駄目だ。こいつらと戦っては駄目だ。このままでは太陽の光で死んでしまう。完全に日が昇る前に離脱しなくては。久方ぶりに経験した凄まじい焦りだった。身体中から汗を流しながら俺は爛れた足で地面を蹴ろうとする。だが、地面を蹴ることなく終わった。

 

顔面に漆黒の日輪刀が刺さったからである。

 

「逃げるなッ!! 逃げるな臆病者!!」

 

こちらに向かって叫ぶのは炭治郎。不愉快な弱者の一人だった。奴は怪我を引きずりながら鬼の形相で俺に怒鳴り散らしている。炭治郎の言葉を聞いた瞬間、じわりと怒りが頭を支配した。

 

(逃げる? この俺が?)

 

ふざけるな。何を言っているんだあのガキは。俺はお前達鬼殺隊から逃げているんじゃない。太陽から逃げているんだ。確かに油断した。確かに明道ゆきの策に貶められた。だが、俺はまだ戦える。太陽さえなければ他の柱の一人や二人、葬れただろう。これは戦略的撤退だ。俺は逃げてなどいない。

 

あのガキは明道ゆきと同じで気に入らなかった。炭治郎を見ると『誰か』の顔が頭を過ぎるのだ。似ている。炭治郎は『誰か』と似ている。優しくて、強くて、弾けるような笑顔を浮かべる『誰か』に。

 

炭治郎の発言を受けてピキリと額の血管が浮かび上がる。不愉快さのあまり叫びたい気持ちになった。だが、その暇はない。日が、太陽が、俺の身体を蝕んでいく。ボロボロと崩れていく身体に苛立ちを覚えながら、再び地面を蹴ろうとするが――――出来なかった。凛とした声が俺の耳に届く。冨岡の青き刃が現れた。

 

「逃すものか」

 

水の呼吸・肆ノ型『打ち潮』!

 

先程の真菰と同じ技だが、違った強さのある『打ち潮』が再生した両足を再び切り裂いた。間髪入れずに放たれた怒涛の剣撃に感心することなく、盛大な舌打ちを溢す。焦りに焦りを重ね、鬼になってから初めて全身が煮え繰り返るような苛立ちに襲われた。

 

(まずい、まずい、まずい! 逃げることが出来ない!)

 

毒により再生が遅れる身体、四肢を元に戻しても直ぐに切り落としてくる柱達、殺せぬ女、陽光により爛れ落ちる肉体、動揺する精神、突然脳裏に現れる『誰か』。どれをとっても最悪な状況である。その不愉快極まりない場面に再び舌打ちを溢した――――その瞬間だった。

 

眼前にパサリと炎を模った羽織が現れたのだ。

 

毛先が赤みがかった金髪に、ギョロリとした瞳を持つ男、炎柱・煉獄杏寿郎は不敵に笑う。己の羅針盤で既に感知していた闘気に思わず歯軋りした。この場面、この状態、この状況でなければ杏寿郎の登場に喜んだことだろう。だが、今は笑みを浮かべることはできない。ましてや気分が高揚することもない。羅針盤で正確な敵の位置を測れようとも、戦えなければ、攻撃できなければ、意味がないからだ。身体は陽により爛れ、四肢はもぎ取られ、毒に犯されている。動揺する精神、混乱を起こす感覚。全てが最悪な状況だ。だが、奴らにとっては最善の『道筋』が開かれる。明道ゆきが選び取り、進んだ先にあった『明るい未来』が現れたのだ。

 

(弱い、弱い、弱者のくせに!)

 

何なのだ。何なのだ、明道ゆきという女は。正々堂々と戦わず、姑息な真似をして勝利をもぎ取ろうとする。なんて醜く、許せない人間なのだろう。俺はこいつが嫌いだ。認められない、いや、認めたくない。

 

明道ゆきの方に視線を向けると、奴は真っ直ぐに右目でこちらを見ていた。あまりにも真っ直ぐで、自信に溢れ、キラキラと輝く瞳である。その時俺は弱者であるはずの女の瞳に目を奪われた。

 

――――明道ゆきは弱者だ。

 

本来なら何も守れずに終わる弱者の中の弱者である。その弱さ故に何度も何度も絶望に打ちひしがれ、己の才のなさに涙したに違いない。だが、明道ゆきは諦めなかった。どれほど絶望に身を震わせても、どれほど屈辱を味わおうとも、彼女は諦めなかった。研鑚と、血の滲むような努力を重ねに重ねたのだ。そして、明道ゆきはたどり着いたのだろう。武力ではなく、知略で『誰かを守る』という終着点に彼女は到達したのだ。

 

明道ゆきは弱者だ。

だが、彼女は『俺』と違って、その弱さを乗りこなした。

 

弱い。弱い人間だ。弱い人間なのに、どうしてこうも涙が出そうなのだろう。どうして俺は胸を震わせているのだろう。俺が、『俺』が一番殺したかった『弱者』は――――その答えが出る前に煉獄杏寿郎の声が辺りに響く。力強く、勇ましい声だった。

 

「ここでお前は終わりだ」

 

杏寿郎の金と赤が混じった瞳が俺を射抜く。スッと滑るように振るわれた刃は青色、桃色、水色、鉛色、黄色、黒色、藍鼠色、青緑色と、様々な『色』が重なって見えた。最後に現れた赤色が一層輝きを増した時、この場にいる全ての者の『刃』が形を持って俺の前に現れる。次の瞬間、『刃』は猗窩座の頸を捉えた。

 

――――スパン、

 

上弦の参・猗窩座の頸は宙に舞う。

 

最後に脳裏に過ったのは『雪』の名を冠した少女と、朗らかに笑う男性の顔だった。

 

 




次回予告:明道ゆき、公衆の面前で大号泣


あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。特に冬コミにて、この連載の番外編本を手に取ってくださった方々ありがとうございました。

『水一門食事会』と『蛇・水・風柱との合同任務』の二話収録した番外編本は1/12冬インテでも頒布予定です。また虎の穴様でも絶賛予約受付中です。詳細は『活動報告』に掲載されております。

映画の無限列車編、凄く楽しみですね。今からワクワクします。
今年も宜しくお願い致します。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。