氷柱は人生の選択肢が見える   作:だら子

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其の十八: 「原作ブレイク(下篇)」

 

冨岡義勇が殉職した――――。

 

その言葉を聞いた瞬間、懐に入れた右手で自分の胸を思いっきり強打した。

 

全力で肺あたりを殴ったために「ォオッブスゥッ!!」と、女とは思えぬ声が口からまろびでる。あまりの激痛に身をかがめて蹲った。骨折並びにその他諸々の内部の怪我があることを忘れて殴ったため、余計に痛みが酷い。思わず私はプルプルと小刻みに揺れ、ひたすら激痛に耐えていた。

 

そんな一連の自傷行為にギョッとした胡蝶しのぶは「何をしているんですか貴方は!」と言いつつ、こちらの背をさすってくれる。ヒューヒューと息を吸っては吐きながら、私は震える唇で言葉を紡いだ。

 

「いま、なんと、」

「義勇が殉職した。そう言ったんだよ、ゆき」

 

幻聴じゃない。本当に水柱・冨岡義勇が死んだと言っている。

 

ありえない。ありえるはずがない。冨岡は、冨岡義勇はこんなところで死ぬ人間ではないはずだ。こんな、こんな時期に殺されて良い柱ではない。おかしい。おかしすぎる。私の前世の記憶では、遊郭編のその先にある無限城編でも冨岡は登場していた。この時期に水柱が死亡するなど、ありえていい話じゃない。

 

先程の上弦の陸の討伐成功報告よりも強い衝撃に私は一瞬、息をするのを忘れた。頭が真っ白になる。体中の熱がどこかへ消え、冷たくなるのが分かった。それに伴い、サーと顔も青ざめていく。しかし、不思議なことに額には脂汗が滲み始めていた。

 

唖然としながら周りを見ると、不死川と伊黒は無言で佇み、二人の隣にいる甘露寺はキュッと唇を噛み締めているのが視界に入った。他の柱達も似たような様子である。いつも無感情・無反応の時透でさえ少しこわばった顔をしていた。

 

信じられない気持ちでポカンと口を開けていると、煉獄とバチッと目が合う。煉獄はこちらに視線を向けながら何も言わずに首を横に振った。それを見て、私はようやく理解した。

 

本当に、冨岡義勇は死んだのだと。

 

じわじわと形容しがたい感情が胸の内に広がっていく。己の心が「ありえない」と叫んだ。頭では死を理解しているのに、心が納得していないチグハグな状態だった。自分にとって冨岡の死は「あるはずがないもの」だからこそ、心が認められないのだろう。

私は前世で冨岡の死亡シーンを見たことがない。もしかしたら十七巻より先で死んでいるのかもしれないが、覚えている限りの知識では『死亡』の『し』の文字すらなかったのだ。ありえないと否定してしまうのも無理もないだろう。

 

(ありえない、でも、『ありえてしまっている』)

 

同じだ。あの時と同じだと思った。漫画では既に故人のはずの真菰が生きていて、彼女が自分に弟子入りを志願してきた時と同じ状況だと思った。その時に私が心の中で思った言葉と、全く同じ言葉を奇しくも内心で呟いていた。

 

本来なら死亡している真菰が今、何の理由もなく生存しているというなら、己の範疇外で突然誰かが死亡してもおかしくない。そんな簡単なことを理解していなかった。

恐らく、生前の『私』は好んで死亡キャラや不遇キャラを救済する物語ばかりを読んでいたからだろう。原作で生きていたキャラが死ぬなんて、考えもしなかったのだ。喉元に突き付けられた現実に自分の体の震えが止まらなかった。

 

「冨岡が…そんな、まさか」

 

どうしても私の心は冨岡の死を信じられなかった。信じたくなかった。私が冨岡の死に納得がいかないのは、きっと、実際に彼という人間を見てきたからだ。

 

冨岡とは呼吸の相性のよさから、合同任務が多かった。それ故に、書物を通してではない、本当の彼を知ることができたのだ。

 

――――水柱・冨岡義勇は強い。

 

彼の流派は使い手が多い水の呼吸だ。技が基礎に沿ったものであるため、他の流派と比べれば習得しやすい呼吸である。

極端な例だが、人によっては「日輪刀の色がまだ分からぬ新人には、とりあえず水の呼吸を覚えさせろ」と言う者もいるくらいだ。

でもまあ、あくまで『比較的』であり、習得には血を吐くような研鑚が必要になる。どちらかといえば、「習得しやすい」というよりも、水の呼吸は柔軟な技が多いため、呼吸の方が文字通り柔軟に『人』へ適応しているように思えた。

 

とりあえず総合して見ると、水の呼吸というのは悪く言えば「代わりは幾らでもいる流派」である。

 

――――それ故に、水の呼吸は恐ろしいほど強いのだ。

 

矛盾した意見に思えるだろう。だが、これが矛盾していないのだ。汎用性の高い呼吸だからこそ、極めた先には如何なる敵でも対応できる剣士になれる。水の呼吸はその名の通り、水のように変幻自在な歩法が特徴の流派である。ありとあらゆる場面で柔軟に戦える剣士は鬼にとっては脅威に違いない。

それに加えて、いくらでも代わりが効くような、基礎に沿った技ばかりだからこそ、敵からすれば簡単にはペースを崩すことのできぬ強固な壁となるのだ。

 

また、水の呼吸を極めた者は、臨機応変に対応できる特性からか誰と組んでも一定以上の成果を出せる剣士となる。

原作の無限城編でも、冨岡は炭治郎が繰り出す技や状況を瞬時に判断して適切な型を繰り出し、炭治郎を補助してみせたほどだ。実のところ、これができる剣客は例え柱でも案外少ないのである。

冨岡義勇は戦闘能力にコミュ力を全て奪われたのではないかと個人的に思うくらい、戦闘コミュ力おばけ柱なのだ。

 

さらに冨岡は驕ることなく、ひたすらに研鑚し、努力を重ね、人々のために戦う強い精神力と勇気を持っていた。また、彼は非常に冷静沈着であり、如何なる状況でも冷静に適切な判断ができる人間でもあった。

 

だからこそ、冨岡義勇は強いのだ。

だからこそ――――冨岡の殉職は驚愕すべきことなのである。

 

冨岡は、どんな敵でもどんな状況であろうとも「勝利」もしくは「帰還」ができる人間のはずなのだ。長い間、彼のことを見てきたから知っている。分かっている。深く理解している。それ故に、私は冨岡の死が信じられなかった。

 

(それに、)

 

――――私は、わたしは…冨岡には、死んで欲しくなかったのだ。

 

心臓がキュッと締め付けられる感覚がしてくる。冨岡との合同任務や、一緒に観に行った演劇やらの記憶が頭に浮かんでは消えていった。どうして私は彼に死んで欲しくなかったのか分からない。

 

だが、明道ゆきは、冨岡には――――生きて欲しかったのだ。

 

混乱した様子を隠せないまま、一体何があったのかと私がお館様に問うと、彼は少し考えるそぶりを見せる。しかし、直ぐにこちらを目を合わせ、言葉を紡ぎ始めた。

 

「義勇が殉職したのは上弦の参・猗窩座との戦いが終わり、少し経った後になる。任務の最中、偶然にも上弦の壱と上弦の弐に遭遇したんだ」

 

ファッ?!

 

噴き出しそうになった。何なんだこの斜め上にカッ飛んだ展開ばかりの状況は。『まさかの吉原遊廓編スルー』や『冨岡の死』でお腹がいっぱいなのに、まだそれに胃痛事案が付属されているのか。しかも、上弦の参・猗窩座との戦いが終わり、少したってから黒死牟と童磨の二人に遭遇したとか…冨岡お前…。時系列的には、無限列車編→冨岡死亡→吉原遊郭編なんだな、把握―――じゃねえよ。やめてくれ。

 

無惨の保有する鬼の中で一番強い上弦の壱・黒死牟と、胡蝶の姉の仇である上弦の弐・童磨と、この時期に遭遇なんて冗談も大概にしてくれ。お前らと正式に鬼殺隊が対面するのはもっと先の『無限城編』からのはずだ。頼むから動くな。

 

驚きすぎてこれ以上驚くことはないと思っていたのに、私はギョッと目を見開く。己の耳を再び疑い、思わず「上弦の壱と上弦の弐に遭遇した?!」とオウム返しをした。お館様は至って冷静に頷く。そのまま彼は話を続けた。

 

――――どうにも、冨岡は討伐対象でもあった鬼を倒した直後に、上弦の壱と弐の二体に遭遇したらしい。

 

それだけで最悪だというのに、討伐した鬼の血鬼術と、上弦二体の策略により、滞在していた町全体が火事になったというのだ。次々に家屋は燃え、逃げ遅れや怪我人が続出するという悪夢。

 

更に丁度その場には別任務を完了させ、偶然にも冨岡がいる町の藤の家へ向かっていた炭治郎・善逸・伊之助・禰豆子もいたのだとか。本来なら戦力として数えられたのだろうが、彼らは先の任務で怪我を負ってしまっていた。上弦二体と遭遇した際に、四人はほぼ動けない状態だったというのである。

 

 

つまり、冨岡義勇は――――

 

上弦二体相手に、何百人もの街の人々と部下四名を守りながら戦う羽目になったのだ。

 

 

いくら冨岡が強いといえど、黒死牟と童磨は今までに何人もの柱や隊士たちを葬ってきた鬼の中の鬼である。一対一でさえ、辛い戦いになるというのに、お荷物付きで上弦二体との戦闘だ。まず、勝ち目はない。

 

それなのに、それなのにも関わらず、冨岡義勇は守りきったというのだ。街の人々と部下四名を一人たりとも死亡させずに、戦ってみせたとお館様は言うのである。それだけで称賛に値する所業だ。

 

鬼殺隊には今まで様々な柱が在籍したが、彼のような功績を残した者は非常に少ない。上弦相手にしてこれほどまでの人数を誰一人死なせずに戦いきった者は、本当に少ないのである。ゆえに、原作の無限列車編にて、たった一人で部下と乗客数百名を守り切り、猗窩座を追い返してみせた煉獄杏寿郎は称賛されたのだ。

 

やはり、冨岡義勇という人間は強い。

 

冨岡の強さを改めて実感して、私は唇を噛み締めた。

 

また、この話を更に詳しく聞くに、冨岡が上弦と対面した時間は『やや空が明るくなり始めた時』だったのだという。だからこそ、彼は持ち堪えることができたのもあるだろうが、並の隊士なら上弦と出会った瞬間に死んでいる。

 

(鬼滅の刃に登場する柱達は、なんでこんな、人々のために命をかけることができるんだろう)

 

私には到底真似できないと思った。凄い、本当に凄いと思う、冨岡義勇。何故、己の命を顧みず、人を守ろうと身体が動くのか私には分からない。自分はそんなこと、一度もできた試しがなかった。いつだって明道ゆきは自分の命がかわいくて、惜しくて、どんな状況でも動くどころか逃げることを優先していたくらいである。

 

――――だから、私は『あの時』も動けなかったのだ。

 

思考の海に再び沈もうとした時、お館様の言葉が耳に入ってきた。一旦、考えることはやめて、彼の話の続きを聞くことに専念する。

 

どうにも、冨岡は傷だらけになりながら僅かな情報と戦利品を取ってきたらしい。彼は炭治郎と鎹烏にその情報達を託した。それを今――――お館様が所持しているというのだ。

 

「義勇が残した情報の一つにはこうあった。

 

 

――――鬼舞辻無惨が炭治郎だけではなく、ゆきも探している、と」

 

 

とんでもねぇ情報持ち帰ってきやがったあの野郎。

 

一瞬で柱達の空気が変わったのを肌で感じながら、思わずヒクッと頬を引きつらせた。冨岡の死により、動揺していた己の精神が別方向に傾く。手の震えが止まり、今度は胃がキリキリとしてきた。『遊郭編スルー』に気がついた先程のように、頭を抱えたい気持ちになる。

 

(なんで無惨が私まで探しているんだ)

 

どう考えても明道ゆきは人畜無害な人間だろ。どんなに頑張っても平凡な剣士にしかなれない雑魚だぞ。どうして主人公だけでなく、私まで探されなくてはいけないんだ。別に自分は、炭治郎のように『始まりの呼吸の剣士』を彷彿とさせるアクセサリーを身につけてなどいない。そもそも、主人公とは違って、人外並みの強さが有名な『始まりの剣士』との接点や類義点が明道ゆきにあるはずがないのだ。

 

あまりにも謎すぎ。私は無惨の恐ろしさに震えながら、必死に考える。真面目に自分の命に関わるので、全力で頭を回転させて――――気がついた。

 

 

もしや鬼舞辻無惨は、あの原作ブレイク無限列車編を『見た』のか?

 

 

原作を読むに、鬼達は全て鬼舞辻無惨の支配下にあり、無惨が好きな時に記憶や思考が読め、居場所さえも分かるようだった。現に、『無限城編』でも胡蝶の戦い方が童磨にバレており、胡蝶が「那田蜘蛛山における戦闘情報が周知されている…」というようなシーンがあったはずだ。猗窩座ほどの鬼が死んだ今、無惨が原因を探っていてもおかしくない。

 

恐らく、選択肢のせいで無惨に『明道ゆきは神の如き知略を有している』と勘違いされたに違いない。自分でも、原作ブレイク無限列車編を客観的に見たら「氷柱マジやばい」と思う。本人でさえそう考えているのだから、鬼舞辻無惨が「明道ゆきを殺せ!」となってもおかしくないだろう。ふざけんなクソが。震えが再び振り返してきたんだがどうしてくれる。

 

(いや、待て。落ち着け、私。もう退職するのだから、もう鬼舞辻も関係な……)

 

続けようとした言葉を思わず止めた。気が付きたくないことに気がついてしまったからだ。

 

これ、退職しても鬼舞辻無惨が私を殺しにくるやつでは?

 

冨岡からもたらされた『鬼舞辻無惨が明道ゆきを追っている』という情報からして、無惨からみた明道ゆきは最早抹殺すべき人間なのだ。どう考えても「生け捕り」なんてあの無惨が指示するはずない。

故に、例え私が退職したとしても、鬼舞辻無惨は絶対に追ってくるだろう。無惨はきっと「退職したとしても明道ゆきは影から産屋敷に協力するに決まっている。目障りだ。殺せ」という認識を持つに違いない。

 

そうなれば、鬼殺隊からの脱退は得策ではない。退職してしまう方が逆に危険だからだ。

 

片腕がなくなった私の戦闘力は、以前と比べるとゴミレベルまで落ちた。雑魚鬼の打倒すら毎度毎度生死を分けるレベルになってしまったのだ。付き添いの隊士が絶対に必要になるほど弱体化したのである。

 

私が鬼殺隊に在職したままであれば、お館様も付き添いの隊士を必ず用意してくださるだろう。だが、退職してしまえばそれはなくなってしまうに違いない。なんせ、鬼殺隊は慢性的な人手不足である。戦力にならない人間なんぞ、守る必要なんてない。

 

――――つまり、私の退職は叶わない。

 

寧ろ、こちらの方から「鬼殺隊の一員としてまだまだ働かせてください!」とお館様にお願いしなければならない事案になってきた。なんせ、私は片腕が欠損しているのだ。隊士として明道ゆきは不要な存在になってしまっただろう。

 

(ああ、なんてことになったんだ)

 

もしも私がお館様に頼み込み、後方勤務になろうとも、自分は一度柱を経験した人間だ。どう考えても、命をすり減らす案件を渡される未来しか浮かばない。なんなら「命をすり減らす(物理)」の可能性すらある。

 

辞めても無惨に追われて地獄。

在職したままでも地獄。

そして、このままいけば二十五で死亡は確定。

 

ねえよ。これはねえよ。私がなんの罪を犯したって言うんですか。思わず天を仰ぎたい気持ちになる。キャパオーバーしたが故に、口から「ははっ」という笑い声が溢れた。マジで精神潰れそう。

 

「無惨が私を追っている、ですか。はは」

「…ゆき?」

 

自暴自棄になった笑みを浮かべた。お館様は少し眉をひそめてこちらに視線を向けてくる。その顔を見ながら「ふう」と息を吐き、決意を固めた。そう、今からお館様に「後方勤務させてください!」と頼み込むための決意だ。そのまま私は震えがおさまってきた右手を懐からだそうとして――――目を見開いた。

退職届がひらりと落ちたからだ。

 

パサリと床に落ちる退職届。周りの柱の視線が紙に集中しているのにも関わらず、私はジッと『退職届』の文字だけを見ていた。刹那、じわじわと形容しがたい感情が再び胸にこみ上げてくる。

 

――――やっぱり、退職したかった。

 

もう命のやりとりはしたくないんだよォ…。なんで原作ブレイクばっか起きてんだ、なんで冨岡お前死んでんだよ馬鹿野郎ォ!!

 

この瞬間、明道ゆきの涙腺は決壊した。

 

 


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