氷柱は人生の選択肢が見える   作:だら子

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其の十九: 「鬼殺隊当主は見据える」

「ゆき、君は鬼殺隊を辞めたいのかい?」

 

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉はゆっくりと言葉を紡いだ。しかし、氷柱・明道ゆきは何も反応を見せない。実を言うとこの状態は、柱合会議の場で彼女が顔を伏せてからずっと続いていた。故に一旦会議を中止したのだが、明道ゆきと一対一になった今も彼女は沈黙を貫いている。

 

普通の人間ならば怒って席を立っていたのかもしれない。だが、耀哉はひたすらジッと待っていた。何故ならば、明道が沈黙を続ける理由が分かっていたからである。

 

――――氷柱・明道ゆきは泣いているからこそ、話せないのだ。

 

彼女は右手で隊服のズボンを痛いくらいに握り締めている音が聞こえる。きっと拳の上には止めどなく涙という雨が降りしきっていることだろう。手の甲の上に水たまりが出来たと思えば、スゥと下へ流れていく工程を繰り返しているに違いない。涙の音が絶え間なく耀哉の耳に届いていた。

 

現在、ずっとずっと明道ゆきは泣き続けている。怒るわけでもなく、喜ぶわけでもなく、嗚咽一つ零さずに彼女は涙を流していた。それくらい氷柱・明道ゆきはひたすら無言だったのだ。

 

止むことのない涙の雨音を聞きながら、産屋敷耀哉は静かに口を開く。できるだけ優しく、慈しむような声色で明道に言葉を投げかけた。

 

「君が泣くのはこれで二回目だね、ゆき」

 

明道ゆきが氷柱にまだ成り立ての頃の記憶が、産屋敷耀哉の脳裏に不意に過る。

 

 

 

 

実を言うと、明道ゆきが顔を伏せて動かない状況に陥ったことが一度だけあった。それは彼女が柱になり立ての時である。そして、産屋敷耀哉の目がまだ見えていた時代だ。

 

ある日突然、明道は耀哉に一対一の面会を求めてきたのである。彼女からそのような申し出をされたのは初めてだったこともあり、急遽話し合いの場を設けたのだが――

 

明道と対面した際の彼女の顔は、ひどいものだった。

 

目にはクマができ、艶があった白銀の髪は痛み、痩せ細っていたのだ。それどころか、明道は余裕ありげな振る舞いも一切見せず、見慣れた笑みでさえ浮かべていなかった程である。この様子には流石の耀哉も眉がハの字になった。

 

「ゆき、」

「お館様、お願いが御座います」

 

こちらがゆきと名前を呼ぶ前に、彼女は頭を下げてきた。畳に擦り付けて、いっそこちらが哀れになるくらいに明道は「退職させてください。もう戦う気力がないのです」と言ってきたのだ。くしゃくしゃになった退職届を右手に携え、何度も何度も退職したいと言葉にしていた。その様子を見て、当時の耀哉は一瞬だけ言葉が出なかったことを今でも覚えている。

 

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉は基本的に、退職を希望する隊士は静かに見送ることにしている。

耀哉には辞めたいと望む隊士を引き止める権利も、諭す資格もないからだ。

 

鬼殺隊の仕事は熾烈を極める。まず初めの段階で血の滲むような鍛錬を積み、命がけの選別を抜けなければならない。

もしも選別に合格したとしても、鬼殺隊は政府非公認組織が故に、誰の称賛を受けることなく、半永久的な不死者と戦い続ける気構えが必要になる。しかも、常に不利な状況で、死の恐怖に脅かされながらも、剣を振るわなければならないのだ。たとえ、仲間が死のうとも、身体が傷つこうとも、戦わねばならない。鬼殺隊士としての仕事というのは、まさに地獄といってよかった。

 

そのような所業を隊士に課しておきながら鬼殺隊の長は病弱で、鬼と戦えないときた。一体どこに、辞めたいと望む隊士を産屋敷耀哉に引き止める権利があるというのだろうか。あるわけがない。

ただ、例外というのはあるにはある。だが、それは稀だ。大概の場合、産屋敷耀哉はどんな隊士であろうとも、引き留めなかった。

 

だらこそ今回も、耀哉は明道の退職を認めるつもりだったのだ。

 

――――そう、『だった』。

 

頭を上げた氷柱・明道ゆきと目があった瞬間、産屋敷耀哉は己の考えを改めた。いや、彼女の左右非対称の瞳が己の視界に入った時、耀哉はとある確信を得たのだ。その理由は至って簡単で、陳腐なものである。

 

氷柱・明道ゆきの目は死んでいない。

 

多少の陰りはあろうとも、彼女の青緑の左目と黒の右目の煌きは以前のままだった。何がなんでも生きる、生きて、生きて、生き続けるという決意に満ちた瞳をしていたのだ。それは、明道ゆきが柱の就任時に見せた、恐ろしいくらいの『生』への渇望でいっぱいだった瞳の輝きと同じだった。

 

(これは、)

 

まだ、戦場で未来を見据える剣士の目だ。

 

明道ゆきは退職を希望しながら、生きる決意に満ち溢れている。耀哉が知る限り、精神的に疲弊した大半の隊士は、鬼に怯え、死に恐怖していたり、戦意を喪失し、生きる希望を見失ったりした者ばかりだった。だが、明道の目は柱の就任時となんら変わりのない姿を見せている。誰がなんと言おうと、未来への道筋を探し当てる軍師の目をしていた。

 

――――明道ゆきという人間は、生きることへ特化した智謀の剣士だ。

 

常に先を見据えて戦略を練り、鬼の頸を狩らんと煌々と目を輝かせ、己が刃を鍛える。自分の命を大切にし、生きることをあきらめない。他の柱達と同じく、どんな状況でも、どんな敵であろうとも、戦おうとする。本来ならば三流剣客として人生を終えていたはずが、血の滲むような努力の果てに知略で鬼殺に到達した人間、それが氷柱・明道ゆきだ。

 

実のところ、自分の命を大切にできる鬼殺隊士は存外、少ない。

 

鬼殺隊に所属する者の大半は、鬼に大切な人達を殺された結果、剣を取る場合が多いからだ。勿論、鬼狩りの家系だったり、貧しさからだったりなど、別の理由から入隊する人間もいる。故に、一概には「鬼殺しか考えていないからこそ、自分の命を大切にしない」とはいえない。

だが、どんな隊士であろうとも、大なり小なり、鬼へ複雑な様々な感情を抱いていることには間違いはなかった。そのため、鬼殺隊を志す者、もしくは鬼殺隊に所属する達は、自分の身を犠牲にしやすい傾向にあるといえた。

 

憎き鬼を殺すため。

人々を守るため。

 

そういった理由で、誇り高き剣士達は己が命を省みない。そもそも、自分の生を省みることができる人間は、早々と辞めるか、それどころか入隊すらしないだろう。鬼殺隊当主でありながら、耀哉は「鬼殺隊はどこかおかしい」と知っていた。いや、当主だからこそ、自分自身も含めて鬼殺隊の異常性に気がついているのだ。

 

その中にありながら、明道ゆきは生きることに執着していた。

 

鬼殺隊を退職する道もあったはずだ。それなのに彼女は戦おうとしている。誰よりも生きたいと願いながら、死地に自ら赴いていたのだ。

 

生きるために戦い、戦うために生きる。

 

自分の命を最優先に考えながらも、鬼の頸を狩り、多くの仲間が生き残る道を常に彼女は模索していた。明道ゆきは生きたいからこそ己の命が助かる道を考え、鬼を滅したいからこそ生きる。矛盾を御する生き様を見せる人間が、明道ゆきという柱だ。

 

上弦を打倒せねば二十五で死ぬ呪いをかけられているからこそ、戦い続けようとしているのかもしれない。だが、それを抜きにしても彼女の生き様は異様だった。

生きるために戦い、戦うために生きる明道ゆき。その生き方を映す瞳の輝きが以前と変わらない。故に、導き出される結論はたった一つだった。

 

(ゆきは鬼殺隊を辞めるつもりはない)

 

ならば、何故、ゆきは退職するなどと言い出した?

 

現実的に考えると、明道ゆきの退職は当たり前のものだった。ついこの間、彼女の師と、彼女を鬼殺隊に勧誘した兄弟子が殉職したのだ。嘆き、苦しみ、鬼への憎しみに狂うも、次に自分が死ぬのかと怯え、退職を考えてもおかしくはない。明道のやつれ具合からも、その考えは妥当だと言えた。

 

だが、今までの明道からの経歴からすれば、『死の恐怖から辞める』という選択肢は無いに等しい。

 

死の恐怖で退職するならば、明道ゆきはとっくの昔に辞めているだろう。明道という人間は死に行くことに怯えながらも、他の柱同様、常人ではありえぬ精神力で研鑽を重ね、鬼殺を遂行する人物だ。恐らく彼女は、

 

 

――――皆に柱として認められるために、退職を申し出た。

 

 

矛盾した考えだ。だが、その矛盾こそが明道ゆきという一人の人間を作り出す。

 

現在、明道ゆきを柱として認めないと言う隊士が多数存在している。というのも、明道が知略のみで柱の地位を戴いてみせたからだろう。彼らが声を揃えていうのが「剣士としての実力が足りない」である。そして、あと一つが「明道ゆきは戦略ばかりで、人のことを考えていない」だ。

 

明道ゆきがどれほど頭を捻らせて戦略を練ろうとも、犠牲が出る時は出る。陽光か日輪刀でしか倒せぬ不死者との戦い故の弊害だろう。明道が常に笑みを携え、物腰柔らかな隊士であろうとも、犠牲者がでれば、「明道ゆきは人を人として考えていないのでは」と思う者が出てくるのも無理はない。

 

(だから、ゆきは…)

 

この茶番を『敢えて』してみせたのだ。

己は人間味に溢れる者だと知らしめるために。

 

情に厚い人物だと認識されることは、周りからの信頼に繋がる。この人に命を預ければ、自分の生は無駄ではなかったと思うことが出来るようになるだろう。加えて、明道の退職を鬼殺隊当主が退けたとなれば、「明道ゆきは鬼殺隊になくてはならない存在なのだ」と思われるようなるに違いない。

 

それは戦術・戦略の幅を広げ、明道ゆきの『刃』が更に鋭さをもって鬼に振るわれることを意味する。

 

大博打には間違いない。だが、明道は博打の危険性を理解しながら、ここで手札を切るべきだと判断したのだ。他の柱達と同じ、強い覚悟と判断力に、知らず知らずのうちに産屋敷耀哉の口角がゆるりと上がっていた。

 

 

故に、当時の耀哉は明道ゆきの退職を退けたのだ。

 

――――明道ゆきの思惑通りに。

 

退職を退けた耀哉の言葉を聞いて、明道はにっこりと笑いながら涙を一筋流した。

 

 

 

彼女の策略に乗ってみせた当時を思い出して、産屋敷耀哉が目を細める。眼前にいるであろう、明道ゆきの涙の音を聞きながら今回の件について考え始めた。

 

上弦の参『猗窩座』の打倒。

水柱・冨岡義勇の殉職。

上弦の陸『堕姫・妓夫太郎』の討伐成功。

 

竈門炭治郎と禰豆子が組織に所属してから、今までずっと停滞した鬼殺隊と鬼舞辻無惨の歴史が劇的に動き始めている。あの鬼舞辻無惨が重い腰を上げたのだ。他ならぬ、炭治郎を追うために。そして、無惨は炭治郎だけではなく、明道までもを探し始めた。

 

兆しだ。

これは、兆しだ。

千年にも渡る血に塗られた歴史が変わろうとしている。

 

これを逃してはならないと、鬼殺隊当主・産屋敷耀哉は誰よりも理解し、誰よりも痛感し、誰よりも考えていた。炭治郎が鬼殺隊に加わり、上弦が打倒されてからというもの、耀哉は全身の血が沸き立つほどに考えていた。

 

この期を絶対に逃してはならない。

千年かけて掴んだ、たった一筋の『道』。

 

しかも、幸運なことに現在の柱達は皆、よく鍛えられた猛者達ばかりだ。年老いて引退を視野に入れ始める者もおらず、全盛期といって良い肉体を持っていた。また、驚くべきことに柱の数も足りている。鬼殺隊が崩壊しかけていた時代では、たった数人しか柱がいなかった時もあったと聞く。それを考えると、今の鬼殺隊の隊内の状況はこれ以上ないくらい良好である。

 

(義勇が殉職したのは痛手だが…)

 

だが、だが――――水柱・冨岡義勇は情報と『もの』を持って帰ってきてくれた。

 

鬼舞辻無惨が炭治郎だけではなく、明道ゆきまでもを追っているという情報。これだけで無惨対策を考え易くなる。

更に、上弦の壱・黒死牟と上弦の弐・童磨の姿と、彼らの戦闘方法や技の情報。今まで不確定だった上弦の壱と弐の仔細を知れたことは、鬼殺隊にとって非常に重要だ。これだけで隊士の命が助かる確率がグンと上昇することだろう。

 

(義勇、よくやってくれた)

 

産屋敷耀哉は目を伏せながら、胸のあたりに手を置いた。冨岡の死は心臓が締め付けられるほどに苦しい。隊士達を我が子のように想っている耀哉だからこそ、その胸の痛みは全身を蝕んでいた。冨岡の死が深く深く耀哉の心に刻まれていく。故に、耀哉は冨岡の行いを心底称賛した。

 

冨岡義勇は上弦二体を相手に、己が兄弟弟子や部下だけではなく、一般人数百名を守りながらこの情報を鬼殺隊へ持ち帰ってみせた功績を残している。誰一人として死なせなかっただけで驚愕に値する所業だというのに、情報までも掴み取ってみせたのだ。流石は鬼殺隊の水柱、冨岡義勇である。やはり今代の柱は皆、誇るべき強者ばかりだ。

 

また、もう一つの『もの』に関しては――――そこまで思考した時だ。

 

沈黙を貫いていた明道ゆきが面を上げた音がしたのである。それと同時に、彼女のかすれた声が耳に入った。

 

「お館様、お願いが御座います」

 

あの時と同じ言葉だった。きっと今の彼女の顔は涙に濡れ、顔はむくんでいることだろう。耀哉の目に光がまだあった時代に見た、明道ゆきのやつれた風貌が彼の脳裏によぎる。ただ、産屋敷耀哉はあの時とは違って、密かに驚いていた。明道が急に話し始めたことに驚いたのではない。ましてや、彼女の申し出に身構えたわけでもない。耀哉が驚いたのは、たった一つだった。

 

「ゆき、君は…」

 

――――明道ゆきの声が、生きていない。

 

どれほど打ちのめされようとも、どれだけ絶望の淵に立たされようとも、鈍らなかった煌めきが消えているような声色だった。生きる希望に満ち溢れていた彼女が、諦めたような声を出している。その事実に耀哉は驚いていた。

 

明道ゆきは師が死のうとも、兄弟子が死のうとも、仲の良い同僚が死のうとも、何度でも立ち上がった人間だ。それどころか、その死さえ利用してみせた女傑である。思考の全てが鬼殺と生きることに捧げられた、智謀の剣客。産屋敷耀哉が目が見えない今、明道がどんな瞳をしているかは分からない。だが、諦めた声色を出している彼女に彼は目を見開いた。

 

何故、明道ゆきは諦めている?

 

その疑問は簡単に分かった。考えれば直ぐに気がつくことだったからだ。

 

 

――――明道ゆきは、冨岡義勇の死に悲しんでいる。

 

 

彼女の様子が変わったのは、『上弦の陸の打倒報告』からだ。だが、こちらが心配になる程に動揺を見せたのは『冨岡義勇の死』からである。実を言うと、明道の呼吸が浅くなっていく空気を既に耀哉は肌で感じとっていた。娘と息子が明道の手が震えていると言っていたことから、余程彼女は動揺していたに違いない。

 

(ゆきにとって、義勇はそこまで大切な人物だった)

 

思い出すのは冨岡義勇と明道ゆきが共に歩く姿だ。耀哉の目が見えていたころから、二人はよく肩を並べて歩いていた。

 

冨岡義勇と明道ゆきは戦闘において、非常に相性が良い。彼らは戦いに於ける短所と長所をお互いに補い合っていた。常人ならざる戦略を練る明道と、いかなる状況でも対応できる柔軟さを持つ冨岡。これがピタリと上手くハマり、凄まじい力を生み出していたのである。故に二人は任務を共にすることが多かったのだ。

 

また、私生活でも二人は共に出かけ、仲良くしていた。それを考慮すると、もしかしたら、二人は想いあっていた場合がある。いや、きっと明道と冨岡は『好い関係』だったのだろう。でなければ二人で頻繁にお茶をしたり、劇を観に行ったりなどするはずがない。

 

そのあたりまで思考した耀哉は、不意に不思議に思った。

 

(ゆきなら、『氷柱・明道ゆき』ならば、冨岡が上弦と交戦する可能性を考えていたはず)

 

どうして、明道ゆきは冨岡と上弦の交戦を良しとしたんだ。

 

「――――いや、違う。これは」

 

冨岡義勇が、上弦との交戦を良しとしたのだ。

 

上弦の参『猗窩座』の登場を化け物じみた頭脳で予期してみせたほどの明道だ。きっと、彼女は猗窩座以外の上弦と戦う可能性を考えていたに違いない。

 

冨岡が部下や一般人を守り切れた理由の一つに、上弦の登場が『空が明るみ始めたときだったから』というものがある。通常なら上弦ほどの鬼が朝方に柱の前に現れるわけがない。彼らが太陽の昇る少し前に現れたのは、意図的なものだろう。何故ならば、『同じ』だからだ。

 

上弦の参『猗窩座』と交戦した時と同じく、空の色がわからぬほどの炎が辺りを充満していた。

それにより、上弦の壱『黒死牟』と上弦の弐『童磨』は朝が来ていることに気がつかなかったのだ。

 

明道ゆきは知っていた。鬼舞辻無惨が己を捕まえる為、追手を放つことを。いや、明道ゆきが鬼舞辻無惨に追手を放つよう、差し向けたのだ。そのために、明道ゆきは猗窩座と一対一で戦ってみせたのだろう。鬼舞辻無惨に己を知らしめるために。無惨が明道のことを知れば、上弦の鬼を動かすと彼女は確信していたからだ。

 

そうして、明道は猗窩座以外の上弦の情報を手に入れる機会を作り上げていたのだろう。様々な仕込みをした上で、床についていた。

 

その明道の完璧な戦略のせいで――――あの冨岡義勇の殉職に繋がったのだ。

 

恐らく、本来ならば明道ゆきは上弦の壱と弐の情報を取るため、冨岡と共に自らが戦場に出ようとしていたに違いない。それに冨岡は気がついた。だからこそ、明道が昏睡状態に陥っている間に、彼女をやろうとしたことを彼は成し遂げたのだ。

 

きっと冨岡義勇は、これ以上明道が戦えば死ぬと感じたのだろう。既に明道ゆきの片腕は欠損しているのだ。そう考えるのも無理はない。いや、当たり前であり、もしも黒死牟と童磨の二人と明道が戦っていれば、今度こそ本当に死んでいたかもしれなかった。たとえ智謀の剣士であろうとも、腕を失って直ぐの戦闘は命に関わる。故に冨岡は彼女の代わりに無理をした。そして――――最善の結果を残して死んだ。

 

明道ゆきは後悔したに違いない。

己の見通しの甘さに。

人の心が自分の戦略をこえる可能性に、気がつかなかったことに。

 

かつての己を見ているようだと、産屋敷耀哉は思った。彼は小さく息を吐き、光を失った目を閉じる。

そうだ、明道ゆきはどうしようもなく自分に似ていた。知に頼る点も、どれほど努力したところで剣士として大成できないところも。そして、思考すらも耀哉と明道はまるで鏡合わせをしたかのように酷似していた。

 

明道ゆきは大半の柱から嫌われている。

 

それは彼女自身が仕向けたことだ。隊の中に嫌われ者を作ることで、内乱を避けようとしているのである。飴の鬼殺隊当主と、鞭の氷柱。不満を明道ゆきに一人に差し向け、尊敬を産屋敷耀哉に集める。それにより、隊の統制をはかっていた。

 

どこまでいっても、明道ゆきは鬼殺のために全てを捧げている。産屋敷耀哉と同じ、狂ったような献身さだ。明道と耀哉の唯一違う点は、病弱であるか、そうでないか。その点が、耀哉と明道を大きく分けていた。

 

(だからこそ、)

 

だからこそ、再び産屋敷耀哉は目を開ける。唇を開き、言葉を紡いでいく。

 

「ゆき。明道、明道ゆき」

 

未来のため、人々のため、最善の明るい道を選び取り、その道をゆく者よ。

 

「――――君の願いは聞き入れられない」

 

きっと君は今度こそ、退職を願うのだろう。だが、それはできない。君が犠牲にしてきた者たちのためにも、君自身のためにも、明道ゆきという人間は、鬼殺を遂行しなくてはならない。

 

ゆき。明道ゆき。

 

彼女の名前は、明道の義父がつけたと聞いた。『明道』は義父の苗字であり、『ゆき』という名を彼が考えたのだと言う。何故、明道が以前の名を使わず、義父の考えた名前を皆に教えているのかまでは分からない。だが、良い名だと耀哉は思った。まさに明道ゆき本人を体現しているような名前だ。

 

(ゆき、君は、)

 

生きて、戦え。生きることを諦めることは許されない。生きて、生きて、生き続けろ。今まで犠牲にしてきた者たちに詫びるために、何があっても、例え、その先が地獄だとしても。

 

それが、戦えない弱者の私達にできる、唯一の贖罪なのだから。

 

産屋敷耀哉は覚悟を秘めた、目の見えない瞳で明道ゆきを見据えた。


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