おっす、後藤田広樹っす。無事退院しました。親父の腰も治ったので本日より営業再開となります。
それから暫くは溜まっていた仕事や先延ばしにしてしまった駆除の案件を片付ける事に忙殺され、気付けば2週間近い日々が過ぎ去っていた。あれ以来、鎮守府からの依頼は無い。まぁそう何度も何度も呼び出されるようじゃ、あそこは害虫の王国である。こっちとしては売り上げに繋がるし美味しい甘味を味わえるチャンスでもあるから嬉しいが、そっちばっかりしてられないのが零細企業の辛い所だ。
今日の店番はお袋。親父と俺は車か徒歩の訪問駆除や見積もり、実状調査や営業を当番制でこなす。今日は俺が足で営業に行く日だ。朝起きて身支度を済ませ、親父とのトイレ争奪戦で勝ったり負けたりしたら仕事が始まる。最初の行き先は数百メートルで行ける距離の隣町にある会社だ。
「失礼致します。昨日にお電話を頂きました後藤田プロテクトクリーンと申しますが」
「あー、お待ちしてました。どうぞこちらへ」
初老の男性が出迎えた。オフィスは机が10個も入らない小さな会社だ。壁は書類の棚で埋め尽くされている。
「申し遅れました。当社の取締役をしております井口です」
2日前にここから電話があった。一ヶ月ほど前にGが出現し、くん煙剤や毒エサを撒いているにも関わらず数が減らないとの相談である。こういうのは直接目で見た方が分かりやすいので訪問と相成った。
「後藤田です。よろしくお願い致します」
名刺交換をして現場へと向かった。場所は奥まった所にある給湯室。換気扇はあるが窓は無い。そして生ごみのにおいがした。
「餌の設置からどれぐらいの時間が経ってますか」
「一か月ぐらいだと思うんですがね、効果があるんだかないんだか。あ、今そこに居ますね」
シンクと冷蔵庫の隙間に何かが飛び込んでいった。見間違う筈がない。奴らだ。
「では色々と調べてみます。業務の方にお戻り頂いて大丈夫ですよ」
「よろしくお願いします」
こんな感じで仕事をしている。別に面白くないでしょ?
(ああ……間宮さんの羊羹が食いたい)
先日の騒動で、提督さんからお詫びと見舞いを兼ねた菓子折りが届いた。とても丁寧に包装された箱を紐解くと、美しく輝く【間宮謹製】と書かれた羊羹が収められていたのである。この前に食べた団子と同じ小豆を使っているらしく、1口含んだだけで芳醇な甘みが広がっていった。ここ最近のおやつはとても贅沢な時間となっている。
(そういやもう半分食っちまったなぁ……少し節約するか)
そんな事を思いながらシンクの下を開けた。お茶菓子やら食器やらが詰まっている。そして、片隅に散乱する黒くて小さな粒が目に留まった。
(あー……これは間違いなく排泄物)
さらに奥へ分け入ると、チョコの欠片か何かのような黒くて丸い物を発見。しかしそいつは、誤って口にしようものなら大惨事を招くブツだ。そう、これは奴等の卵である。
(……やりたい放題って訳か)
すでにここは連中の巣窟だ。よーく見ると、チョコよりは小さいが米粒よりは大きい物もある。これは2種のゴキさんが存在している証拠だった。
(長期戦だなこりゃ)
取りあえず日付を選んで貰って業務を止めた状態で薬剤散布が妥当な所だろう。その前にもやる事は多そうだ。オフィスまで戻ってクライアントと話を進める。
「どんな感じでしょう」
「非常に手強いですね。申し訳ありませんが今日明日でどうにかなる状況ではございません。こちらとしましては、御社の業務を一旦停止させた状態で薬剤等の散布を行うのが宜しいかと思います」
「そ、そんなに手強いんですか」
「あまり詳細に申し上げますと気分を悪くされると思いますので、噛み砕いて御説明します。二種類の種族がお互いに勢力を広めあっている状態と言えば想像し易いかと思います。しかも片方は小さくて数が多く、繁殖力も尋常ではありません」
その後、一斉駆除の日程について打ち合わせが続いた。その前に生ごみの移動や風通しをよくする事を指示し、可能な限り事前に数を減らす努力をして貰った。サービスとして、民生品だがいわゆる撃退用のスプレーも3つばかり贈与する。思ったよりも時間を食ったので一度帰宅した。昼飯である。
「たでーまぁ」
「さっさと食べて次行っといで。何軒ぐらい回ったの」
「まだ1軒だよ。かなり手強い状態で時間食っちまった」
テーブルに置かれた昼食を腹に収め、お茶を飲んで一息ついた。間宮さんの羊羹は後でお楽しみに取っておく。午後の営業再開だ。
「お世話になっております、後藤田プロテクトクリーンです」
「後藤田プロテクトクリーンです。機材の点検に伺いました」
「失礼致します。後藤田プロテクトクリーンと申しますが、事務の宮岡様はいらっしゃいますでしょうか」
そんなこんなで夕方になった。歩き回ったお陰で足が痛い。明日は親父が何と言おうが車を使わせて貰おう。家の引き戸を開けると、見慣れない靴が4つばかり並んでいた。そして甲高い笑い声が聞こえる。町内会のおばさんたちのようだ。
(あの人たち苦手なんだよなぁ~)
そう思いながらソロリソロリと廊下を歩いて自室へ向かうが、おばちゃんたちの対人探知能力は正にGと肩を並べるほど尋常ではなかった。
「あら広樹ちゃん!暫くね!」
「やだ広樹ちゃん大きくなって!」
「まーまー広樹ちゃん!最近見ないけど元気!?」
「ちょっと広樹ちゃん!いつになったらうちの水回りにネズミ用の罠仕掛けに来てくれんのよ!」
ギャー見つかったー! そしてお袋も現れる。
「広樹、アンタこんないい羊羹どこで買ったのよ」
聞きたくない言葉と考えたくない未来が見えた。俺の羊羹が…
「アー……モライモノデス」
「何てお店?何所にあるの?」
「イッパンジンハフダンタチイレナイトコロノオミセデス」
「……何でそんな片言なのよ」
「ナンデデショウネ」
ああ……羊羹…… ちくせう
その後、お袋に対する俺の冷戦は水面下で半月ばかり続いた。家庭内不和を起こさないレベルの小さなサボタージュを繰り返す。いい歳して何をと思ったが、さすがに許せなかった。そんな折、久しぶりに提督さんから依頼が飛び込んだ。
「すいません。どうもネズミらしき生物が居るようでして、何かのついでとかで良いので一度見に来て頂けませんか」
「分かりました、今は何も案件が無いのでこれからお伺いします」
車は親父が使ってるから自転車で行く事にした。店から鎮守府までは少し距離がある。町と鎮守府の間には小さな山があり、その山のトンネルを抜けると高台になっていて、そこからは海と鎮守府が一望出来るのだ。ここから見える景色が俺は好きだった。
「……どれ、行きましょうかね」
風を切りながら坂道を一気に下るのがとても気持ちよかった。頭が切り替わったようで、羊羹の件に関するわだかまりのような物が消えていくのを感じる。今度は名前と『要確認』とか張り紙をしておこう。そうすれば事故は防げる……といいなぁ
(広樹です、自分用の小さい冷蔵庫を買おうか悩んでます)
ストックが尽きました
次回は気長にお待ち下さい