広樹です。県庁に来ています。特定外来生物の講習会が開かれており、農業や林業を営む人々や、狩猟免許を持つ人へも案内が来ました。まだまだ一歩踏み出したばかりの人間としては、こういうのに出ておいた方が良いかと思ったので参加しています。
「えー、このように、現在我が国に入り込んでいる特定外来生物は多岐に渡っております。農林水産省のまとめによりますと、昨年度のみならず、継続的に被害が起きているのは以下の通りです」
まず1つ目はアライグマだそうだ。これについては都市部でも被害が出ており、東京都内でも実害が発生しているらしい。環境に適応してしまうとは恐ろしい連中だ。
そして2つ目はヌートリア。ビーバーみたいな外見で、水辺に住み付いているらしい。京都や大阪に多く、西日本に生息域を広げつつあるそうだ。
「では、一旦休憩に致します。午後の部では猪やハクビシン等に対する農作物への防除についてが主な内容となりますので、参加を希望されない方は受付に参加票を返却してお帰りになって構いません」
うーん、午後の部は取りあえずいいか。農作物の防除に関しては農家さんの領分だから、あんまり業者に頼む事もなさそうだ。
ってな訳で、参加票を返却して帰路についた。車に乗り込んで電源を切っていた携帯を復活させると、親父から着信が入っていたので折り返す。
「もしもし」
『おぉ広樹、やったぞ。さっき通知が来てな、俺も受かったんだ』
「あー、ようやくですか。おめでとうございます」
『お前がお世話になってる猟師さんに俺も紹介してくれ。色々練習したいしな』
「山の中を歩ける体力はありますか? 中年腹のおじさん」
『ダイエットだと思えばいいんだよ。んじゃ今度一緒に連れてってくれや』
それから暫くして、親子揃って日義さんの下を訪れた。親父は死にそうな顔をしながら山を歩き、その日が終わった頃には使い物にならなくなっていた。
全身が痛くて動けない親父が店番をするようになって4日目。「鎮守府から依頼だぞー」とのたまう親父から受話器を取り上げて電話に出た。
「もしもし」
『忙しいかしら?』
おぉっと、加賀様だ。
「今日は比較的穏やかですね」
『そう。じゃあちょっと来て貰えると助かるわ。仕事を頼みたいの』
「何がありました?」
『かくかくしかじかよ』
「いやそれで分かれと言われても」
説明によると、間宮の生ゴミ等を保管している倉庫で蝿が大量発生しており、手に負えないので来て欲しいとの事だった。車に必要な物を積み込み、鎮守府を目指して走り始める。
正門でいつものやり取りして、駐車場へGOです。そこには間宮さんと、見た事のない娘が1人居ました。
「おはようございます。蝿が大量発生したと伺いましたが」
「あぁ、はい。本来であれば来て頂くほどの事ではないんでしょうけど、ちょっと私の手には厳しくて……」
間宮さんは顔色が悪かった。俺が思っている以上の事になっているらしい。
「ごめんなさい、私がしっかりしていれば」
「大丈夫、気にしないで。それより、ご挨拶しなさい」
この娘。間宮さんと随分親しげ……と言うより、信頼の深さを感じる。あれ、もしかしてこの娘は間宮さんのむs……
「伊良湖と申します。食堂やお店で、間宮さんのお手伝いをしています。よろしくお願いします」
どうなんだ。違うのか? 分からん。下手な勘繰りはしない方がいいだろう。
「後藤田です。お店には度々お邪魔しております」
「羊羹をよく注文されてますよね。あと、蓬の串団子とか」
どうしてそれを知っている。
「ダメよ伊良湖ちゃん。お客さんの注文履歴を喋ったりしちゃ」
「あ、ごめんなさい。つい」
お店に行くのを控えようと思いました。はい。
「……えーと、現場の方はお店と言う事で宜しいでしょうか」
「正確には、併設されている物置があるので、そっちになります。行きましょう」
暫し歩いた。お店の斜め後ろには、建物に隠れるような形で倉庫がある。そこがゴミ置き場になっているらしく、中で蝿が大量発生したとの事だそうだ。
「鍵は開いていますので、お願い出来ますか?」
間宮さんはお店から10mも離れた場所で足を止めてしまった。そんなに凄い量が居ると言うのだろうか……
「分かりました、お任せ下さい」
既に装備は完璧だ。全身を包む防護スーツで武装している。蝿が何匹だろうが、背中のタンクに充填された薬剤で仕留めてやろう。
「どれどれ」
倉庫のドアを開けた瞬間、黒い波が飛び出して来た。咄嗟に噴霧器を構えて薬剤を噴き掛けるが、焼け石に水だった。
「ええいくそ!」
噴霧器を振り回して距離を取る。5mも下がれば流石に追って来なかったが、倉庫のドア周辺は未だ敵の勢力化にある。地面には無数の死骸が散乱していた。
「またえらい数ですねこりゃ!」
「だ、大丈夫ですか?」
「取りあえずは!」
うーん、これは人手が欲しい所だ。しかし助けを求めるにはまだ早い。もう少し頑張って見よう。
「も、もう1度行くか」
薬剤を噴き掛けながら近付いて行く。蝿がパタパタと落ちていくも、目に見えて数が減っているようには感じられない。何だってこんなに増えやがったのだろう。
同じような行動を何度か繰り返し、ちょっとずつ蝿の数を減らしていった。間宮さんは引き攣った顔でその光景を眺めている。そりゃこんだけの蝿が居ればそんな顔になるでしょうね。
「あ、マジか」
薬剤が切れてしまった。これだけの量を撒くとは思わなかったので、予備のタンクは車の中だ。取りに行かねばならない。
「すいません、ちょっと補充して来ます。もし蝿が近付いて来たら、これを噴き掛けながら距離を取って下さい」
2人に新商品の「殺虫スプレーZZ」を手渡した。これは試供品だった小型殺虫スプレーがついに商品化された物である。2秒噴射すれば従来品の5秒に匹敵する威力だ。
「は、早く戻って来て下さいね」
「勿論です。それでは」
不安げな間宮さんも中々こう、あれね。グッと来るものがありますね。バカな事を考えてないで駐車場に急ぎましょう。
重い装備を抱えて駐車場まで戻って来た。車に近付いた所で、私服姿の長身美女2人と鉢合わせる。
「おや、暫くだな」
「ご無沙汰しております」
大和型のお2人でした。街から帰って来た所らしい。
「お久しぶりです。何所か行かれてたんですか?」
「大和が動物を触りたいと言うのでな。丁度そういう催しが開かれていたから、2人で行って来たんだ」
「ウサギさん、温かくてフワフワでした。キツネさんも人懐っこくて可愛かったです」
大和は笑みを浮かべてそう話した。あぁ、そう言えば移動動物園が来るとか町内会で聞いた気がする。場所は知らんかったけど。
「その格好、何か仕事か」
「実は間宮さんのお店で、生ゴミ保管用倉庫に蝿が大量発生しまして」
「は、蝿ですか?」
「さっきまで作業していたんですが、タンクの殺虫剤が切れてしまったので補給に来たんですよ」
「ふむ、また殺虫剤が切れて戻って来るようでは手間だな。大和よ」
「分かったわ。この前のお礼をしなくちゃね」
そう言うと2人は、車に積んであるタンクを見やった。え、それ薬剤がMAXで入った状態で10キロぐらいあるんですけど……
「……本気ですか?」
「大和型の力、お見せします」
「このぐらいの物、朝飯前には程遠いさ」
車に積んであった4つのタンクを、2人は2個ずつ軽々と手に取った。まぁ炊事場のクソ重そうな業務用冷蔵庫を2人で持ち上げていた時点で、こんなのは重い内に入らないんでしょうねぇ。
「では参ろうか」
「これぐらい、どうって事ありませんよ」
「は、はぁ」
何だか申し訳ない気分になりつつ、3人で間宮さんの所まで戻って来た。急いで殺虫剤を詰め替えて作業を続ける。
「伊良湖よ、あそこはいつも施錠してあった筈だな」
「は、はい。正確には、回し金具の鍵で仮閉めしてるだけなんですけど……」
「それが最近、誰かが勝手に開けてる事があるらしいんです。それだけじゃなく、中のゴミが荒らされてる事もあるんですよ。私たち以外であそこに用がある人なんて居ないでしょうに」
「本当ですか?」
「もっと早く南京錠を用意していればこんな事には……」
「いや。ここ最近の暑さで、どっちにしろ入り込んだ蝿も遅かれ早かれこうなっていたさ。だが、もう少し早く違和感に気付くべきだったな」
何だか気になる会話が聞こえる。もしかすると野生動物が絡んでいる可能性があるな。いや、今はこっちに集中しよう。それを調べるのは後でいい。
何十分が経過しただろうか。徒労感を覚えつつも、後一歩の所までやって来た。既にタンクは1つが空になり、2つ目も半分になろうかと言う状況である。気付けばギャラリーも増えていた。
「いつでも手伝うっぽーい」
「殺虫スプレーないの? あれば手伝うのに」
「業務用の殺虫剤が漂ってる所にゴーグルもマスクもなしに近付いちゃダメだよ2人共」
白露&夕立を窘める時雨嬢の発言は的確だ。市販品でさえ目鼻口に入れば病院沙汰になりかねないし、入院だって有り得る。
「もう少しだからあんまり近付かないでくれな」
「みんなー、もっと後ろに下がって」
「見世物ではないぞ。持ち場へ戻るがいい」
大和と武蔵が人払いしてくれたお陰でやり易くなった。その後、ようやく倉庫の中まで足を踏み入れるに至る。
「うわ、ポリバケツが倒れてる。中は蛆だらけだな」
生ゴミが床に散乱しており、白くて小さい幼虫が大量に見えた。これ等の全てに薬剤を噴き掛けて除去していく。倉庫の中を飛び回ってる蝿も排除する事が出来た。
「よーし、完璧だ。戻って報告報告」
倉庫から出て間宮さんの所へやって来た。フェイスガードを取り外して新鮮な空気を吸い込む。
「お待たせしました。蝿は成虫幼虫を含めて全て駆除しました。倉庫の中の薬剤は1時間もすれば薄れますので、それまでは近付かないで下さい。中の死骸と生ゴミの回収はその後に行います」
「ありがとうございます。お部屋を用意しましたので、少しお休みになって下さい」
有難い事である。司令部棟の客間に通され、そこで30~40分ばかり横になった。
防護スーツを片付けて現場に戻ると、外にある死骸は一箇所に纏められてあった。誰かが集めてくれたようだ。店の中に入って間宮さんに声を掛ける。
「すいません、戻りました。どなたか蝿を集めて頂いたようで」
「伊良湖ちゃんがやってくれました。タンクの方は大和さんと武蔵さんが車に運んでくれていますよ」
「あぁ、それは申し訳ない事を。後でお礼に伺います。では残りはやっておきますので」
車まで一旦戻り、掃除機とゴミ袋を持って再び倉庫を前にした。まず蝿の死骸を全て吸い取り、中の蛆入り生ゴミを回収。念のため他のゴミにも蛆が発生していないか調べるが、倉庫の中にあるポリバケツ10個の内、倒れていたのを含めて4つが原因のようだった。
「さてと、じゃあ犯人について調べてみますか」
倉庫の周りをよーく観察する。特に変わった物は確認出来ないが、倉庫は地面がむき出しになっている部分に置かれていた。そこの土の部分に、不自然な足跡を見つける。
「……これは」
縦に細長い足跡がある。指も5本あるのが分かった。そして、倉庫の鍵となる回し金具の周辺には、引っ掻いたような細かい傷が僅かに残っていた。
「…………また厄介なのが居るらしいなこれ」
県庁の講習会を思い出した。動物の中には、鍵を開けたり壊したりして中に入り込み、エサを奪うヤツも居るそうだ。そう、ヤツの名は……
「アライグマ……か?」
姿形の見えない新たな敵の出現に、俺は気が遠くなるのを感じた。コイツと事を構えるのは土竜の件が終わってからの方が良いだろう。取りあえず間宮さんにその事を話し、南京錠での施錠と可能であれば隠しカメラの設置を進言。犯人が本当にアライグマなのかをまず調べ、もしそうなら敷地内全体で施錠の強化をして貰い、遠回しに追い出せないかを画策した。
それでも無理ならまぁ……戦うしかないか。
次回、土竜の続きとなります。
また暫くお待ち下さい。