広樹です。シェーバーを足の小指にピンポイントで落として朝から唸る羽目になりました。
「……何をやってんだ俺は」
「ちょっと早く朝ご飯食べなさい片付かないでしょー」
「あ、はい。すんません」
茶の間から母親の声がしたのでさっさと髭を剃って朝飯を食べた。朝飯より前に髭を剃りたい派の人間なんです。申し訳ありません。
まぁそんな事は置いといて昨年に開発工廠でハイイロゴケグモが蔓延った件からまだ1年ではないけど、大体近い所まで来た。もし今の段階で生き残りが居ればもう1回か2回ぐらい大規模なお掃除作戦が必要だがその見極めのため鎮守府へ向かう。
ちょっと前からやり時を探っていた案件でもあった。変に気温が上がってからだとまた増殖の機会を与えてしまうし。
「えーと、2ヶ所回って日義さんの所に行って……鎮守府は午後だな」
一応は見るだけの予定だけどもしこの段階で生きているのが居れば総数の特定はしなければいけないが果たして……
始業開始。予定通り2ヶ所回った後に車を日義さんの家に向けた。場所は山沿いの道にある開けた土地だ。昔ながらの大きな日本家屋。家に着くまでのあぜ道がそこそこ長くて左右には田畑が広がっている。
「ごめんくださーい」
「あぁ、いらっしゃい。どうぞ」
「お邪魔します」
いつもにこやかな奥さんに出迎えられて家の中に入る。日義さんは奥の部屋で新聞を読んでいた。
「おはようございます」
「おう。何の足跡だって?」
「可能ならそれを特定して頂きたくて参りました」
ノートPCを立ち上げて撮影した画像データを見せる。
「……砂の上か。時間が経ったのと風で形が崩れちまってる」
「ええ。自分には犬っぽく見えるんですけど」
「アナグマも出たんだったか。これじゃ見ようと思えばなんにでも見えるな」
確かにそうだ。花壇周辺は砂が多い。乾いた場所の足跡は湿った土よりも長く持たないのだ。
「ちょいと難しいぞこれは。もう少し時間が経っていないやつならまだ分かるかもしれんが」
「やっぱそうですか」
うーん。やはり探し回るしかないのか。じゃなけりゃ連絡網で見掛けたらでいいから写真を撮って送って欲しいと頼むかな。
「実害は出てんのか」
「いえ、今は何も」
「時間があるなら溜め糞を探すのも手だ。同じ場所で用を足す習性がある動物ってのは日本に多い。何の動物かは姿を見るまで特定出来んが、逆にそこへカメラを仕掛けりゃ一発で分かる」
「なるほど。足跡を追うより早いですね」
いい事を聞いた。どこかのタイミングでやって見るとしよう。
その後、奥さんからお昼を一緒にと誘われたのでご馳走になった。少し休んで本日のメインイベントをこなしに鎮守府へ。
正門でお馴染みのやり取りが終わったら司令部棟に車を横付けして中に入る。執務室にやって来た。
「失礼します」
「どうぞ」
今日は大淀さんが居た。ちょっと久しぶりだ。開発工廠に行くための許可証を貰う。
「お疲れ様です。港湾施設の立ち入り許可証です」
「ありがとうございます」
「先導を呼びますので少しお待ち下さい」
提督さんが内線を掛ける。それから5分後。ドアがノックされ、1人の艦娘が姿を現した。
「軽巡矢矧。参りました」
うわ、美人。滅茶苦茶スタイル良い。
「ご苦労。通達していた通り、先導役を頼む」
「了解。これより開発工廠へ向かいます」
「で、阿賀野の件で既に知っているだろうが、後藤田さんだ」
キリッとした表情が少しだけ崩れ、気まずそうな顔になった。いや別にあれはもう終わった案件だし経過観察もしてるけど再出現してないから多分もう大丈夫だと思う。
「……阿賀野型3番艦、矢矧と申します。姉が多大なご迷惑を」
綺麗な角度のお辞儀である。しかしこの人も妹か。どっちかって言うと姉っぽいが。
「いやー……仕事ですから気にしないで貰って」
「2度とあのような事態は起こさせません」
怒りで震えている? まぁ肩身の狭い思いをされた事でしょう……
「最近、お姉さんの方は見掛けませんけども」
「寮に居る時間が長くならないよう定期的に遠出させています」
ゴミが溜まるのを避けるためか。まぁチャバネ―ルが付け込む隙を無くすのはいい事だ。
「……ではそろそろ」
「はい。ご案内します」
連れられて開発工廠へ向かう。アナグマの時に近くまでは行ったけど、暫定的に最後となったあの作業日以降は中を見ていない。特に話を持ち掛けられる事もなかったので問題ない。筈だ。
「改二乙? そんなのもあるんですか」
「様々な条件に対応が出来る改装と聞いています。ただ、使える物が多くなったせいで覚えるのが大変で……」
お姉さんと服装が違うのが気になったので少し聞いて見たら特殊な改装を受けていたようだ。しかも聞いた事ないバージョンで改二の後に乙がついている。磯浜の乙とはまた違うらしい。恐らくこの程度であれば聞いても大丈夫だろう。
「間もなく港湾施設の区画です。許可証の方を」
「ああ、そうですね」
ストラップの立ち入り許可証を首から下げる。さて、伊勢さんの話では定期的にあれこれしてるらしいがどんなもんか……
風が強くなった。目の前に広がる青い海と潮の香を感じつつ開発工廠を前にする。そして見知らぬ艦娘が2人。
「能代姉、お待たせ」
「もう開けて貰ったから後は見るだけね」
「んー、ちょっと怖いかも」
「大丈夫よ酒匂」
え? 能代って聞こえた? 前に見た時と服が違うぞ。
「どうもー」
「あ、お久しぶりです。覚えてますか?」
「…………1度、店に来ましたよね?」
「はい。改めまして、能代改二です。よろしくお願いします」
あの時は私服だったんだなぁ。それにしてもだが、2人とも防御力の高い恰好をしてらっしゃる。矢矧さんの脚はちょっと目に毒だけどこれぐらいが俺は好み……何言ってんでしょうね。
「えーと……阿賀野型4番艦、末っ子の酒匂です。寮の事はありがとうございました」
「後藤田です。害虫害獣駆除をしております」
上3人と比べるとなんか控えめな感じだ。気のせいか?
「私たちもここに居た蜘蛛の画像は持ってますから、判別ぐらいは出来ると思います」
そう言う能代の右手にはクリアファイルがある。そこに印刷した画像が入っているようだ。
「お腹が丸い感じだったわね」
「全長が1cmちょっとなんてちっちゃいの見つけにくそう」
「もしも見つけたら呼んで下さい。それと絶対触らないようにお願いします」
中へ踏み込んだ。闇雲に始めると何所を見たか分からなくなるので最初は壁に沿ってどちらかに進むのがいいだろうか。
「右回りに固まって移動しましょう。分散すれば時短ですけどもその分で探す力が落ちます」
異論は無いようなのでゆっくり進む。隙間、物陰、裏側、下を丁寧に見て行った。
「えっと、これって何の蜘蛛ですか?」
陸地側の角。機械が壁に面している薄暗い所の下を見ていた酒匂が何か見つけた。
「見ますね」
しゃがみ込んでペンライトで照らす。確かに蜘蛛が居た。しかし体がとても細長い。
「……イエユウレイグモですねこれは。何も害はありません」
「あ、良かったぁ……」
こういう角の所に不規則な形の巣を作るのが特徴。よくある"蜘蛛の巣"みたいな感じではないからある程度は判別しやすい。
「えーと、他に見ましたか?」
「何も居ませんね」
「こっちも」
再び前進する。最初の角までやって来た。
「あら、床を小さい蜘蛛が歩いてる」
「え、小さい?」
今度は矢矧が蜘蛛を見つけた。小さいと聞いて微妙に距離を取り始める酒匂。
「ちょっと失礼しますよ」
またもやしゃがんで正体を探る。小さい成りに立派な太い脚。アシダカっぽく見えるかも知れないがコイツはコモリグモだ。その多くは巣を持たない徘徊性である。
「違いますね。外に居る事が多いやつです。餌を探して入り込んだんでしょう。毒はあるんですけど凄く弱い上に噛まれる事も滅多にないので大丈夫です」
「……滅多にと言うのは例えば小数点以下の確率で噛まれる可能性が?」
「意図的に触って怒らせたりした時ですね。危害を加えなければ問題ないです」
「なるほど。ちょっと勉強になったわ」
「こういうのって図鑑とかだけだと接し方なんて分かりませんよね」
「んー、私は図鑑だけでいいかなぁ」
末っ子は何となくだが消極的なご様子。まぁ自分から触りに行こうなんて思う女性はそんなに居ないでしょう。
幾らかは居るかも知れないけど……
「では進みましょうか」
その後、次の角まで何事もなく進行。今から海側に面した部分を進む。
「……波の音がしますね」
作業日は大勢の動き回る音や話し声で分からなかったが、耳を澄ますと岸壁か何かに波が当たる音がする。不思議と心地いい。
「壁1枚向こうは海ですからね。塩害があるので柔な作りではないと思いますけど」
「前に裏で誰か魚釣りしてたのを見たわ」
「七駆の子たちだよ。前に釣った魚を見せて貰ったけど何だったか忘れちゃった」
えーと、七駆と言うと確かチラッと聞いた事があるな。連絡網に居る漣氏といつも冷静な感じがする朧、しっかり者の曙、一部分が駆逐艦詐欺の潮たちだったかな?
「釣りですか、自分は子供の頃に港でやったきりですね。名前も分からないようなのばかり釣った記憶がありますよ」
隣で釣り糸を垂らしていたおじさんがヒトデを釣り上げてリリースしたらまたヒトデを釣ってしまい、苦笑いしながらポイントを変えに立ち去ったのを覚えている。もしかして同じヒトデだった? さすがにそれはないか。
男の趣味と言えば釣りがランクインするだろうが、うちの親父は堪え性が無いのかはまらなかった。ハチ駆除専門の先輩方は好きらしく、諸々を借りて一緒に行った事が何回かある。
「私はああやってじっとしてるのはどうにも合わないかしら」
「釣れれば楽しいけど釣れなかったら寝ちゃいそう」
「1回ぐらいやって見たい気もするかな~」
能代さんはちょっと興味があるようだ。下の2人はいまいちらしい。
気づけば次の角に来ていた。ここまでは異常なし。海側から陸側に向けて歩き、最後の角に到達。そのまま入り口に戻った。
「……取りあえず居ませんね」
「じゃあ内側を見に行きましょう」
まだ油断は出来ない。次は工作機械で埋め尽くされた中心部を見に行く。
「酒匂、離れないようにね」
「はーい」
「能代姉、頭の上も要注意よ」
ぶっちゃけここからが1番つらい。さっきのは極端に言うと壁がある分で180度、角の所は270度方向を気にしなくていいのだ。次は360度を見ないといけないから面倒になる。
(生き残っていませんように。生き残っていませんように)
なんて願いながら進む。天井部分の確認は後で映像を見せて貰おう。その辺は今日が終わってから調整すればいい。
そんな事に意識を引っ張られた瞬間、額が硬いものに当たった。ゴツッなんて音がする。当たった場所を押さえて思わずしゃがみ込んでしまった。
「……ってぇ~」
「大丈夫ですか!」
「下の方ばかり気にしてました……」
何かの操作パネルに当たったようだ。そんな角ばってなくてもいいじゃないか畜生。
「あぁ~、ここ痛そうな形してる」
「切れたりしてないわよね」
「ちょっと見せて下さい!」
「あ、いやそこまで」
抑えていた手が退かされて綺麗な指が額に触れる。同時に視界が大きな物体に支配された。
(……どこ見ていいのか分からん)
「えーと、血は出てませんね」
「あとで腫れて来るかも」
「冷やした方がいいわ、一旦出ましょう」
朝から踏んだり蹴ったりである。後でもう1度中へ入らせて貰い、再確認を行ったが生き残りは見つからなかった。別日に天井の映像も夕張さんに見せて貰うが結果は同じ。これで開発工廠の件はお終いと考えていい。
まぁチャバネ―ル同様に経過は要確認ではあるが、これでまた肩の荷が1つ下りた。
(広樹です。ぶつかった所は少し腫れました。現場からは以上です)
確認に来たついでに戦艦寮裏に仕掛けたカメラの映像をチェックする。しかしこちらは残念ながら何も映っていなかった。助言通り溜め糞を探してみるべきだろうか……
閑話 あるんだかないんだか分からない設定集6
日義さん
年齢70代半ば。若い頃は農家と猟師を兼業していたが農業は自分の子供らに託して今は猟師一本。ハチ駆除専門の4人組と同じ地域に住んでおり、広樹が罠猟の免許を取った事で経験値を得るために紹介して貰った狩猟の師匠。自身の体が動く内に広樹をクマ猟へ連れていくつもりでいる。
追記
酒匂、つい最近に着任したように書きましたが、初期の時点から居た設定でした。すっかり忘れてましたので改稿しております。ご了承下さい。