「ピカったら。グリーンさんがいないからって好き放題し過ぎだよ」
『逆に考えるんだ。オレが彼らを鍛えてあげたのだと』
「もう! そんなこと言うとご飯抜きなんだからね!」
「ピカチュウ~」
トキワジムの前でイエローはレッドのピカに怒鳴りつけるが、その本人はこれといって反省もしておらず、器用に口笛を吹いていた。
そんなピカにイエローは肩を落としつつ、彼女にもう一匹のピカチュウ──チュチュがおやであるイエローを励ましている。
イエローは後ろにあるトキワジムを見上げた。
かれこれここの主であるグリーンがいなくなって数日は経っていた。
その理由は知っていて、オーキド博士に呼ばれてポケモン図鑑のバージョンアップでマサラタウンに行っているからだ。
その割にはすぐにジムに戻ってくることはなく、同じくリーフやブルーからの連絡もなかった。
「みんなどこにいったんだろね」
『なにかが起きてるんだって言ってるじゃないピカ』
『けど、カントーでは何も起きてないよ』
チュチュが言うと、ピカは真面目な顔をして言い返した。
『いや、起きてる』
「それは信じるよ? グリーンさん達は戻らないし、ナツメさんとも連絡が取れないから。でも、ピカの言葉を信じてずーっとここで待機してるけど、なにも起きないから疑いたくもなるよ」
『ほんとうだって。勘だけど、なにか起こるんだって!』
「だからといって、グリーンさんがいないジムにトレーニングしに行くのはダメだよ」
グリーンさんは不在の間でもジムを開けていた。代わりに彼が育てたポケモンたちが相手をして、勝てたらジムバッジを進呈するという仕組みになっている。
興味本位でチュチュで挑んでみれば、一匹も倒せずに敗北。まあ、ボクはバトルは得意じゃないから仕方ないんだもん、とイエローはそう言い聞かせることで敗北を受け入れていた。
『止めないイエローだってよくないわ』
「ボクがピカを止められる訳ないよぉ……」
『オレを止められるのはレッドだけだから仕方ないピカねぇ』
「前々から言おうと思ってたけど」
『?』
「語尾にピカってつけても、かわいくはならないよ」
『い、イエローも言うようになったピカねぇ……』
『ねえピカ。わたしも同じ意見よ』
『……れ、レッドは面白いっていってくれたし……』
「はあ。レッドさんの感覚ってどこかズレてるんだよね……好きな人にこんなこと言いたくはないけど」
イエローがそう感じるのも仕方ないことだった。そもそもレッドはこの世界の住人ではないため、彼女達とは少し価値観が違うのだ。
だからこそあのダサTシャツであり、変な言葉もたまに口走るのだ。
『でも、レッドさんの筋肉は?』
「いいよね。レッドさんの上腕二頭筋……またぶら下がりたいなあ」
恍惚とした目をしながら言うイエローには、さすがのピカとチュチュも慣れてはいるものの、どうしても一歩後ろに下がってしまう。
俗にいう筋肉フェチ(本人は否定している)であるイエローであるが、実際彼女も筋トレをしているかといえばしてない。体力をつけるためにランニングなどはしても、筋肉をつけるトレーニングは一切していないのだ。
『レッドさんいつになったら帰ってくるだろうね』
チュチュが言った。
『レッドのことだからその内帰ってくるよ』
と、ピカが特にこれといって心配している素振りなど見せずに言う。
イエローはそれが羨ましかった。
ポケモンの声が聞こえるからこそ、彼らの本音というものも見えるからだ。心配をしていないのは信頼の現れであり、それはピカをはじめこちらに残っている彼のポケモン達は「なにしてるんだろうね~」みたいなことは言っても、安否について口に出ることはない。
「たしかにレッドさんのことだから、その内帰ってくるのは間違いないけど……やっぱり、会いたいよ」
好きな人だからというだけではない。自分や他の人達にとってもかけがえのない人だから尚更だ。人は互いに触れ合い、会話して、そうやって小さいながらも記憶というのは積み重なっていく。だけど、一週間や一か月ならともかく数年単位で会えないとなると、大好きな人だからなんでも覚えているわけではない。
少しずつ……ほんの少しずつ忘れていってしまう。レッドさんの声だってそう。あの人の笑顔だって靄がかかってしまう。
イエローは、怖かった。このまま会えなかったら、いつか彼のことを忘れてしまうのではないか。こんな風にあの人を心配したり、会話の話題にしたりしなくなるのではないか。自分の中から彼の存在そのものが消えてしまうことが、一番恐ろしかった。
『大丈夫。レッドはかならず帰ってくる』
『ピカの言う通りよイエロー。だから、帰ってきたらいっぱいあまえればいいんだよ!』
「うん。レッドさんが帰ってきたらたくさんあまえるよ。あれ? あの人は、たしか……」
トキワジムの正面前の通りの少し先の坂の上に、イエローは見覚えのある少年とその周りにいるポケモン達を見つけた。
特に目につくのは赤いギャラドス。次にジョウトの御三家と言われているワニノコの最終進化であるオーダイル。
それに少年が来ている黒い服とその赤い髪の毛は、先のポケモンのこともあり知っている人だった。
たしか名前は……。
「シルバー……さん?」
名前を口に出すと、彼がブルーが幼少期に共に過ごした弟分だということも自然と思い出せた。
彼もまたこちらに気づくと、ヤミカラス以外のポケモンをボールに戻すと、ヤミカラスに掴まってこちらに飛んできた。
「お前はたしか……」
「イエローです。イエロー・デ・トキワグローブ。えーと、トキワの森のイエローって覚えてもらえばいいです」
その名を聞いて自然とポケギアに登録してあるデータと照合した。姉さんからカントーのトレーナーや身内のデータはもらっていたので、すぐに彼女のデータがあった。
師匠──ワタルと同じトキワの生まれで、彼と同じ不思議な力を持つ少女。
「……」
「な、なんでしょうか?」
「いや。なんでもない」
ポケギアとイエローを交互に見ながらシルバーは目を細め、不満気な顔をしながら素っ気ない対応をした。
彼女のことが嫌いだとか気に入らないというというわけではない。自分より背が小さく、見るからに弱そうで、それに図鑑所有者と呼ばれる者たちの中で世代でいうと上から二番目だからというのが問題というわけではない。断じてないのだ。
まあつまりシルバーは未だに認められないあるいは現実を受け入れられないのだ。
目の前にいる少女が自分より一個上の年上だということが。
「ところで、シルバーさんはどうしてここに? ブルーさんに会いにきたんですか?」
「姉さんはいまごろナナシマで両親と再会しているころだ……本当によかった」
「そうなんですね。じゃあ、ここにはどんな用事で?」
「……自分のルーツ探しさ」
「るーつ……?」
シルバーはイエローに語った。
自分はどこで生まれ育ったのか。当然親のことだって知らない。だから、仮面の男から逃げ出したあと、姉さんと共に互いの両親のことについて調べた。
その際、姉さんはオレより年長だったために僅かながらの記憶があった。それを元に地道に探し続け、故郷がマサラタウンだと知った。
対してオレは違った。姉さんよりも幼く、覚えていることなど何一つなかった。唯一身に纏っていた名前が縫われたハンカチがなければ、自分の名すら覚えていなかったからだ。
それでも、オレと姉さんには一つだけ差があった。姉さんはプリンを仮面の男から与えられたが、オレにはニューラが最初から一緒にいたのだ。
ニューラはカントーには生息しておらずジョウト地方に生息しているポケモンだ。だから、オレの生まれはジョウト地方だと思いジョウトを巡った。
だが、ジョウト全域にある町や村を巡っても、何も得られなかった。人間と違いポケモンのニューラなら覚えているかと思ったのだがそれも違っていた。
「他の地方も考えられた。オレはカントーいやこのトキワになにかヒントがあるのではないか。そう考え……来た」
「ボクも手伝います。あなたのニューラは連れ去られた時も一緒だったんでしょ? なら、この子はシルバーさんが覚えていないことだって記憶しているかもしれません」
「それは……もう試した」
「試した?」
「師匠……ワタルに見てもらった」
元四天王ワタル。彼もまたこのトキワシティで生まれでトキワの力を持つ。その力はポケモンの傷を癒し、心を読み取る力を持っている。
ワタルと共にいた際、その時にニューラの心を読んでもらったのだ。しかし結果はこの通りだ。
「ワタルは言っていた。ニューラはオレと一緒に連れ去られた時の恐怖で心に深いキズを負い、記憶に蓋をしているのだと」
「そうなんですね。でも、いまのあなた達は違うはずです。あの時、ブルーさんやみんなと一緒にシルバーさんは過去と向き合いそれに打ち勝ったんですから」
「そう……だな。たしかに、オレはもう昔とは違う」
それを聞いてシルバーは口角をあげてみせた。
昔ならば笑うことなど姉であるブルーにしか見せない。それがゴールドやクリスと出会い、旅をしてきたことで以前にもまして表情が柔らかくなったような気がする。
シルバーは再度頷いて見せてイエローに頼んだ。
その光景はワタルとほとんど同じであった。
集中と対象のイメージを投影するために目を閉じ、手を前にだすと薄い光が手に見え始める。
「……ニューラは何かを知っています」
「ほんとうか⁉」
「はい。どうやらシルバーさんの予想通り、ニューラはトキワにきて何かを思い出しつつあるようです」
イエローはニューラが思い浮かんでいるイメージを描くために持っていたスケッチブックを取り出した。その手は一度も止まることなく、ものの数分で描いてみせた。
目を閉じながら描いていた彼女が目を開くと、その目を丸くして驚いていた。
「な、なんでニューラがこれを⁉」
「お、おい!」
突然イエローは振り向いてトキワジムの方に走り出した。シルバーも一歩遅れて彼女のあとを追う。
ジムに入ると、イエローはすぐに足を止めた。
彼女の前には銅像があった。見た感じ男であるのはわかるが、肝心の顔がわからない。ちょうど左目から欠けていていたのだ。
「まさか……これなのか?」
「はい。どうしてなのかはわかりません。ですが、ニューラは間違いなくこの人を思い浮かべたんです。相当古い記憶なので、ニューラも完全に思い出したわけではないのでここまでしかボクには描けませんでした」
「いや、これだけの大きな進歩だ。で、こいつは誰なんだ?」
「……先代トキワジムのジムリーダーです」
それを聞いてシルバーは、否定や違和感を抱かなかった。むしろ、不思議と自分の父親がジムリーダーだということを納得していた。
人生を狂わせた張本人である仮面の男……ヤナギが言っていたのだ。全国から優秀な子供をホウホウに攫わせたのだと。
ならば納得がいく。ジムリーダーの子供なら、誘拐するには打って付けの人材だ。
同時にシルバーはイエローがまだ何かを隠していることに気づいた。
いや、知っているのだ。このジムリーダーの正体を。
「イエロー……おまえ、知っているんだな?」
「……はい」
「ならさっさと教えてくれ。そのためにオレはここに来たんだ」
「……サカキです」
「なに?」
「シルバーさん。あなたのお父さんは、先代トキワジムジムリーダー。そして、レッドさんのライバルにしてロケット団のボスサカキさんなんです!」
「……義兄さんの……ライバル……」
義兄さん──レッドさんのライバルと聞いて、なぜか妙な気持ちが思い浮かんだ。ロケット団のボスという事実よりも、義兄さんと関係ある人間の方が重大だった。
仮に、姉さんが義兄さんと結婚したとしたら、義兄さんはサカキのことを義父さんと呼ぶことになるのではないか。
それは、非情に申し訳ない気持ちになる。ライバルである人間を義父さんと呼ぶのは、とてもいけない気がするのだ。
そんなことを考えていると、何故か寒気がした。暖かいはずなのにいきなり寒いと感じる。ジムの冷房が効きすぎているのではないかと思ったが、意外にもそれは目の前にいたイエローから放たれていた。
それに気づくと同時に彼女が冷たい声で言った。
「──ちょっと待ってください。いま、なんて言ったんですか?」
「義兄さんだが」
「なんで、レッドさんがシルバーさんの、義兄さんになるんですか?」
「それは姉さんと結婚したら、必然的にオレの義兄さんになるからに決まっているからだ」
「……フフフ。ブルーさんはそういうことするんだ。やっぱり胸か、あんな乳袋がいいのか……!」
一言ひとこと発する度に周りの気温が下がっているのを感じる。なぜだ、彼女はこおりタイプなのかと疑いたくもなる。いや、目に光がない。これはあくタイプなのかもしれない。
「お、おい。お前なんか──」
ザーザーザー。
いい加減こんな状態では話も進まないので声をかけたその時、突風が起きたわけでもないのに背後にあったトキワの森がざわついた。
「森が……騒がしい。いったいなにが……」
「フフ……フフフ。またここが穢されようとしているんですよ……許せないっ」
「い、イエロー。お前、さっきから少し変だぞ」
しかし、イエローはそれを無視してジムの外に出ていく。後を追えばさらに木々が激しく揺れているのを見て、シルバーでさえ森が恐怖あるいは怒っているのだということに気づけた。
ゴオン。ゴオン。
さらに上空に煩い音が聞こえてきた。
上を見上げれば巨大な飛行艇が真上にいた。よく見れば飛行艇の真下にRのペイントが見えた。
「あれは……ロケット団!」
探す手間が省けた──思わず手に力が入る。
長年探し続けていた自分の故郷、そして両親のことがついに目の前にやってきた。父親がロケット団のボスだろうがいまは関係ない。直接会って真実を聞き出す。
すると、まるで自分の考えを見通しているかのように、飛行艇から小型艇がやってきた。
小型艇から長身の女と大柄男が現れて、首を垂れた。自分達にでははない。このオレに。
「お迎えにあがりましたご子息」
「サカキ本人ではないのか」
「サカキ様は上でお待ちです。そのために我らがお迎えに参りました」
「オレが用があるのはサカキ本人だ。やつを連れてこい」
「フフフ。まさにあの方のご子息です。ですが、私達はボスからあなたを連れてくるように言われたのです。それを実行するのが部下である我らの仕事。ご理解ください」
「理解できなければ、どうする」
「こちらをご所望で?」
そう言ってサキとオウカは共にモンスターボールを構えた。
ポケモンバトル──これで勝者の言うことを聞かせようと言うのだろう。むしろ、こちらの方がシルバーとしても話が早くて助かったし手っ取り早い。
こちらもボールに手を延ばそうとしたとき、後ろにいたイエローが前に出た。
「シルバーさん。ここはボクに任せてください」
「どけ、イエロー。これは、オレのもんだ──」
言いかけたところで、彼女が振り向いてみせたその冷たい表情を見て、シルバーの次の言葉は決まっていた。
「いいですね?」
「……は、はい」
シルバーは、生まれて初めて女性に恐怖というものを抱いた。
ロケット団戦闘飛空艇がトキワシティに到着したころ。
ナナシマ7の島末端にあるトレーナータワーは、その立派な建物としての形状を留めてはいなかった。
いまはバラバラになったパズルのような、つまりは瓦礫となっている。
その中心には、女性が一人肩で息をしながらまるで鬼のような形相で瓦礫となったトレーナータワーから海の向こう、カントー本土を睨んでいた。
彼女の名はナツメ。カントー地方ヤマブキシティのジムリーダー。
この惨状は、ナツメが一人でやった。
その後ろで、グリーンたちを始め救出するためにやってきたキワメとカンナもいて、ナツメの背中を見て……ドン引きしていた。
事の顛末は簡単だ。
リーフとミュウツーを送り出したあと、グリーンたちはオーキドとブルーの両親、未だに苦しむナツメを守りながらデオキシス・ディバイドの猛攻を防いでいた。一つひとつの個体の能力は大したことはない。
が、それはグリーンたちレベルのトレーナーの話であり、一般のトレーナーではこの影ですら苦戦するレベル。
その大したことのない相手が一体だけではなく、目の前に見える光景すべてを埋め尽くすほどの数となれば、話はまるで違ってくる。さらに戦えるのがグリーンとブルーだけで、最高戦力であるナツメが使い物にならないが大きな原因のひとつ。
状況が変わったのは、外からカイリューに乗ったキワメとカンナがトレーナータワーの外壁を破壊して登場してからだ。
ナツメを苦しめていた対エスパー用超音波装置は、室内の壁と外壁の間にあったのだ。その一部が破壊され、音波が弱まったことで……ナツメが類を見ない怒りを引き連れて覚醒したのだ。
そして、トレーナータワーが崩れたのは一瞬。ナツメが力を解放、ポケモンバトルにも耐えられる部屋はその役割を果たすことなく崩壊した。
あれ程いたデオキシス・ディバイドもいまは瓦礫の下だ。
「ぜぇぜぇ……女の……怒りは、怖い……のよ……あ──」
ぴゅーと頭部から血を流してナツメは横に倒れた。それを見たカンナが慌てて駆け寄る。
「奥様ぁぁぁ!!」
超音波によって苦しめられて解放できなかった力を一気に解き放ったこととも相まって、頭の中に流れる血管の一部がきれたのだ。
「のうブルー。お前さんはあれをどう見た?」
「そうねえ。7:3ってところかしら」
「どういう意味だ」
キワメとブルーの話についていけないグリーンが訊いた。
「7がレッドに対しての怒り。残りがロケット団……まあサカキってところかな」
「聞いたオレが馬鹿だった」
「グリーンも若いのぉ。つまりだ。恋する女は怖いということじゃ。お前さんも気を付けておくといい」
「レッドも帰ってきたらたいへんよね~。ナツメでこれなら、みんなとなればもっと酷いかも」
「他人事のようにいうな」
「あら。あたしはあそこまでじゃないもの。まあ、怒ってないっていったらうそだけどね」
「で、これからどうするんじゃ? ナツメは──」
キワメがナツメの方に向くと、「ち、ちが……」とうめき声をあげながら、「奥様ぁぁぁ!!」と未だに彼女の体を振り回すカンナが。
「あんな状態だしのう」
「テレポートは無理だ。シーギャロップ号でカントーに戻るしかない」
「決まりね。ほら、カンナ! ふざけてないで船に戻るわよ!」
ブルーの声にカンナは、ピタッと動きを止めた。いったいどこから出したのか医療キットを取り出すと、ナツメに応急処置をテキパキとしてみせた。
つまり、あわよくば……ということなのだろう。
二人をよそにキワメを先頭にオーキドとブルーの両親の少し後ろを、グリーンとブルーが近くに停泊したシーギャロップ号に向けて歩き始めた。
ふと、ブルーが足を止め、カントーの本土を方を向いた。
「リーフ……大丈夫かしら」
「心配ではある。が、オレの妹だ。信じている」
「あたしも信じてるわ。それに、レッドのことも」
「くると思うか?」
「くるわ。こなかったらレッドじゃないもの」
「ふっ。それもそうだ」
互い笑みを浮かべ、どうしようもない幼馴染の帰還を信じる二人の後ろで、ナツメを背負いながらカンナも続いて歩いていたが、
「かんなぁ……おぼえて、なさいよぉ……」
「オホホ。なんのことやら」
少し経って、シーギャロップ号はトレーナータワーを後にしカントー本土へと向う。
同時にこのナナシマ全土における戦いは皮肉にもおわりを告げた。
太陽の戦士サンレッドRX
「原点 前編」
「やーい親なしレッド~!」
「ほら、これでもくれてやるよ!」
「でたー! あっくんのイシツブテ投げだー!」
そう言って投げてきたのは、大きな石……ではなく、ポケモンのイシツブテだった。子供ながらその肩は見事なもので、重さ20キロはあるであろうイシツブテを片手で掴むと、平然としながらイシツブテを投げて見せた。
だからといって、野球選手のようにとんでもない速さではない。むしろ、簡単に避けられるぐらいだ。
しかしそれを少年──レッドは避けることなど一切せず、ただそれを受け入れた。
イシツブテはレッドの頭部に当たり、その際少し体がぐらつくが倒れることはなく、役目を終えたイシツブテは地面に落ちた。
「っ……!」
痛くないはずがない。声をあげたいに決まってる。それでも彼は我慢した。
なぜ? と人は問うだろう。
答えは簡単で、一々子供の相手などしてやる道理などないからだ。たとえ自分が彼らと同じ子供でもあってもだ。
それでも何もしないわけではなく、鏡はないので自信はないが精いっぱいの悪い顔をイメージして、目の前にる彼らを睨んだ。
──レッドのにらみつける!
「ふ、ふん。レッドのくせになまいきなんだよ」
「ほら、いこうぜ」
「あ、ああ」
効果はあったようで、彼らはどこかへ歩いていく。それを見てレッドはため息をついて、頭から流れる血を手で押さえながら自宅へと歩きはじめる。
「……血、とまらないや」
そんなことを言いつつも、レッドは何故か思いにふけていた。
ポケットモンスターのレッドに転生したと認識したのは、今年で5歳になるので、だいたい物心ついた数年ほど前になる。
なぜポケットモンスターの世界だとわかったのかといえば、自分が知る知識の中で〈レッド〉と呼ばれるキャラクターはポケモンぐらいしか思い浮かばない、というのがひとつだった。
自我が覚醒して二人目の両親と呼ぶには些か変なものではあるが、二人が「レッド、レッド」と呼ぶものだから、知識も相まって自然と「ああ、ここはポケモンの世界なんだ」と思い始めるのは、まあ不思議ではないと思う。
なによりもそれを決定づけたのは、生まれた場所がマサラタウンであり、自分ことレッドを見にオーキド博士が訪ねてくれば、そう確信するのは当然であった。
何だかんだで、俺はこの世界に来たことを喜んでいた。死んだ原因だとか、家族のこととか、そういったものを考えなかったわけではない。
が、それよりも歓喜の感情の方が勝っていた。
なにせレッドだ。
ポケットモンスター赤・緑の主人公といってもいい。
だから、必然的にその内にオーキド博士からポケモンと図鑑をもらって、旅に出るんだ。そう勝手に思い込むのは間違いではないだろう。
けれど、死ぬ前はもうちょっとでおじさんと呼ばれる20代の若者であったのだから、時間が経てば自然と落ち着くものだ。
考えるのはここはリアルで、元の世界より危険だということ。ポケモンすべてが大人しく人間に有効的というわけではない。図鑑の説明にもあるように、とても危険なポケモンもいる。
なによりも怖かったのは、いずれ旅に出てロケット団と戦うことであった。
そう思うのは自分がレッドだからで、そうしなければならないという先入観と使命感があったからだ。
でも、まだ子供だ。それを考えるのはその時になってからでいい。いまは子供らしく、そしてこの世界を楽しもうと考えた。
──しかし、現実は俺が想像しているより残酷だった。
すべての異変の始まりは数か月前。いま起きているいじめも含めて、あの日からすべて狂いだした。
「たまにはどこかへ出かけようか」
言いだしたのは父だった。マサラタウンはカントー地方では田舎ではあるものの、町としてはかなり広い面積を有してはいる。
それでも特産物とか観光名所があるわけでもない。あるのは森や草むら、ちょっと広い草原とか南側にある海ぐらいなもの。
なのでマサラタウンから出るという住民は意外と少なくはないので、一家に一台は車を持っていたりはする。
そこはひこうタイプのポケモンで事足りるかと思ったが、ポケモンで移動するというのは意外なことにトレーナーだけで、一般の人間は普通に車などを使うらしい。
そんな事を考えているレッドをよそに母もそれに賛成し、彼もマサラタウンの外をみたいという好奇心もあって反対する理由はなかった。
この世界は元の日本と比べて──まあその日本が元にはなっているが──車道というのは通れるぐらには整備されているだけで、すべてがコンクリートで舗装されているわけではない。少なくとも、マサラタウンからトキワシティの間にコンクリートで出来た道路はない。
それも相まって、田舎の町に住む人間が所有している車というのは、形的にはジムニーとかランドクルーザーみたいな車種が多かった。
父が所有していたのは後者で、三人家族にしては持てあましてしまうのでは? と感じるほどであったが、いざ乗ってしまえば後部座席をひとりで使用できかつ子供なので無駄に車内が広く感じたので、そんな考えはすでになくなっていた。
「ところで、どこにいくの?」
「秘密だ」
「レッドが喜ぶところよ~」
喜ぶところといわれてもカントーにある町々は知っている。となればゲームにはない町だろうか、そう考えると想像が膨らむし楽しい。
ただ、個人的には別にタマムシとかヤマブキでも全然問題なかったとレッドは口には出さずにはいた。
タマムシにはエリカ、ヤマブキにはナツメがいるからだ。原作キャラを一目会いたい、とは最初思ったものの、自分の年を考えれば彼女達もまた成人した姿ではないのだから、会っても仕方ないしわかるはずもない。
お近づきになりたいという欲はあるがそこは我慢した。
マサラタウン出てから数時間が経ち、違和感に気づいたのはどう見ても町を目指しているようには見えず、ただ森の中を走っているだけだったからだ。
それについて両親に問えば、
「おかしいな。いつもの道を通っているのに」
「あなた、来た道を戻ったら?」
「そうだな」
後部座席からみた森の中を進む光景は、まるで森の奥に吸い込まれるようで不気味だった。進んでも進んでも木々が並ぶばかりで、一向にこの森を抜けられそうにはない。
父はただ前へ前へと車を走らせるだけで、それに違和感を感じることはないように見えた。それは母も同じで、自分だけがこの違和感を感じ取っている。
それからのレッドは行動が早かった。
「もう帰ろうよ」
子供らしい飽きたように言って見せる。反発される、言いくるめられるとは思ったが、二人は素直なほどに彼の提案を呑んだ。
「そうだな。レッドには悪いけど、もう帰ろう」
「そうね。なんだか……不気味だもの」
それを聞いて一度は安堵はするものの、同じ時間をかけてきた道を戻るという退屈な時間が始まるのはわかってはいても、この状況からすればそんな我儘は言えない。家に帰れるだけで十分すぎるのだ。
父が車を停めようとブレーキを踏もうとしたその時、体が前に倒れた。
フロントガラス越しに見えたのは、突然風景が切り替わり世界が開け、それを見た次の瞬間には車は落下している光景。同時にレッドの耳に聞こえるのは父と母の悲鳴。けれど、それは聞こえているだけでどうこうするほどの余裕は彼にはなかった。
落ちている──そう気づいた時には、鈍い衝撃と共に意識は途絶えていたからだ。
レッドが目を覚ましたのは、どことも知れぬ病院の一室だった。
ゆっくりと思い瞼をあけながら最初に目に入ったのは天井で、次には聞き覚えのない女性の声。
──先生! 彼が目を覚ました!
そんな声が耳に入る。
これがただの年相応の子供であったのなら混乱したり、泣き叫ぶのかもしれない。
しかし、彼は違う。
(父さんと……母さんは……?)
首を左右に動かして見る……しかし隣にベッドはない。ならば向かい側かと思い、重たい体を起こして起き上がる。普段ならすぐにできる動きが、いまは重りを乗せられたかのように時間がかかる。なんとか体を起こして目に入ったのは、白い壁だった。
レッドはすぐに理解した。
ここは個室だ。ここにいるのは自分だけのなのだ。
それからの出来事は、時間が経ったあとでも鮮明に覚えている。
医師が診察をしながら一つひとつ質問していき、医師と看護師が出ていくと入れ替わるように今度は警察がやってきて同じような質問してきた。
──なにがあったか覚えているかい?
──なにをしていたんだい?
──どこへ行こうとしていたんだい?
そんな事ばかりで、レッドはただ同じ言葉を繰り返すだけだった。
「覚えてない」
警察の事情聴取に嫌気がさしたからだとか、面倒くさいだとかそんなくだらない理由はたしかにあった。
しかし、彼がそういう対応をしたのはすべてを理解していたからだ。
父と母が死に、自分だけが生き残ったのだと。
生き残ったことが幸運なのかはレッドにもわからなかった。だがそれ以上にレッドを苦しめるモノがあった。
二人の死でそれに気づき、彼に不安と疑惑が生まれる。
(本当にここは、ポケモンの世界なのか?)
ゲームでは母親がいた。父親はわからないがこの際生死は別にして考えてみても、ゲームで存在するはずの母親がこのタイミングで死ぬというのはおかしい。ゲームでいるはずの存在がいなくなれば、ここは自分が思い込んでいた世界ではない。
ではここはどこなのだ。ポケモンもいる。マサラタウンがあって、そこにレッドとして生まれた。なのにポケットモンスター赤・緑の世界ではない。
わからない。
レッドは頭を振ることしかできなかった。
それから翌日。
父と母の死よりも、この世界の謎に捕らわれている彼の前に、医師と共に現れたオーキドに連れられてレッドはマサラタウンに帰ることになった。
父と母の遺体と共に。
葬儀は町にいる大人総出で行われた。
多分それが、昔から続く伝統あるいは風習なのだろうとレッドは思ったが、別に興味が惹かれることはなく、ただ自分のお守りをしているナナミに連れられて墓地……父と母が眠る前に立っていた。
周りの大人たちは涙を流して悲しんでいた。
どうやら二人は町の人達とは親しい間柄だったらしい。ひとつ残念なことがあるとすれば、父と母には親戚や身内が存在しなかったことだった。
つまりそれはこの先一人で暮らすことを意味している。これに関してレッドは特に不満などはなかった。
一人暮らしは前世で経験積みだし、両親の遺産(土地含めて)は今後一人で暮らしていける分には問題ないと聞かされたので心配はなかったから。
レッドは二人が眠る棺を見た。
正直に言えば、あの日まで心から親だとは思ってはいなかった。酷い言い方をすれば他人だとも。それも仕方ないじゃないかとレッドは訴える。前世ではまだ両親は健在で、毎日ではないが週に一度は電話をしていたし実家にも顔を出しに行っていた。
その所為か、まだ脳裏には自分を生んだ本当の両親の面影がチラつく。
それでも……それでも、二人はこの世界で俺の父と母なんだ。
二人の顔が思い浮かぶ。自分に向ける優しい笑顔が声が。子供だからこそわかる親の愛情というものが。
悲しい、辛い……そう思っても、涙は出なかった。
薄情。畜生。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
だから思った。今こうして最後の別れをしている最中だというに涙を流せない俺は、二人をこの瞬間ですら両親だとは思ってはいないのだと。
「レッドくんはつよいね。いいんだよ、泣いても」
肩に手を置きながら後ろにいたナナミが優しい声で言ってくれた。
違うんだ。
俺はクズなだけで、優しくもなんともない。
レッドはそう答えたくとも答えなかった。
黙っていれば、見向きもされない。
黙っていれば、面倒なことに巻き込まれることもない。
嫌な大人としての癖がここにきて現れている。
だからだろうか。人の視線というものに気づくのは。
町の大人たちが自分に向ける視線。
それはまるで恐怖、拒絶、異物、それらを見るような目。この場にいる一部を除いた大人たちの視線が幼い自分に向けられている。
べつにそれが嫌などとは思わなかった。
なにせ、今まさに俺がこの世界に向けている目そのものなんだから。