部長席に設置された戦利品のパソコンと向き合って、みつる先輩はいろいろ操作している。とても楽しそうだ。みつる先輩のオタク疑惑が確信に変わりそうで、実に悲しくなる。
その後ろでは、窓際で読書にはげむ長門ユウキの姿がある。コンピ研騒動の間も、静かに本を読み続けていたみたいだ。私が「ひょえ!」とか叫んでいる間に、彼の読むSF小説では、星の一つや二つ、破壊されていたかもしれない。そこまで熱心に読書に打ちこむ姿は、ある意味うらやましくあった。私もたまには、宇宙大戦争に現実逃避したいものである。涼宮ハルヒコみたいな変人の相手をするぐらいなら。
しかし、今の最重要問題は、部室の中央の机に置かれている物体である。もう一つの戦利品として運ばれた、赤白の非現実的なセーラー服。
なぜ、涼宮ハルヒコは、こんなものを持って帰ったのだろうか? 思い当たるふしがある。彼の部活には女子部員が約一名所属している。彼は、自分が命令さえすれば部員はその通りに動くものだと考えている。もし、彼がみつる先輩と同じ趣味を持っていたら、何を望むだろう? 答えはひとつしかない。すなわち、私の貞操の危機である。
みつる先輩の作業が続くなか、私はその物体と無言の対話を続けている。それが存在する理由は、涼宮ハルヒコの気まぐれなのか否か。赤白のセーラー服は、沈黙したまま、私の問いに答えようとはしない。
「よし、これで初期設定完了!」
「みつる、ごくろう」
操作を終えたみつる先輩に、涼宮ハルヒコは偉そうに応える。
「で、結局、なにがやりたいのよ。ゲームでもして暇つぶししたいの?」
私は頬杖をついて、誰に向かってではなく、そうつぶやいてみせる。
「そんなわけねえよ。まずは、俺たちの存在を全世界に知らしめるべく、公式サイトを立ち上げる」
部活動に必要な人数にも満たないくせに、世界展開を試みるらしい。あいかわらず、順番がめちゃくちゃなヤツだ。
「だいたい、名前はどうなってるのよ。この部の」
「いや、それは今日はやめとく。明日、正式な形で発表しようかと」
正式な形ってなんだ。記者会見でも開くつもりなのか、こいつは。
「それより、これだ」
こともあろうに、涼宮ハルヒコは、あのセーラー服に手を伸ばす。私はひそかに決意していた。もし、このことで何か言われたら、即座に部室をでていこうと。さすがに、それぐらいの権利は私に許されていいはずだ。
「今から、これを着てもらおうと思う」
見事に期待を裏切らない発言に、私は思いきり音をたてて、席を立つ。
「私、帰るから」
そして、彼をにらむ。結局、涼宮ハルヒコは私をそういう目で見ていたのか。いつもは女扱いしないくせに、都合のいいときだけ女子扱いするデリカシーの無さ。うんざりだ。
「いや、おまえには、いてほしいんだけど」
しかし、涼宮ハルヒコは予想外の反応をする。あれ、もしかして、私、思いちがいしている?
「俺とみつるじゃ、セーラー服うまく着れないかもしれないし」
「へ?」「は?」
私はみつる先輩と同時に間の抜けた疑問符を発した。
「まさか、僕に着ろというんじゃないよね」
「いや、似合うだろ、おまえ」
「やだよ、そんなの」
といいつつ、パソコンのある部長席から、みつる先輩は身を乗りだしてくる。
「ほら、キョン子も何か言えよ」
女装――それは男子が避けて通れない道なのかもしれない。私の弟も、幼稚園児のときには家の中でスカートをはいたり、母の口紅をぬったりして遊んだものである。その写真を撮らなかったのが、まことに悔やまれる。もし、弟がこのまま不良化して、恋人なんてものを作ろうとしたら、私はその子に女装写真を見せることをいとわぬというのに。
「勝手にすれば」
私は興味なさそうな口ぶりで答える。
「よし、女子部員のお墨付きももらったことだし」
「でもなあ」
みつる先輩はそう言いながらも、上着を脱ぎ、椅子にかける。やる気満々らしい。ズボンのベルトに手を伸ばして、それを外す。そして――。
「ちょっと、脱ぐなら脱ぐっていいなさいよ」
私のことを無視して着替えようとするみつる先輩の無神経さを、私は大声で非難しながら、つかつかとドアに向かい、外にでる。弟のいる私にとって、男子の着替えなんて特に珍しいものではないのだが、やはりこういうことは、私の見えないところでやってほしい。
ため息をつき、部室のドアにもたれかかる。廊下の窓からは、運動場を走っている部員のかけ声が聞こえる。うん、青春だ。背後の部室からは、みつる先輩が涼宮ハルヒコと何やらぶつぶつ言いながら、女装作業にはげんでいる。うん、アブノーマルだ。
常識人として、私はこのまま帰るべきだったのかもしれない。しかしながら、私はもう少しだけ、この戯事に付き合ってみようと思った。なんといっても、みつる先輩のセーラー服姿には可能性がある。中身はオタクだが、外見は我が北高トップクラスの人気の持ち主だ。期待しないほうがおかしい。
「おーい、キョン子。入っていいぞ」
涼宮ハルヒコの声がする。私はすばやく反応し、中に入る。
そこで見たものは、悔しいことに、まぎれもない美少女だった。派手なセーラー服にも負けない可憐さが、そこには宿っていた。
髪の長さは、女子のショートヘアとして通用するものだったし、ひざ下の素足も男子のものとは思えないスラリとしたものだった。胸がないのは残念だが、私も似たようなものなので、その点は抜きにする。
「キョン子さん、どんな感じ?」
「……いい感じ」
「鏡ない?」
「ちょっと待って」
私はカバンから鏡を持ってきて渡す。
「うん、いけるじゃん。僕も捨てたもんじゃないよね」
「だろ? バカな男はだませそうだよな」
みつる先輩は、くるりと一回転して、ウィンクをしてみせる。どこで覚えたんだ、そんなポーズ。
「よーし、記念に写真、撮っておくか」
「えー。それ、売る気じゃないよね」
「バカいえ。そんなくだらないことに使うわけねえだろ」
涼宮ハルヒコはデジカメをかまえる。みつる先輩も気前よくサービスカットを見せる。おいおい、そんなポーズじゃ下着が見えるじゃないか。そこは、スカートをしっかり押さえてだな。そうそう、上目づかいでこっちを見て……。
って、私までアブノーマルになってどうするんだ。
涼宮ハルヒコは、私にセーラー服を着させる気がまったくなかった。たしかに、みつる先輩は似合っている。だが、みつる先輩は男子であり、私は女子なのだ。それでも、まったく相手にされていないという事実。これは戦力外通告に等しい。私はこの状況を楽しんではいけない。悔しいと思うべきなのだ。
「ねえ、私、もう帰っていい?」
変人と変態の撮影会をさえぎって、私は立ち上がる。
「なんだ、もう帰るのか。女子の視点で、ベストショットを選んでほしかったんだが」
デジカメを手にしたまま、そんなのんきなことをいう変人と、
「ベストショットって何だよ。どこかに投稿する気?」
ちょっとあせった表情を見せる、天使の外見をした変態。
しかし、それよりもすごいのは、未だに読書を続ける長門ユウキかもしれない。その集中力はいったいどこで身につけたのだろうか。
こんな個性豊かな三人の前では、私なんぞ風吹けば飛ぶ塵のようなものだ。
「やっぱり、私、帰るから」
「ああ、気をつけてな」
「バイバイ、キョン子さん」
そんな言葉を背に受けて、部室をでる。
私がいなくなって、いいだろいいだろ、とか、ダメだよ絶対ダメ、とか、何かのカタが外れたような会話が聞こえてくるのだが、戻るわけにはいかない。私は苛酷な現実世界に生きているのだから。
そう、今日も私はさみしく一人帰りなのである。そして、三人の男子部員は、そんな私のことをちっとも考えてもいないのである。木枯らしにぴゅーっと吹かれたら、私のさみしい後ろ姿を同情してくれたかもしれないが、残念ながら、今は五月。とぼとぼ帰る私の胸のうちなど、きっと誰も気にとめていないに違いなかった。