「キョン子ちゃん、ナースとかどう?」
私の髪をいじっていたイツキが、不意に後ろから話しかけてきた。
「ナース?」
「実はあたし、ナース服、持ってるんだよね」
いきなり何の話だ? まさか、また着ろというんじゃないだろうな。私はかつて、この文芸部部室、別名SOS団部室で繰りひろげられた、忌まわしきバニーガール騒動を思いだす。
「ねえねえ、みつる君だって、キョン子ちゃんにナース服ってなかなか似合うと思わない?」
イツキは私の前に座るみつる先輩にも声をかける。この質問には、みつる先輩、大いに困ってるようだ。イツキと私を交互に見ている。
「ええ、まあ」
そんなふうに言葉をにごしながら、白の石を緑の盤に置く。私はうなる。むむむ。
今、私はみつる先輩とオセロゲームをしているのだ。手抜き疑惑の解明のため、私はみつる先輩に真剣勝負を申しこんだのである。
その結果が、目の前で明らかにされている。気づけば角は押さえられ、どこに置いてもひっくり返される状態になりつつある。私は腕を組み、考えたふりをするが、本当はどこに打っていいのか、さっぱりわからないのである。
「あの、キョン子さんさ、オセロはコミュニケーションを楽しむゲームであって、別に負けたらどうかというわけじゃ……」
「うるさい!」
私はそう口ごたえする。みつる先輩は、この部室で唯一の二年生であるはずなのに、誰にも敬語を使われない、かわいそうな先輩である。この私ですら、みつる先輩にはタメ口をきいてしまう。決してバカにしているわけではないが、どうしても上級生として接することができないのだ。それもこれも、自分のことを「僕」と呼ぶみつる先輩が悪いのだ。私のせいじゃない。
私がいない間に、部室の中にはいろんなものが増えていた。みつる先輩のお茶くみセットから、バットやグローブなど使途不明なもの、さらにはコンピ研からの戦利品であるセーラー服や、イツキ持参のバニースーツ二着まで常備されている。まったく、なんでもかんでも持ちこめばいいものではないだろうに。近いうちに、大掃除をしなければなるまい。
「でも、アタシはそうじゃなくて!」
いや、もう一人、この部屋には上級生がいた。彼女はSOS団員ではない。わざわざこの部室に足を運んで相談を持ちかけてきた二年女子である。この部室に来客がくるとは、ビラ配り事件直後の悪評からすれば、信じがたい光景だった。
旧用具室事件のあと、朝倉リョウ一味は一週間の自宅謹慎処分となった。体育教師の一人が関与していることが発覚し、休職処分となっている。これが彼らの罪に対して、重いか軽いかについては、あえて語らないことにする。
だが、謹慎という形になったことで、事件は明るみにでることになった。誰もが謹慎の理由を知りたがり、その憶測は、やがて事実と重なった。首謀者である朝倉リョウは、それから一度も学校から復帰することなく、自主的に他の高校に転入したそうだ。どうやら、悪評の中で学校生活を送るのが耐えられなかったらしい。
こうして、平和が訪れるとともに、我らがSOS団長、涼宮ハルヒコが、それを解決したヒーローとして持ち上げられるようになったのだ。
そんなウワサを聞きつけたのか、ある二年生の女子が相談を持ちかけたとき、涼宮ハルヒコは寛大な態度で話に耳を傾けようとした。私たちもお茶をいれるなど、来客に対して最善のおもてなしをしようと努めた。だが、彼女が話し始めてから、一分たたぬうちに、イツキは私の髪をいじりはじめ、三分たたぬうちに、私はみつる先輩とのオセロゲームを再開させることになった。もちろん、窓のそばでは、いつものように、長門くんがSF小説を物静かに読んでいる。
「だから、俺たちは、人助けの部じゃなくてだな」
ついに、涼宮ハルヒコがしびれを切らしたようだ。彼にしては忍耐強く耳をかたむけていたほうだと思う。それが、団長としての責任感からか、愚痴をこぼし続ける女子の対応に慣れていないせいか、どちらかはわからない。
「そうよね。みんな、自分が大事なのよね。このSOS団だってそうよ!」
彼女はそんな捨てセリフとともに立ち上がる。自分のことばかりべらべらしゃべり続けたあげく、よくもまあ、そんなことが言えたものだと、女子の私ですらあきれてしまう。
彼女が荒々しくドアを閉めたあと、涼宮ハルヒコはみつる先輩をにらむ。
「おまえだろ、二年女子に変なこと吹きこんだの?」
「だ、だって、体験談募集ってビラにも書いてあったから、宣伝ぐらいはいいかな、と」
みつる先輩はたじろぎながら言う。
「みつる、SOS団って何の略称か覚えているか?」
「ええと」
そういえば、そんなものあったな。私もなんだったか思いだせないのだが。
「『世界を、大いにもりあげる、涼宮ハルヒコの団』だ。面白くない体験談なんぞ、ハナからお断りなんだよ」
「でも、いろいろ人助けをしたら、それはいいことじゃん?」
「そういうのはボランティアに任せりゃいいんだよ。俺たちはそんなにヒマじゃない」
団員がオセロゲームをやってる時点で説得力がないのだが、その点はだまっておこう。部室が悩み相談室となることだけは避けなければならない。
「ねえねえ、団長、団長」
しかし、そんな彼の様子をまったく無視して、調子のいい声をだす女子が一人。
「どう、キョン子ちゃんのツインテール!」
そう、私はイツキの手にかかり、従来のポニーテールからの脱却をとげていたのだ。鏡を見ていないので自分でもどうなっているかわからないのだが、ここは涼宮ハルヒコの反応に注目すべきであろう。しかし、彼は歯切れ悪い言葉で口をにごす。
「あ、まあ、それはそれでありかもな」
「ちょっと団長、なによそれ!」
私が口をだす前に、イツキが反論する。
「だいたい、団長って、どんな髪型が好きなのよ? ねえ、言ってみてよ」
うん、それはぜひとも聞きたい。これで、ポニーテールと答えたら、私の中でハルヒコ株がちょっぴり上昇するのだが。
「……そうだな、三つ編みとかいいかなって」
その答えには、私を含め、三人がずっこけた。
「ハルヒコ君、いまどき、三つ編みはないよ」
「そうそう、キョン子ちゃんが三つ編みなんかやったら、それこそ地味な子になっちゃうじゃん」
さりげなくひどいことを言っていないか、イツキちゃん。
「それよりも、だ」
すっかり劣勢に追いつめられていた彼だが、団長の威厳を取り戻すべく、口調を変えて立ち上がる。
「今後のSOS団の行動について、そろそろ、決めなければならないようだ。もう、今日みたいな不毛なことはするべきではない」
「といっても、何するの?」
みつる先輩が律儀に挙手してたずねる。
「そうだな。学校はあらかた調べつくしたし」
そう答える涼宮ハルヒコを見ながら、私はある光景を思いだしていた。雨が降っていたあの週末の一場面を。
「だったら、みんなで街探索してみたら? あんた、休日になると、いつも街で何か探索してるんでしょ?」
「いや、一人のほうが気楽でいいんだが」
「いいじゃん。たまにはみんなでやるのも」
あの雨の日、ひとりぼっちで何かを探していた彼の背中を、私は忘れていなかった。私が部に戻ったのだから、ああいうことはもうさせたくない。たまには、彼に共同作業の大切さを知らしめなければなるまい。
「まあ、一度ぐらいはいいかもな。それで新しい発見があるかもしれない」
「そうと決まったら、週末はみんなで遊びましょう!」
イツキが声をはりあげる。
「おい、古泉。遊びじゃないんだぞ」
「わかってるって、団長。あたしだって、やるときはやるからさ」
そして、イツキはなぜか私に向かってウィンクをする。また、何かたくらんでいるんですか、イツキちゃん。
こうして、我がSOS団は週末に学外活動にでることになったのだ。私はこれが新たなトラブルの始まりになるとは思ってもみなかったのだが。