コウモリが軽やかな身のこなしのまま中央のスミロドンへ迫る。周囲の障害物を巧みに活用して最大の脅威である前腕を躱し、踏ん張る過程でやむを得ず丸見えとなる大腿部へ鉤爪を突き刺した。五寸釘すら比較にならない圧倒的な重量と鋭利さを兼ね備えた武器を前に、スミロドンの筋肉質な大腿部も無残に抉られるはめとなった。
しかしこれで十分だった。
この瞬間、スミロドンは安全圏に巣食うコウモリを必中の間合いへと引き寄せていた。相手は気配を悟られずに敵の背後を取り、確実に仕留める暗殺者。ならば無傷で勝つのは現実的とは言えない。コチラもそれ相応の痛手を被る必要があるが、数百万年に渡って代々巨獣達と殴り合ってきたスミロドンにとって、この程度の乱闘はお手の物だった。
ネコ科特有の靭やかな身体をグイッと曲げ、爪を剥き出しにした左腕でコウモリの顔面を潰す。特徴的なしゃくれ顎が無残に凹み、砕けた歯が口内を傷つける。そして自らの軽量さが仇となったコウモリは勢い良く支柱へと激突した。これでスミロドンは確信した。
「奴らは打たれ弱い。」
そうとなれば話は早い。できるだけ近寄らせてから渾身の打撃を見舞ってやれば良い。場合によっては少々の裂傷と引き換えにして邪魔っけな猿共を蹴散らす。そして離れた場所で命を散らそうとしている切り裂き魔も2頭まとめて噛み殺し、最後には頭上に潜むペアも同様に誘い出して殺す。彼には間違いなくそれを成功させられるだけのポテンシャルがあった。スピードと知能ではコウモリに及ばず、凶気ではラプトルに一歩届かない。だがある意味では、スミロドンはコウモリよりもタフであり、ラプトルよりも冷静だった。更に筋肉質な身体から引き出される総合的な格闘能力は両者と互角以上。サソリには一歩届かないが、そのサソリも今や要石の下で藻掻くだけ。舞台は整った。猛獣は後世の簒奪者へ牙を剥いた。今度は側面から飛び込んでくる倉庫組の2頭を連続で殴りつける。左右のワン·ツーを食らい、彼らは無様にも吹き飛ばされた。直撃を受けた箇所は無事では済まない。肩の肉は削げ落ち、肩甲骨にもヒビが入った。残すは収容部屋組の1頭だけ。それもスクトサウルスとの死闘によって負傷し、自慢のスピードも幾らか損なわれている。もはや敵ではない。一気にケリをつけようと、彼は支柱に佇むコウモリへと襲いかかった。
これがコウモリ達の計略とも知らずに。
たしかに腕力に頼った短期決戦であれば、豪遊無双のスミロドンの勝利は揺るがない。
しかしコウモリ達はそんな事はとっくの昔に見抜いていた。倉庫組の2頭は先の戦いで別個体の戦いぶりを見せつけられていた。度重なるラプトルや同族の攻撃を受けきり、遂には難敵と半ば刺し違えて果てた。まさに闘うために生まれてきたような生粋の強者。数の強みとラプトルの加勢がなければ、コチラも1頭か2頭は道連れにされていただろう。収容部屋組の2頭からしても同じだった。突如として同族の首を切断し、次いで迫りくる太古の凶器を凌ぎきった。更に想像もつかない程の跳躍でコウモリ達の絶対領域まで進撃する様は圧巻だった。
しかし物足りない。怒涛の攻撃のせいで誤解しがちだが、スミロドンは武器が少ない。直接的な危害となり得るのは長大な犬歯と怪力を誇る前腕だけ。武装が前半身へ集中しているとなれば後方は無防備。コウモリ達も同様に前半身に武装を集中させているため、その弱点は直ぐに察しがついた。オマケにエコーロケーションからもたらされる情報により、スミロドンは重々しい身体の持ち主だと分かる。ならば持久力は続かない道理。荒々しい姿に反して、スミロドンは優美なネコ科の基本をなぞっている。そして未来世界での覇権を巡り、ネコ科とコウモリは争ったが、その結果は語るまでもない。今ここにコウモリ達がいることが何よりの証明だった。
打撃を受けて多少なりとも負傷していたとはいえ、破壊力を追求したが故に持久力に欠けるスミロドンを相手に劣勢を装うのは退屈の一言に尽きる。全身の関節を動員して打撃を受ける寸前で衝撃を逃しつつ、偽装のために最小限の負傷を負い、わざと身体を捩って血飛沫を飛ばす。いくら殴りつけても一向に倒れる気配のないコウモリ達を前に、ようやくスミロドンも事の異常に気づいたが、呼吸が乱れ始めた後ではどうにもならない。途端に逃げ腰を偽装していたコウモリ3頭が踵を返し、敵の前後左右を包囲する。高みから時代遅れの獣を見下ろしたかと思うと、そこからは見るも無残な。 …とても戦いとは呼べない代物が展開された。先程と打って変わって劣勢のスミロドンは、周囲の死骸を盾にコウモリ達をなんとか退けようと足掻くが、積もり積もった鬱憤を晴らすべく全速力で突っ込んでくる悪魔達は引き際を知らない。みぞおちや内股といった分厚い筋肉に守られていない箇所を重点的に切り裂かれ、ふらついた拍子に顔面まで削られる。スミロドンは感覚器の一つである頬ヒゲが半減したのを確かめることなく、反動のまま邪悪な爪へ噛み付き返そうとしたが、コウモリは返す刀でスミロドンの眉間を押さえつけた。一撃目の衝撃を無理やり殺されて意識が朦朧としたスミロドンは次の攻撃を避けられなかった。残る左腕がスミロドンの胸を直撃する。複数の関節を介して速度を上げた細腕が的確に肋骨を捉え、まるでホームランボールのように敵を仰向けに殴り飛ばした。軽く3mを弾んだスミロドンへ追撃が飛ぶ。しかしスミロドンもようやく反撃を成功させ、間一髪のところで後ろ蹴りをコウモリの腹へ命中させた。しかし前腕と比べれば貧弱な後脚の蹴りの威力などたかが知れている。
言ってしまえばスミロドンの予測、そして確信は誤りだった。コウモリ達が打たれ弱い暗殺者と決めつけ、力のままに捻じ伏せるようとしたのが、そもそもの失策だった。彼らはスミロドンが到底理解できない異能の力を行使し、相手の身体能力を隅々まで知り尽くしていた。そこからどんな攻撃が繰り出されるのか、その攻撃がどれだけの威力なのか、そして敵の限界までも。
剣歯虎の絶滅に王手がかかる中、優勢のコウモリ達には別の緊張が走っていた。じきに敵は致命傷を負う。こうなると最後のトドメを倉庫組か収容部屋組のどちらが刺すかが問題だった。
つまり最後の戦場に至ってもなお、コウモリ達は一枚岩ではなかった。
ざっくりまとめてしまえば、倉庫組の3頭と収容部屋の2頭は、互いに敵でもなければ味方でもない只の利用し合うだけの関係。手頃な獲物がいれば表面上は協力し合うが、一度導火線に火が灯れば血みどろの闘争を演じかねない。その一方で虐殺目的のペアと倉庫組は明確な敵対関係にあった。いずれ両者の対立が臨界点に達し、全面戦争に突入する。一見すると破壊兵器を失い、数の上でも劣っているペアに勝ち目はないが、倉庫組の3頭もかなり体力を消耗している。付け加えると3頭目はラプトルとの壮絶な一騎討ちを繰り広げているため戦力としては期待できない。仮に一騎討ちを征したとしても、重傷の身では真っ先に狙われてしまうのがオチだろう。
問題はペアと収容部屋組の関係だった。ここまで両者は目立った対立をしていない。ペアは序盤で破壊兵器をスミロドンに対して発動させたのを除けば、この部屋に入ってから一切の手出しをしていなかったので当然といえば当然だが、ここで重要なのは三つ巴の戦いになるかどうかの決定権を『収容部屋組が握っている。』という事だった。それまで戦局はペアの動向に左右されていたが、ここで初めて決定権が移った。ペアにとっては痛恨事である。軽々しく動いて収容部屋組の2頭に敵対されてしまえば、良くて4対2。悪ければ5対2という部の悪い勝負を強いられる。しかも前述のとおり破壊兵器は失われて久しい。それゆえに2頭は、生物兵器の性である戦闘の欲求を押し殺して天井に留まり続けていた。
しかし状況は突然変わった。
しきりに鼻をひくつかせていたメスコウモリが何かに気づくと、突然耳を劈く叫び声を上げた。それまで冷静沈着だった妻の奇行を前にオスコウモリはあ然したが、ひとまずメスを静止させようと手を伸ばす。だが手はメスの身体に触れることなくすり抜けていた。オスがようやく状況を飲み込んだ時には全てが遅く、絶叫のままにメスは天井を蹴り出していた。
《残存》
ラプトル…1体
スミロドン…1体
サソリ…1体
未来の捕食動物…7体