先程までサソリは危機的状況だったものの、決して悪い事ばかりではなかった。というのもこの時の収容部屋は、憎しみが憎しみを呼ぶ報復と復讐の連鎖が渦巻いており、戦わずとも存在を認識されるだけで、否応無しに敵対されてしまう状況だった。ところがサソリは誰の目から見ても戦闘不能と思われていたため、下手に攻撃に晒されることなく序盤の混乱期を乗り切る事が出来た。
とはいえジリジリとスクトサウルスはズリ落ちてきており、最大限下降しようものなら今度こそサソリは気色悪い残骸と化してしまうだろう。
そこでサソリは残された捕脚をスクトサウルスの外皮へと引っ掛けた。これで一旦は安全が確保される。とはいえ捕脚に頼ったままでは一向に埒が明かない。そこでサソリは、歩脚を波打たせて腹部をスクトの下へ滑り込ませた。一歩間違えれば押し潰されかねない危険な賭けだが、この際四の五の言っていられる状態ではない。運を天に任せる。果たして捕脚を振り動かしたところ、支柱へ中途半端に倒れかかっていたスクトサウルスの前半身が横へと傾き、丁度よい具合いに空間が生まれた。この機を逃すまいと全力で死体を押しやり、サソリは晴れて自由の身となった。
これに居合わせたコウモリは運悪く絶命したが、そんな事は知ったことではない。
これまでの激戦により歩脚は4本しか残されていないが、腹部を逆立てて器用にバランスを取りながら、サソリは再び歩を進めた。当然コウモリ達は警戒して安全圏である支柱の上へ逃れるが、そんなことはサソリからすればお見通しだった。彼にとっては跳躍すら必要ない。そのまま歩み出て乗り上げる。勢い良く… とはいかないものの、4mは下らないサソリの巨体が、あれよあれよという間に支柱の上部へ到達した。以前は高熱のレーザーによって封じられていた芸当だが、システムが崩壊した今となっては関係ない。終いに腹部を捩って姿勢を安定させたサソリは、呆気にとられていたコウモリ達へ襲撃を開始した。捕脚による挟み上げ攻撃を繰り出したかと思えば、横に回り込んできた別のコウモリへ揺れ動くままにタックルをお見舞いしていく。これでは支柱から転落しそうに思えるが、サソリは捕脚を鉤爪のついた歩脚を目一杯広げているため滑落する兆候はない。それでも不安定な場所で激しく戦い続ければ必ず隙が生まれる。それに付け込もうとコウモリ達は一時的に『同盟』を組んで波状攻撃を開始した。まずは収容部屋組の1頭が右側面から迫り、間を置かずにサソリも迎撃する。これでもかと振りかぶった捕脚を開放し、初撃で沈めようとしたが、コウモリは八艘飛びよろしく支柱を飛び移って回避した。空を切り裂いた捕脚を抜け、収容部屋組の2頭目が頭胸部にしがみつく。捕脚の可動域を外れたコウモリは一方的な殴打を始めようとした。ところがサソリは慌てることなくハサミ状の口器を開き、無防備な相手の腰回りを挟んだ。予想外の反撃を受け、コウモリは血を流しながら後退する。薄皮一枚を切られるだけで済んだが、口器が凶器と分かった以上、頭部への肉迫攻撃は愚策である。そこで今度は倉庫組の2頭が下方から攻撃を仕掛けた。サソリの知りえない超音波で号令をかけられた2頭は、揃って上手い具合にサソリの真下へ忍び込んだ。特殊部隊さながらの滑らかな動きで散乱する死体を踏み切り、サソリの腹部へ齧りついて身体を十分に固定させる。そして要の捕脚を切り離すべく、呻りを上げて双腕を振り上げた。
ところが、戦闘において脳の司令を必要としないサソリは、コウモリの反応すら上回る速度で2頭を返り討ちにしようとした。
荒れ狂っていた鎧の動きが止まり、か細い余韻を残して姿が消える。鍵爪を甘んじて受け入れたために歩脚の一本が汁を纏って切断されるが、サソリは構わずに下降して足元の2頭を押し潰そうとする。地面までは僅か3m。本来ならば避けようが無い。しかし反射のみで繰り出された反撃すら、コウモリ達は軽く避けてみせた。外骨格を足場に異次元とも思える方向へ飛び出す。迫るを意に介さず、2頭は左右バラバラに跳んでサソリを撹乱した。衝突の衝撃と、左から繰り出されたカウンターを受けてサソリは硬直せざるを得なくなった。この間に右は奪い取った捕脚を投げ捨て、甲殻の粉砕を狙って身を踊らせた。
ここまではコウモリ達が優勢だった。
しかしサソリには、背骨という軸を備えた脊椎動物には出来ようのない奥の手があった。
突如として持ち上がる胴体。既に鞭状の尻尾は失われているが、サソリは全身をバネ仕掛けの罠のように跳ね動かした。運悪く真上に居合わせたコウモリは直撃を食らう。強烈に床へと叩きつけられたコウモリは、床の血で滑って中途半端にバウンドした。それでも鉤爪を銛の如き速度で突き出してサソリの口器を破壊したが、コウモリに出来たのはそこまでだった。バネの反動を利用してサソリの巨体が斜め前にズレ動く。その先には打ちのめされたコウモリがいた。当然コウモリは下敷きとなって重傷を負う。すかさず捕脚が真下の敵を徹底的に打ちのめし、コウモリは手も足も出せずに息の根を止められた。砕けた骨の詰まった肉の袋を前にしてもサソリは止まらず、足元の塊を砲弾よろしく弾き飛ばす。砲弾は新旧の人類の天敵達へと向かい、スミロドンは後退し、コウモリは真上に跳んで回避した。スミロドンは唸りのままに空気の読めない堅物へ報復しようとしたが、その必要はなかった。
唯一フリーになっていたラプトルが真後ろから襲いかかる。頭頂部の眼点で接近を感知したサソリは、勢いを乗せた捕脚を振り回して迎え撃った。しかしラプトルにとっては、空中での回避など造作も無い事だった。腱で固められた尻尾を振ることで身を捩り、影を掠めた捕脚を飛び越え、サソリの正面に颯爽と降り立つ。
ところがサソリは待ってましたとばかりに口器を伸ばしてきた。ラプトルはコウモリの二の舞になるかと思われたが、ここで後脚をメインとした2足歩行が吉と出た。前肢を行動のメインとするコウモリの場合、一度の跳躍で真後ろへ飛び退くには限界がある。ある程度の距離を稼ごうとするなら左右斜めに飛び跳ねてから、後方寄りに姿勢を変えてから飛び退く必要がある。たが後脚でのみ活動するラプトルであれば、蹴り出す方向を制御するだけで真後ろに飛び退く事が出来た。これによりサソリは窮地へと追い詰められた。捕脚だけならまだしも、口器による攻撃すら躱されたとなれば次の攻撃まで確実に間が生まれてしまう。加えて口器突き出した不安定な姿勢では満足な受け身は取れそうにもない。そのため満を持して放たれたラプトルの攻撃が直撃した。
ラプトルが一撃目で伸び切った捕脚を踏みにじり、追撃を繰り出すまでは一秒とかからなかった。踏みつけられて重心を崩したサソリは関節部を曝け出してしまっている。そこをシックルクローが直撃した。まるで至近距離で大口径ライフルの餌食となったような穴が開けられ、流石のサソリも藻掻きに藻掻い逃げ出そうとしたが、飛び乗られた状態で動くのは至難を極める。
しかし攻撃中に無防備となるのはラプトルも同じだった。
猛ったスミロドンがコウモリを押し退けて飛びかかる。ラプトルは間一髪で打撃を回避したものの、続く体当たりは避けようがなかった。跳躍したラプトルの土手っ腹へスミロドンが体当たりを成功させ、コウモリ以上に軽量なラプトルは何回も回転しながら支柱へ激突する。しかし、ずば抜けて場数を踏んでいるラプトルは転んでもタダでは起きない。一瞬の麻痺を挟んでから支柱に鉤爪を突き立て、軋む全身に有無を言わさず跳躍の命令を下した。狙いをスミロドンの喉に絞って飛び出す。
ところがスミロドンに続けとばかりに、下顎の砕けたコウモリが急襲してきた。これによりラプトルの見事な飛翔は失敗に終わる。直進する過程でで曝け出された胴体へ飛び付き、恨み辛みを上乗せした力で左側面へと殴り飛ばした。それでもラプトルは蹴りを放ってコウモリの顔面を引き毟った。ただでさえスミロドンによって砕かれていた下顎は敢え無く崩壊したが、ラプトルもまた彼方へと弾き飛ばされていた。
一方ラプトルの攻撃を免れたスミロドンは、再びメスコウモリの猛攻に晒されていた。何度目かのボディーブローを食らって怯んだところ、首筋を的確に噛み裂かれる。分厚い毛皮もなんのその、と縦横無尽に傷跡を残していくメスだったが、やはり今回も多少なりとも頭に血が昇り過ぎていた。深追いにより生じた刹那の緩みをスミロドンが見逃すはずがない。コウモリの代名詞的な凶腕を力の限りに殴り付ける。鋼鉄すら容易く破壊するコウモリの腕でも、並み居る巨獣の骨という骨を砕き続けたスミロドンの剛拳を前にしては小枝も同然だった。一撃で関節が破壊されて肘先の感覚が失われる。しかし戦闘を極めた殺戮の権化たるもの、たかだか隻腕になったところで狼狽えるはずがない。折れた腕をこれ幸いと異様に振り上げ、ガラ空きのスミロドンを天高く打ち上げた。ちょうど砕けた肘も味方をし、スミロドンは撓るムチとなった腕の餌食となった。衝撃は凄まじく、ボディーブローの影響も相まって、スミロドンは先程食らった獲物の残骸を吐き出してしまった。胃酸でパッと見は分かりにくいが、肉片の一部が灰色の皮膚を残している。そして漂った酸と生温かな餌の匂いが部屋中に漂った。
するとメスは三度目となる激昂状態に突入した。死体を踏み躙って爪を真紅に染めながら、スミロドンただ一頭を狙いに絞った…
かに思われた。
ところがメスはスミロドンを追い散らしただけで大した攻撃は加えなかった。むしろ彼女の興味関心は足元の肉片に向けられていた。しきりに鼻をヒクつかせて匂い分子を出来るだけ読み取ろうとする。
「!?」
すると一瞬でメスの顔色が変わった。
メスの激昂はこの小さな肉片が原因だった。消化が進んでいるため判別は楽ではないが、ところどころに残された灰色の外皮や微かに香る匂いは、明らかにコウモリのものだった。このスミロドンは制御室でコウモリを仕留め、心ゆくまで貪っていたが、その行為は同族を最も恐れるメスコウモリからすれば、悪魔すら糧にする羅刹とでも思えたのだろう。
メスはオスの敏感な鼓膜も顧みず、怒りと怖れを一緒くたにした奇声を伴いながら、血だらけのスミロドンへ3度目の突撃を敢行した。
これにより戦況が一変する。
サソリの復活によって収容部屋組と倉庫組が一頭ずつ殺され、スミロドンが窮地を脱出した。対してラプトルは序盤とは打って変わって劣勢に追い込まれつつある。
これによりコウモリ3陣営の拮抗状態が完全に崩壊した。
どさくさ紛れの抗争はあったものの、それまで数的不利を理由に、本格的な殲滅を見送っていたペアが本領発揮の機会を得た。
目標はラプトルを痛めつけている収容部屋の1頭。その唯一の仲間は既にサソリの下敷きとなっているため、この状況では孤立無援。
合計3対4本の凶器が逸れ者へと向けられる。
これにより生物達の運命が決まった。
《残存》
ラプトル…1体
スミロドン…1体
サソリ…1体
未来の捕食動物…5体