数多の豪傑が散った戦場に残されたのは、皮肉にもかつて施設の支配者であり、彼らをこの牢獄に囚えた主である人類に対して文字通り“牙を向いた”2種類の捕食者だった。氷河期の伝説スミロドンと、終焉の齎した未来の捕食動物である。しかし残念ながら勝敗は見えていた。負傷具合でいえば片腕を実質的に潰されたメスコウモリが最も酷いが、メスにはペアであるオスコウモリが軽傷のまま健在だった。一方のスミロドンは致命傷こそ負っていないものの身体のあちこちを切り裂かれており、体力もあらかた消費している。元々短期決戦と制圧を得意とする猛獣にとって、まさに絶望的な状況。本来ならばサソリが暴れ続けて弱ったメスコウモリを潰してくれるまで耐え忍ぶのが彼の望みだったが、今は亡き収容部屋組の一世一代の大勝負に踊らされ、最後にはスミロドン自身がサソリを葬ってしまった。かくなるうえは収容部屋組を利用するしかなかったが、そこは腐っても戦略眼に長けたコウモリペアならではの速攻で望みも潰えた。こうなると取れる手も限られてくる。
コウモリペアは勝利を目前に控えていた。あとは屍を踏み越えてスミロドンを屠るだけ。そうすれば夫婦の血に塗れた野望は成就するだろう。
だが最後の最後で油断しては駄目だ。これまでにもコウモリ達は知能や機動力といったスペックで他者を圧倒しておきながら、敵の想像だにしない不死性や凶気に競り負けて次々と狩られていた。これは一重に彼らが経験不足だったことに由来した。故郷の未来世界であればコウモリ達は数時間から数日をかけて獲物を探り、確実に勝てる時だけを狙って襲いかかっていた。生命の理を超えた万物の霊長を狩る兵器としては、それほどまでに事前の準備や計画の立案が重要だったからだ。だが今回に限っては数時間で終局を迎える短期戦であり、加えて相手にするのはこれまで見たことがない古今東西の怪物だった。これでは彼らの力任せの暴れっぷりに押されてしまうのもやむを得ない。
しかし今やコウモリペアにその懸念はなかった。度重なるエコーロケーションによりスミロドンの解析は完璧に仕上がっていた。鋭利な『剣歯』を警戒しつつも肩や背中を覆う筋肉を避けて喉を切開して仕留める。これにてゲームセットだ。それにはスミロドンを至近距離まで飛び込ませてから撓る腕で捌き切る必要があった。
血の河を超えてスミロドンが走り出した。
残された体力が少ない以上、戦いを長引かせるのは得策ではない。ならば僅かな可能性に賭けて突撃し、ペアが頭上へ逃れる前に殴り倒して生き残る。これがスミロドンに残された生き残るための唯一の策だった。皮肉にも自らが最も得意とする戦術に生涯の全てを託して飛び出すスミロドン。
踏み割られたサソリの外骨格が飛び散る中、前腕の鉤爪が“柔らかい何か”を捕らえた。勝機とばかりに全力で体当たりを決める。
部屋全体に骨身を砕く轟音が響いた。
ペアにとってスミロドンが自殺行為さながらの突撃を敢行したのは、行幸と呼んで差し支えなかった。本来ならばこちらから相手を誘い出す必要があったが、その手間をわざわざ省いてくれたのだから世話はない。片腕を庇うメスのため、オスが終局の一撃を加えんと見上げるほど高い支柱からバネのように飛び出した。もちろんスミロドンと正面から激突して共倒れになるつもりは更々ない。やや上方から急角度に突撃して無防備な喉を切断する算段だった。こちらも鎌のような爪が分厚い毛皮を突き破る感触を覚えた。
そして部屋全体に絶叫が響き渡った。
「…辛うじて生きている。」
オスコウモリは酷い痛みと痺れに苛まれていた。しかも全身血に塗れているらしい。何とか九死に一生を得たようだが、しかし何故だ?先ほど飛び出した時には勝利を告げる感触をこの手に感じ取ったではないか? それなのに何だこの有様は…
靄がかかったような貧弱な視界の奥には“勝者”だろう者がただ一頭で立ち尽くしていた。明暗もおぼつかない視界では勝者の姿をハッキリと視認できず、それは動く塊として認識された。やがて勝者はゆっくりとした足取りで近づいてくる。それには不安や恐怖は微塵も感じられない。
だか何かが変だ。
違和感の正体は心拍だ。数ではない。何故か近寄ってくる者の心拍が激しいのだ。足取りは穏やか、なのに飛び跳ねるような心臓の鼓動がありありと聞こえてくる。
理解不能な不安に駆られ、なおも動けないオスコウモリは出来る限り視界に意識を集中させた。それでも塊が何かは分からない。祖先が、あるいは創造主たちが不要とした視覚がないことがここまで恨めしいのは、生まれてこのかた初めてだった。やがて塊が目と鼻の先までやって来た。
そこでようやくオスは安堵した。というのも、ようやく映り込んだ勝者が、何であろうこの世で最も信頼しているパートナーのメスだったからだ。
束の間の恐怖から開放され、オスはまだしも動かせそうな右腕をメスへと伸ばした。とりあえず地面から引き起こしてもらわないといけない。その後は……。
「!?」
突如として走った戦慄が彼を恐怖させた。激烈に蘇った最期の記憶。意識を失うほんの数秒前に明かされた真実が彼を絶望のどん底まで突き落とした。急いで右腕を加速させるが間に合わない。間に合うはずがない。
本当の意味での最後の血飛沫が上がり、オスの腕は根本から切り落とされた。
その犯人は、他でもないメスコウモリ。
激痛と共にフラッシュバックがオスの脳内を襲った。あの忌まわしい記憶。この世の誰よりも残虐かつ狡猾な首狩り女が最後に狩ろうとしたのは、他でもない自分だった。
にもかかわらずオスは抵抗しなかった。それだけは出来なかった。この異世界に放り込まれた生涯で唯一愛した伴侶。彼女が何であれ、それに手を上げる事だけは出来なかった。
もちろんメスに同情の一切はない。
それどころかオスは自身の首が刎ねられた今際の際でさえ、全てを理解してはいなかった。たしかに手がかりとなる情報はあったが、その全部を繋ぎ合わせたとしてもメスの策略までは読みきれなかっただろう。
まず初めの手がかりは、メスはオスと交尾をしていなかった事だった。たしかに一刻を争う戦場において、交尾など丸腰も良いところだが、それにしたって隠れて済ませるなど解決策はあったはずだった。それに交尾さえ済ませれば最悪オスが死んでもメスが次世代を残せる。つまり長期的な面ではむしろプラスの効果があると言っても良かった。それなのに彼らは一度も交尾をしていなかった。…それは何故か?
次の手がかりはより分かりやすく、オスも途中で疑念を抱くものだった。それはメスのスミロドンへの過剰な敵視と攻撃だった。それまでメスは機械的に最善手を打ち続け、無為に他者を狩り潰していた。なのにスミロドンに限っては目立った手傷を負わされた訳でもないのに、突如として恐慌に陥ったまま撲殺の動きを見せた。しかも3度も。その代償としてメスは重要な武器である片腕を喪失した。…それは何故か?
最後の手がかりはオスの知る由もない事だった。物語の初め、とある愚かな看守が仲間を怪物へ売り渡し、自分だけは助かろうとしたのを彼は知らなかった。そして看守は銃声と血の匂いに引き寄せられたオスの同族によって血祭りに挙げられた。それだけなら彼らが行う狩りと何ら変わらない。実際その狩りではコウモリが未来の覇者たる所以をまざまざと見せつせ、人類の叡智はコウモリに傷一つ残せず主の血に染まった。そして偶然か、あるいはコウモリと同様に餌の在り処に誘われてか、通りがかりのスミロドンが邪魔なコウモリを一撃で屠った事もオスは知らなかった。
この時スミロドンはあっさりと勝利を収めたが、その理由は地の利にあると考えた。たしかに狭苦しい通路はスミロドンに一定の理を与えていたが、スミロドンは決定的な条件を考慮していなかった。
それは『コウモリが単独でいた。』ことだった。思い返してみれば、これまでのコウモリ達は必ずと言って良いほど単独行動を嫌っていた。彼らは必ず群れで現れ、己が野望に身を投じていった。
ただ一つの例外である、
制御室前で食い殺された一頭を除いて。
以上の事からオスが違和感を察知し、これを逆手に取ることは不可能ではなかった。とは言ってもこれはあくまでも可能性の話であり、この状況と2つ3つの手がかりでは真相に辿り着くなど出来るはずがなかった。
その真実はメスだけが知るものだった。
かくして勝敗は決した。地球の長い歴史46億年の中で最も激しく、最も血に塗れ、最も凄惨な戦いは、人類を滅ぼした異次元の簒奪者が勝利を収めた。
あれからどれ程の時が過ぎ去っただろう。幾多もの憎しみと躯を内包したある男の野望の跡地に再び足音が響いたのは。
動く者の気配が失われて久しい戦場を、コツコツと小さな音を立てながら何者かが進んでいる。
正体も、数も、距離も分からない。だが勝者にだけは分かっていた。彼の者が“悪女”を殺し、この血塗られた惨劇に本当の意味での終止符を打つのだということを。
勝者は目を閉じた。そして自らを貫いた冷たい物が乾いた音を残すまでに息を引き取っていた。
惨劇の跡地に時の支配者が訪れた。コツコツと足音を規則正しく立てながら、ARC勤務の古生物学者ニック・カッターを先頭として政府直属の英国特殊部隊が一糸乱れぬ歩みを続ける。やがて短い通路を通り抜けた一行は、丸窓のついた重々しい扉までたどり着いた。するとカッターは目に見えて顔色を悪くした。決定的な確執はあったにせよ、並ぶもののない友を喪った地であることを考えれば、後ろに控える軍人達も何も言えなかった。だがカッターは目頭を抑えて静かに告げた。
「言っておくが、この先は何が起きるか分からない。この先にあるのは間違いなく地獄だ。それも湾岸戦争どころか第二次大戦よりも酷い。仮に生き残った生物がいたとしても、相当に弱っているはずだ。念の為3日の猶予をおいて突入するが、それでも生き残りは文字通り百戦錬磨の猛者、……心してほしい。」
舞台の面々も、奥から漂ってくる吐き気をもよおす鉄臭さと若干の腐敗臭によってカッターの言葉が脅しではないことを十分に理解していた。それでも足は竦んでしまう。だが彼らは特殊部隊の矜持をもって万全を期したまま力強く突入した。
永遠に開かれることのないと思われていた扉が開かれると、その先にはカッターの言葉どおりの世界が広がっていた。千切れた手足、床と壁一面に残された乱雑な爪痕。そして折り重なる死体の数々。
部隊の任務は残存生物の掃討と死亡した生物の回収。そして殉職したスティーブン・ハートを含む犠牲者の回収の3つだった。そして1つ目の任務は早くもケリがついたらしい。
「教授、これを……」
所狭しと散らばった死体の上に残っていたのは、たった1頭の勝者ことメスコウモリだった。片腕は半ばから潰れており、邪悪な爪も牙も一本残らず砕けるか失われている。どうやら扉の真ん前にいたらしく、開けられた勢いで後方に叩き飛ばされたらしい不自然な姿勢で横たわっていた。すでに絶命しているのかと思いきや、部隊の一人が持っていたオシロスコープが微弱ながら反応を示した。
「構えろッ!!」
軍人達は一斉に銃口をむけるが、カッターがそれを制止させた。
「いや待て」
メスコウモリはカッター達に気づいたのか使い物にならない手を弱々しく持ち上げた。カッターは身じろぎ一つせずに震える手を受け入れる。刃をもがれた指先が顔をなぞり、古臭い血が厚化粧となって残された。
(もはや狩るだけの力もないか…)
おもむろにカッターは立ち上がり、ポケットから取り出した拳銃でメスコウモリの脳天へと照準を合わせた。
詫びともとれる呟きに合わせて引き金を引く。すると火薬によって威力を数十倍に引き上げられた鉛玉が勝者の脳天を貫き、一撃で絶命させた。
乾いた銃声は一発だけだった。それで十分だった。この上さらに血を流す必要もなく、そして血を流させる相手もいなかった。
「すまない。それでは仕事にかかってくれ。」
俯いたままカッターが伝える。
すると質問が挟み込まれた。
「残存している生物は他にもいるのでは?その対策については…」
カッターはすぐに頭を振った。
「その必要はない。もし他に生き残りがいるのだとしたら、この瀕死の輩をとっくの昔に胃袋に収めているからな。だから大丈夫だ。」
「そうですか……分かりました。」
ザッザッと軍靴の音が響き、各々が割り当てられた仕事を執り行う。
その中をカッターは何も言わずに通り抜けていった。血溜まりを超えていると、この地で三日の間に何が起きていたのかが大まかに分かってきた。しかし深く考える気は起こらなかった。考えたくもなかった。愚かな企みに付き合わされ、外の景色を拝むこともなく、果てに残されたあの哀れな殺戮者がいつ終わるともしれない孤独に苛まれることになったシナリオなど。
やがて大人のスクトサウルスの死体の下にあったというスティーブンの遺体が運ばれてきた。顔を改めて確認し、礼を言って運び出してもらう。物言わぬ友の亡骸は厳かに運ばれていった。
「あらかた片付きました。あとは洗浄と機材や建物の確認だけですので、教授は生物の確認をお願いします。」
と言われ、カッターは巨大な墓標を後にした。駐車場には大きなブルーシートが敷かれており、その上に有象無象の死体が並べられていた。そのどれもが潰されているか破損しており、おまけに酷い臭いを放っている。既に半分ちかくの生物は原型を留めていなかった。それでもカッターは特徴的な部位を手掛かりに生物を見分けていく。
(シルル紀のサソリ、ラプトル、アースロプレウラ……)
回収された死体をリストへ順々で記していき、最後に端に鎮座する異様な外見をした肉塊へと目を向けた。
それはあまりにも壮絶な死を物語っていた。サソリとスミロドンとコウモリが3体揃って絡み合い、それぞれの武器で互いの息の根を止めあっていた。スミロドンの牙はコウモリの喉を刺し貫いているし、コウモリの爪はサソリの口を深々と射抜いていた。そして一番下に位置するサソリは捕脚でスミロドンの胸を挟み潰していた。何でも収容部屋の一角にあったという彼らの躯は、その異様さから多少なりとも興味を惹かれたが、すぐに興味は薄れた。
(…彼らは死んでいる。それ以上でもそれ以下でもない。これは私達が計画し、国を、人を。そして世界を守るためにした結果だ。…これで良いのだ。)
それでも悔いはあった。かつては人生を彼らの探求へと捧げる想いでいたのにもかかわらず、その別時代の英雄たちを自らの手で無為に殺し合わせたのだ。本来ならばそれぞれの領地で長く生き、歴史に偉大な足跡を残したであろう彼らを。
長く息を吸い、静かに吐き出した。
「これで全部でしょうか?」と尋ねられたので、そのはずだと答えると、ブルーシートはすぐさま折り包まれ、横付けしてあったトラックのコンテナへと積み込まれた。大半は焼却処分してもらうが、いくらか保存状態の良い個体は貴重な資料としてARCに送ってもらう。カッターはリストに残っていた空欄を3つ全て埋めた。
(シルル紀のサソリ、スミロドン、コウモリ……。と、)
リストには戦いに巻き込まれることなくカッターらが脱出する前に仕留めた生物の項目や、別行動をとっていたアビー達によって確保されたレックスなど、他に何箇所かの記入項目があった。それらにも必要な事だけを書き足していく。
リストを折り畳んでズボンのポッケに入れようとした時だった。
揺らめくような疑念が浮かんでくる。
…何かが変だ。
3日前にスティーブンやヘレンと逃げようとした時と、今の現在は何かが決定的に違う。必死に考えるも違和感の正体が掴めない。徐々に記憶を遡る。サイレンを鳴らし、扉を閉め、逃げようとしたら…
「ッ!?」
電撃が走るような衝撃が身体を駆け巡った。
(まさか…)
カッターは何も言わずに駆け出していた。後ろから続く困惑の声や引き留めようとする声を置き去りにし、扉を抜けて清掃中の職員にぶつかりそうになりながら、一心不乱に走り抜けていく。
鈍い金属音をした。まるで何かを叩きつけ、突き破るような。
しばらくして曲がり角を抜けた先には、数名の職員が奥へと銃を向けて構えていた。だが知ったことではない。また間を抜けようと身を捻ったが、今度は肘がぶつかってしまった。二人の悲鳴が響き、スピードが乗っていたせいで思い切り転んだカッターは、ポッケの中身をぶちまけてしまった。
「いきなり何ですか教授、」
苛立ちを交えながら軍人が転んだ拍子に痛めた膝を刺すっているのを横目に、カッターはリストや携帯を拾っていく。そしてある物に手が伸びた時だった。
指先が凍りつく。
疑念が確信へと変わった瞬間だった。
それは何の変哲もないコンパスだった。
激しく揺れ動く針を除けば。
再びカッターは駆け出した。後ろの軍人を振り切って階段を駆け下り、握りしめたコンパスに導かれるようにしてひたすらに突き進んだ。足は何度も縺れそうになったが、構わず突っ切る。
そして見つけた。破壊の現場を。
そこからは慎重に歩を進める。拳銃を取り出して握り直し、ひしゃげた防火シャッターを潜り抜ける。顔を上げると、そこには“揺らめく光の球体”があった。時を結んで歪める謎の門。またの名を『時空の亀裂』。
そしてカッターは確かに見た。球体の中にボヤけるようにして吸い込まれていった“影”を。
ようやく軍人達が追いついてきた。しかし亀裂はその身を隠すかのように瞬時にして消えた。一瞬だけ遅かったのか軍人達は亀裂を拝み損ねたらしい。同様を隠せない彼らへカッターは告げた。
「…すまない、私の気のせいだ。」
なんだ人騒がせだな、と思われても構わない。この世に彼の者の存在を知っているのは私だけなのだから。そして彼の運命はまだ続くのだろう。ならばよそ者が口を挟んで根も葉もない噂を広げるのは筋違いだ。
――願わくば彼が二度と異国の地を踏まぬように、そして二度と私と顔を合わせることがないように…――
こうしてカッターは、ただ一頭の『生存者』を見送り、帰還の途についた。
『勝っても負けても』 完
《勝者》…メスコウモリ。
《残存および生存者》
???…一体
…エピローグへ続く。