序章という名の果て、終局という名の前夜   作:Tutu-sh

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第2話『森の末裔』

一方、成熟しきっていないもう1頭のスクトサウルスが、別の搬入口前で収容エリアを覗いていた。ラプトルとスミロドンがエリアに入場し、中央に立つスティーブンに狙いを定めている。ひょろりとした何の武器も持たない生物が真っ先に狩られるのは自明だった。もう1頭のスクトサウルス──親なのか、血縁関係にない個体なのか、誰にも分からない──が今まさに攻撃されているとはつゆ知らず、この個体も収容エリアを再び離れようとしていた。

 

そのとき、上から何者かの発する音がスクトサウルスの耳に入った。何かが天井を這い回る音、そして不気味な吐息の音。音源が自らの上を移動していることがありありと感じられる。不安を抱いて顔を上げると、6メートルほどのムカデが天井にへばりついていた。全体は黒光りし、触角と付属肢は赤色に染まっている。頭部には発達した鋭利な顎肢が対となって備わり、グルカ兵の用いるククリナイフさながらの圧力を放つ。触角をうねらせ、天井を滑るように緩慢に動いている。元の時代では決して見かけることのなかった巨大な虫にスクトサウルスはひどく驚嘆し、叫び声を上げながら大きな音を立てて床を踏みつけ威嚇する。

 

その威嚇がアースロプレウラを刺激した。

頭を天井から離すと、触角を動かし、舐めるようにスクトサウルスの様子をうかがった。なおもスクトサウルスは唸り声を上げる。チューバを数オクターブ低くしたような低い声。息継ぎを入れて再び吠えようとしたとき、アースロプレウラが動いた。分銅のついた壁紙が天井から剥離するように、高速でスクトサウルスに向かって落下していく。重力による加速を用い、混乱するスクトサウルスの脇腹をかすめ、柔肌が露わになった喉元へ滑り込む。その所作は魔術で動く絨毯とでも呼べるものだった。アースロプレウラは喉に顎肢を突き立て、もがくスクトサウルスをよそに毒液の注入を開始した。

毒管から無色透明の液体が、次々にスクトサウルスの体内へ注がれてゆく。ムカデの持つ毒の詳細は現代医学をもってしても未解明であり、化石種たるアースロプレウラでは言うまでもない。しかしある程度の分析はなされており、現生のムカデの毒はタンパク質から構成されていると判明している。ヒスタミン注入による血管拡張。無理矢理に押し広げられた血管に無数のタンパク質分解酵素が放出される。地球上のどの生物であれ、肉体を構成するタンパク質に大差はない。3億年前の地球で台頭した巨大な両生類を相手に絶大な効力を誇った毒素は、それから5000万年後の爬虫類の肉体を確実に蝕んだ。連鎖するアレルギー反応に、崩壊する肉体構造。スクトサウルスは喉からゴボゴボと音を立ててもがき苦しむが、勝負は既に決した。華麗で鮮やかなまでの暗殺を終え、アースロプレウラは巻き付いていた螺旋を解いて床へ体を下ろす。

 

その時だった。アースロプレウラに油断はなかった。しかし、もっと用心をすべきだった。2憶5000万年前にアースロプレウラは存在しなかったが、3億年前にはスクトサウルスが存在しなかったのだ。未成熟とはいえ体重1トンを優に超す巨体。注入した毒液の量では、即座に行動不能に陥らせるに不十分だった。完全に全身が毒に侵される寸前に、スクトサウルスが最後の抵抗を見せる。全身を揺さぶって勢いをつけ、先ほどまで己に絡みついていた忌々しい一反木綿を踏みつけた。外骨格は一撃で割られ、内部の軟部組織が潰れて床にこびりつく。想定外のダメージに、この世の物とは思えないような金切り声を上げる。急いで体をうねらせて脱出を図るも、既に踏まれた部分は暗黒空間に飲まれたかのようにポッカリと穴が開いており、長さ2メートルほどだろうか、体の最末端は千切れかけ、陸に釣り上げられたイワナのように跳ねていた。

 

アースロプレウラが反逆者へ追撃を加えようとした瞬間、スクトサウルスが肘を突いて崩れ落ちた。泡立った唾液をボタボタと垂らしながら荒い呼吸で喘ぐ。瞳は虚ろになり、頭を床につけて完全に倒れ込んだ。死亡したわけではない。しかし呼吸困難と意識の混濁。この容体で捕食動物の集う空間に野晒しにされれば、まず助かることは無い。仮に捕食者が意に介さなかったとして、この毒の症状では苦しみ抜いた末に死を迎えるのは明白だった。

 

とはいえ、アースロプレウラも絶望的な状況に立たされていた。スクトサウルスに踏み潰されたため、後方の体の自由が効かない。さらには生物収容施設の酸素濃度の問題があった。酸素体積比30パーセントという節足動物に理想的な環境に生息していたアースロプレウラは、時空の亀裂の加護を受けないこの状況で弱体化の一途を辿っていた。当初は施設内を活発に動き回っていたが、酸素濃度21パーセント以下という環境でパフォーマンスは低下する一方。それゆえに、かつては酸素濃度が調整されていた収容エリアの付近まで戻り、天井で休息をとっていたのだ。そしてスクトサウルスの反撃によるダメージ。

アースロプレウラには、収容エリア付近で命が尽きるのを待つほかの選択肢が存在しなかった。収容エリアに入ってしまえば、負傷に目を付けた殺戮者による猛撃を受ける。収容エリアから離れてしまえば、十分な酸素を得られる可能性は限りなくゼロに近づく。施設内を巡ってそれを確かめた彼は、辛うじて豊富な酸素の残った空間に残るという選択肢を取らざるを得なかった。

 

そんなとき、千切れかけていた部位が突如切断され、宙を舞った。見ると、2メートルほどの体が千切れ飛び、数メートル離れた床面をビチビチとのたうち回っている。そしてその手前には、大きく牙を剥いた哺乳動物がいた。

 

スミロドン。またの名をサーベルタイガー、生まれながらの殺し屋。

 

体重の最大値はライオンのそれを遥かに凌駕する域に到達する。その圧倒的な前腕のパワーで、邪魔なムカデの一部を吹き飛ばしたのだ。正面についたその目はアースロプレウラの頭をしっかりと捕捉し、完全な狩猟対象として観察していた。

 

アースロプレウラは気味の悪い鳴き声を上げながら決死の威嚇のため体を高く持ち上げるが、万全の状態であればいざ知らず、既にスミロドンをねじ伏せるだけの力は残されていなかった。飛び掛かるスミロドンの打撃は、一撃一撃がアースロプレウラの体節1つ1つを確実に吹き飛ばしていく。キチンの外殻が砕け、弾力のある身が弾け飛ぶ。次第次第に頭部に迫る破壊を回避すべく右へ左へと身をよじるも、その抵抗も迷惑そうに牙を見せたスミロドンに抑えつけられる。

 

しかしそれで十分だった。スミロドンが抑圧に躍起になっているその数舜を、アースロプレウラは突いた。急速にU字を描き、頭をスミロドンに向けてジェット戦闘機のように突撃させる。顎肢がスミロドンの長大な牙をかすめて火花を散らす。顎肢の先端はスミロドンの胸に突き刺さり、続けざまに毒液が管を通って注がれる。突然の激痛にスミロドンは身をよじって脱出せんとするが、最期の力とでも言わんばかりに顎を締め付けるアースロプレウラの呪縛からはなかなか逃れられない。こうしている間にも毒液の注入は続く。

やがてスミロドンは腕を震わせながら高々と掲げ、アースロプレウラの半円形の頭に爪を叩き付けた。頭部は音を立てて砕け、そのまま顎肢も胸から引き抜かれる。反射で未だに動き続ける胴部を咥え、反撃された怒りからか、二重振り子のように猛烈に振り回す。咥えていた節が耐久限界を突破して崩壊し、2メートル弱まで短くなった胴部は壁に叩き付けられた。

 

サーベルタイガーには、床に落ちてもいまだに反射で動き続けるその胴部を完全に破壊する気力はなかった。飽きたからではない。体力が底をついたのだ。夢中になってアースロプレウラの体を破壊していたスミロドンは当然ながら脈拍が増加していた。加速した心臓はポンプとして大量の血液を全身に巡らせ、結果として毒を体の隅々まで運搬してしまったのだ。筋力を維持できなくなった四肢が震え、視線が定まらなくなる。つい1万年前まで北米を闊歩していた猛獣も3億年前の毒素に敗北した。視界が黄土色と紫色のまだらに変化して大きく歪み、支えを失ってその場に倒れ込む。ムカデの残骸のそばに、また新たに1頭の魂が天に召されることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

【残存生物】

ラプトル2頭

スミロドン1頭

水棲霊長類2頭

サソリ2頭

コウモリ12頭

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