時はスミロドンとラプトルが激突する前まで遡る。
ラプトルがスティーブンを仕留めて飛ぶ先にいた生物はスミロドンだけではなかった。ラプトルを挟んだすぐそばにはサソリが2頭控えていた。うち1頭は既にスクトサウルスとコウモリを始末した個体で、ヒビの幾重も走る甲殻はその激戦を勝ち上がったことを明言していた。彼らが先の争奪戦に乱入していれば、捕食者3頭を瞬く間に弾き飛ばして勝敗が決していたかもしれない。
だがそうはならなかった。檻枠の上に、クレーンの上に、壁に、天井に──遥かな高みから見下ろす者がいた。コウモリたちだ。彼らは2頭の同胞がサソリに殺されたことを知っていた。極限状態に置かれているなら話は別だが、彼らにも同胞意識がある。元の時代では結束の強くない群れを形成し、必要に迫られると集団で狩りを行っていた。その仲間が殺された。強固な結束の下になかったとはいえ、地べたを這いずるアザラシモドキやノネコよりも遥かに信頼・利用できる存在だった。先ほどは見逃してやったが、群れが集った今であれば2頭まとめて殺処分できる。神経制御機器で本能を抑圧されていたのも原因の1つかもしれない。アドレナリンの量が著しく制限された結果それに適応し、リークの支配下から離れて大量に分泌されるようになったアドレナリンが過剰なまでの興奮を引き起こしたのかもしれない。灰色に染まった殺戮集団の間で、深海よりも深い漆黒の怒りが沸騰した溶岩のように沸いていた。
何も知らない生物たちの頭上で超音波によるコミュニケーションが展開される。ラプトルの耳には届かない高周波。聴力に長けたサーベルタイガーが煩わしそうに耳を振るうが、内容までは理解が及ばない。檻枠と床面にいる3体が地上戦に参加し、4体がスクトサウルスを倒したサソリへ、残る5体がもう1頭のサソリに対して総攻撃を仕掛ける。忌々しい甲羅を砕いて肢をもぎ取り、尾を引き千切って肉をかき混ぜる、その抹殺計画が立てられていた。
ラプトルの着弾と同時にサソリが動き始める。その瞬間に航空部隊が降下する。足場を蹴りつけ、9体が一斉にサソリたちに飛び掛かる。その距離が3メートル程度に迫ったとき、彼らもそれを察知した。尾の鞭を振るってそれぞれ空中部隊を1匹ずつ弾き飛ばす。2頭の胸と腹に切り込みが入り、わずかに血液を漏れ出させながら床へ落下していく。しかし残る7体がそれぞれ標的の体へ着弾する。
スクトサウルスとの戦いによるダメージは深刻だった。既に外骨格は割れ、歩脚もその力を充分に発揮できなくなっていた。そこへ突入する3体の魔人。鉄の網を容易に切断してライオンを連れ去るほどの怪力。振り落とそうと暴れるが、亀裂の入った外骨格は彼らの前では繊細な硝子細工に等しく、彼らの爪牙は瞬く間にそれを割って引き剥がし、内部の柔らかな肉へ腕を刺し込んだ。湖に研がれたナイフが沈むかのように滑らかに侵入し、消化管を、神経を、爆発的な力でもってして断絶する。弾かれた1頭が戻って来るや否や、尾を掴んで引き千切った。しかし神経が通っていないのだ。元々希薄だった痛覚はもはや消失していた。
無限の広がりを有するような4億年前の砂砂漠で、彼らは頂点の地位をほしいままにしていた。唯一無二とは言えないまでも、その地位を脅かせる存在は同族くらいのものであった。砂を揺らさずに砂地を動ける生物もそう居ない。足を踏み出せば振動が生じる。その振動を感知し、地下から一撃で狩る。砂中へ引きずり込まれた生命になす術はない。
それが今はどうした。硬く冷たいコンクリートの床の上で、得体の知れない巨獣と戦い、未知の化け物に襲われている。常識の通用しない異次元へ来訪してしまった。己の戦術も封じられ、彼らの独壇場へ引きずり出され、ここで生命を絶たれる。
茶色の体液と青色の血液がほとばしる中、サソリの肉体は4頭による絶対的な蹂躙に委ねられた。
もう1頭のサソリも苦戦を強いられた。6本の歩脚のうち3本が折れて根元から切断され、甲殻にヒビが入った。頭部の方へ着地した1体により猛烈な力で触角を根本から引き抜かれる。
施設中に響き渡る絶叫を上げ、迎撃に動く。前方のコウモリの魔の手が頭を掴む寸前、触肢が作動した。スクトサウルスとの激闘を回避した万全状態の棘が、コウモリの腹に勢いよく突き刺さり、血を噴き出させて内臓破裂を起こす。前方のコウモリを一撃で悶絶させたまま、後方に群がるコウモリに注意を向ける。3本だけとなった歩脚でバランスを崩しながらも旋回し、彼らを体から転げ落としていく。
背中に乗った1頭が強大な遠心力に振り払われないように指に力を入れると、ピキピキと音を立てて装甲のひび割れが拡大した。振り落とされたコウモリが再びサソリの巨体へ突進し攻撃を加えていく。最初に弾かれたコウモリも砲弾のように跳ねて合流する。触肢に刺さったまま血を流して激痛に耐えていたコウモリが息を吹き返し、触肢に対する破壊活動を開始する。
5頭のコウモリに群がられ、サソリは逃走する。背中のコウモリを振り落としながら、周囲のコウモリには触肢を振り回しながら、縦横無尽に収容エリアを駆け巡る。檻枠に体をぶつけ、1頭を挟み潰す。振り落とした1頭に全体重をかけて押し潰す。もはや動けなくなったもう一方のサソリを相手に荒れ狂っていた兵士たちが、騒ぎを耳にして振り返る。仲間を次々に挽き潰していくサソリが視界に入り、彼らの怒りのボルテージが再び極限まで突沸する。生死の境すら曖昧と化した巨虫を放棄し、彼らは仲間の助太刀へ向かった。
暴走する装甲車にバズーカが次々に撃ち込まれるかのように、苛烈を極める怒涛の殲滅戦が爆破テロのように吹き荒れる。海洋に適応したがゆえに陸上での移動能力の低い霊長類が、その凄惨なカタストロフィの巻き添えを食らった。コウモリの爪牙が流れ弾のように体を切り裂き、ボロ切れと化した肉体はサソリの圧倒的質量に圧殺された。断末魔を上げることなく絶命していた。
サソリはある行動に出た。それは奇しくも、彼の同族がスクトサウルスから受けた戦法と同じだった。
コウモリとの打撃戦を続けたまま壁に最大限接近し、壁に沿う形で急激な方向転換。上に乗っていたコウモリが2頭振り払われ、壁とサソリの甲殻に挟まれる。そのまま壁に甲殻をこすりつけ、サソリは壁に沿って爆進した。硬質で尖った甲殻と壁に剪断され、血肉の混ざった雑巾同然に破壊され尽くしたコウモリの死体が、生々しい音を立てて床に転がり落ちる。
だが、体の片側を壁に密着させているということは、逃げ道を1つ完全に潰しているということでもあった。サソリが部屋の中央側へ向き直す前に、生き残っている3頭のコウモリが歩脚へ総攻撃を仕掛ける。右側に残っていた歩脚が千切られ大きくバランスが崩れる。蹂躙が始まった。3頭のコウモリが、蓄積しきっていた怒りを爆発させる。ここまでの激戦で、サソリの外骨格は崩壊目前だった。降り注ぐ打撃の雨が甲殻を破壊して肉まで刺さり込み、残った歩脚を動かして悲鳴を上げた。2本だけの歩脚で無理矢理に体を引きずり、触肢と鋏角を振りかざして応戦する。骨の砕ける音、肉の弾け飛ぶ音。双方の怒号が飛び交う修羅の様相を呈した。
目まぐるしく変貌した戦況の果てに、歩脚の全て外れたサソリの残骸が、腐った樹木のように崩れ落ちた。残された触肢も1本のみで、鋏角も二度と音を立てることはできない構造に変えられていた。外骨格はほぼ全て砕かれており、普段はその下に息をひそめている軟組織が露わになっていた。その組織も肉と青色の血が混ざり合って混沌とし、まだらのゼリーやムースといった具合に変容していた。その周囲には新たに2頭のコウモリの死骸が転がっている。1頭はサソリの下敷きとなり、その灰色の肉体にはサソリの体液と肉がかかり、鼻を突くような酷い悪臭と汚物に塗れていた。もう1頭はサソリによる裂傷が肉体の限界を超えたらしく、筋繊維がものの見事に引き裂かれていた。
残る1頭のコウモリは腹を大きく斬られていたが、その傷は内臓まで達していなかった。勝敗は決した。この傷がその根拠である。9頭のコウモリと2頭のサソリの戦争は、多大な犠牲を払ったコウモリによる害虫駆除に終わった。かつての地球の歴史を飾った種がまた1つ、再びこの星から姿を消した。
【残存生物】
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