序章という名の果て、終局という名の前夜   作:Tutu-sh

6 / 8
第5話『生存戦略』

これまで興奮と激情に駆られていた未来生物へ次に訪れた意識。それは束の間の安息だった。この1日にも満たない数時間のうちに、どれほどの同胞の命が絶たれたか。そしてそのような情緒を、頭部に取り付けられた装置で、どれほど長く抑圧されていたのか。幾千もの想いが捕食者の脳を駆け巡るが、ここは戦場である。そのような感慨に現を抜かしていると、ものの数秒も生きていけるか怪しい世界。人間の想像しうる地獄を集約した牢獄。思考を現実世界へ向けなくてはならない。

超音波による探知網を展開する。反響定位。ここに収容されている生物でこの周波数を聞き取れる者はごく僅かである。いわばシークレットの信号が収容エリアを音速で駆け抜けて反響し、物体の位置情報を正確に伝達する──

──否、その必要もなかった。同胞が剣歯虎を翻弄して弄んでいる音が見えた。2対1での殺し合いだが、ただのゲームと呼んでも差し支えないだろう。本気を出せば数秒で決着がつく。

とはいえ。この場で求められているものは、敵の確実な死。その心臓を射止め、鼓動の静止するのを聴かなくてはならない。肺の収縮膨張が停止するのを視なくてはならない。血液の循環が停滞するのを感じなくてはならない。瞳孔の反射運動が不活性化するのを読まなくてはならない。同胞を除いて全ての生命を殺し尽くし、そして奴らの死骸を食らい、それを我らが血肉とし、力を蓄えて脱出する。この世界を血で清めて地獄を創り、永久に栄えよう。そのためにはまず、この場に居る有象無象の殲滅が必要だ。加勢だ。確実なとどめを刺す。

サソリの崩壊とともに自らの上に落下した最後の歩脚を床へ降ろし、コウモリは立ち上がる。五体満足。負傷は深刻でない。脈動する虎の心臓に狙いを定める。

 

その時だった。柱の影に、超音波のソナーに引っ掛かる何かがある。間違いなく生命体だ。何者かが潜んでいる。微弱だが呼吸の音がする。心臓の鼓動音がする。

コウモリは音を殺して忍び寄った。同族であれば、音を立てていると誤って攻撃される可能性がある。別の生物であっても、気取られないうちにゼロ距離まで接近し、いち早く仕留める必要がある。コウモリは静かに慎重に、だが時間をかけることなく柱の影へ回り込んだ。

 

そこに居たのは水棲霊長類だった。

コウモリに焦って向き直ったその目には、驚愕の色が浮かんでいた。だがその色はすぐに警戒の色へと変化し、鋭い目線を真っすぐにコウモリに浴びせかける。

サソリの暴走を低い機動力で紙一重で回避し、安全のために柱の陰に潜んでいたのだ。彼も生存のために必死になっていた。ラプトルがスティーブンを狩った直後、地上へ降り立った2頭のコウモリと会敵し、同胞と散り散りになった。彼を救えず、戦車と悪魔に八つ裂きにされるのを見た。最大の障壁である戦車の暴風圏を巧みに立ち回っていると、別の戦闘が繰り広げられているのが視界に入った。それは悪魔と賊徒の抗争だった。彼らの間に割って入るのは、常識で考えるとただ命を無駄に散らすだけだ。だが今回は違った。悪魔は賊徒の足元で苦悶し、そして賊徒もまた危機的状況に立たされていた。

これなら勝てる、という思考が浮かんだ。

いずれも俊敏で危険な相手だが、賊徒はそう大型ではない。悪魔は比較的大柄ではあるが、その痩せた体を見るに、自らを上回るだけの重量を秘めているようには思えない。不意を突く。匪賊の首に牙を突き立てたが、思いの外軽々と持ち上げられた。そのまま終止符を打つ。地べたで転がっている悪魔はズタズタに引き裂かれた臓物を巻き散らしており、じきに臨終の時を迎えるのは火を見るよりも明らかだった。2頭の死を確認した後は、全てが落ち着くまで柱の影にひっそりと身を潜めておく算段だった。

 

だがコウモリと面と向かいあうこの状況では、その計画の座礁の可能性が提言されていた。ここで重い腰を上げて目の前に佇む魔物を叩き潰さなくては、この先を生き残ることなどできない。

前脚を伸ばして水かきを広げ、長く伸びた牙を剥き出しにし、重低音の管楽器のような声で咆哮する。咆哮により生じる空気の波動がコウモリの感覚器官をビリビリと刺激する。

普通であれば相手を委縮させる咆哮だが、音波の奇術師たるコウモリに対しては起爆剤となった。全身の筋肉を躍動させ、霊長類の側面へ滑り込む。霊長類も急いで体を回すが、間に合わない。既にコウモリはソナーで霊長類の肉体を隅々まで見通し、どこへメスを刺し込んで執刀するべきかを熟知していた。背にサソリのような外骨格は存在しないが、外皮が厚く卓越している。ならば切開すべきは喉と腹。脇腹を断ち、すかさず飛び上がって反対側を斬りつけ、細い針のような牙を以て肉片を抉り出す。一切の過誤のない流水のごとき攻撃が、霊長類のゴムまりのような弾力ある肉体へ次々に飛び込んでゆく。

ペルム紀の地上を支配したゴルゴノプス類でも対応できないコウモリの圧倒的速度に、水生生物が間に合うはずがなかった。腕を振るい、顎を振り回しても空を切るばかり。一方でピンポイントの負傷と出血が次々に増加していく。霊長類は次々に累積する激痛に身をよじり、天に向かって叫び声を上げた。この瞬間をコウモリは見過ごさない。伸長を止めるのを忘れたかと思わせる長い指が喉を掴み、霊長類の重々しい肉体を横倒しにして床へ叩き付ける。

 

だがこの瞬間を、霊長類は心待ちにしていた。

 

コウモリが霊長類を切り刻み、そしてかじり取るこの状況で、両者にとって不十分なもの。

コウモリにとって、それは『力』。己の体重を遥かに上回る相手を倒すのに、ただの裂傷では埒が明かない。体を押さえつけて確実に急所の肉を刈り取る必要がある。

霊長類にとって、それは『距離』。己を超越する俊敏性を誇る相手を仕留めるには、遠距離では当然届かないし躱されてしまう。さらに密着しなくてはならない。

コウモリが喉を掴んだ瞬間が、両者のニーズの合致する瞬間であった。それはすなわち、霊長類にも反撃の機会が訪れたことを意味する。床に叩き付けられる反動に見せかけ、尾を大きくスイングする。本来は空気よりも遥かに甚大な抵抗を持つ水の中で働く運動器官。途方もない遠心力とともに放たれる一撃が、コウモリの反射をかいくぐって直撃した。

重機が建物に当たったかのような轟音を立て、マッチ棒のように細いコウモリの体が尾びれに弾かれる。全身の骨が軋む感覚を抱きながら、尾に殴打された方向、つまり下向きへ叩きつけられる。サソリに斬りつけられた傷口が開き、鮮血が噴き出る。自らが霊長類を引き倒した衝撃を遥かに超える威力に、コウモリの肉体は数舜麻痺を迎えた。白く飛ぶ視界。兵器運用まで思案されていた超生物たるもの、即座に回復し肉体が再起動する──が、霊長類は既に十分なまでに距離を詰めていた。

コウモリが回避行動を完了する前に、霊長類の張り手が炸裂する。現生の鰭脚類のヒレよりも腕としての機能を残した前肢での一撃。広い稼働範囲を持ち、十分な筋肉を備えている。人間の力士でさえ木の柱を数発で破砕しうる水準にある。海に適応した霊長類であれば、その力は人間の比ではない。その張り手がコウモリの顔面にクリーンヒットする。再び視界が飛び、目の前には火花が飛び散る。頭蓋骨に大きくヒビが入りながら、そのまま数メートル弾き飛ばされる。両側の鼓膜が破裂し、音は骨伝導に頼らざるを得なくなった。さらに二度にわたる攻撃により骨に異常をきたし、音の反響が歪に変容していた。コウモリの主戦力となる聴力が極限まで低下し、重要な感覚器官が1つ消失した。

黄色の檻枠に体をぶつけて体が血を撒き散らしながら乱暴に跳動を静止したとき、霊長類は床を跳ねながら迫っていた。このまま全体重を乗せて華奢なコウモリの肉体を押し潰し、圧殺する計画。哀れな暫定犠牲者までの距離は残り5メートルを切った。

まだコウモリは立ち上がらない。

残り4メートル。

四肢が震えながら動き始める。

残り3メートル。

ガクガクと振動しながらも立ち上がり始める。

残り2メートル。

コウモリの顔がこちらを捕捉する。

だがもう遅い。残り1メートル。ここで跳躍する。

エンジンが噴射するロケットのように、全身を躍動させて霊長類が宙に跳び上がる。コウモリの回避は間に合わない。やがて筋力による鉛直上向きの速度成分はゼロになり、霊長類の肉体が落下を開始する。落下地点はコウモリの真上。数百キロに上る圧倒的質量弾が、痩せこけたコウモリへ弾着する。

 

だが、霊長類の目論見は外れた。

 

回避はされていない。霊長類は計画通りにコウモリの上にのしかかり、ほぼ完全に全体重をかけていた。だがコウモリは依然として健在。霊長類の真下にはあの超生物がそのまま自らの体重を支えて立っている。状況を理解できない霊長類は腕を振りかざして牙を剥くが、その真下でコウモリが白い牙を光らせる。まるで裏社会で生きる罪人が、意地悪く勝利を確信して笑みを浮かべるかのごとく。

コウモリが生き延びたからくり。それは純粋に質量攻撃を『耐えた』ということだ。ずんぐりとした体型の霊長類の目から見ると、この収容施設の生物の一部は痩せ細っているように見えた。スミロドンにせよ、ラプトルにせよ、霊長類を上回るほどに太ましい肉体はしていない。全長10メートルを超す親玉の下で暮らす彼らにとっては、せいぜいスクトサウルスが“標準体型”だった。華奢なコウモリなどただの枯れ木も同然だったことだろう。

だが事実は異なる。鉄柵を抉じ開け、強化ガラスにヒビを入れ、体格で圧倒するゴルゴノプスが苦戦を強いられることとなった強靭な肉体。圧倒的に高密度な筋繊維の集合体が、細身の肉体を構成していた。いわばしなやかなワイヤー、否カーボンナノチューブで構築された筋肉である。相当量の筋組織をその身に宿しながら軽やかな身のこなしを実現する、この世に具現した矛盾の塊がこのコウモリだった。

力を込めて牙を振り回す霊長類をよそに、コウモリが骨を軋ませながら押し返してゆく。恐怖を抱き始めた霊長類は牙を全力で近づけてコウモリの首のすぐそばで鳴らしてみせるが、自暴自棄ともとれる威嚇をコウモリは意に介さない。聴力を失ったことがかえって味方したのかもしれない。

やがてコウモリの肉体へ上からの負荷が消え失せると、目にも止まらない速度で反撃が開始された。爪で喉の皮膚を破ると同時に、胸に鋭い牙が突き刺す。喉を引き千切ったのは一瞬だった。霊長類はゴボゴボと下水のような音を立てながら、腕を動かし、のたうち回って抵抗する。コウモリは学習していた。尾ビレの射程に捕らわれない位置で、張り手を放つだけの距離を与えず無力化し、次々に追撃を加えていく。この収容施設ではサーベルタイガーに次ぐであろう牙が弧を描くが、全て空振りに終わってしまう。

やがて霊長類の抵抗は弱弱しくなり、全身から力が抜けていった。口をぽっかりと開いたまま動かない。頭を掴んで揺らし、顎を閉じて開いても反応がない。瞳孔も一切の変化をしなくなっていた。その死を確認すると、コウモリは背を向けた。

 

 

しかしこれは罠だった。

 

死が偽装というわけではない。霊長類そのものがデコイだった。

いち早く戦線を離脱し、周囲の観察に徹していた生物がいた。戦いに加わらなかったおかげでこれまでダメージを一切受けず、最期の1頭が決まる寸前で動き始めたのだ。戦っている同族さえ情報源として扱い、その戦いに一切の加勢をしなかった。高い知能をもつものの、子を守るなどのある程度の仲間意識を持ち、群れで行動し、仲間を殺したサソリに対して激情に駆られた未来の捕食動物には、到底不可能な芸当だった。

サソリの暴走も、スミロドンの闘争も見物していた。生物の特性を熟知し、それを戦況に応用した。霊長類はその体格ゆえに不意打ちをすればラプトルさえ仕留められる実力を持つが、陸上での機動力のなさが玉に瑕だ。これを駒にした。コウモリは何らかの索敵能力を有している可能性が高い。音なのか、臭いなのか、電磁波なのか、それは分からない。だが連中は連中だけで、オリバー・リーク専属の親衛隊として機能していた。収容されていた生物とは行動を共にしてはいなかった。そこがミソだ。霊長類を駒として配置し、それを誤認してくれる可能性があった。そしてそれは実現された。

 

コウモリがもう1つの音源に勘付いたのと、その生物が攻撃を開始したのは同時だった。

敏速。スピードとスピードの衝突。コウモリの爪が襲撃者の喉を射程範囲に入れる前に、馴染みのある鉤爪が気管を潰した。そのままのエネルギーで、コウモリは襲撃者とともに倒れ込む。霊長類との戦いで悲鳴を上げていた骨がついに砕け散る。激痛を堪えながらコウモリの腕が伸びて反撃が開始される寸前、鉤爪に力が入った。鎌のエッジがコウモリの肉を切り裂き、サソリ戦での負傷を利用して気管から下腹部にかけて正中線上を一気に切開する。

コウモリが叫ぶと同時に、襲撃者が飛び退く。跳び上がった拍子にコウモリの爪が接触してウロコが数枚吹き飛んだ感覚があったが、そんな些末なことは問題ではない。問題なのは、標的の喉から、腹から、止め処なく噴き出る血液。コウモリはなおも追撃のため立ち上がろうとするが、既に砕かれた骨には力が入らず、血の海へ落ちていく。

 

コウモリが最早動けないと見たか、襲撃者はその場を後にした。

歩み去っていく襲撃者の背中を見ながら、捌かれたコウモリは血だまりの中で自らの身を赤く染めていた。全身に分布する筋繊維1つ1つが脳の指令を受け付けなくなってゆく。それを実感しつつ、彼の頭にはある確信が浮かべられていた。

 

 

 

 

どちらかが、最後の生き残りになると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【残存生物】

コウモリ1頭

 

 

そしてラプトル1頭

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。