見つけられなかった私の戦車道   作:ヒルドルブ

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プロローグ

【西住まほ視点】

 

「大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!」

 

 勝った。

 

 私たちが、黒森峰が勝ったんだ。

 

 黒森峰の隊長として、去年の雪辱を晴らすことができた。

 

 西住流の後継者として、王者の戦いを見せることができた。

 

 一戦車乗りとして、高校最後の大会で優勝できた。

 

 これほど嬉しいことはない。

 

 ――はずなのに。

 

 本来なら喜ぶべきところのはずだ。嬉しいという感情しか湧いてこないはずだ。

 

 なのに何故だろう?

 

 何故こうも心躍らないのか。

 

 ……いや、本当はわかっているんだ。

 

 その原因は。

 

 目の前で虚ろな瞳で白旗を見つめ続ける妹の姿にあった。

 

 

          *

 

 

「みほ」

 

 試合が終わり、撤収しようとしている大洗の面々、その中から私は目当ての人物の姿を見つけ出して声をかける。

 しかしみほに近づく私の前に立ち塞がる複数の影があった。どれも見覚えがある顔だ。たしか以前戦車喫茶でみほと一緒にいた娘たちだ。

 彼女たちは私の前に、まるでみほを守るように立ち塞がった。

 随分と嫌われたものだ。まあ以前の戦車喫茶でのやり取りを考えれば仕方ないが。

 みほはそんな彼女たちを手で制すと私に向かって歩み出た。心配げに見つめる仲間たちに大丈夫というように微笑んでから私に顔を向ける。

 その笑みにも力がない。試合に負けたばかりなのだから仕方がないが、どうにもその表情に私は違和感を覚えた。

 

「優勝おめでとう、お姉ちゃん」

 

 祝福の言葉とともに差し伸べられた手を、私は一瞬躊躇いながらも握り返した。

 

「完敗だね。やっぱり黒森峰は強かったよ」

「いや、ここまで追い詰められるとは思わなかった。戦車道を始めて数カ月でこれほどのチームを作り上げるとは大したものだ。もっと経験を積めば来年には優勝も夢じゃないぞ」

 

 来年。その言葉を聞いてみほも、周りの隊員たちも目に見えて意気消沈していた。その様子に先ほどの違和感が更に大きくなる。

 負けて悔しがるというのなら理解はできる、というよりも当然の反応とは思う。だがどうにもみほたちの反応はそういったものとは違う気がしてならなかった。

 そもそもみほが試合に負けただけでこんなに落ち込んでいるのを見たことがなかった。いくら優勝まであと一歩だったからといってこんなに落ち込むものだろうか。どうにも腑に落ちなかった。

 

「来年だと?」

 

 そんな中で声を上げる者がいた。声のした方を向くと、モノクルを掛けた少女がこちらを睨みつけていた。

 

「ふざけるな! 来年なんてない! この大会で優勝できなければ我が校はなくなるんだぞ!!」

 

 学校がなくなる。突然の宣告に理解が追い付かなかった。

 

「あと一歩だった! あともう少しで勝てたのに! 優勝すれば、大洗は廃校にならずに済んだのに! 何で! なん、で……!」

 

 それ以上は言葉にならず、目の前の少女はそのままその場で泣き崩れた。

 

 大洗女子学園が廃校になると目の前の少女は言った。それは優勝できなかったからで、私がみほに勝ってしまったからで。

 

 つまり。

 

 私はみほがせっかく見つけた居場所を、仲間を、奪ってしまったのか?

 

 呆然とする私を置いて、ツインテールの小柄な少女に率いられて大洗の面々は撤収すべく歩き出していた。

 

「ねえお姉ちゃん」

 

 その中でただ一人、みほだけが立ち止まって振り返った。

 

「覚えてる? 私が小学生の時のこと」

 

 小学生の時、漠然とした物言いに私は首を傾げる。みほはそんな私の反応に構わず続けた。

 

「お姉ちゃん、私に言ってくれたよね。『自分だけの戦車道を見つけなさい』って」

 

 思い出した。たしかにみほが小学生の時にそんなことを言った。私がちょうどドイツから日本に戻ってきていた時のことだ。あのみほがお母様に逆らうとは思わなかったから大層驚いたものだ。

 そこまでみほを追いつめていたことが、それに気付いてあげられなかったことが情けなくて、泣いているみほを見ていられなくて。

 

 だから私は言ったんだ。

 

『みほは自分の道を進んだらいい。戦車が嫌いになったらやめてもいい。

 ……だが、もし戦車を続けるのであれば。

 自分だけの戦車道を見つけなさい』

 

 と。

 

「なかったよ」

「え?」

「“私の戦車道”なんてなかったんだよ」

 

 

          *

 

 

 表彰式も撤収作業も終わってようやくいち段落ついた現在。私は着替えもせずにベッドに横になっていた。

 頭の中はみほのことでいっぱいだった。思い出すのは別れ際のみほの言葉。

 

『“私の戦車道”なんてなかったんだよ』

 

 あの時のみほの言葉が頭から離れない。

 

 私はみほの戦車道を否定してしまったのか?

 黒森峰で散々周りから非難の目に晒されて、辛い思いを抱えて転校した先でようやく仲間とともに見つけた戦車道を。

 いや、戦車道だけの話ではない。

 大洗女子学園は廃校になると言っていた。そうなればみほはどうなる?

 黒森峰に戻ってくる? いや、それはありえない。今の黒森峰にみほの居場所はない。

 あんなことがあって黒森峰を去って、転校先の弱小校で戦車道を続けて、挙句黒森峰に敗北した。一体どの面を下げて戻ってきた? そう言われるのが目に見えている。

 では別の高校に転校するか? だがお母様はみほを勘当すると言っていた。お父様や菊代さんが取り成してくれる可能性はあるが、それをお母様が聞き入れてくれるとは思えない。

 百歩譲って勘当を取りやめてくれるとしても、転校した先でみほが大洗と同じように上手くやっていけるという保証はない。

 正直に言ってみほの未来は暗いと言わざるをえない。私でさえそうなのだからみほ本人は余計そうだろう。

 

 そこまで考えて私は無性に嫌な予感がしてみほに電話をかけた。

 しかし何度かけても繋がらない。嫌な予感は益々膨れ上がるばかりだった。もう一度かけようと思ったところに着信があった。

 みほかと思って液晶を見ると実家からの電話だった。予想外のことに訝しみながらも私は通話ボタンを押した。

 

「もしもし」

『もしもし、まほお嬢様ですか!?』

「菊代さん? どうしたんですか、こんな時間に?」

 

 電話の相手は西住家の女中の菊代さんだった。多忙な母に代わって私たちの身の回りの世話をしてくれていた人だ。

 厳しい母とは対照的に優しい人でみほは特に懐いていた。私も菊代さんには物心つく前から世話になっているが、こんな切羽詰まった声は聞いたことがなかった。

 

『みほお嬢様が……!』

「みほ? みほがどうかしたんですか!?」

 

 みほの名前が出て、先ほどの嫌な予感もあって私は語気を強めた。

 落ち着いて聞いてくださいと前置きした上で菊代さんは言った。

 

『先ほど病院から連絡があって、みほお嬢様が……お亡くなりになった、と』

 

 ……みほが死んだ?

 

 何を言っている? だってみほはついさっきまで生きていたじゃないか。私と試合で戦って、直接会って話もした、別に怪我も何もしていなかった。そんなみほが何故?

 

 そんな私の疑問に菊代さんは短く、自殺だと答えた。

 

 自殺? 何故? まさか試合に負けたから? 大洗が廃校になるから? それに責任を感じて?

 

 予想外のことで頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられない。結局私は言われるままに菊代さんから教えられた病院へと向かった。

 

 病院にはすでに両親が到着しており、私が来るのを待っていた。母も父も普段と変わらず無表情だった。だがどことなく沈んだ面持ちに見える。

 私は病院の職員に案内されるままに両親とともに霊安室へ移動した。

 

 横たわる遺体を目の前にしても私は未だにみほの死を受け入れられなかった。顔にかかっていた白い布を取って顔を確認して。それでも信じられなかった。信じたくなかった。

 だって目の前のみほの顔はとても死んでいるとは思えないくらいに綺麗で、ただ眠っているだけだと言われても納得してしまうほどだった。

 

 でも。

 

 触れた頬は信じられないくらいに冷たくて。

 

 みほがもう生きていないと否応なく思い知らされて。

 

 そこで私はようやくみほが死んだことを理解した。理解せざるを得なかった。

 

 理解した途端体から力が抜けて私はその場に膝から崩れ落ちた。そのまま縋るように手を伸ばすが、そうして触れたみほの体はやはり冷たくて、それが余計に私の悲しみを煽った。

 

 私はそのままみほの遺体に縋りついて声を上げて泣いた。

 

 

          *

 

 

 今日はもう遅いから学園艦に戻るのは明日にして一緒に実家に戻ろう。そう言われて私は黙ってヘリに乗り込み、両親とともに帰路に就いた。

 家に着くまでの間、誰も口を開かなかった。母も父も私も全員寡黙な性質ではあるが、普段に輪をかけて静かだった。

 実家に着くと出迎えてくれた菊代さんとの挨拶もそこそこに、今日はもう疲れたから休むと言って、言葉少なに両親と別れ自室に向かった。

 

 その途中、ある扉の前で私は足を止めた。

 みほの部屋だ。私は何かに導かれるようにドアを開けて中に足を踏み入れた。

 みほの部屋は毎日綺麗に掃除され、みほが出て行った時と同じ状態が保たれていた。みほがいつ戻ってきてもいいように、と。

 

 ……結局みほがこの部屋に戻ってくることはなかったが。

 

 部屋を見回していると、一際存在感が大きい包帯が巻かれた痛々しい姿のクマのぬいぐるみが目に留まる。

 みほが好きだったぬいぐるみ、たしかボコと言ったか。私は何とはなしにベッドに横たわると、そのぬいぐるみを抱き締める。

 

 みほも毎晩こうしてぬいぐるみを抱いて寝ていたんだろうか? そう考えると途端に喪失感が襲ってきた。

 私はぬいぐるみに顔を埋めると、そのまま一晩中泣き続けた。

 

 夜が明けた頃には涙など枯れ果てていた。その後私は一滴も涙を流すことはなかった。通夜の時も、葬儀の時も、火葬場でも、表情も感情も一切動かさなかった。

 

 みほの葬式が終わった後実家に戻った私は真っ先に母の部屋へと向かった。聞きたいことが山ほどあったから。

 

 母の部屋に入ると母は黙々と仕事に打ち込んでいた。

 その様子が無性に癇に障った。何故みほが死んだのにそんなに平然としていられるのか、と。

 

 みほの葬式の時、父も、菊代さんも泣いていた。みほの死を心から悲しんでいた。だが母はみほが死んで以来一度もそんな感情を表に出さなかった。まるでみほの死などどうでもいいと思っているかのように。

 あまつさえ葬式にすら出なかった。たしかに母はみほを勘当すると言っていた。西住流の師範として、次期家元として立場というものがあるのはわかる。

 だがそれでも。実の娘の葬式に出ないなんて話があるだろうか。みほの死よりも西住流としての立場の方が大事なのか。

 そんな蟠りをとくべく私は母に向かって口を開こうとした。

 

「奥様、よろしいでしょうか」

「入りなさい」

 

 そんな時だ、菊代さんが部屋に入ってきたのは。何ともタイミングが悪いと思いつつ黙って話を聞いていると、どうも来客があったとのことだった。母と私に話があると。

 こんな時間に、それもアポイントメントもなく訪ねてくるなど非常識にも程がある。

 母もそう思ったのだろう、会う気はない、そのままお帰り願うように、と菊代さんに伝えたが、来客の名前を聞くと表情を変え、部屋に通すように告げた。

 

 来客の名前は角谷杏。大洗の生徒会長だった。

 つい数日前に試合で会ったばかりだが、彼女の様子はその時とは変わり果てていた。

 身なりこそ整えているものの、生気のない瞳と表情はどうしようもなかった。本当に同一人物かと疑いたくなるほどだ。

 

 そんな彼女は私とお母様の前に現れるなり土下座した。そしてすべてを洗いざらい白状した。

 

 大洗女子学園が廃校になること。

 

 大洗が戦車道を復活させて全国大会に出場したのは、廃校を阻止するためだったこと。

 

 廃校を撤回するためには全国大会で優勝する必要があり、そのためにみほに無理矢理戦車道を履修させたこと。

 

 そしてみほが自殺したのはひとえに自分の責任である、どのような罰も受ける、と締めくくった。

 

 母はどう返すのか、と隣を窺う。しかし母は特に表情を変えることもなく淡々と言った。

 

「すべてはあの娘が自分で選んだことです。貴方に非はありません」

 

 実の娘が死んだというのに、母親としてあまりに素っ気ない言葉だった。私としては母の発言に思うところはあったが、角谷さんに非がないという点は同感だった。

 

「みほを殺したのは私だ。貴方は何も悪くない」

 

 そうだ、すべては私のせいだ。私がみほの戦車道を否定してしまったからだ。みほの居場所を奪ってしまったからだ。だから罰を受けるとしたらそれは私であるべきだ。

 

 角谷さんは母と私の言葉に衝撃を受けたように目を見開いていたが、やがて悲痛に顔を歪めて何か言おうと口を開きかけた。でも結局は言葉にならずそのまま俯いてしまった。

 

 角谷さんが帰った後、私もそのまま一礼して退出しようとした。色々と問い質したいことはあったがもうそんな雰囲気でもない。また機会を改めることにしよう。そう思って。

 

「まほ」

 

 そんな私を母は呼び止めた。

 

「貴方は西住流として正しいことをしました。みほのことを気に病む必要はありません。みほが死んだのは誰のせいでもない……仕方のないことだったのです」

 

 ……今この女は何と言った?

 

 みほを殺したのが正しいことだと? 気に病む必要はないと?

 

 みほの、実の娘の死を“仕方のないこと”だと、そう言ったのかこの女は!?

 

「ふざけるな!!」

 

 気付けば私は目の前の女の胸倉を掴み上げていた。

 

「それでも母親か! 実の娘が死んだのに何も感じないのか! 西住流を守ることは娘の命よりも大事なのか!!」

 

 今まで積もり積もった怒りがついに堪えきれずに爆発した。

 

 みほが死んだというのに涙も見せず、葬式にすら出ず、挙句の果てに“仕方のないこと”だと!? この女には人の心がないのか!?

 

 だが目の前の女は何も言わず、表情すら変えず、冷徹な目で私を見下ろしてくるだけだった。

 

 それが余計に私の神経を逆撫でする。私は怒りに任せて目の前の女の頬を殴りつけた。

 一発では足りない。左の頬を殴ったら右の頬を。次はまた左を。その次はまた右を。

 何度も何度も何度も――

 

 騒ぎを聞きつけた菊代さんが止めに入るまで私は一心不乱に目の前の女を殴り続けていた。

 

 

          *

 

 

 私はあの女のことを勘違いしていたようだ。

 

 母は昔から厳しい人だった。しかられたことはあっても褒められたことはほとんどない。

 西住流の後継者として実の娘だからといって、いやむしろ実の娘だからこそ甘やかすわけにはいかない。そういう考えがあってのことだと思っていた。

 厳しくはあってもそれは私たちのことを想ってのことだと、本心では母親として私たちのことを愛してくれていると、そう信じていた。

 

 だがそんなものは幻想に過ぎなかった。

 

 あの女は私やみほのことなど西住流を維持するための道具としか思っていなかった。西住流という王道から外れ邪道に堕ちたみほなど不要な存在。だから死んでも悲しむ素振りすら見せなかった。そういうことなんだろう。

 

 撃てば必中、守りは固く、進む姿は乱れ無し。鉄の掟。鋼の心。

 

 それが西住流だ。私が目指すべきものだ。そう思っていた。

 

 だが今はもう西住流のことなど信じられなくなってしまった。

 

 私はこの先どうすればいい?

 

 私の戦車道は、私の進むべき道はどこにあるんだ?

 

 もう何もかもわからなくなってしまった。

 




しほさんの内心については次の次あたりに書きたいと思います。

まあ立場があると色々と大変なんですよ、うん。

この小説に望むのは?

  • 救いが欲しいHAPPY END
  • 救いはいらないBAD END
  • 可もなく不可もないNORMAL END
  • 誰も彼も皆死ねばいいDEAD END
  • 書きたいものを書けばいいTRUE END

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