プロローグから時間が飛んでます。
まほが大学2年生で20歳、エリカが大学1年生で18歳です。
未成年飲酒、パワハラ、アルハラはダメ、絶対!
【逸見エリカ視点】
しんと静まり返った部屋に時計の音と書類をめくる音だけが響き渡る。
もう夜も更けて大学の敷地内に残っている人間などほとんどいない。少なくともこの部室棟で明かりが点いているのはこの部屋、戦車道部の部室だけだ。
「先輩。もうそろそろ終わりにして帰りませんか?」
私は作業の手を止めて、同じく机に向かうまほ先輩に声をかけた。
「いや、私はもう少し残る。エリカは先に帰っていいぞ」
ちらりと壁掛けの時計に目を向ける。時刻は既に10時を回っている。これから更に居残りを続けたとして部屋に戻るのは恐らく日付が変わってからになるだろう。明日も朝練があるのにこれでは碌に休めるはずがない。
先輩は黒森峰にいた頃も夜遅くまで学校に残って仕事はしていた。しかしそれは隊長としての業務があったからだ。今は隊長でもなんでもない、平の隊員なのだからここまで遅くまで残る理由はないはずなのに。
訓練メニューの見直しや戦術研究、模擬戦の反省、対戦相手の研究に作戦立案などなど。先輩が毎日続けていて私もご一緒しているが、本来なら先輩がやるべき仕事など一つもない。
実際隊長たち上級生がどれもこれも一通り終わらせていることばかりだ。別に隊長たちが嫌がらせでやらせているわけではなく、これはあくまで先輩が自主的にやっているにすぎない。
真剣に戦車道に打ち込んでいる、と言えば聞こえはいい。でも目の前の先輩は何かに追い立てられているかのように見えた。何故ここまでする必要があるのか。
先輩がこうなってしまったのはいつからだろうか。ドイツ留学から戻ってきてからか。いやあるいは。
あの娘が死んでからか。
どうしたものかと私は思案する。口でいくら言っても先輩が止めるとは思えない。
ならばと私は部屋を出てコンビニへと向かった。
目当ての物を買った私はそのままもう一度先輩がいる部屋へと戻った。
「エリカ? どうした、忘れ物か?」
さっき出て行ったばかりの私がすぐに戻ってきたことを訝しむようにこちらを見遣る先輩に私は袋を掲げてみせる。
「先輩、その、少し休憩しませんか?」
コンビニ袋から先ほど買ってきた缶ビールを取り出しながら私は提案した。
「……酒だと?」
しかしそんな私の提案は先輩のお気に召さなかったようだ。
「エリカ、ふざけているのか?」
鋭い眼光に射竦められて足が竦む。それでも私は何とか踏みとどまって声を絞り出した。
「で、でもたまには息抜きも必要だと思うんです! 先輩はずっと根を詰めていて、このままだと倒れてしまうんじゃないかって心配で……」
先輩はなおもこちらを睨んでいたが、やがて諦めたのか溜息をつきつつ目を逸らした。
「第一、お前は未成年だろう」
「私はその、ノンアルコールビールでお付き合いします」
高校の時から飲んでいるので飲み慣れていますし、と付け加えてビール缶をテーブルの上に並べる。私はその中からノンアルコールの物を選んで率先して飲み始めた。
それを見て先輩もしぶしぶ目の前に置かれた缶を手に取ってプルタブを開けた。
最初こそ如何にも気が進まないという風情だったけど、一口二口と飲むうちに高校時代に飲んだノンアルコールビールの味を思い出したのか、次第に飲むピッチが速くなってきた。
その様子に私はほっと息を吐く。多少強引ではあったけど何とか上手く行った。これで少しは気休めになってくれればいい。そう思って私も缶を傾ける。
*
「せ、先輩。流石に飲みすぎじゃ……」
気付けば机の上には飲み終わって空になったビール缶がダース単位で転がっていた。
「何を言っている、飲めと言ったのはお前だろうが」
「いや、たしかにそうですけど……」
だからってこんなハイペースでしかも大量に飲むとは思わなかったですよ!?
「何、安心しろ。ビールなら高校時代に飲み慣れている。この程度ならしょっちゅう飲んでいただろう?」
どう考えてもこんなに飲んだことはない。そもそも先輩は隊の中でも飲む量は少なかった。せいぜいが缶で一本か二本程度だったはずだ。
というか高校時代に飲んでたのはノンアルコールですから! これアルコール入りですから!
しまいには私にまで飲めと言い出す始末。「お前は未成年だろう」と言ってたのはどの口ですかね!? 何が「私の酒が飲めんのか!?」ですか! 酔っ払いですか貴方は!? そうですね酔っ払いでしたね!
「その、先輩、今までお酒を飲んだことなかったんですか?」
このままじゃ本当に飲まされかねない。未成年飲酒で停学だの大会出場停止だのは絶対にごめんだ。何とか話題を逸らさねば。
「ああ、アルコール入りのビールはこれが初めてだが、美味いものだな」
「意外です。その、ご実家でご家族の方に勧められたりはしなかったんですか?」
あの堅物の家元が成人しているとはいえ娘に酒を勧めるというのはあまり想像はできないが、成人のお祝いにお酒を飲むのはどこの家庭でも普通にありそうなものなのに。
それは単に話を逸らそうとして何とはなしに言っただけのことだったが、先輩は家元の名前が出た途端に先程までの大荒れっぷりが嘘のように静かになった。
「もうずっと実家には帰っていない。高校を卒業してからは一度もな」
「え? 何故ですか?」
「何故だと?」
私はただ単純に疑問に思っただけだったのだが、それに対する先輩の声は低い。
「あんな女がいる家に行きたいなんて誰が思う? みほが、実の娘が死んだというのに葬式にすら出ない女の顔を、誰が好き好んで見たいと思う? あんな薄情な、娘を娘とも思わないような女と何故同じ空間にいたいと思うんだ?」
静かな声音だったが、その端々から怒気が滲み出ていた。
みほの自殺以来先輩と家元の仲は冷え切っているという噂は聞いていた。
とはいえ所詮噂に過ぎないと思っていたし、仮に事実だとしてもそこまで深刻なものではないだろうと高を括っていた。
でも目の前の先輩の様子はそれを否定していた。噂はすべて真実だと何よりも雄弁に語っていた。
私はようやく自分が地雷を踏んだことに気付いたが、既に何もかも遅すぎる。
「いいかエリカ、あの女はな!」
一息に中身を飲み干した缶をテーブルに叩きつけて、先輩は叫んだ。
「実の娘の死を“仕方のないこと”で済ませたんだ! 何が西住流として正しいことをしただ! その正しさの結果みほは死んだ! 死んだんだぞ! なのにあの女は何故あんな涼しい顔をしていられる!?」
そこまで言って先輩は怒りに染まっていた顔を皮肉げに歪める。
「いや、そう言えばあの女はみほを勘当したんだったな。ならみほは既に娘でもなんでもない、赤の他人。他人の死に一々心動かされる必要もないということか」
先輩の言葉に私は耳を疑った。その口調は嘲る様な毒の籠ったもので、今まで聞いたことがないものだったから。
「もっとも私もあの女のことをどうこう言えはしないがな。みほが自殺した原因は私にあるんだから」
「そんな! 先輩は悪くなんて――」
「いいや、事実だ。みほが死んだのは、私のせいなんだ」
聞き捨てならない台詞に即座に否定しようとするがそれは先輩に遮られてしまった。
「なあ、エリカ。覚えているか、2年前の決勝戦のことを。あの時みほが言った言葉を覚えているか?」
『“私の戦車道”なんてなかったんだよ』
覚えている。忘れられるわけがない。
あの娘の疲れ切った顔が、力ない笑みが、消え入りそうな声が、余すところなく脳裏に焼き付いている。
「私は昔みほに言ったんだ。もし戦車道を続けるならば自分だけの戦車道を見つけなさい、とな。みほは自分の好きな道を行けばいいと、戦車が嫌になったら止めればいいと。私が西住流を継ぐ限りみほは自由だ、そう思っていた。そんなはずはないのにな」
自嘲するように笑うと先輩はまた新しい缶に口をつける。
「西住の家に生まれた以上戦車から逃げることは許されない。西住流以外の戦車道を選ぶ余地などない。そんな当たり前のことすら私はわかっていなかった。結局私は子供だった。何もわかっていないただの子供だったんだ。
だがみほはそんな私との約束をちゃんと守ってくれたんだ。黒森峰から、西住流から離れた先で、見事に自分の戦車道を見つけてみせたんだ。なのにそれを私が否定してしまった」
悔いるように言って先輩は持っていた缶の中身を一息に飲み干した。
「違うんだよ、みほ。お前の戦車道はあった、ちゃんとあったんだ。私が! 私がそれを奪ってしまったんだ!」
頭を掻きむしりながら後悔するように、懺悔するように先輩は言った。
「お言葉ですが家元の仰ることは間違っていないと思います」
そんな先輩の姿が見るに堪えなくて、気付けば私はそんなことを口走っていた
こんなことを言えば火に油を注ぐことになるかもしれない。それでも言わずにはいられなかった。
「西住流は何があっても前へ進む、強きこと、勝つことを尊ぶ流派のはずです。先輩はその教えに従っただけじゃないですか」
何故先輩がこんなにも苦しまなければならない。先輩は何も悪くない、正しいことをした、だから先輩には責められる謂れなんてないはずだ。
「ほう」
私の言葉にピタリと動きを止めたかと思うと、先輩はゆっくりと顔を上げる。前髪の間から覗く瞳がまるで幽鬼のような不気味さで、私は一瞬怯んでしまった。
「エリカ、本当にそう思うか。私は悪くないと。私は正しいことをしたとそう思うか」
「も、もちろんです!」
「そうかそうか」
いっそ清々しいくらいに明るい声音だった。表情とのあまりのギャップに私は戸惑いを隠せなかった。
「だがその結果みほは死んだ」
先輩の言葉が私の心に重くのしかかる。
「大洗女子学園は廃校になった」
わかってはいてもいざ口に出して言われると、その重みに押し潰されそうになる。
「当時の大洗女子学園の人口を知っているか? 3万人だそうだ。つまりそれだけの人間が住む場所を追われたということだな」
私ですらそうなら、当事者である先輩の罪悪感は如何ほどの物か。
「さて、エリカ」
すっと目を細めて、私の目を真っ直ぐに見つめてきた。私は目を逸らすことができなくて、その視線を真っ向から受け止めるしかなかった。
「お前は言ったな? 私は正しかったと。西住流として正しい行いをしたと。あの女も同じことを言っていた。西住流にはそれほどの価値があるらしい。実の妹を殺して、3万人もの人生を狂わせて、そうまでして守るほどの価値が。生憎私にはいくら考えても理解できなかったがな。よければ教えてくれないか。西住流の正しさ、その価値というものを」
私は何も言えなかった。
先輩は悪くない、その気持ちに嘘はない。
でもあの試合に黒森峰が勝った結果、みほを含めた大勢の人間が不幸になったのは事実だ。それを仕方のないことだなんて私には言えなかった。
「ならどうすればよかったって言うんですか? まさか負ければ良かったとでも言うんですか?」
結局私は先輩の問いに答えを返すことができなかった。挙句、質問に質問を返すことで誤魔化してしまった。
「ああ、そうだ」
即答だった。あまりに躊躇のない言葉に脳の認識が追い付かない。
だってそうでしょう。
あの先輩が、西住まほが、西住流の次期家元が。
「負ければ良かった」なんて誰が言うと思うのよ。
「あの試合、私は勝つべきじゃなかったんだ。……ああ、わかっている。わざと負けたところでより悪い結果にしかならなかっただろうことくらいは。それで八百長を疑われればどのみち大洗は廃校になっただろうし、黒森峰も巻き添えになっただろう。私もみほともども実家から勘当を言い渡されていただろうな。誰も幸福にならない、最低の結末だ」
だがな、と言葉を継ぎながら先輩は持っていた空き缶を握りつぶした。
「あの時の私は本気だった。本気で勝とうとしていたんだ。にもかかわらずあと一歩で負けるというところまで追い詰められたんだ。そのまま負けていればいいものを、あろうことか勝ってしまった……」
「で、でも! それが西住流です! 常に前を向き勝利を目指すそれが西住流の――」
「そんなもの糞食らえだ!!」
私の言葉を遮って、テーブルの上の空き缶を手で薙ぎ倒しながら先輩は叫んだ。びくりと身を竦ませて口を閉じる私を、先輩は息を荒らげながら睨みつけてきた。
「西住流、西住流。お前といい、あの女といい、どいつもこいつもそればかりだな。私の戦車道を見ると誰もが口を揃えて言うんだ。流石は西住流だと。西住流の名に恥じぬ戦いぶりだと。私こそ西住流の後継者に相応しいと。見る目のない阿呆ばかりだ。誰よりも西住流を憎んでいる私が、誰よりも西住流に相応しいなどと。皮肉にしても出来が悪いにも程がある」
「で、でも先輩は、先輩の戦車道は西住流そのものです。昔から変わらず、今でもずっと……」
何とか言葉を絞り出す私に対して、しかし先輩はふんと鼻を鳴らす。
「私が西住流の戦い方を、妹を殺した戦車道を何故未だに続けているのかと言われれば。何と言うことはない、単にそれ以外の戦車道を知らないからだ。幼い頃から西住流の戦車道しかしてこなかったからだ。皮肉なことにそれが一番勝てるしな」
先輩の発言に私は信じていたものがガラガラと音を立てて崩れていくのを感じる。
聞きたくなかった。先輩の口からそんな言葉を聞かされたくなかった。私がずっと憧れていた存在を汚されたくなかった。
あまりにショックで私は呆然としてしまう。
そんな私に構わず先輩は更に続けた。
「だが見ている奴は見ているものだ。少なくとも私の同期の連中はこぞって私を、私の戦い方を非難した。特に安斎の奴はな」
安斎、安斎千代美。アンツィオ高校の隊長だった人だ。先輩とは中学時代から面識があるらしい。高校時代は対戦することもなかったけど、大学に入ってからは何度も対戦し先輩と鎬を削っている。
あの先輩が「指揮官としては私より上」というのだからその能力は推して知るべしだ。悔しいけれどその点は私も認めざるを得ない。
もっとも「一戦車乗りとしてなら私の方が上」と付け加えてもいたけど。
「安斎は言っていたよ。私の今の戦車道は見るに堪えない。私のやっていることはただの八つ当たりだとな」
「なっ! そんなことは――」
「見る目のあるやつだとは思わないか?」
私の反論は続く先輩の言葉に掻き消されてしまった。
「そうだ、私のやっていることはただの八つ当たりだ。エリカ、私はな、戦車道が憎い。西住流の戦車道が。みほを死に追いやった戦車道が。何よりも最愛の妹を殺した私自身がな。今の私の戦車道はその怒りをただ相手にぶつけているに過ぎないんだ」
反論したかった、否定したかった、でもできなかった。
先輩の戦車道は。
私が憧れた人は。
既に見る影もなく壊れ切ってしまっていたんだ……。
「私にとって戦車道はすべてだった。西住流の戦車道こそが私の目標であり生きる意味だった。その教えに従って努力して、戦って、ただただ勝利を追い求めて……そしてその結果がこれだ。私が本当に欲しかったもの、一番大切なものが何なのか。気付いたのはすべて無くした後だった。失って初めて気づくとはよく言ったものだな」
一息つくように先輩は缶を傾ける。でも既に中身は空だったようで、顔を顰めながら空き缶をテーブルの上に置いた。
「ああ、そうだ。私にとって一番大切なのはみほだった。何よりも優先すべきで、何物にも代えられない、絶対に守り通さなければならないはずの存在だったんだ。
だがそんな存在に対して私は何をした? 自分の信じた行動を否定されて一度は戦車道を捨てた。それでも転校した先で仲間を、自分の居場所を見つけて、苦しみながらも前を向いてようやく自分の戦車道を見つけた妹に対して私は何をしたんだ?
しかも自分の戦車道を見つけろなどと偉そうなことを言った本人はどうだ? 西住流こそが自分の戦車道だと思っていた。だがそれは自分で否定した。ならば私の戦車道とは何だ? 答えは未だに見つけられない。
あるいはみほもこんな気持ちだったのかもしれないな。己の人生を懸けたすべてが無意味だと言われたんだ。自分の人生は何だったのかと途方に暮れたくもなる」
言いながら先輩はまた新しい缶を開け、もう何本目になるかわからないそれを一気に呷る。勢い余って口の端から零れたビールが首を伝って服を汚すが、先輩は気づいていないのか、気づいた上で気にしていないのか、そのまま喉を鳴らして缶の中身を流し込んでいた。
もう私の口からは飲み過ぎを咎める言葉は出てこなかった。
「ならどうして戦車道を続けているんですか?」
代わりに口を衝いて出たのはそんな言葉だった。言ってから思わず口許を手で押さえるがもう遅い。
でも知りたかった。
最愛の妹を失って。
自分の信じていた戦車道を見失って。
何故貴方はそれでも戦車道を続けようと思えるんですか?
「私が戦車道を続けている理由、か」
幸い先輩は怒ることはなかった。ふむと顎に手を当ててしばし考え込んでいる。私は先輩が口を開くのを黙って待つ。
実際には数秒程度だろうけれど、私にとっては何分、何時間にも感じられるほどの長い静寂を破って先輩は答えを口にした。
「正直に言えば止めたいと思ったことは何度もある」
あまりにあっさりと言われて面喰ってしまった。てっきり止めようなどとは考えたこともないと思っていたから。
「成程、たしかに私は戦車道を止めた方がいいのかもしれない、止めるべきなのかもしれない。だがそもそもにおいて止めるならもっと早く止めるべきだったんだ。みほが死ぬより前に、いやみほが黒森峰を離れた時には私も西住流に見切りを付けて戦車道自体止めてしまえばよかったんだ。そうすればみほは死なずに済んだのにな。
もっとも今更言ったところで後の祭りだ。みほはもう帰ってこない。二度と……帰ってはこないんだ」
絞り出すような言葉とともに先輩は手に持っていたビール缶を握り潰した。残っていた中身が溢れ出し手を、机を濡らすが先輩はそんなことは気にも留めなかった。
「今更だ。本当に今更だ。止めるべき機会なんてとっくに過ぎてしまっている。もしここで戦車道を止めてしまったら、それこそ何のためにみほは死んだのか分からなくなるじゃないか。だから私は止めるわけにはいかないんだ」
「……止められないから続けているだけ、ってことですか?」
失望を隠そうともしない冷たい響きに口に出した私自身が驚いた。どうもさっきから感情の抑制が利かない。酔っているのだろうか。気付かないうちにアルコール入りの方を飲んでいた? そんなことはないはずだけど。
「言ってしまえばそういうことだ。だがまあ、敢えて理由というものを挙げるとすれば、だ」
先輩は特に気にした様子もなく、新しい缶を開けて口をつける。そうして唇を湿らせてから続きを口にした。
「あの女は言った、私の行いは西住流として正しかったと。
昔の私は言った、私は西住流そのものだと。
その正しさとやらにはみほを、大勢の人間の人生を狂わせてでも全うする価値があるのか。
西住流を究めて、その行き着く先には何があるのか、みほの屍を乗り越えてでも手に入れるに値するものがあるのか。
その答えを見たい。
……そんなところか」
先輩は自分が言ったことを確かめるように何度も頷きつつ更に缶を傾ける。
「私は戦い続ける、勝ち続ける。証明してやろうじゃないか。西住流の正しさとやらを。そしてその先にあるものを必ず手にしてみせる。
きっとあるはずなんだ。勝って勝って勝ち続けたその先には。みほの死は無駄ではなかったと、そう思えるほどに素晴らしいものが待っているに違いないんだ。
……そうでなければあまりにも救われないじゃないか」
*
静まり返った室内に時計の針が時を刻む音だけが響き渡る。時刻は既に午前4時に差し掛かっている。
結局あの後も先輩は飲み続けた。飲み続けて、毒を吐き続けて、挙句酔い潰れ、そのまま机に突っ伏して眠ってしまった。
いくら起こしても起きる気配がないため、しばらくはそのまま寝かせてあげることにした。風邪をひかないようにと肩から毛布を掛ける。
先ほどまでの先輩との会話を思い出す。「負ければよかった」だの「勝つべきじゃなかった」だの、黒森峰の隊長としても西住流としてもあるまじき発言だった。
でも心のどこかで納得している自分もいた。
2年前の決勝戦、みほが乗るⅣ号戦車と一対一の状況に追い込まれた時、先輩は迷うことなく一騎討ちを選んだ。
西住流に逃げるという道はない。だからみほの挑戦を受けて立つのは当然だ。そう言われればまったくその通りだ。
でも最後の決着の場面についてはどうだろうか? 結果的に勝ちはした。でもあと少しで私や小梅の車輌が駆けつけるところだったのに先輩はみほとの一対一にこだわるかのように決着を急いだ。
そんな博打を打つ必要があっただろうか。私たちの到着を待てば確実に勝てたのに。
もしかして先輩はあの時負けようとしていたんじゃないか。そんな疑念はずっとあった。
結局それは事実だった。でも先輩は負けることなく、黒森峰を勝利に導いた。そしてみほは死に、大洗女子学園は廃校になった。
そして。
先輩は壊れてしまった。
西住みほが死んだ時、西住まほもまた死んだのだ。
誰が最初に言った言葉かは覚えていない。たしか先輩の同期の人の誰かだったと記憶している。
アンチョビさんか、ダージリンさんか、カチューシャさんか、ケイさんか。
ただいずれにせよ、その全員が同じことを口にしていたことはたしかだ。
私はずっとそれを否定していたけど、もう認めざるをえなかった。
私が憧れたあの人はもういないということを。
……でも、それでも。
私はこの人とともに歩みたい。この人を支えたい。
そんな気持ちはまだ消えずに残っていた。
何故かは自分でもよくわからない。私が先輩に憧れていたのは先輩が西住流そのものだったからだ。そのはずだった。なら西住流を否定してしまった先輩に固執する理由はないはずなのに。
あるいは私のこの気持ちは同情にすぎないのかもしれない。もしくは共感だろうか。みほを死なせたことに対して罪悪感を抱いているのは何も先輩だけじゃない。私だって、いえ、本当は私こそが――
「みほ……」
不意に聞こえた呟きに驚いて先輩に目を向ける。起きたのかと思ったが先輩は未だ机に突っ伏したままだった。どうやら寝言らしい。
見ると先輩は一体どんな夢を見ているのか、悲痛に顔を歪めて涙を流していた。
『もし天国や地獄があるというなら私は間違いなく地獄に落ちるだろう。それでも構わない、いやそうでなければならない。みほを殺した外道には相応の裁きが必要だ。むしろ地獄ですら生温いくらいだ』
酔いつぶれる直前に先輩が言っていた言葉を思い出す。
先輩はきっとこの先も戦い続けるのだろう、勝ち続けるのだろう。西住流を究めた先にある“素晴らしいもの”とやらを手に入れるまで。
きっとそんなものはありはしないとわかっていながら。
私はそっと先輩の手を取る。
「貴方が地獄に落ちるというなら私も最期までお供します」
私は先輩の手を握り締めながら誓いの言葉を紡いだ。
罪があるのは私も同じだ。ならば私にも同じように罰を受ける義務がある。
だから。
私はこれからも先輩の傍に居続けるべきだ。
果たしてそれが私の本心なのかはわからない。
でもひとまず私は自分の気持ちをそう結論付けることにした。
そうして決意も新たに部屋の中を見渡すと。
あちこちに空き缶が散乱する惨状が視界に広がっていた。
今日は土曜日で大学の講義はないが、戦車道の朝練はある。朝練自体は6時からだが、早い人なら30分前には来る。
それまでにこの部屋を元の状態に戻さなければいけないわけだ。
……我ながら何とも締まらない。
私は嘆息しながら腕まくりをして、空き缶を一つ一つゴミ袋に入れ始めた。
これから先、先輩や私がどうなるかなんてわからない。
でもとりあえず一つだけ言えることはある。
それは。
二度と先輩には酒を飲ませちゃダメだということだ。
そんな私の決意とは裏腹にこの日以降私は頻繁に先輩に飲みに連れて行かれることになる。
過労で倒れる心配がなくなった代わりに二日酔いで寝込む羽目になるなんて、まったく笑い話にもなりゃしない。
次はしほさんのお話。
エリカの”罪”については追々書いていきます。
この小説に望むのは?
-
救いが欲しいHAPPY END
-
救いはいらないBAD END
-
可もなく不可もないNORMAL END
-
誰も彼も皆死ねばいいDEAD END
-
書きたいものを書けばいいTRUE END