見つけられなかった私の戦車道   作:ヒルドルブ

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西さんの誕生日記念、とはいきませんでしたが西さんのお話です。
知波単は何気に大洗の廃校の影響を一番受けている学校だったりします。
エキシビションも大学選抜戦もないので、突撃一辺倒の戦い方を見直す機会がなくなりましたし、アヒル殿と出会わなかったために福ちゃんも突撃馬鹿のままです。
その結果苦悩を背負うことになった西さんのその後のお話になります。

あと今後しばらくは鬱展開はありません。
楽しみにしてくれている方には申し訳ないのですが、これが作者が書きたいTRUE ENDなのです。
あしからずご了承ください。


西絹代の求道

【アンチョビ視点】

 

「絹代、今日も一日お疲れ様」

「はい、お疲れ様です!」

 

 運ばれてきた杯を合わせて二人で乾杯する。

 大学の戦車道の練習終わり、私は珍しく絹代と二人で飲みに来ていた。手に持つのは日本酒。絹代は日本酒が好きだから、今日は私もそれに合わせて同じように日本酒を頼んでいた。西住と飲む時はビールばかりだから、偶には別の物が飲みたいというのもある。

 

「アンチョビさん、本日はお誘いいただき誠にありがとうございます!」

「ああ、うん。……なあ絹代、頼むからそんなに畏まらないでくれ。礼儀正しいのは結構なことだし、戦車に乗っている時は隊長としての立場もあるから仕方ないとは思う。けど戦車に乗っていない時はもう少し砕けて接してくれると助かる」

「はい! では全力で砕けさせていただきます!」

「いや、だからな……まあいいか」

 

 言葉に反して全く気安く振る舞う様子がないことに私は思わず苦笑する。

 まあアンツィオの皆のように馴れ馴れしく接してくる絹代というのもそれはそれで反応に困るから、今のままでいいのかもしれない。

 

「さて、絹代。今日お前を誘った理由は他でもない、来年のことについて話をしたいと思ったからだ」

 

 私が雰囲気を変えると絹代は杯をテーブルに置き、姿勢を正して聞く体勢に入る。

 私はそれを確認して話を続ける。

 

「私は今年で引退する」

「はい! 今までご指導ありがとうございました!」

「いや、こちらこそありがとう。お前には3年間本当に世話になった。今まで装填手としてよく頑張ってくれたな。おかげで助かったよ」

「勿体ないお言葉です」

「いや、本当に感謝しているよ、お前にも、他の皆にもな。……杏が亡くなった直後の私の振る舞いを思えば愛想を尽かされてもおかしくないのに、今でもこうして以前と変わらず接してくれて嬉しいよ。あの娘の件ではお前にも迷惑を掛けた。本当にすまなかった」

 

 あの件については皆の前で頭を下げて許してはもらえたが、それですべてを忘れてなかったことにできる程私は恥知らずじゃない。

 何度も蒸し返すのもそれはそれでよくないだろうが、こうして一対一で顔を突き合わせたならせめて一度は改めて謝るべきだろう。

 

「いえ、アンチョビさんが気になさることではありません。すべてはあの者の自業自得でしょう」

 

 絹代の返答はにべもなかった。絹代が人のことを悪く言うのも珍しい、というより初めて見た。それだけあの娘に対する憤りが強いということだろう。

 そしてそれは絹代に限った話じゃない。ペパロニもカルパッチョも、あるいは他の隊員たちも全員がそうだったのかもしれない。

 

 あの娘が戦車道に興味がないのは私だって分かっていた。分かった上で私はあの娘の指導を引き受けたんだ。

 単純に自分を慕ってくれたのが嬉しかったというのもあるが、それだけじゃない。きっかけが何であろうと戦車道を好きになってくれる人が一人でも増えてほしいと思ったからだ。

 ペパロニだって最初は戦車道に興味なんてなかった。それが今では一人前の戦車乗りになって私の跡を継いでくれている。だからあの娘も誠意をもって接すればきっと、と期待していた。

 けど残念なことにその思いは伝わらなかったようだ。あの娘は最後まで戦車には興味を持ってくれなかった。正直杏の件がなくても辞めてもらうことになっていただろう。

 あるいは最初からあの娘を辞めさせていれば、遠ざけていれば、あんなことには――

 

 そこまで考えたところで私は頭を振って思考を切り替える。

 あの娘のことは既に終わったことだ。それよりも今はこれから先のことを考えるべきだ。私は逸れてしまった話の流れを元に戻すことにした。

 

「私が引退した後の後任だが、隊長はペパロニ、副隊長はカルパッチョに任せようと思っている」

「あの二人なら問題ありません。必ずやアンチョビさんの跡を立派に継いでくれることでしょう」

「うん、私もそう思う。ただ、二人ともアンツィオで同じように隊長と副隊長を務めてくれたとはいえ、大学と高校では規模も違う。きっと苦労することも多いだろう。お前もできる範囲で構わないから二人を支えてやってほしい」

「言われるまでもありません。お二人が職務に専念できるように私も微力を尽くします。お任せ下さい」

「お前ならそう言ってくれると思っていたよ」

 

 実際その点については最初から心配はしていなかった。きっと絹代なら私に言われるまでもなくその程度のことは心得てくれているだろうと思っていたから。

 本題はむしろここからだった。

 

「新体制になるにあたって、レギュラーの入れ替わりや、必要に応じてポジションの変更も考えている。そこでだ、絹代。車長に戻る気はないか?」

 

 絹代は大学に入ってから今までずっと私の車輌で装填手を務めていた。正確に言えば入学当初は車長を務めていたが、すぐに装填手にコンバートされてしまったのだ。

 まあ新入生歓迎試合で何もできずに真っ先に撃破されたことを考えれば仕方のないことではある。

 だが私が見る限り絹代は優秀な人間だ。いや絹代に限らず知波単の選手達は皆練度や技術と言う点で言えば日本でもトップクラスだった。突撃一辺倒の戦い方と戦車の性能差のせいでその能力を生かすことができていなかっただけで。

 大学では戦車の性能も上がっているし、戦い方についても3年間私の車輌で装填手を務めている間に明らかに意識に変化が見られた。今の絹代なら車長を任せても問題ないと判断したが故の提案だった。

 

 絹代は私の言葉に固まってしまった。しかしそれも一瞬のことで、申し訳なさそうに顔を伏せると頭を下げた。

 

「有り難い申し出ではありますが、辞退させていただきます」

「いや、別に無理強いする気はない。お前にその気がないと言うならそれでいいさ。……でも、そうだな。もしよかったら理由を聞かせてもらってもいいか?」

 

 車長といえば戦車乗りの中でも花形のポジションだ。勿論向き不向きというものはあるが、絹代は元々車長だった。普通は戻れるものなら戻りたいと思うはずだ。何か理由があるというなら聞いておきたかった。

 

「まだ己の戦車道とは何か、答えを見つけられていないからです」

 

 絹代は私の問いに顔を上げると、真っ直ぐに私の目を見つめて言った。

 

「以前の私なら迷うことなく『突撃』と答えていたでしょう。しかしそれでは、いえ、それだけでは駄目だと思い知らされました。

 思えば高校時代から突撃だけではいけないという思いはありました。夏の大会が終わって早々に分不相応にも隊長に選ばれて以来悩んではいたのです。いつまでも突撃だけに頼っていていいのか、それでは同じことの繰り返しではないのか、我々は変わらなければならないのではないかと。

 ……ですが具体的にどうすればいいか見当もつかなかったのです。周りの隊員たちに作戦について意見を募っても、一言目には『突撃』、何は無くとも『突撃』、最終的には『突撃』といった有様でした。何度失敗を重ねようとも、我が校の伝統に則って戦うべきだと。それこそが知波単魂であると。そんな皆の言葉に私もいつしかまあいいか、と諦めてしまって……。結局知波単の突撃一辺倒の戦い方を変えることは終ぞできなかったのです。

 そして高校時代の最後の大会。我が知波単はいつも通りに突撃を敢行し、一回戦で敗北しました」

 

 その試合のことは私もよく覚えている。何故なら、その試合の知波単の対戦相手は私の母校のアンツィオ高校だったからだ。

 隊長のペパロニと副隊長のカルパッチョを中心にアンツィオは知波単の突撃をいなして見事に勝利してみせた。

 アンツィオはその後の二回戦にも勝ってベスト4まで駒を進めた。私はそれが誇らしかった。私が越えられなかった壁を越えて一歩先へと進んでくれたことが、我が事のように嬉しかった。

 

 しかしこうして後輩になった絹代の話を聞くと複雑な気持ちになる。勝負事である以上勝者がいれば敗者もいる。それは仕方のないことだし、勝者の側から同情を向けるなんてことは相手に対する侮辱にしかならないだろう。それでもやはり思うところはあるんだ。

 

「知波単の戦車道を変革するために隊長に選ばれたにもかかわらず、結局私は一勝もできずに終わりました。皆に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。ですが隊員たちは誰一人として私を責めませんでした。それどころか負けても皆朗らかに笑っていました。最後までいい突撃ができたと。これこそ我々の戦車道だと。

 それを見て私もこれで良かったのだと、そう思うことにしました。……ですが心のどこかにしこりは残ったままでした。それが何なのか当時の私には皆目分からなかったのです」

 

 絹代は「失礼します」と一言断りを入れてから酒を一口飲んで喉を潤して先を続けた。

 

「そして私は知波単を卒業後、大学に進学して戦車道部に入部しました。アンチョビさんも覚えておいでかと思いますが、新入生歓迎試合において私の車輌は無謀な突撃を敢行した挙句、何もできずに撃破されてしまいました。その試合後に当時の隊長である鬼塚さんに呼び出しを受けました。今のままの私では車長を任せることはできない。車長を降りて装填手をやるか、退部するか、どちらかを選べと」

 

 それは初耳だった。いや、装填手へのコンバートの話をされたというのは聞いていたが、まさかそこまできついことを言われていたとは思わなかった。まだ入学したばかりの一年生には酷な選択だったろう。

 だがそれはきっと鬼塚先輩なりの優しさだったんだろう。中途半端に希望を持たせるようなことを言うよりも、はっきりとお前じゃ無理だと言ってやる方が相手のためになるとそう思ったが故の言葉なんだろう。

 

「鬼塚さんの言葉に衝撃を受けたのは事実です。ですが憤りはありませんでした。全ては自分の至らなさが原因だと、いつか見返してやればいいと、そう思っていました。そして私は装填手として戦車道を続けていく道を選びました」

 

 確かに私の車輌に装填手として配属されて以来、絹代が不満を口にすることは一度としてなかった。

 いや、正確に言えば無かった訳じゃない。ただそれは車長を降ろされたこととは別の事柄についてだった。

 

「今だから正直に申し上げます。最初私はアンチョビさんの戦い方に不満を抱いていました。突撃はいつするのか、何故突撃をしないのか、ともどかしさを感じていました。……知波単にいた頃は突撃ばかりではいけないと思っていながら、いざ禁じられると突撃がしたくて堪らなくなるとは……。やはり私も知波単生だったということでしょうか」

 

 言われて絹代が私の車輌の装填手になって間もない頃のことを思い出す。

 最初の内は一言目には「突撃ですか?」、二言目には「突撃はいつするのですか?」、三言目には「やはり突撃しかありません!」といった有様だった。

 確かに突撃は状況が噛み合えば強力な選択肢ではあるが、実は簡単なようでいて難易度が高い戦術でもある。

 重装甲・高火力の戦車が揃っているなら何も考えずに突っ込んでもある程度は勝てるだろう。だが知波単の戦力で闇雲に突撃したところでただの自殺だ。そうならないためには少々頭を使わなければならない。

 一言で言えばいかに機を見極めるか、これに尽きる訳だが、それを絹代に理解してもらうのには、あるいは納得させるのには相応の時間を要した。

 

「ですがそれも最初だけのことでした。アンチョビさんの車輌で装填手を続けて、アンチョビさんの戦い方を間近で見ているうちに、私は如何に自分の視野が狭かったかを思い知らされました。アンチョビさんの戦い方は、今まで知波単の突撃一辺倒の戦車道しか知らなかった私にはすべてが新鮮で大変勉強になりました。本当に感謝しています」

「私は別に特別なことはしていない。ただいつも通りに戦っていただけなんだけどな……。まあ、私の指揮を見て何かを学んでくれたというのなら嬉しい限りだ」

「はい」

 

「ですが」と言葉を区切って絹代は更に続けた。

 

「アンチョビさんにはアンチョビさんの戦車道がありましょう。しかしそれはあくまでアンチョビさんの戦車道であって私の戦車道ではありません。仮にアンチョビさんの戦車道を真似れば、それが例え猿真似に過ぎないとしても知波単の戦車道に比べれば圧倒的に勝てるのは間違いないでしょう。

 ですがそんなただの物真似では、私は自分の戦車道を誇ることはできません。偉大なる先達に対して、未来ある後進に対して、これこそが知波単魂である、と。そう胸を張って言えるように私はなりたいのです」

 

 それはそうだろうと思う。

 私の戦い方を見て学ぶのはいいし、真似るのも最初のうちなら構わない。

 だがそこで終わってはいけない。物真似は所詮物真似でしかない。そこから自分なりのやり方を見つけられなければいつか行き詰る。

 要するに絹代は今、殻を破って次の段階へ移る時期に来ているのだろう。

 

「そして知波単の戦車道と言えばやはり突撃を抜きにしては語れません。しかし突撃に拘り続けた結果負け続けたことを考えれば、突撃を止めるか、止めるまで行かずとも控えるべきなのかもしれません。そうすれば少なくとも勝率が上がることは私にも分かります。

 しかし思うのです、果たしてそれでいいのかと。闇雲に突撃するだけではいけないということは流石に私にも分かります。ですが突撃をすべて否定してしまっては、私の、知波単の戦車道は、何の特色もないただの有り触れたものになってしまいます」

 

 それについては同意する。

 高校戦車道は大学と違って各校ごとに戦車にしろ戦術にしろそれぞれに特色がある。その多様性こそが高校戦車道の魅力の一つだと思う。

 勿論知波単やアンツィオのようにその特色というか伝統が足を引っ張って中々勝てないチームも多いから、観ている側はともかく実際に戦車に乗っている側からすれば一概にいいことだとは言えないかもしれないが。

 

「しかしその一方で勝てなければ意味がない、というのも理解できるのです。大学で試合に出て、初めて勝利した時の感動と興奮は今でも忘れられません。その後も勝利を積み重ねて、その喜びを味わい続けて。そしてある時ふと気付いたのです。先程申し上げた心に残ったしこりの正体に」

 

 それは何だ?

 私が目で問うと、絹代は一呼吸置いてからゆっくりと口を開いた。

 

「私は知波単の皆と一緒に勝ちたかったのだと」

 

 絹代は何かを堪えるように顔を伏せて、後悔や自責の念が籠った声で尚も続けた。

 

「それに気付いてからは、勝利する度に、罪悪感に苛まれるようにもなりました。

 隊長として皆とこの喜びを味わいたかった。

 皆を勝たせてあげたかった。

 皆の努力に報いてあげたかった。

 今更ながらに後悔の念が押し寄せてくるのです。

 もっと何かできることがあったのではないか。皆が望んでいるから、それが知波単の伝統だからと言い訳ばかりして、考えることを放棄してしまっていたのではないかと。

 笑ってください。私は無能で、怠惰で、最低な隊長でした。こんな私に付き従ってくれた隊員たちに、申し訳が立たなくて……私は……」

 

 俯いているせいで絹代の表情は見えない。だが声の震えから察することはできた。

 

「飲め」

 

 だから私は空になっていた絹代の杯に酒を注ぎながら短く告げた。

 

「今日は私の奢りだ。好きなだけ食べて飲んで、胸に蟠っていることがあるなら全部吐き出してしまえ。私でよければいくらでも聞いてやるから」

 

 絹代は潤んだ瞳で杯を見つめていたが、恐る恐るそれを手に取ると恭しく掲げた。

 

「御相伴に与ります」

 

 そして改めて杯を合わせて乾杯すると、お互いに中身を一息に飲み干した。再び互いの杯に酒を注ぐと、私は一口飲んでから口を開いた。

 

「アンツィオで隊長をやっていた身としてはお前の気持ちはよく分かるよ。私も3年かけて勝てたのは結局一回だけだったからな、無能な隊長という点では私も似たようなものさ」

「そんな! アンチョビさんは私とは違います! アンチョビさんはたったお一人でアンツィオの戦車道を立て直してみせたではありませんか!」

「立て直した、ね……」

 

 私の自虐に対して絹代は即座に否定を返してきた。しかし私はそれに対してすんなりと頷けはしなかった。

 果たして私は本当にアンツィオの戦車道を立て直したと言えるだろうか。立て直すどころか滅茶苦茶にしてしまっただけじゃないのか。確かに結果的にアンツィオの戦車道は復活したかもしれない。

 けどそれは。

 

「私はアンツィオの戦車道を立て直せたとは思っていない。仮に立て直せたのだとしたら、それは私の力じゃなくペパロニやカルパッチョや、他の皆の力だと思っている。私のしたことなんて高が知れているよ」

 

 敢えてぶっきらぼうに言ってやると絹代も何かを察したのだろう、一度は口を噤んだが、それでも何か言おうと必死に言葉を絞り出した。

 

「……私にはアンツィオで何があったのかは分かりません。ですが、我が大学にはアンツィオの卒業生が数多くいます。皆アンチョビさんを慕って来た者ばかりです。あれだけの人間に慕われている、そのことがアンチョビさんのしてきたことは間違いではないという証明ではありませんか?」

「だといいんだけどな……。私も所詮は道半ばだ。選んだ道が正解かどうかなんてまだ分からないよ」

「……アンチョビさんですら、まだ道半ばであると仰るのですか」

「私なんてまだまださ。そもそも“道”なんてものはそんな簡単に見つけられるものじゃないだろう?」

「……考えれば考える程に分からなくなります。一体私の戦車道とは、いえ、そも戦車道とは、何なのでしょうか……?」

『……戦車道って、何なんですか?』

 

 前にも同じことを聞かれたことがあった。

 忘れもしない。あれは4年前の大会の大洗との試合後、アンツィオ恒例の宴会を開いた時のことだ。

 いつの間にか宴会の場から離れて一人で佇んでいたみほの姿を見つけて私は声を掛けたんだ。

 

『やあ、みほ。楽しんでいるか?』

『あ、アンチョビさん』

『……どうした、元気がないみたいだが。もしかしてうちの料理は口に合わなったか?』

『いえ、そんなことないです! どれもすごく美味しかったです』

『そうか、ならよかった』

 

 うちの自慢の料理が原因だったらどうしようかと心配になったがそれはないようで安心した。しかしそうなると何故元気が無さそうなのか、という疑問に再び行き着いた。

 とはいえ安易に触れていいことでもなさそうだったので、私はつい無言になってしまった。それはみほも同じで、私たちはしばらくの間無言で向き合っていた。

 その沈黙に耐えきれなくて何か言おうとしたが、先に口を開いたのはみほの方だった。

 

『……あの、少し聞きたいことがあるんですけど、いいですか? アンチョビさん、いえ、安斎千代美さん』

 

 わざわざ名前を言い直したことに私は驚いた。

 他の人間だったら「アンチョビだ!」と訂正していただろう。だが相手がみほというなら話は別だった。

 

『私のこと、覚えていたのか……』

『私、人の顔と名前を覚えるのは得意なんですよ』

 

 みほは表情を崩すと、得意気に微笑んだ。

 中学時代、私は西住が所属する黒森峰と何度か対戦した。そして西住と対戦したということは、その妹で同じ中学のみほとも戦ったことがあるということだ。

 

『でも今日、最初に会った時は見間違いかと思いました。だって安斎さん、中学の時とは全然雰囲気が変わっていたから』

『だろうな』

 

 中学時代の私を知っている人間からすれば、高校の、そして現在の私を見ればあまりの変わりように驚くだろう。私自身、自分の変わりように驚いているくらいだから。

 

『中学で対戦した時の安斎さんは、何て言うか、雰囲気がお姉ちゃんやお母さんに似ていました。西住流と同じで勝つことを何よりも優先する人だと思っていました。

 だから今日の試合後に負けても笑っている安斎さんを見て、私びっくりしたんですよ? だって中学時代の安斎さんは、その……』

『あ~、うん。言いたいことは分かるぞ』

 

 中学時代の私は西住に勝ったことはあるがトータルで言えば負け越していた。そして負ける度に西住に対して噛みついていた。「これで勝ったと思うなよ!」とか、「次こそは勝つ! 首を洗って待っていろ!」とか。

 ……我ながら何と言うか、うん。ペパロニたちには絶対に知られたくない過去だな。

 

『え~と、それで聞きたかった事っていうのは?』

『あ、はい』

 

 それ以上過去のことには触れられたくなくて私は強引に話を変えた。

 みほは言葉を探すように少し間を置いてから、改めて口を開いた。

 

『……戦車道って、何なんですか?』

 

 一瞬何を言われたのか理解できなくて呆然としてしまった。

 

『あ、すみません。え~と、何て言うか……』

 

 それに気付いたのかみほは慌てて言い直そうとするが、上手い言葉が見つからないのかアタフタするばかりだった。

 戦車道とは何か。

 何故みほがいきなりそんなことを聞いてきたのかは分からなかった。だが一つだけ心当たりがあった。

 

『もしかして、去年の決勝戦のことが何か関係あるのか?』

 

 それを口にするとみほはピタリと動きを止めて、気まずそうに顔を逸らした。

 

『……知ってたんですね』

『ああ、そりゃあ、な……』

 

 戦車道をやっている人間であの試合のことを知らない人間の方が少ないだろう。前人未到の10連覇が懸かった試合ということで、あの試合は注目を集めていたから。

 

『私、あれからずっと悩んでいたんです。私の行動のせいで黒森峰は10連覇を逃した、それは確かです。でも私は、仲間を助けることが間違いだったなんて思いたくなかった。仲間を見捨ててまで勝ちたいなんて思えなかったんです。けどそう思っていたのは私だけでした。黒森峰では私の味方は誰もいなくて、お母さんからも……犠牲なくして大きな勝利を得ることはできない、って言われて。

 前々から西住流の戦車道は私には合わない、私には無理だって思ってはいました。でもあの一言で、もう本格的に何もかも分からなくなっちゃったんです。戦車道って何なのかなって。そこまでしてやらないといけないものなのかなって。仲間を見捨ててまで、勝たなきゃいけないものなのかなって……』

 

 みほの事情については、戦車道が廃止されて久しい大洗に転校していたことから大凡察していたつもりだった。しかし実際に言葉にされると重みが違った。

 

『大洗に来て、西住流とは違う戦車道を知って、私のしたことは間違っていなかったって言ってもらえて、悩むこともなくなったはずなのに。何ででしょうね、今日安斎さんを見てふと思ったんです。安斎さんなら、分かるんじゃないかって』

 

 何故そう思ったのか。当時の私には分からなかったが、今なら分かる気がする。

 みほは自分と私を重ねていたんじゃないかと。私なら、西住流と同じ勝利至上主義の戦車道をしていたにもかかわらず、アンツィオでは勝ち負け関係なく戦車道を楽しんでいた私なら分かるんじゃないかと、そう思ったんじゃないかと。

 あの時はそこまでは分からなかった。そして今でも戦車道とは何か、なんて問いに対する答えなんて持ち合わせていない。

 それでも何か言わなければと考えに考えて。

 

『……すみません、変なことを聞いて。忘れてくだ――』

『なあ、みほ。戦車道は楽しいか?』

 

 気付けばそんなことを口走っていた。

 

『安斎さん? 何を……』

『答えてくれ』

 

 口に出してから何を言っているのかと後悔したが、もう言ってしまったことは取り消せない、ここはアンツィオ流にノリと勢いだと私はそのまま突き進むことにした。

 

『楽しいです』

 

 戸惑いながらも、みほははっきりと答えてくれた。

 

『黒森峰にいた頃はそんな風には考えられませんでした。いえ、考えちゃいけないって思っていました。10連覇が懸かっているから、西住流らしくしないといけないから。戦車に乗る以上、求めるべきは勝利で、それ以外のことは無駄なことで、楽しむ余地なんてないって』

 

 沈んだ声で語るみほの表情を見れば、それがどれだけ当人にとって苦痛だったかは一目瞭然だった。

 

『でもここでは、皆が戦車に乗るのを楽しんでいて。勝っても負けても戦車に乗るのは楽しいって言ってくれて。気付けば、私自身も戦車に乗るのが楽しいって、そう思えていたんです』

 

 けど次第に声に明るさが戻り始めて、最後には一転して晴れやかな笑顔になっていた。

 その笑顔を見て思ったんだ。みほは自分で気付いていないだけで、本当はもう答えを持っているんじゃないかって。

 

『楽しい、か。ならそれでいいんじゃないか?』

『え?』

『なあ、みほ。戦車道とは何か、なんて私にも分からない。けどな、何故私が戦車に乗っているかと言ったら、答えは単純だ。戦車に乗るのが好きだからだ。

 お前は私が変わったって言ったな? けどな、それは違う。私は変わったんじゃなく元に戻っただけなんだ。昔の、戦車道を始めたばかりの自分に。私も最初の頃はただ戦車に乗るだけで楽しかった。その頃の自分に戻っただけなんだよ。

 だからお前もただ戦車に乗ることを楽しめばいい。その楽しいって気持ちが答えなんじゃないかと私は思うぞ』

『アンチョビさん……』

『……ああ、もう、結局何が言いたかったんだろうな、私は。よく分からなくなっちゃったな、すまん』

『そんなことないですよ、何だか少し楽になりました。ありがとうございます』

 

 我ながら支離滅裂なことを言ってしまって恥ずかしくなったが、結果的にみほが元気になってくれたので良しとした。

 

 話し終えたちょうどその時、私とみほを呼ぶ声が聞こえてきた。それを耳にして、私はみほの手を引いて宴会場に戻ることにした。

 

『さあ、戻るぞ! まだまだ宴会はこれからだ! 主役を持て成さずに帰したとあってはアンツィオの名折れだからな!』

『あ、はい!』

 

 きっとみほは西住流の家元として、黒森峰の副隊長として、ずっと重い物を背負ってきたんだろう。それは大洗に来てからもずっと残ったままだったに違いない。

 私にはその重荷を肩代わりしてやることはできない。だからせめて私にできることとして、あの時間くらいは辛いことは全部忘れて楽しんでほしいと、そう思った。

 

『アンチョビさんがお姉ちゃんならよかったのに……』

 

 ポツリと誰に言うでもなく、思わず呟いてしまったというような、そんな言葉。でもその言葉はしっかりと私の耳に届いた。

 私はその呟きにどう返していいか分からず、聞こえないふりをしてやり過ごしてしまった。

 だがもしかしたら。あの時に何か言ってあげていれば違う未来もあったんじゃないかと――

 

「アンチョビさん?」

 

 絹代の声に我に返った。

 いかんいかん、つい物思いに耽ってしまった。今は絹代のことを考えなきゃいけないのに。

 ……しかしこのタイミングでみほとの会話を思い出したのも何かの縁かもしれない。

 

「なあ、絹代。戦車道は楽しいか?」

 

 だから私はあの時と同じ問いを口にしていた。

 

 絹代は私の言葉が予想外だったのか呆然としていたが、すぐに表情を引き締めると迷いなく答えを返した。

 

「楽しいです」

 

 それはあの日のみほと同じ答えだった。

 しかし、後に続く言葉は全く違っていた。

 

「戦車に乗ること、戦車で突撃すること、そのどちらもずっと楽しくて堪りませんでした。それに加えて大学に入ってからは勝利の喜びを知りました。確かに知波単の仲間に対する申し訳なさはあります。ですが、皆で勝利の喜びを分かち合えることが嬉しいという気持ちに嘘はありません。勝利の美酒と言いますが、成程、あの味は確かに甘美なものです。あの味を味わうためならば、厳しい訓練も苦ではなく――」

「違う」

 

 それ以上聞いていられなくて、気付けば私は絹代の言葉を遮っていた。

 

「違うよ、絹代。それは戦車道が楽しいんじゃない、勝つのが楽しいってことだ。戦車に乗るのが楽しいのと戦車で勝つのが楽しいのとは別ものなんだ。そこを履き違えるな」

「は、はい、申し訳ありません!! 猛省致します!!」

「あ~、いや、すまん。別に責めるつもりはなかったんだが……」

 

 冷や汗を流しながら、上擦った声で謝罪してくる絹代の様子に途端に罪悪感が湧き上がってきた。

 酒が入っているせいか感情の抑制が利かなくてつい低い声が出てしまった。まさかあの絹代がここまで怯えるとは。そんなに今の私は怖かっただろうか……。内心で少し傷ついたが、今は一旦そのことは置いておこう。

 

 知波単で負け続けだった絹代からすれば勝利の味は格別な物だろう。私だってアンツィオ高校時代に勝利した時はあまりに久しぶりのことだから舞い上がってしまったものだ。だから絹代の気持ちは分かるつもりだ。

 けどだからこそ今の絹代の考え方は危ういとも思う。戦車道が楽しいという気持ちが、勝つのが楽しいという気持ちにすり替わってしまったらどうなるか。それを私は誰よりも知っているから。

 

「なあ、絹代。あるところに一人の女がいたんだ。そいつは子供の頃から戦車に乗っていて、中学時代はそれなりに名の知れた選手だった。卒業後、どの高校に進学するか悩んでいたんだが、そんな折ある高校にスカウトされたんだ。我が高校の戦車道を立て直してほしいってな。

 ……だが実際には立て直すどころか、逆に滅茶苦茶に壊してしまった。その高校の校風とは真逆のことばかり言って、周りの仲間といがみ合ってばかりで、一年も経つとそいつの周りには誰も残っていなかったんだ」

「アンチョビさん、それはもしや……」

 

 絹代が何か言おうとするのを手で制して私は続けた。

 

「そいつは最初は純粋に戦車道を楽しんでいた。だが次第に楽しむことよりも勝つことを優先するようになっていった。何故かと言えば、元々は仲間のためだった。仲間を勝たせてやりたい、仲間と勝利の喜びを分かち合いたいとそう思ったからだった。それなのにいつしかその気持ちを忘れてしまっていた。自分が何のために勝利を求めるようになったのか分からないまま、気付けば勝利のために大切な仲間すら犠牲にするようになってしまったんだ」

「……私も、そうなると仰るのですか?」

「それは分からない。だが忘れないでほしいんだ。勝利というのは手段であって、目的ではないということを。

 勝負事である以上勝利を求めるのは当然だ。勝てば嬉しいし負ければ悔しいと思うのは普通のことだ。ましてや隊長ともなれば勝利の重みは自分だけのものじゃない。仲間全員の想いを背負って戦わなきゃならない。

 だからこそ。仲間が大切だからこそ。隊長の役目は仲間を勝利に導いてやることだ。その考え自体が間違っていたなんて私は思わない。思いたくない。

 ……けどな、だからと言って勝利がすべてだと、勝利のためなら何をしてもいいと考えるようになったら終わりだよ。仲間のために勝利を求めていたのが勝利のために仲間を犠牲にするようになってしまったら本末転倒もいいところだ。手段と目的が入れ替わってしまっている。

 ……お前には、そんな風になってほしくないんだ……」

「アンチョビさん……」

 

 お節介と思われるかもしれない。私がこんなことを言わなくても絹代は道を踏み外したりはしないのかもしれない。

 でもどうしても言わずにはいられなかった。絹代には私の二の舞にはなってほしくない、あんな辛い気持ちは味わってほしくないと、そう思ったから。

 

「申し訳ありません、私が浅はかでした。己の至らなさに羞恥を覚えます。アンチョビさんに言われたこと、しかと胸に刻み込みます。決して忘れはしません!」

「分かってくれたならよかった。その気持ちを忘れなければ、お前は私のようになることはないだろうさ。……それにその気持ちは、自分の戦車道は何かという問題の答えを得る鍵になるかもしれないしな」

「それは、どういう?」

「さあな、あとは自分で考えろ。他人から教えてもらったものじゃなく、自分自身で悩んで出した結論でないと意味がないだろう?」

「はい、全くもってその通りです」

 

 正確には教えたくても教えられないと言った方がいいのかもしれない。

 たぶん私とみほが求めていた戦車道は似ているんじゃないかと思っている。だからアドバイスもできたが、それに対して絹代の求める戦車道については私とはまた違ったものだと感じられる。

 しかし根底にあるものは似ているとも思う。それを自覚した上で絹代がどんな道を選ぶのか、楽しみにさせてもらおう。

 

 さて、これで胸にわずかばかり残っていた不安も解消された。これで話は終わり、でもいいんだろうが……。

 

「なあ絹代、改めて聞く。車長に戻る気はないか?」

 

 最後に私はもう一度だけ聞いてみることにした。

 無理強いはしないなどと言っておいて何だが、今なら絹代の考えも変わっているんじゃないかと思ったから。

 絹代は私の問いに目に見えて狼狽えていた。

 

「ですが、私はまだ……」

「自分の戦車道を見つけられていないから、か?」

「はい……」

「なあ絹代。お前は真面目だから、ちゃんとした答えを出せないと納得できないのかもしれない。けどな、迷ってもいいんだよ。立ち止まって考えることも時には必要だろうが、進んでみて初めて見えてくることもある。さっきも言ったがお前なら、仲間を大切にしたいという気持ちを胸に刻んだ今のお前なら大丈夫だと私は信じている。

 だから迷いながらでもいい、少しずつでもいい。一歩進んでみないか?」

 

 これでも断るというならもう仕方がない。別に無理強いする気はないというのは嘘偽りのない本音だし。

 絹代は何か言いかけて口を噤み、しばらくの間顔を俯かせて考え込んでいた。私は急かしたりはせずに絹代の返事を黙って待った。

 すると絹代は徐に一歩下がってその場で床に手をついて深々と頭を下げた。

 

「分かりました。非才の身ながら、全力で務めさせていただきます!」

 

 そして勢いよく顔を上げると、私に向かって堂々と宣言した。

 

「そしていつの日か、これこそが私の戦車道であると、そう胸を張って言えるようになってみせます!!」

 

 私は絹代の返事に満足げに頷くと、手に持った杯を掲げた。絹代もそれに倣う。

 そしてそのまま杯を合わせて三度乾杯した。

 

「頑張れ」

「ありがとうございます!!」

 

 絹代の進む道がどこへ続いているのか、それは私には分からない。ただ、決して容易な道でないことだけは確かだ。

 けどきっと絹代なら、今の絹代なら道を見失うことはないと確信を持って言える。

 だって目の前の絹代は吹っ切れたような晴れ晴れとした笑顔を浮かべているんだから。


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