見つけられなかった私の戦車道   作:ヒルドルブ

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何とか年内に間に合いました。


ifルート:姉として

【マカロニ視点】

 

「おーい、マカロニー!」

「あ、ペパロニさん」

 

 授業も終わって帰り支度をしていると、私はクラスメイトのペパロニさんに声を掛けられた。

 アンツィオに転校してきてから一年近く経つけど、ペパロニさんは転校当初から私とずっと仲良くしてくれる大切な友達だ。何度か屋台の手伝いをしたこともある。

 

「今度の寄港日だけどさ、何か予定入ってるか? 何もなかったら、カルパッチョと三人で街に行こうかと思ったんだけどさ」

 

 普段の私だったら友達からのお誘いを断るなんてありえない。

 けど、残念ながらその日はどうしても外せない用事が入っていた。

 

「ごめんね、ペパロニさん。今度の寄港日はお姉ちゃんと会う約束をしてたんだ」

「マジかよ~! まあ、姐さんとの約束なら仕方ないか」

 

 お姉ちゃんは1年前までアンツィオ高校の生徒で、戦車道の隊長だった。ペパロニさんは現在ではお姉ちゃんの跡を継いで隊長になっているけど、未だにお姉ちゃんのことを「姐さん」と呼んで慕っていた。

 

「ごめんね、せっかく誘ってくれたのに……」

「いいっていいって、気にすんな。また誘うからさ。じゃあ姐さんによろしくな!」

「うん、伝えておくね」

 

 手を振って去っていくペパロニさんに同じように手を振り返して、私も教室を後にした。

 

 ……ペパロニさんは本当にいい人だ。

 ペパロニさんは戦車道の隊長をしている。うちの戦車道は人手不足で猫の手も借りたいくらいなはずなのに、それでもペパロニさんは一度だって私に戦車道をやるように言うことはなかった。

 それどころか、私の前では一切戦車道の話をしようとしない。

 気を遣われているのが申し訳ないという気持ちはあるけど、それ以上にありがたかった。

 もう私は戦車には関わりたくない。あんな思いは、もう二度と――

 

「マカロニ?」

 

 はっとして私は我に返った。

 いけないいけない。ついつい考え込んじゃった。私の悪い癖だ。

 

「あ、カルパッチョさん」

「もう駄目よ、そんな風にぼーっとしてたら。ただでさえ貴方は危なっかしいんだから」

「うっ、ごめんなさい」

「分かればよろしい」

 

 カルパッチョさんはペパロニさんと同じで、アンツィオに来て以来の友達だ。

 クラスは違うけど、ペパロニさんと同じく戦車道を履修していて副隊長を務めている人だ。

 同級生ということもあって、私も合わせて三人で放課後や寄港日には一緒に遊びに行くことも多い。

 

「そういえば今度の寄港日なんだけど」

「うん、ペパロニさんに聞いたよ。けどごめんね、その日はお姉ちゃんと会う約束をしてて」

「そうなの。残念だけど仕方ないわね。ドゥーチェによろしくね」

「うん! あ、でも駄目だよカルパッチョさん。ドゥーチェはもうペパロニさんなんだから」

「あ、そうね。どうしても癖が抜けなくて……」

 

 カルパッチョさんもペパロニさんと同じで、私の前では戦車の話をしようとはしない。

 本当は経験者の私が入れば二人の力になってあげられるのかもしれないのに。

 けど。

 けど私はやっぱり。

 

「マカロニ」

 

 またネガティブな思考に陥りそうになったところで、カルパッチョさんに両頬を引っ張られる。引っ張ると言ってもそんなに思い切りじゃない、かるくつまむ程度のものだったけど。

 

「暗い顔しないの。せっかくの可愛い顔が台無しよ」

「カルパッチョさん……」

「せっかくドゥー……アンチョビさんに会うんだから。久しぶりに会った妹がそんな顔をしていたら、悲しむでしょ。だから笑って。ね?」

 

 そう言ってカルパッチョさんはにっこりと笑った。それに対して私も笑顔で返す。ちゃんと笑えていたかは分からない、それでもこの場でできる精一杯の笑顔を浮かべたつもりだった。

 

「ありがとう、カルパッチョさん」

「どういたしまして」

 

 本当にありがとう。

 

 戦車のことに触れないでくれてありがとう。

 

 こんな私と友達でいてくれてありがとう。

 

 本当に、本当に、ありがとう。

 

 

          *

 

 

 そして待ちに待った寄港日。

 私はお姉ちゃんとの待ち合わせ場所に30分以上前に到着していた。

 お姉ちゃんに会えると思うと落ち着かなくて、ついつい早く家を出ちゃった。

 

 まだかな。

 

 早く会いたいな。

 

 そんな風にそわそわしながら待ち続けていると。

 

「あっ! お姉ちゃん!!」

 

 私はこっちに近づいてくるお姉ちゃんの姿を見つけた。私はすぐさま駆け寄って、勢いのままにお姉ちゃんの胸に飛び込んだ。

 

「おっと。こらこら危ないぞ、怪我したらどうする」

 

 お姉ちゃんはそんな私を優しく抱き留めてくれた。

 

「えへへ、ごめんなさい。お姉ちゃんに会えるのが嬉しくて、つい」

「まったくもう、可愛い奴め~」

 

 お姉ちゃんは苦笑しながら、わしゃわしゃと私の頭を撫でてくれた。私はそれが心地よくて、しばらくされるがままになっていた。

 

「久しぶりだな、みほ」

「うん、千代美お姉ちゃん」

 

 アンツィオ高校三年生、マカロニ。

 

 そして安斎千代美さんの妹、安斎みほ。

 

 それが今の私の名前です。

 

 

          *

 

 

【アンチョビ視点】

 

「すぅ……すぅ……」

「みほ~? ……寝ちゃったか」

 

 私が借りているアパートの一室で、私とみほは一緒のベッドで横になっていた。

 みほはずっと会えなかった分の時間を取り戻すように色々と話をしてくれていたが、そのうちに疲れが出たのか眠ってしまった。

 私はみほが体を冷やさないように掛け布団をしっかりと掛けてやった。

 

 こうしてみほの穏やかな寝顔を見ているとまるであの日のことが嘘のように思えてくる。

 あの日。

 1年前の決勝戦の日。

 大洗女子学園が敗北して廃校が決まった日。

 みほが西住の家を勘当された日。

 そして。

 みほが私の妹になった日のことを。

 

 第63回戦車道全国高校生大会決勝戦、大洗女子学園と黒森峰女学園の試合は私も会場で観戦していた。

 もっとも、危うく寝過ごしてしまうところだったが。前日の夜に会場入りしてそのまま宴会に突入して夜通し騒いで、気付いたら眠ってしまっていたんだ。試合開始に間に合ったのは奇跡としか言いようがない。

 ……今思えばあれは虫の知らせか何かだったのかもしれないが。

 

 試合は予想に反して接戦になっていた。観客は皆一様に驚いていたが、私の驚きはそれ以上だった。あの戦力で黒森峰相手に渡り合うのがどれだけ困難なことか、アンツィオで隊長をやっていた身としてはよく分かったから。

 最終的にフラッグ車同士の一騎討ちにまで持ち込んだ時は、私を含めて大勢の観客が番狂わせを期待した。

 

『大洗女子学園フラッグ車走行不能! よって黒森峰女学園の勝利!』

 

 だが現実はそう甘くはなかった。

 撃ち合いの末に白旗が上がったのは、みほが乗るⅣ号だった。

 妥当な結果、と言ってしまえばそれまでだが何とも残念な結果だった。あと一歩だっただけに落胆も大きかった。ただ観戦していた私でさえそうなら、実際に戦っていた選手の心情は推して知るべしだ。

 

 そこまで考えて私は猛烈に嫌な予感に囚われた。

 そう、私でさえそうなら実際に戦っていたみほの落胆はその比ではないはずなんだ。その証拠に、みほは試合が終わってからもずっと虚ろな瞳で白旗を見つめ続けていた。

 試合後、私は撤収作業をペパロニたちに任せてみほを探していた。あのままみほを放っておいたら、取り返しのつかないことになるようなそんな気がしたから。

 撤収作業をしている大洗の面々の中にはみほの姿は見当たらなかった。聞いてみると何処かに呼び出されてまだ帰ってきていないということで、私はあちらこちらと探し回る羽目になった。

 その甲斐あってか、私は試合会場から遠く離れた場所で一人で歩くみほの後姿を視界に捉えることができた。

 

『みほ!!』

『アンチョビさん? どうしたんですか、こんなところで』

 

 私の声に反応して振り向いたみほは笑顔を浮かべていた。

 笑顔、そう、笑顔だ。あの時のみほは普段通りの穏やかな笑顔を浮かべていた。

 私にはそれが恐ろしかった。

 ちょっと前に虚ろな瞳で白旗を見つめていたのと同一人物とは思えなかった。

 

『アンチョビさん?』

『あ~、え~と……その、試合、観てたよ。残念だったな、あと一歩だったのに』

 

 誤魔化すように言うと、みほは苦笑した。

 

『しょうがないですよ、やっぱり最初から無理だったんです。あの戦力で黒森峰に勝つなんて……』

『いや、そんなことはないぞ! あの黒森峰をあそこまで追い詰めるなんて大したものだ。最後だって本当にギリギリの勝負だった。この調子なら、きっと来年こそは勝てるさ』

 

 来年。その言葉を聞いた瞬間、それまで笑顔だったみほの顔から表情が消えた。

 

『来年なんて、ないんですよ』

『え?』

『だって大洗は今年で廃校になるんですから』

 

 大洗が廃校になる。

 予想外の言葉に理解が追い付かなかった。

 

『全国大会で優勝すれば廃校を撤回してもらえる約束だったらしいんですけどね。けど、負けちゃったから。……私が、お姉ちゃんに勝てなかったから……。だから。来年なんて、もうないんですよ』

 

 虚ろな瞳で語るみほに対して、私は何と声を掛けたらいいか分からなかった。

 

『……あはは、ごめんなさい。こんなこと、アンチョビさんに言ってもしょうがないですよね』

 

 そう言ってみほは笑ったが、それは明らかに無理に笑っているのが分かる表情だった。

 私はみほのそんな顔が見るに堪えなくて。

 

『アンチョビさん?』

 

 気付けば私はみほを抱き締めていた。

 

『え~と……どうしたんですか、いきなり?』

『無理をしなくていい。頼むから、そんな辛そうな顔で無理に笑うな。見ているこっちの方が悲しくなる』

 

 びくりと、密着したみほの体から震えが伝わってきた。

 

『……何、言っているんですか……。私は、無理してなんて――』

『しているさ。みほ、お前は負けたのは自分のせいだと思っているのかもしれないけどな、そんなことはない。お前が言った通り大洗の戦力で黒森峰に勝つなんて普通に考えて不可能だ。それでもあそこまで接戦に持ち込めたのは、お前の指揮があってこそだ。お前はそれを誇っていい。お前は自分にできることを精一杯やったんだ。だから――』

『貴方に何が分かるんですか!!?』

 

 私は怒鳴り声とともに突き飛ばされていた。

 

『何にも知らないくせに! 私が、どんな気持ちで今まで戦車道を続けてきたのか知りもしないくせに! 勝手なこと言わないで!!!』

 

 みほはそれまでの笑顔が嘘のように、怒りに満ちた顔で私を睨み付けてきた。

 でも不思議と怖くはなかった。代わりに私の心に湧き上がってきたのは、やるせない痛ましさの念だった。

 あんな激情をずっと胸の内に隠して笑っていたのかと思うと、ただただ悲しかった。

 

『あ……ご、ごめんなさい……わた、し……』

 

 尻餅をついて呆然と自分を見上げる私の姿を見て我に返ったのか、みほは露骨に狼狽えていた。

 私が立ち上がって近づくと、みほはびくりと体を震わせて縮こまってしまった。

 

『辛かったな』

 

 私はそれに構わずみほの目の前に立つと、もう一度みほを抱き締めた。

 

『みほ、確かに私にはお前がどんな気持ちで今まで戦車道を続けてきたのかは分からない。けどな、お前が今までどれだけ頑張ってきたかは分かるつもりだ。そんなにボロボロになるまでよく頑張ったな。

 今までは隊長として仲間に弱音は吐けなかったのかもしれないが、私にならいくらでも言っていい。周りには誰もいない。だからもう、我慢しなくていいんだ』

 

 そこまで言うと、みほは恐る恐る私の背に腕を回してきた。

 最初は弱弱しく背中に触れる程度だったが、徐々に感情を堪え切れなくなったのかその腕にも力が籠り始めた。

 

『……私、頑張ったんです』

『うん』

『本当に、頑張ったんです。絶対に勝てない相手でも必死に勝つための作戦を考えて、それであと一歩ってところまで行ったんです。でも負けちゃった。勝たなきゃいけなかったのに。守らなきゃいけなかったのに。やっと、やっと見つけたと思ったのに。友達を、私の戦車道を、私の居場所を。私は、また自分のせいで皆を不幸にしちゃったんです』

『そんなことはない。さっきも言っただろ? 負けたのはお前のせいじゃ――』

『嘘っ! 嘘嘘嘘!! 嘘だよ!! どうせ皆思ってるんです、私のせいだって!! 黒森峰でもそうでした。皆言うんです、私のせいで10連覇を逃したんだって。私はただ仲間を助けただけなのに! それの何がいけないの!? お母さんまで、私のしたことは間違ってたって、言って……』

『みほ……』

『私、頑張ったのに……ずっとずっと、やりたくもないことを我慢してやってきたのに。家でも、黒森峰でも、大洗でも、嫌なことでも無理してやってきたのに、その挙句にこれですか? 黒森峰を追い出されて、大洗は廃校になって、お母さんにも捨てられて、どこにも私の居場所なんてなくて。

 ……どうしてなんですか!? 私が何をしたって言うんですか!? 何で私ばっかりこんな辛い目に遭わなきゃいけないんですか!? 何で! なん、で……っ!

 もうヤダ……戦車なんて嫌い、西住なんて嫌い。黒森峰の皆も、生徒会の人たちも、お母さんも、みんなみんな、大っ嫌い!!

 ……でも、そんな風に考えちゃう自分が、一番、大嫌いなんです……』

 

 みほはそれで言いたいことは言い尽くしたのか、後は何も言わずにただただ子供のように泣きじゃくっていた。私はそんなみほの頭を泣き止むまでずっと撫で続けた。

 

『すいません……みっともないところをお見せして』

『気にするな。少しはすっきりしたか?』

『はい、ありがとうございます。……でも私、これからどうしたらいいんでしょう……?』

 

 みほは泣き腫らした目でこちらを見つめながら困ったように呟いた。

 

『みほはどうしたい?』

 

 何をするにしてもすべてはみほの意思次第だ。

 そう思って聞いたのだが、私の問いに対してみほは困ったように曖昧に微笑んだ。

 

『分からないですよ、自分が何をしたいのか、どうしたいのかなんて。そんなの今まで考えたこともなかったんですから。考えることなんて、許されなかったんですから。

 昔からそうでした。

 西住の家に生まれたから西住流の戦車道をやってきて。

 黒森峰では家元だからって理由だけで副隊長をやらされて。

 大洗では戦車道の経験者だからってだけで無理矢理戦車道をやらされて。

 私は、ずっとずっとやりたくないことをやらされてきたんです。

 ……でもそれで良かったのかもしれません。だって私がしたいことをしたらいつも失敗して皆を不幸にするんだから。黒森峰でも、大洗でもそうでした。アンチョビさんは、私は悪くないって言ってくれたけど、でもやっぱり私にはそうは思えないんです。

 だから。どうしたいかなんて分からないし、考えられないし、考えちゃいけないんですよ……』

『みほ……』

『ねえアンチョビさん。私どうすればいいんですか? 私はどこに行けばいいんですか? 大洗は廃校になる。黒森峰にはもう戻れない。実家も勘当された。もうどこにも居場所なんてないじゃないですか。こんな私に、一体どうしろっていうんですか? アンチョビさんなら分かるんですか? だったら教えてください。……お願いだから……教えてよ……』

 

 縋るように見つめてくるみほに対して私は言葉に詰まった。私としてもみほに何かしてあげたいという気持ちはあった。しかし具体的なことは何も思い付かなかったんだ。それでも私は考えに考えて。

 

『アンチョビさんがお姉ちゃんならよかったのに……』

 

 不意に脳裏に浮かんだのは、そんなみほの呟きだった。

 

『……みほ。前に言ってくれたよな? 私がお姉ちゃんなら良かったって』

 

 みほは私の言葉に目を見開いて固まっていたが、すぐにばつが悪そうな顔で目を逸らす。

 

『聞こえてたんですか……』

『そんな顔をするな。私は嬉しかったよ。……なあ、みほ。お前が良ければ、私の妹にならないか?』

 

 みほは何を言われたのか理解できないという顔をしていたが、私はそれに構わず続けた。

 

『居場所がない? なら私が作ってやる。私がお前の居場所になってやる。お前のお姉ちゃんになってやる』

 

 そこまで言うとようやくみほも理解が追い付いたらしい。

 

『それって私を、アンチョビさんの家の養子にするってことですか?』

『そうだ。……ああいや、でも別に嫌だというなら無理には――』

『そんなことないです!』

 

 先走り過ぎたかと思ったが、みほは慌てて否定した。

 

『なりたい、です。アンチョビさんの妹に。……でも、本当にいいの? 本当に、私のお姉ちゃんに、なってくれるの……?』

『勿論だ』

 

 一瞬西住の、みほの実の姉の姿が脳裏を過ったが私はそれを振り払って安心させるように笑いかけた。

 みほはぽろぽろと大粒の涙を零しながら、私の胸に飛び込んできた。

 私はそれを優しく抱き留めると、みほが泣き疲れて寝てしまうまで、ずっと頭を撫で続けた。

 

 その後みほを膝枕しながらどうしたものかと悩んでいると、帰りが遅いのを心配してか、アンツィオからはペパロニとカルパッチョが、大洗からはあんこうチームのメンバーと生徒会長の角谷がやってきた。

 私は話せる範囲で事情を話して夏休みの間はうちでみほを預かると説明した。みほが実家を勘当になったことは流石にプライベートなことなので伝えることはしなかったが。

 

『西住ちゃんのこと、お願いね』

 

 そう言って頭を下げる角谷と、それに次いで同じように頭を下げるあんこうチームの面々の姿は今でも忘れられない。

 ペパロニもカルパッチョも深くは事情を聞こうとしなかった。それがあの場ではありがたかった。

 そしてみほを二人に任せて私は両親に電話を掛けた。挨拶もそこそこに私は単刀直入に用件を告げた。

 みほをうちの養子にしてほしいと。

 両親は私の突然の提案に困惑していた。そりゃそうだろう。見ず知らずの女の子をいきなり養子にしてくれなんて娘から言われたら、誰だって戸惑うに決まっている。

 私としても無茶なことを言っているという自覚はあった。人一人養うというのがどれだけ大変なことかなんてちょっと想像力を働かせれば分かることだ。

 それでも。私はみほの姉になると、姉としてみほの居場所を作ると約束した。私にできることなら何でもするつもりだった。だから私は無理を承知で両親に頼み込んだ。

 

 両親も私の必死な様子に何かを感じ取ったのか、とにかく電話だけじゃ事情が分からない、一度会って話をしようと言ってくれた。私はみほを連れて実家に帰省して、両親と直接話をすることにした。

 みほは最初こそ初対面の人間に囲まれて緊張していたが、うちの家族の穏やかな雰囲気に次第にリラックスしてくれたようだった。それを確認して私はみほを養子にしてほしいと頼むに至った経緯を話し始めた。

 事情をすべて話し終えた頃には、両親はみほの境遇に同情して涙を流していた。

 母に至ってはみほを抱き締めて号泣していたくらいだ。みほも釣られて泣き出して、二人してわんわん泣いていた。思わず私も貰い泣きしてしまった。

 一頻り泣いて落ち着くと、両親はみほさえ良ければうちの、安斎家の養子にならないかと言ってくれた。

 ただ一人、弟だけはいきなり年が近い義理の姉ができるという状況に複雑な表情を浮かべていたけど、私が決めたことなら、と最終的には受け入れてくれた。

 

『その、不束者ですが、よろしくお願いします!』

 

 畏まって頭を下げるみほに対して、それじゃ嫁入りするみたいだな、と私が笑うと釣られて両親も弟も笑い出した。

 みほも最初は顔を真っ赤にして恥ずかしがっていたけど、次第に笑顔になっていって、最後は皆して笑い合った。

 その後は一緒に食事をして、談笑しているうちにみほもすっかり打ち解けていった。

 

 そして数日後。私たちはみほの実家にみほを養子にする許可を得るために家族全員で熊本まで出向いた。

 そして私はみほの母親である西住流家元と対面することになった。

 流石はあの西住流の家元だけあって威圧感が半端なかった。私は両親の後ろでただ座っていただけだったが、それだけで息苦しさを覚えたほどだった。普段から戦車を相手にしている私ですらそうなのだから、両親や弟については言うまでもない。むしろ気絶しなかっただけ立派だと思う。

 

 それに対して家元の態度はあくまで淡々としたものだった。

 みほを養子にするというなら構わない、戸籍謄本など必要な書類があれば用意する、といった事務的な会話に終始していた。

 そして必要最低限のことだけを伝えると後は話は終わり、とばかりに家元は退出しようとした。

 

『待ってください!!』

 

 気付けば私は家元を呼び止めていた。家元は私の声に足を止めると、こちらを見遣った。

 別に睨まれた訳じゃない、ただ見られただけだというのに私は気圧されて言葉に詰まってしまった。

 

『母親として、みほに何か言うことはないんですか?』

 

 それでも私は必死に声を絞り出した。

 私には流派の重みなんてものは分からない。きっと私みたいな小娘には想像もできないくらい家元というのは大変な立場なんだろうとは思う。

 それでも。

 最後に何か一言くらい母親として娘に声を掛けてあげられないのか。そんなことすら許されないものなのか。そんな気持ちを込めた言葉だった。

 

『その子は既に西住を勘当された身です。どこへ行こうとこちらの関知するところではありません』

 

 返ってきたのはあまりにも素っ気ない言葉だった。

 私は絶句してしまった。それが、仮にも自分の娘に対して言うことか。

 戦車道とは何か。

 あの時、みほが私に聞いてきた気持ちが分かった。私がみほと同じ立場でもそう言いたくもなるだろう。

 西住流とは、流派を背負うというのは、そこまでしなければならないものなのかって。

 

『話は終わりですか? なら私はこれで。……菊代、お送りしなさい』

 

 こちらが何も言い返さないと見るや、家元はそのまま部屋を出て行こうとした。

 私は思わず立ち上がって、尚も言い募ろうとした。

 

『アンチョビさん』

 

 そんな私を止めたのは、みほだった。

 

『もういいの。もう、いいですから……』

 

 みほは私の服の袖を掴んで、諦めたように微笑んでいた。

 あの人には最初から何も期待していなかった。そう言わんばかりの態度に胸が締め付けられる思いだった。

 

『み……』

 

 その時、声が聞こえた。本当に微かな、気のせいかと思う程に本当にか細い声だった。

 声のした方を向くと、家元が何か言いたげに佇んでいた。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに表情を引き締めると何も言わずに部屋を出て行った。

 

 私はあの時になって初めて、家元のことを誤解していたことに気付いた。

 あの人は西住流としての立場に縛られていただけで、きっと本心ではみほのことを娘として大切に思っていたに違いないんだ。

 しかし気付いたところでもう遅かった。結局私はそのまま促されるまま部屋を出た。

 

『安斎さん』

 

 部屋を出て玄関で靴を履いていると、家元が菊代と呼んだ家政婦さんが声を掛けてきた。

 

『どうか奥様のことを責めないであげて下さい』

 

 菊代さんは私に向かって深々と頭を下げた。

 

『奥様は西住流の家元として、あまりにも重い物を背負われているのです。ですから、どうか……』

『でも』

 

 私には何も言えなかった。

 そんな私に代わって、口を開いたのはみほだった。

 

『それって、あの人は私よりも西住流の方が大事だってことですよね』

 

 その表情からは一切の感情が抜け落ちていた。

 

『みほお嬢様、それは――』

『いいんです、分かっていたことですから』

 

 菊代さんが尚も何か言おうとするのを遮って、みほはにっこりと微笑んだ。

 

『むしろすっきりしました。これで心置きなく、西住の名前を捨てられます』

 

 言葉通り晴れやかな顔つきで微笑むみほに対して、その場にいる誰も声を掛けることはできなかった。

 その後玄関を出て門まで歩く間も、菊代さんが車を取りに行っている間に揃って門の前で待っていた時も、私たちは全員無言だった。

 あの時のみほに対して、何と言えばいいのか、あの場にいる誰にも分からなかったから。

 

『みほ』

 

 そんな中、不意に声を掛けられた。

 声のした方を向くと、そこにはみほの姉である西住まほが立っていた。

 みほは西住の姿を認めると、びくりと身を竦めて私の背後に隠れてしまった。

 それを見て西住は泣きそうに顔を歪めたが、口を引き結んで耐えていた。西住はみほとは言葉を交わすことはなく、代わりに私の方に顔を向けてきた。

 

『安斎、少し話がある。付いて来てくれないか』

 

 私としても西住とは話をしたいと思っていたので渡りに船だった。私は頷いて西住の後に付いて行った。心配そうに見つめてくるみほに、大丈夫だというように微笑んで私は西住と連れ立って歩き出した。

 流石にあの西住流の宗家の邸宅だけあって庭も広かった。どこまで歩くのかと尋ねようとしたところで、西住は不意に立ち止まった。

 しかし西住はすぐに話を始めることをせずに、しばらくの間ずっと無言だった。私はそんな西住を急かすことはせずに、ただ相手が口を開くのを黙って待ち続けた。

 

『みほはお前の家の養子になるらしいな』

『ああ、もう話は付けてきた』

『……きっとその方がいいんだろうな。みほは西住からは距離を置いた方がいい』

 

 西住は私に背を向けていたので、その表情は分からなかった。あの時の西住は一体どんな表情で、どんな気持ちであんなことを言ったのだろうか。今では知る由もないが。

 

『みほはな、小さい頃はいつも楽しそうに戦車に乗っていた。私も一緒に戦車に乗って遊んでいたからよく分かる。あの頃は毎日が楽しかった。きっとみほだってそうだ。私と同じでみほも戦車に乗るのが大好きだった、はずなんだ。

 それなのに……いつからだろうな、みほが笑わなくなったのは。あんな風に辛そうに戦車に乗るようになったのは。成長するにつれて、西住流の訓練を受けるようになって、西住流らしくあれと教育されて、黒森峰に入学して。次第にみほの顔から笑顔は消えていった』

 

 そう語る西住の声音もまた、次第に暗いものへと変化していった。

 

『西住流の在り方が、黒森峰という環境が、そして私という存在が、ずっとみほを苦しめてきたんだ。西住の家に生まれなければ、黒森峰に来なければ、私の妹にならなければ、きっとみほは今でも友達に囲まれて楽しく戦車に乗れていたはずなんだ。

 ……だがそうはならなかった、ならなかったんだよ、安斎』

『西住……』

『……“西住”、か……ああそうだ。私は西住だ、西住なんだよ、安斎』

『何を――』

 

 言うのかと訝る私に構わず西住は続けた。

 

『これまでも、そしてこれからも。私は西住であり続けなければならない。そのことに後悔なんてない。私は西住流そのものだ。西住流こそ私の人生と言ってもいい。

 だがみほは違う。みほにとっては西住の名は重荷でしかない。だから私が西住流を継ぐことで、西住流であり続けることで、本来みほが背負うべきものを肩代わりすることでみほを守りたいと、そう思っていた。

 しかし結局私はみほを守れやしなかった。黒森峰では周りから責められるみほを助けてやれなかった。お母様に糾弾されるみほを庇ってやることすらできなかった。あまつさえ、転校した先でみほが見つけた友達を、居場所を、自分だけの戦車道を、私の手ですべて踏みにじってしまった……』

 

 まるで罪人が己の罪を告白するかのような重苦しい口調だった。

 いや、実際にあれは懺悔だったんだろう。西住はみほを、大切な妹を守れなかったことにそれだけ罪悪感を抱いていたんだろう。

 西住はそこでようやく振り向いて私の顔を正面から見つめてきた。

 

『分かるか、安斎。みほの幸せのためには私の存在は邪魔でしかないんだ。私が傍にいる限りみほは幸せにはなれないんだ。だから、こんな私はみほの前からいなくなった方がいい……』

『にしず……』

 

 言い掛けて私は慌てて口を噤んだ。あの時のあいつのことを“西住”と呼ぶのは憚られたから。

 そして一度口を噤んでしまえば言葉は出てこなかった。言いたいこともすべて飲み込んでしまった。

 けどそのまま何も言わずにいるなんて耐えられなくて、何か言わなければと必死に考えて。

 

『お前はそれでいいのか?』

 

 辛うじて口から漏れたのはそんな言葉だった。

 

『いい』

 

 私の問いに対して、西住は苦渋に満ちた表情で声を絞り出した。

 

『みほが幸せならそれでいい』

 

 歯を食いしばって、血が出るほどに拳を固く握りしめて呟く西住の姿に私は胸が締め付けられる思いだった。

 

『私は昔からみほを泣かせてばかりいた。みほが小学生の時は、私のせいで友達と仲違いをさせてしまった。黒森峰ではみほの居場所を作ってあげられなかった。そして今度は大洗を、ようやくみほが見つけた居場所を、廃校に追いやってしまった。

 ……私はいつもそうだ。みほのことが大切だと思っていながら、いつだってみほよりも西住流を優先してきた。みほのことを蔑ろにしてきたんだ。こんな私に、みほの姉を名乗る資格はない』

『そんなことはない!』

 

 私は即座に反論していた。

 西住の言葉を聞くだけでも、どれだけみほのことを大切に思っているかは痛い程に伝わってきた。

 立場が邪魔をしていただけで、本当は西住もみほの味方になってあげたかったはずなんだ。そんな西住に姉としての資格がないなんて、どうして言えようか。

 しかし西住は私の反論を聞いても、寂しげに微笑むだけだった。

 

『さっきのみほを見ただろう? みほは私ではなくお前を選んだんだ。どちらがみほの姉に相応しいかは一目瞭然だろう……』

 

 私の脳裏に思い浮かんだのは、西住に怯えて私の背中に隠れるみほの姿だった。

 あの姿を思い出してしまえば、私も二の句が継げなかった。

 

『……お前の言う通りだ。本当は私だってみほの味方になってあげたかった。隊長としての責務も、西住流としての立場も、何もかも投げ出して。……投げ出すことができればどんなに良かったかと思う。だがそれはできない。黒森峰の隊長として、西住流の跡取りとして、私にはやらなければならないことが多すぎる。自分の役目を放棄することはできない、そんな無責任なことはできる訳がない。

 そして立場を捨てられない以上、私からみほにしてあげられることはもう何もない。……いや。私が何かしようとしてもみほを苦しめるだけなんだ。だから私はもうみほに関わらない方がいい』

 

 そこまで言うと西住は私に向かって歩み寄ってきた。そして私の手を取って深々と頭を下げた。

 

『頼む、安斎。どうかみほを幸せにしてあげてくれ。姉らしいことなど何一つしてあげられなかった、私の代わりに。身勝手な頼みだとは承知している。それでも、どうか……お願い、します……』

 

 震える手で私の手を握り締めながら、震える声で懇願してくる西住に対して、私はもはや反論の言葉は浮かんでこなかった。

 

『……分かった』

 

 代わりに私の口から漏れたのはそんな言葉だった。

 

『みほは私が責任を持って幸せにする。姉として必ずみほを守ってみせる。約束するよ』

 

 西住の意志の固さを感じ取った私には、そう言うのが精一杯だった。

 

『ありがとう、安斎……』

 

 私の返事を聞いて西住は顔を上げた。その瞳からは大粒の涙が零れ落ちていたのに、表情はそれに反して笑顔だった。西住は泣きながら、安心したように微笑んでいたんだ。

 

「お姉ちゃん……」

 

 はっとして、私は意識を現実に戻した。

 起きたのかと思ったが、みほは目を閉じたまま静かに寝息を立てている。どうやら今のは寝言だったらしい。

 

 お姉ちゃん、とみほは言った。

 

 それは私のことなのか。

 

 それとも……。

 

 あの日の西住とのやり取りを思い出して改めて考える。

 西住の家に生まれなければ、黒森峰に入学しなければ、みほは幸福になれた。あの日西住はそう言っていた。

 確かにみほの性格は、みほが求める戦車道は西住流や黒森峰とは根本的に相容れないものだろう。

 みほの戦車道が何なのか、というと私も正確に把握している訳じゃないが、勝ち負け関係なく楽しむとか、仲間を何よりも大切にするとか、そういうものだったんじゃないかと思っている。それは私がアンツィオで見つけた戦車道そのものだった。

 私にとってはそれが正解だったが、それはあくまで私にとっての正解であって、誰にでも当てはまるとは思っていない。

 ましてや黒森峰は戦車道の名門だ。日本全国から才能ある人間が集まり、努力してお互いに競い合う、そういう場所だ。そこに通う人間からすれば、皆仲良く戦車道を楽しむなんて考え方はただの馴れ合いとしか思われないだろう。

 

(そういう意味でもみほは異質だったんだろうな……)

 

 きっとみほが黒森峰に入学したのは誰にとっても不幸だったんだろう。みほ自身にとっても、周りの隊員たちにとっても。だから西住の言うことも分かる。

 しかし一つだけ。

 西住の妹であることがみほにとって不幸だったとだけは思えなかった。

 みほは確かに西住流を重荷に感じていただろう。黒森峰の環境を苦痛に感じていただろう。

 でも。

 西住まほを悪く言うことは一度もなかった。

 西住本人が言っていたように、みほの立場からすれば西住のことを恨んでいてもおかしくないはずなんだ。それなのに、西住を責めるようなことは一度たりとも口にはしなかった。

 西住がみほのことを妹として大切に思っているように、みほも本当は西住のことを姉として慕っているに違いないんだ。

 

「置いていかないで……私を、一人にしないで……」

 

 一体どんな夢を見ているのか、その眦には薄っすらと涙が浮かんでいた。

 私はみほを抱き締めて優しく頭を撫でる。

 

 西住。

 お前は自分がいない方がみほにとって幸せだと言ったな?

 けどな、今こうして姉のことを想って涙を流しているみほを見てもお前は同じことが言えるのか?

 みほの幸せのためにはお前の存在が必要なんだよ。

 私はお前に姉としてみほを幸せにすると約束した。あの日の誓いに嘘なんてない。

 だから。

 みほの幸せのためにも、お前にはみほと仲直りしてもらう。絶対にだ。

 今はまだ無理かもしれない。

 それでもいつか。

 いつの日か二人がまた姉妹として心から笑い合えるようにしてみせる。

 別に義務感で言っているんじゃない。

 妹であるみほのために。

 戦友である西住のために。

 ただ私がそうしたいからそうするんだ。

 それが私の、みほの姉としての、西住まほの友人としての私の願いなんだから。




別名「安斎みほ」ルートです。
たぶんこれが一番のHAPPY ENDです。
みほは死なずに済んで、自分の居場所を見つけられて、優しいお姉ちゃんと友達に囲まれて。
ねっ? HAPPY ENDでしょう?(実の姉から全力で目を逸らしつつ)
……真面目な話、このルートならまほさんも将来的には救われるので、やっぱりHAPPY ENDですよ(実の母親から目を逸らしつつ)。

次回は澤ちゃんの話を投稿予定です。
それでは皆様よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願い致します。

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