【ケイ視点】
強烈なアルコール臭に混じって仄かな桜の香りが鼻をかすめる。
冬に桜の香りなんて本来はありえない。事実その香りの元は桜じゃなく、私の目の前にあるグラスを満たした液体だった。
ズブロッカというポーランドのウォッカだ。バイソングラスという薬草を漬け込んでいて、それが日本人からすると桜の香りと味に感じられるらしい。初めて飲んだ時はその香りと味に驚かされた。
正確には桜というより桜餅という方がしっくりくるけど、そんな細かいことは個人的にはどうでもいい。お酒なんてものは美味しく楽しく飲めればそれでいいんだから。
グラスを傾けて中身を少量口に含むと、味わうように舌の上で転がしてゆっくりと飲み込む。
喉が焼けるような熱さとともに桜の香りが口いっぱいに広がったところで、私は切り分けたケーキを頬張った。
こちらは同じくポーランドのチーズケーキ、セルニックだ。この重くて甘い風味、一度食べてからというもの病みつきになっちゃったのよね。
「ケーキをつまみに酒を飲むというのもどうかと思うけど」
「いいじゃない、どっちも美味しいんだから」
「まあ、気に入ってくれたようで何よりだわ」
目の前に座る女性、ヤイカは苦笑しながら同じようにケーキを一口、口に運んだ。
ヤイカはボンプル高校の出身で、一時はタンカスロンの王者にまで登り詰めた選手だ。今では公式戦車道の舞台に舞い戻り、私と同じサンダース大学に進学。そして現在では私が隊長を、ヤイカが副隊長を務めている。
とは言ってもそれもあと数日のこと。私たち4年生は引退して後輩にその役目を引き継ぐことになっている。
結局私たちの代では一度も優勝することはできなかった。新隊長のナオミには私たちの分まで頑張ってほしい。
「それで、話って何?」
このまま美味しいお酒とケーキを味わっていたいのは山々だけどそうもいかない。今日こうしてヤイカの家に来たのはヤイカから話があると言われたからだ。
お酒は強い方だけど、このお酒は度数が高いから何杯も飲めば流石にそのうち酔いが回ってくる。酔っぱらう前に用件があるなら聞いておかないと。
ちょうどケーキを食べ終えていたヤイカは、フォークを置いて真っ直ぐに私の瞳を見つめてきた。
「本当にプロに行く気はないのね」
私はヤイカの言葉に思わずウンザリしたように顔を顰めた。ように、というか実際に私はウンザリしていた。
私とヤイカは今年度で大学を卒業する。
私は日本戦車道連盟公認の戦車道の教官に、ヤイカはプロの戦車道選手になることがそれぞれ決まっている。
周りの人間は私もヤイカと同じようにプロに行くと思っていたらしくて、私が戦車道の教官になるというと皆こぞって聞いてきた。「何故教官に?」とか「どうしてプロに行かないの?」って。
特にヤイカには何度もしつこく考え直すように言われたものだ。
「何度も言ってるでしょ? アズサの指導をしているうちに人に教える楽しさに目覚めたのよ。プロに行きたい気持ちがないと言ったら嘘になるけど、もう私は教官になるって決めたのよ。今更変えられる訳ないでしょ」
「ありえないわ、貴方程の人がプロにならないなんて。今からでも遅くない、考え直しなさい。オファーだって来ていたんでしょう?」
いつも通りの答えを返す私に対して、ヤイカは納得がいかないのか尚も食い下がってきた。
「しつこいわね。どうしてそこまで私の進路に拘るのよ。私がプロに行こうが行くまいが貴方には関係ないでしょ」
内心の苛立ちを抑えることができず、ついきつい口調になってしまった。
そんな私の態度に気圧された訳でもないだろうけど、ヤイカはばつが悪そうに目を逸らした。
「私はこれでも貴方に感謝しているのよ。貴方は私に、私たちに居場所をくれた。今の私たちがあるのは貴方のおかげだと思っている。そんな貴方とこれからも一緒に、同じ舞台で戦いたい。そう思うのはおかしいことかしら?」
予想外の言葉に私は驚いて目を瞬かせる。
隊長として、チームメイトとしてあれこれ世話を焼いたのは確かだけど、そこまで大真面目に言われると流石に照れる。私はつい誤魔化すように頬を掻いた。
「大袈裟ね。私はそんな大したことはしてないわ」
「貴方にとってはそうかもしれないわね。でも私たちにとっては大したことなのよ。私が副隊長になれたのも、私たちが今もこうして戦車道を続けていられるのも、すべては貴方のおかげだと思ってる。貴方に受けた恩は返そうと思っても返しきれるものじゃないわ。私が、私たちがここまで来るのにどれだけ苦労したか。貴方だって知ってるでしょう」
ヤイカの言葉に私は頷く。
私は知っている。ヤイカが、ボンプル高校の皆が今までどれだけの苦難の道を歩んできたかを。タンカスロンの王者と言われた彼女たちが今では公式戦車道の舞台で戦っている理由を。
「私たちは、ボンプル高校は公式戦車道ではずっと勝てなかった。貧弱な戦車、ポーランド
確かにヤイカがいたボンプル高校は、保有する戦車のほとんどが軽戦車や豆戦車だった。戦車道は戦車の性能がすべてじゃないけど、ボンプルの火力では強豪校を相手にするのは厳しいと言わざるを得ない。
事実ヤイカが隊長として隊を率いた4年前の大会では、一回戦でプラウダ高校相手に完敗を喫していた。
「強豪校有利の公式戦車道に私たちの居場所はない。一度は戦車道に絶望した私たちは、
けどその栄光も終わりを告げた。……あの事故のせいで」
あの事故。
タンカスロンの試合中に起こった死亡事故のことだろう。一時期、戦車道界隈でも話題になったので私もそのことは覚えている。
と言っても私もそこまで詳しい事情は知らない。私が知っているのは、一人の選手が試合中に相当な無茶をした挙句に亡くなったらしいということだけだ。
たしか名前は。
「鶴姫しずか、だったかしら」
「ええ。……全く余計なことをしてくれたわ」
ヤイカは苛立たしげに歯ぎしりをして、グラスの中身を一息で飲み干した。
元々戦車道界隈ではタンカスロンの存在を快く思わない人は多かった。伝統と格式を重んじる公式戦車道からすれば、ルール無用のタンカスロンは下品で野蛮なものに映ったのかもしれない。
けどヤイカがいたボンプル高校を始めとして予算や校風などの縛りがあって強力な戦車を導入できない高校からすれば、戦車の性能差なしに戦えるタンカスロンは魅力的に映っただろう。
大洗の廃校とミホの自殺を機に戦車道をやめてタンカスロンに参加する子も少なからずいた。将来的にはタンカスロンが戦車道に取って代わって、日本の戦車競技の主流になるんじゃないかと言う人までいた。
そんなところにあの死亡事故だ。
日本戦車道連盟はこれ幸いとばかりにあれこれと規制を掛けて、今ではタンカスロンは日本国内において全面的に禁止になっている。
とは言え、それだけで公式戦車道に人が戻ってくる訳じゃない。そこで連盟は公式戦車道の改革に乗り出した。そしてあの事故を引き合いに出して公式戦車道の安全性を訴えた。
公式戦車道はタンカスロンと違って安全性には充分に配慮されている。だからあのような事故は起こらない、って。
確かにタンカスロンは安全性という点では問題を抱えていた。観戦については何があっても自己責任で特にルールなどは設けられておらず、戦車を間近で見られるからと観客はそれこそ戦車同士が撃ち合っているすぐ傍まで近寄って観戦していた。
そこが面白いところでもあったけど、一歩間違えれば大事故に繋がりかねなかったのも事実だ。
公式戦車道の試合では観客席は試合会場から遠く離れているのでそんなことは起こらない。それに加えて審判を始めとしたスタッフを増員し、天候不良の際には試合開催の可否をより慎重に協議するようになった。また、選手の生命が危険に晒されるような事態が起きた場合には即座に試合を中断して救助に当たることがルールに明記された。選手の安全をそれまで以上に重視するようになった。
日本戦車道連盟で戦車道の教官を募集し始めたのもその頃からだった。今では日本で戦車に乗るには連盟公認の教官による講習を受けることが義務付けられているし、それ以外でも希望する学校には教官が赴いて教導を行うようになっている。
正直言って遅すぎたとは思う。もっと早く改善に乗り出していれば、5年前の事故だって起こらなかっただろうに。
「強襲戦車競技という居場所を無くした私たちは選択を迫られた。戦車を降りるか、それとも公式戦車道に戻るか。実際戦車を降りた子も少なからずいたわ。今更どの面下げて戦車道に戻れるのか、って。大半は私と一緒に公式戦車道の舞台に戻ることを選んでくれた。けどそんな私たちに対して周囲の反応は冷たいものだった。強襲戦車競技出身というだけで誰も彼も私たちを見下していた。
でも貴方は違った。誰もが色眼鏡で見る中、貴方だけは私たちを見下したりしなかった。差別したりしなかった。私を副隊長に推薦したのも貴方だと聞いている。本当に、いくら感謝してもしきれないわ」
「私は何もしてないわ。貴方は自分で皆の信頼を勝ち取ったのよ。あのカチューシャに勝ったんだもの。誰も貴方の実力を疑ったりなんてしないわ」
「そうね。ええ、その通りよ。勝ったのは私の実力、それを否定する気なんてない。でもね、勝ち負け以前に勝負する機会を与えてくれたのは貴方でしょう?」
「……何のこと?」
「惚けないで。貴方はあの日、どうしても外せない用事があると言っていた。でもあれは嘘でしょう?」
ヤイカの問いに対して私は曖昧に笑って誤魔化した。
あれは一年前の大学3年生の冬のことだった。
ロシア留学から戻ってきたカチューシャが率いるチームとの公式戦。当時隊長だった私はどうしても外せない用事があって副隊長のヤイカに部隊の指揮を任せた、ということになっている。
でもそれはヤイカの言う通り嘘だった。ヤイカに部隊の指揮を任せるための方便に過ぎなかった。
どうしてそんなことをしたかと言えば、必要なことだったからだ。
私はヤイカは副隊長になるに相応しい実力があると思っていたし、先輩たちも納得してくれた。部員たちからも表立っては不満の声は出なかった。でもやっぱりどこかでタンカスロン出身だからと侮っている節はあった。そんな考えを払拭するためにも、ヤイカの実力を皆に知らしめる必要があった。
私はヤイカならきっとやれると思っていたし、結果としてヤイカは見事に勝利を勝ち取った。あの試合以降ヤイカに対する周囲の態度は明らかに変わったし、私としても上手く事が運んでくれてほっとした。
それを敢えて口にするのも野暮ってものだから、絶対に言わないけどね。
「まあいいわ。とにかく私は貴方に感謝している。今もこうして戦車に乗れる、それどころかプロにまでなれるなんて以前なら考えられなかった。それもこれも全部貴方のおかげよ。それなのに私だけプロになって貴方がプロを諦めるなんて納得できる訳がない。
一緒にプロになりましょう。そしてこれからも、ともに競い合いましょう。お願い、ケイ。どうか考え直して」
そこまで言ってヤイカは私に向かって頭を下げる。
私は驚いた。あのプライドの高いヤイカがここまでするなんて。その姿を見て私の心は大いに揺らいだ。
それでも。
「……ごめんね、ヤイカ」
もう決めたことだから。
私の答えは変わらなかった。
「……残念ね。本当に、残念……」
私の意志が固いと見て取ると、ヤイカはそれ以上引き止めるようなことは言わなかった。
「貴方がプロになる気がないというならもう何も言わないわ。けどね、最後に一つだけ聞かせてほしいのよ。貴方がプロを諦めた理由を」
「だから。何度も言ってるでしょ? 人に教える楽しさに目覚めたからって――」
「嘘ね」
私の言葉を遮ってヤイカは断言した。
「……いいえ、違うわね。貴方は嘘は言っていない、確かにそれも本音ではあるでしょう。けどそれだけが理由じゃない。そして隠している理由の方が本当の理由。私にはそう思える」
その瞳が語っていた。嘘は許さないって。その真剣な瞳を見て、私は誤魔化しきれないと悟った。
「分かった分かった。降参よ、降参」
私は大袈裟に両手を上げるジェスチャーで観念したという旨を伝える。
「アズサの指導をしているうちに教える楽しさに目覚めた、その言葉に嘘はないわ。でもそうね、一番の理由はそうじゃない。私が教官を目指した……いいえ、プロを諦めた理由はね。なんてことはないわ、単に身の程を知ったってことよ」
それは今まで誰にも話したことがない、一生胸の内に秘めておこうと思っていた私の本心だった。
アズサの指導をしてその成長を間近で見続けた私は指導者として誇らしい気持ちを覚えると同時に、戦車乗りとしてその才能に嫉妬もしていた。戦車道を始めてたった一年で私に追い付いて、遂には追い越してみせたんだから。
自惚れるつもりはないけど私はこれでも人望はあるつもりだ。サンダースで高校、大学と隊長を務められる程度には実力もあるつもりだ。けど一選手としてははっきり言ってそれ程優れている訳じゃない。
その証拠に同学年のマホやダージリン、カチューシャやアンチョビと比べてその実力を評価される機会は少ない。人柄だとか人望だとかフェアプレイの精神だとか、私に対する称賛の言葉はそのほとんどが実力とは別の事柄に対して向けられるものだ。
「アズサの指導をして、アズサの成長を間近で見続けて思ったのよ。こういう子が将来プロになって、代表に選ばれて、世界で活躍するんだろうな~、って」
そしてそんなアズサと比較して自分はどうだろう。私にあの子のような実力があるだろうか、才能があるだろうか。私もプロになって、世界で活躍することができるだろうか。いつしかそんな疑問を抱くようになった。
その疑問を解消するために、私は高校の卒業式の前日にアズサに一騎討ちの勝負を挑んだ。
表向きの理由はアズサの一軍入りに懐疑的な子たちにアズサの実力を見せて納得させるためだった。別にそれは嘘じゃない。
『卒業試験よ。見せてみなさいアズサ。貴方の実力を。貴方の覚悟を!』
あの言葉にも嘘はない。アズサの実力を、覚悟を確かめたかった。その気持ちは嘘偽りのない本音だ。
けど本当は違った。
あの時本当に確かめたかったのはアズサの実力じゃない。自分の実力だ。
私だってやれる、私だってきっとプロになれる、いつか世界で戦える。それを証明したかった。
でも負けた。
あの時の私は本気だった。今まで試合で手を抜いたことはなかったけど、あの時の私は今までの人生の中でも一番集中していたし、調子もよかった。
それでも負けた。
もしあの時勝てていたら、私はずっと戦車道を続けようって思えたのかもしれない。
でも、負けたんだ。
だから。
あの日、あの瞬間。
私の戦車道は終わったんだ。
「なるほど」
私の話を聞き終えると、ヤイカはグラスにお酒を注いで舐めるように一口飲んだ。そして静かにグラスを置くと口を開いた。
「確かに貴方は澤梓に比べれば劣っていると言わざるを得ないわね」
「はっきり言うわね」
別に慰めの言葉が欲しい訳じゃないけど、そこまではっきり言われると流石に傷つく。
「勘違いしないで。私は決して貴方を貶している訳じゃない。確かに貴方は高校でも大学でも突出した選手ではなかった。でもそれはサンダースの戦術を考えれば仕方のないことではないかしら?」
言われて私は考える。
本来サンダースの強みは戦力の平均化による汎用性と対応力にある。例え隊長や副隊長がいなくなってもすぐに指揮系統を引き継ぎ対応できる。誰がいなくなろうが替えが効く。それこそがサンダースの強さの秘訣で、むしろ替えが効かない存在はかえって邪魔になりかねない。
「澤梓。確かに彼女は優秀よ。今の日本の戦車乗りの中なら五本の指に入るでしょう。けどそんな彼女の存在はサンダースの戦車道においては異物でしかない。澤梓がいなくなった後のサンダースがどうなったか、貴方が知らないはずがないでしょう?」
私は黙って頷いた。確かにアズサが卒業した後のサンダースは悲惨なことになっていた。
サンダースは全国大会で2連覇を達成した。その立役者は間違いなくアズサだろう。アズサという一人の突出した指揮官を中心にチームはまとまっていた。アズサの指揮を忠実に実行することでチームは強さを発揮していた。
でもそれは本来のサンダースのチームコンセプトとは相反するものだった。そしてその歪みはアズサの引退後にすぐに現れた。
アズサが引退した後の隊長はアズサと同じだけの力量を求められて明らかにキャパオーバーになっていた。チーム全体としてもそれまでアズサに頼り切りになっていたのが災いした。隊長がいなくなると指揮系統は混乱して、ただの烏合の衆に成り果てていた。
「純粋な戦車乗りとしての能力なら澤梓の方が上かもしれない。けどサンダースの隊長にどちらが相応しいかと言えば、それは間違いなく貴方よ」
「あんまり嬉しくないわね~。結局実力では負けてるってことでしょ?」
「それは仕方がないわ。彼女に勝てる選手なんて今の日本には片手で数えられるくらいしかいないだろうし。けど彼女があそこまで強くなれたのは貴方の指導があったからこそでしょう。そこは誇っていいところだと思うけどね。元々の才能もあったでしょうけど、彼女の成長速度は異常の一言よ。聞けば彼女が戦車道を始めたのは高校からというじゃない。一体どんな指導をしたらあそこまで伸びるのかしら」
「別に特別なことはしてないわ。ただ私は基本を教えただけよ」
これに関しては謙遜でも何でもなく事実だった。実際私がアズサにしてあげたことと言えば徹底的に基礎を教え込んだ。それだけだ。
確かにアズサには才能があった。でも才能に頼って基本を疎かにすればいずれ行き詰る。そして当時のアズサは早く実力を付けようと焦っていた。ミホに憧れるあまり足元が見えていなかった。
私もミホの戦いは観ていた。私が思いもよらないような方法で強豪校を相手取る様は本当にエキサイティングだった。傍から観ていた私でそうなら一緒に戦っていた仲間にとっては尚更だろう。
事実、アズサは私以上に身近でミホの戦い方を見てきたし、ミホの戦いに魅せられていた。それ自体は悪いことじゃない。
でもミホの戦術は初心者がいきなり真似すべき戦い方じゃなかった。基礎も碌にできていない段階で応用に手を出しても所詮は付け焼き刃にしかならない。
ミホの場合は西住流として生まれて、中学高校と黒森峰に在籍して訓練を受けて基礎は既に出来上がっていた。奇策に走るのも大洗の戦力じゃ正面から戦えば強豪校相手に敗北は免れない以上仕方がないことだ。
アズサはそこを理解していなかった。別にセオリー通りに戦うことがいつも正しいとは言わない。けどセオリーを知った上で無視するのと、そもそも知らないのでは大きな違いだ。
ただ楽しくやりたいというなら私だってうるさいことは言わなかったし、そもそも私が指導する必要なんてなかった。必要最低限のことだけ教えて後は自由に楽しくやらせていただろう。
『西住隊長の戦車道は間違っていない、それを証明したいんです!』
でもあの娘が選んだ道はそんな甘いものじゃなかった。ミホの戦車道を受け継ぐ、その正しさを証明する。それがどれだけ困難なことかは本人も自覚していただろう。だからこそ大洗の廃校を待たずに転校してきたんだろうし。
私がアズサの指導を引き受けたのはそんな彼女の熱意に心を打たれたからだ。応援したいと、証明してほしいと思ったからだ。
ミホの戦車道は間違っていない、これこそが戦車道だ、って。
5年前の決勝戦は私も観ていた。
仲間を助けるために川に飛び込むミホの姿を見て私は感動した。たとえその結果敗北したとしても、勝利よりも仲間の命を優先したミホの判断は絶対に間違っていない、これこそ戦車道のあるべき姿だ、そう思った。
でも黒森峰ではそう思われなかったみたい。西住の娘で一年ながら副隊長を務めていた人間が、戦車道が廃止されて久しい大洗に転校していたことを考えればどんな扱いを受けたかは想像がつく。
前人未到の10連覇、それを逃したのは確かに残念なことかもしれない。けれどスポーツである以上人命こそが何よりも優先されるべきだと私は思う。
……そういえば、ヤイカはあの時のミホの行動をどう思っているんだろう。
ふと気になって私は聞いてみることにした。
「ねえ、ヤイカ。貴方はミホの、5年前の決勝戦で西住みほのしたことは間違ってたと思う?」
「ええ」
ヤイカは何の躊躇いもなく頷いた。
「……理由を聞いてもいい?」
「簡単よ。彼女は負けたから。それだけのことよ。戦車道は戦争ではなくスポーツだという貴方の考えには私も同意するわ。でもね、スポーツの世界でも結果が優先されるのは変わらない。黒森峰でも大洗でも、結果が伴ってさえいれば西住みほの行動は称賛されたでしょうね。
でも負けた。それも絶対に負けられない試合で負けた。副隊長として、隊長として、部隊を預かる者として、許されない失態よ」
確かに一理ある。
戦車道はスポーツで勝ち負けがすべてじゃない、とは言っても勝ち負けはどうでもいいということじゃない。部隊を率いる人間として、皆の努力を無駄にしないためにも勝たせてあげるのが隊長の責務だというのも分かる。高校最後の大会で一回戦負けした私が言っても説得力はないから口には出さないけどね。
だから私が口にしたのは別のことだった。
「仮に、もし仮によ。貴方の仲間が、ウシュカやピエロギやマイコが、同じ状況に陥ったら。貴方は見捨てるって言うの?」
「見捨てるわ」
何の迷いもない即答だった。私はそれが信じられなかった。ヤイカだって仲間のことを大切に思っているのは私にも分かる。
それなのに。
何故そんな簡単に見捨てるなんて言えるのか。
「それこそ仮に。そういう状況で私が勝利を捨ててまで仲間を助けに行ったとしても、あの子たちは喜ばないからよ。少なくとも私が同じ立場なら喜ばない、いいえ、許さないわ。
私たちがしているのはただ戦車に乗って遊ぶだけの仲良しごっこじゃない。私たちの青春のすべてを懸けた真剣勝負よ。だからこそ勝たなきゃ意味がない。仲間を大切に思えばこそ、仲間を犠牲にしてでも勝たなければいけないのよ」
それが他の人間の言葉なら私は即座に反論していただろう。けどヤイカが相手となるとそうはいかなかった。
だってヤイカは知っているから。
勝利の重みを。
勝てないことの辛さを。
負け続けることの苦しみを。
きっと誰よりも知っているから。
それでも黙っているわけにはいかない。何か言わないと。そう思って私は懸命に言葉を絞り出した。
「そうね、確かに貴方の言うことも分かるわ。けどね、それでも私はミホのしたことが間違いだなんて思えないし、思いたくないのよ」
ミホの戦車道が間違っているなんて思いたくない。
けどヤイカの戦車道が間違っているなんて思えない。
きっとどちらも間違いじゃない、どちらも正しいんだ。
仲間を大切に思う気持ちも、勝ちたいと思う気持ちも、どちらも私は否定したくない。
私は誰の戦車道も否定したくないし、誰にも自分の戦車道を否定してほしくないんだ。
「ねえ、ヤイカ。そういえばまだ言ってなかったわよね。私が教官を目指した本当の理由を」
さっき話したのは私がプロを諦めた本当の理由。
これから話すのは私が教官を目指した本当の理由だ。
と言っても今まではぼんやりとしていて我ながらはっきりしなかった。
でも今こうしてヤイカと話していてようやく自分の気持ちを理解できた。
あの日、アズサに負けた時に私の戦車道は終わったのかもしれない。
でも戦車が好きだという気持ちは今も変わらない。そしてこの気持ちを皆にも知ってほしいと思っている。
戦車を知らない人にも戦車のことを知ってほしい、戦車を好きになってほしい。
戦車に乗っている子に戦車を嫌いになってほしくない、戦車に乗るのは楽しいものなんだということを忘れないでほしい。
アズサみたいに道に迷っている子を導いてあげたい。自分の道を歩めるように手助けをしたい。
それが、私が教官を目指す理由なんだ。
「甘いわね」
ヤイカは私の言葉をせせら笑った。せせら笑うような声だった。けどその声音とは裏腹に表情はどこか優しかった。
「でも、貴方のその甘さに救われる人間もいるのかもね」
ヤイカは不意に立ち上がると、私に向かって敬礼した。中指と人差し指だけを伸ばしたポーランド式の敬礼だった。私は同じように立ち上がって敬礼を返す。こちらは指をすべて伸ばす一般的な敬礼だった。
しばらくの間私たちは無言で向かい合っていた。不意に敬礼を解くと私は表情を崩して笑った。それはヤイカも同じだった。今日初めて見せた、心からの笑顔だった。
「今日はとことん飲むわよ。付き合いなさい」
「オフコース! 朝までだって付き合うわ!」
私たちはお互いのグラスにお酒を注いで改めて乾杯した。
*
その日私は夢を見た。
夢の中の私は戦車に乗っていて、周りを見るとヤイカや、ナオミや、アズサや、かつてライバルとして戦った皆がいた。
私は日本代表の一員としてこれから世界大会の決勝に臨む、そういう場面だった。
試合開始の合図とともに私は戦車を前進させようとして。
そこで目が覚めた。
気怠い体を起こす。時計を見ると昼の12時を回っていた。
昨日は流石に飲み過ぎた。最後の方は記憶が朧気だけど、たしか夜明け近くまで飲んでいた気がする。
私はまだ寝ているヤイカを起こさないようにそっと立ち上がると、二日酔いでズキズキと痛む頭を押さえながらとりあえずは水を飲もうとキッチンに向かう。
歩きながら私は考える。
仮にあの時、アズサに勝っていたら私はどうなっていたんだろう。
今でも本気でプロを目指していただろうか。
目指したとして本当にプロになれていただろうか。
もしかしたら、あの夢のように皆と一緒にプロで、代表で、世界で戦う未来もありえたんだろうか。
そう思うと途端に寂しい気持ちに襲われる。
選んだ道に後悔がある訳じゃない。
それでも。
私も皆と一緒に、プロで戦いたかったな……。
そこまで考えたところで私はコップに注いだ水を一気に飲み干した。まるで胸の内から湧き起こる未練を一緒に飲み込むように。
アルコールのせいでダウナーになっていたかもしれない。私は頭を振って気持ちを切り替える。
終わったことを今更悔やんでも仕方ない。悩みに悩んで自分で決めたことを否定しても何にもならない。どんな道を選んでも全く悔いがないなんてことはありえない。時間は掛かるかもしれないけど、それでも自分の気持ちに折り合いをつけていくしかないんだから。
未来がどうなるかなんて誰にも分からない。先のことを考えるのもいいけどまずは目の前のことを一つ一つ片付けて行くべきだ。
とりあえず今考えるべきは。今日の朝食もとい昼食は何を食べるかだ。まずは食べてお腹を満たして後のことはそれから考えよう。
そう決めて私は昼食の準備に取り掛かった。
最初はケイさんのお相手はダー様の予定でしたが、ボンプル高校はサンダース大学に進学する生徒が多いという情報を思い出して変更しました。
リボンの武者のキャラは出すかどうか迷っていたんですが、もうこの際だからガッツリ書きます。
今後もちょくちょくリボンの武者のキャラは出てきます。
差し当たってはBC自由のあの人かな。