「おはよう、パラノイア。」「主任、おはようございます。」「昨晩はありがとう。本部からあなた方β地区は休養との命令を受けました。よってそのように取り計らいなさい。」「仰せのままに」
老年のスレンダーな美しい女性-パラドクス主任の報告に、パラノイアはまるで執事のように返答する。
「…堅苦しすぎるのも考えものよ、パラノイア。繰り返し言うようだけど。」「これは私の矜持です。」
「…はぁ、まったく頑固な子ね。」
そうとだけ言うとパラドクスはカツカツとヒールの音を立てて去って行った。
彼女の辞書に余暇という言葉は存在しない。
そして仕事という言葉も存在しない。
彼女にとってエージェントという職は、そのまま人生なのだ。人生は人生としか言わない。
よって彼女は今日も今日とて、人生を謳歌する。
「おはよ!お姉ちゃん!」
「…やっぱり辞めてくれないか、そ「これは私の矜持です!!!」…聞いていたのか。」
そしてそのことはとっくにパラサイトにはバレている。
彼女をサイドカーにのせ、パラノイアは自身の担当であるβ地区へと向かう。
「お姉ちゃんとのドライブ〜お姉ちゃんとのドライブ〜」「ドライブじゃないんだけどなぁ…」
パラノイアとパラサイト、この二人のエージェントが管轄するβ地区はいわゆる「高級住宅街」で、治安も最良、異界混入率に至っては模糊まで数えても0だろうと言われるほどだ。
「でも、今日だって暇でしょ?」
「そりゃあ…そうだろうけど…」
パラノイアにとって、β地区を現在任されているという事実はあまり嬉しいものではなかった。しかしそれと同時に、地区長であるという事実は嬉しくもあった。
「大丈夫よ、気にしなくたって。お姉ちゃんがつよいことくらい、みんな分かってるよ。」
「慰めなくていい。別に落ち込んでるだけじゃないから。」
閑静な住宅街をサイドカーとともに走り抜ける。街路樹から漏れる光は、十全な働きをしてるようには見えなかった。
「で、鉢合わせちまったのか。俺は。」
「…すまない。本当に偶然だったんだ。」
パラノイアとパラディンはソファーから、やつれた顔である二人を眺めていた。
そのうち一人は、パラサイト。先程までパラノイアと同行していた、β地区担当のエージェント。
もう一人は、パラレル。最悪の治安度と言われるα地区を抑える有能な地区長であり、妙齢の女性だ。
二人は、実の姉妹である。
そして、犬猿の仲だ。
「どー考えてもお前の方がふっかけてきただろクソガキ!何考えてんだこの蟲!」
「うるせえ年増!絶壁!燃えカス女!」
「ふ、二人とも落ち着「「あんたは黙ってて!!」」は、はひぃ…」
今二人から吠え付けられてしまったのは、パラフレーズ。パラレルの補佐をしているα地区のエージェントだ。見るからに気弱そうな青年という感がある。実際そうだ。
「なんでさっちゃんはパラレルに会うとあんな狂犬みたいになるんだろなぁ…」
「そんなこと言いつつ眺めてるのか?この状況で?」
少しイラついたようなパラノイアの発言を、待っていたとばかりに彼は立ち上がる。
「地区長様が言うならしょうがねぇ。ほい、パラレル」
「なんだ!!!!?お前…も…」
「まぁ、さっちゃんはまだ子供だ。10以上離れたそんな子に未だにカチキレてるってのはちぃ頂けねぇ。」
「…フレーズ、行くぞ。」「は、はい!」
パラレルは扉をわざとらしく叩きつけた。
「…いやぁ、おっかね。炎そのままの女だな。」「おにいちゃんだったらボコボコにできる癖にー」「通常ならな。」
パラディンは含みのあるような言い方をする。
「しかし、パラサイト。もう少し落ち着いた方がいいとは思うぞ。」「それは…そうだろうけど…」「君の熱くなりやすい所は姉譲りだな、やっぱり。」
場の雰囲気が凍りつく。
「…おねえちゃん嫌い」「!?どうしたんだパラサ」
強引に扉が閉められる。先程と同じように。
「ヒュー…的確に地雷踏み抜くねぇ…」
「…またやってしまったのか、僕は。」
パラノイアは苦笑いするしかなかった。
「ここで、合ってますかね。」
「んー、ほぼ間違いないねぇ。そのうち…おっと。」
霧の濃い廃れた街から、一つの影がゆらゆらとこちらに向かってくる。
そしてそれは姿を現わす。
なんとか人の形状は保っているものの、その大きく伸びた犬歯や、長い鉤爪、ギラつく眼からは、もはや人間性の片鱗も感じられない。
吸血鬼の上位種、『血匠』。純然たる吸血鬼しか至れない怪物、それに相違なかった。
「今日も今日とて楽しそうだねぇ、ダイス。」
「いやぁ、こんなやり甲斐がある仕事ないっすわ、おやっさん。」
その台詞の間に、血匠はその掌から血による鎌を作り出す。その刃は、的確に彼らの急所目掛けて放たれる。
「能力開眼(スキル・アンロック)[コード:パラダイム]」
「原始能力(ファーストスキル)発動(アンファー)」
その刃は、パラダイムの剣により抑えられる。しかしその剣は異常だった。
形容するならば…ナイフが無理やり形を変えられていた。しかも、本来持ち得ないような、血匠の刃を受ける耐久性すら得ている。
「やっぱとんでもねぇなぁ、アンタは。」
ほくそ笑むパラダイス。自分も指を咥えてはいられない。
「能力開眼(スキル・アンロック)[コード:パラダイス]」
「原始能力(ファーストスキル)発動(アンファー)」
もう片方から放たれた刃を、パラダイスはふわりと避ける。そして、そのまま
宙に浮いている。
「おっと、そちらばかり気を向けて大丈夫かい?」
パラダイムはその内にも接敵する。
血匠はそれをいなしつつ、翼を広げ、空に立つ。
ひとまず、狙いをパラダイスに向ける。
「おっと、おじさんも仲間に入れとくレー?」「そうだぜー、仲間はずれは、
よくないだろ?」
突如、血匠の体が何かに抑えつけられる。
とんでもない『力』…墜ちそうになる所を、しかし頑強な羽で無理やり体制を保つ。
なぜか、目の前の男は隙だらけだった。
とりあえず、ヤツから食らおう。そう思った矢先、
血匠の身体を、数多の光線が貫いた。
それは消えることなく、血匠の身体を貫いている。そして事は起こる。
「発展能力(セカンドスキル)発動(アンファー)」
吸い込まれる…この言葉が果たして当たるのか分からない。血匠の身体は光の中にグズグズになって消えていく。
「いやぁ…贅沢なディナーだった。少し安すぎるな。」
「こんだけで終わりかー…当たりだと思ったんだが、近年稀に見るハズレだなこりゃ。」
対照的な反応を見せる二人。もはや血匠など存在せず、ただ無限にも思える光の槍がパラダイムの指先から伸びているだけだった。
「はぁ」「ため息ばっかりついてると体に悪いぞ。」「ごめんってばおねえちゃん。」
「いや、はは…」
パラノイアの顔は重苦しい。彼女が見ていたのは、δ-1でのパラダイムとパラダイスの活動報告書だ。
「いや、オヤジと比べたってしょうがねぇって。な?」「尊敬できる人物なら僻みはしないさ。」「オヤジは尊敬できるだろう「はいすとーっぷ!おやじ論争をしない!」…あぁ」
血匠3体の討伐、餓鬼の殲滅、劣化紫竜の停止…とても1日の戦果とは思われない。少なくとも、パラノイアにとっては。
彼女はまざまざと実力の差を見せつけられるこの瞬間が何より気が重かった。昨日の事件の解決とは、まるで比較にならない。
「…貸し、なんて、ないんだな。」
「それは、いつかお前が強くなればいい話だ。まぁ、今でも強いが。」
「…途方も無い話だ。」
引きつり笑いをするパラノイア。その耳に突き刺さるようなヒールの音が聞こえてくる。
「まったく。無理な上昇志向は身を滅ぼすわよ、パラノイア。」
彼女はたしなめるように言った。パラノイアはそれに不満そうである。
「お言葉ですが、主任。私はいつか奴を超える績を挙げれると自負しております。」
「私が勝てない男に、ね。」
「…あれは、偶然です。主任。」
思い出される、死闘。それまで異界混入率1位を誇っていたα-4を壊滅させた、あの日。
「そういう人も、いるわね。」
パラドクスの目は憂いに満ちていた。彼女の目には何も映っていないように思えるほど。
「はっ、啖呵切ったなぁ。」
「啖呵じゃない。本気だ。」
「知ってるよ。お前は俺に嘘をつかない。」
パラダイスは寂しげに笑う。
「俺のことを、信頼しているから。」
それを口にすると、さらに一層、それは濃くなる。
「…君は表情に出すぎるよ。パラダイス。僕だって分からないだけなんだ。」
「そんなことは百も承知だ。でもな、」
彼はパラノイアにしっかりと向き合う。
「好いてる女に好かれたくない男なんざいやしないんだ。これは性なんだよ。」
二人の間を、沈黙が通り過ぎる。
「…僕の人生は、エージェントそのものなんだ。他の要素なんて、考えもせずに生きていた。だから、やっぱり待ってくれ。僕には…僕には、まだ決めれない。」
「そうか、そうだな。」
パラダイスはタバコをふかして、そして思うのだ。
楽園(パラダイス)、その在処を。