小ぶりな雨が降り、肌にまとわりつくジメジメした湿気と我慢ができる程度の暑さがある日の午前10時。
外で農作業ができない今日は、畑で育てているニンジンや芽キャベツ、小松菜の野菜が順調に成長している姿を想像しながら俺はチノパンに半袖シャツの私服を着ていて、熊野はいつも通りの制服姿で1階にて静かに同じ時間を過ごしている。
開け放っている窓の向こう側にある景色は、ぱらぱらと雨が当たって濃い緑色の木々がよく映えて綺麗だ。
雨が木々や地面にある水たまりに当たる澄んだ音に耳を澄ませながら、俺と熊野は部屋のまんなかに置いてあるテーブルに、向かい合って座っている。
俺と熊野はいつもの穏やかな空気ではなく、お互いにテーブルの上の物をにらみあって緊張している。
それは昨日届いた大回転オセロというおもちゃだ。
普通のオセロと違うのは盤面の上に石が内蔵されており、その石を手でさわって回転させると白や黒の色に変わる。黒石の面には凹凸があり、目が見えない熊野と一緒に遊ぶことができる数少ないおもちゃのひとつだ。
現在の戦況は俺が角1つを取り、盤面の約半分を俺が担当する黒で取れている。
隣にいる熊野は盤面の石をさわり、状況を理解していくうちに顔がこわばっていく。
熊野が次の1手を打つまで、俺はなんとなく部屋をぐるりと見渡す。
はじめの頃は手荷物しかなく、古い冷蔵庫や洗濯機、棚しかなかった部屋。今では1階、2階共に私物が増えてきた。
熊野が生活しやすいよう配置に気をつけ、木製の壁はささくれがないように注意深く見ては直している。明かりのスイッチがある場所に作った点字を張り付けているし、暮らしやすくなっているはずだ。
そんな熊野とはよい関係であり、静かな場所で野菜を育てていくのも楽しい。
時々、2人しかいないことに寂しさを感じることもあるが、段々とその感覚は少なくなっていくだろう。
「提督。……提督?」
「なんだ?」
「次は提督の番ですわよ」
熊野に呼ばれ、視線を盤面へ移すと、そこは熊野が多くの石を白色でひっくりかえしていた。
角を取ることを優先するあまりに、おいしいポイントを持っていかれたらしい。
オセロ初心者である俺は角さえ取ればどうにかなると思っていたが、負けそうな気配がやってきている。
以前は仕事ばかりで艦娘と話や食事をすることはあっても遊ぶことなんてなかったら、こういうのは熊野のほうが強いかもしれない。
盤面をにらみつけ、無い知恵をしぼって先の展開まで予想し、石をひっくり返す場所を考えていると熊野が耳を開いている窓へと向けた。
「あら? 小さな足音が水たまりを踏んで歩いていくる音が聞こえますね」
「音?」
そう言われ、俺も同じ方向に耳を澄ますが雨の音ばかり。
そのまま音を聞き続けていると、確かに熊野が聞いたのと同じ音が聞こえてくる。
1人分の足音だ。
でも今日は来客の予定はなく、軍や民間からの荷物が届く日でもない。
窓の外を見ると、ここに向かってくるのが見える。やってくるのは小さい女の子だ。
その子は雨だというのに汚れるのが心配するほど白いワンピースを着ていて、小さな長靴を履いていた。
傘を揺らしながら歩いていたのか、心配したとおりに頭ごと服は雨に濡れている。手にはピンク色の傘を差し、もう片方の手には野菜が入ったビニール袋を重そうに持っている。
女の子がやってくるのを待っていると、熊野は立ち上がって壁に手をあてながら入り口の扉前へと行き、その子を待つようだ。
熊野の後ろ姿からは早く来ないかとそわそわして落ち着かないのが見え、嬉しそうなのがわかる。
それから少ししてノックの音が聞こえると、待ち構えていた熊野がゆっくりと扉を開けた。
「おはようです、熊野お姉ちゃん、おじさん! 今日は遊びに来ました!」
「おはようございます、麻衣ちゃん」
「はい! お母さんに持っていけって言われて野菜持ってきました!!」
「おーう」
部屋の奥にいる俺にも声をかけてくれる礼儀正しい麻衣に、俺は片手をあげて軽く返事をする。
俺たちが麻衣と呼び、親しくしている女の子は町で八百屋をしている1人娘だ。
初めて熊野を連れて買い物に行った時に視覚障害者用の白杖が珍しく、よく見てきたためにそれがきっかけで話すようになった。
それから熊野を連れて買い物に行くときは話をするようになり、目が見えないことも理解をし、子供だけれど1人の人とし丁寧に扱ってくれる熊野に懐いた。俺はというと、どうも熊野を振り回している人という印象で好かれてないらしく、あまり懐いていない。
そんな麻衣という少女は明るく元気な声の持ち主で小学五年生だ。
140cmほどの身長で小柄な体ながらも、黒髪は肩までまっすぐ伸びていて日に焼けた健康的な体をしている。
いつ見ても明るく元気なのは若さなのだろうか。小さなわんこみたいに熊野にじゃれつく姿を見ると、艦娘の時津風を思い出して似ているなと思うことがよくある。
麻衣は熊野のことを"お姉ちゃん"と呼んで慕っているが、俺のことは"おじさんと"呼んでくるのが少し悲しい。……30歳になったんだから、そういう呼ばれ方を受け入れないといけないのは理解できるが。
熊野は麻衣から傘を受け取ると、麻衣は初めて来たこの場所に興味津々で部屋の中をぐるぐると歩いて回っている。
その様子を見ながら俺は熊野に近づいて傘を受け取り、邪魔な場所にならないところへ置く。その後は2階へ行ってタオルを持ってくると、麻衣は熊野と一緒にソファーへ並んで座っていた。
俺はその背後から麻衣を抑え込んで髪をタオルでわしゃわしゃと拭きまわす。
「うきゃー!」
「黙って拭かれてろ」
「お姉ちゃん、おじさんにセクハラされてる!」
「このおじさんは大丈夫なおじさんですよ」
子供特有の甲高い声を聞き、顔をしかめつつも髪はきちんと拭いてやる。
熊野もフォローするなら、まずおじさんというところから否定して欲しいものだ。
まぁ、熊野に抱き着いて助けを求める顔は笑っているから、本気で嫌がっているわけではないと思う。熊野もくすくすと小さな笑い声をあげているし。
おじさん呼びやセクハラ発言に落ち込みながらも髪を拭いていくのが終わると、それを熊野に渡す。
タオルを受け取った熊野は彼女の服をさわりながら濡れているところをタオルで拭いていく。俺はそれをやりはじめた時、すぐに背を向けて姿を見ないように気をつける。また叫ばれるのは嫌だから。
「それで今日来た要件はなんだ?」
「お母さんから、これをおじさんにって!」
その返事と共にビニール袋が揺れる音が聞こえ、熊野が制止する声を振り切って俺の前へと回り込んで渡してくる。
受け取ったビニール袋の中には野菜が詰められており、水菜とニンニクにバジルと種類様々だ。
「確かに受け取った。お母さんに喜んでいたと言っておいてくれ」
俺に渡したことで仕事を無事に終えた麻衣は安心したように一息つくと、熊野がいるソファーへと行き、熊野の胸に顔をうずめていた。
それをちょっとだけ羨ましく思いつつ、今度会ったときに感謝の言葉を忘れないようにしたい。そして、今受け取ったこれらの野菜はまさしく肉料理を作ってもらえと言われているに違いないと確信する。
今日か明日に、この野菜で熊野を説得して肉料理を作ってもらおう。もう油たっぷりの牛肉料理を!!
静かに、でも強く胸に思いを秘めながら台所へと野菜が入ったビニール袋を置く。
そうして戻ると、麻衣は普通のと違うオセロに興味を持ち、色々とさわっていた。
「遊んでいいぞ」
「いいの!? お姉ちゃん、遊ぼっ!」
「はい、いいですよ」
と熊野も楽しそうにしながらオセロの盤面にある石を回転させ、緑色へと戻していく。
2人はこれから遊ぶようだが、俺は何をすればいいかと外を見るも、まだ雨は降っている。だから外では何もできず、中で時間を潰すしかない。
急ぐ仕事はなく、暇をつぶすのは読書ぐらいだろうか。
ずっと熊野といたせいか、熊野が誰かと遊んでいるのは寂しく思ってしまう。
……決して嫉妬なんかではない。嫉妬だとしたら、俺は小学生の女の子にそういう感情を持つことになってしまっている。
「提督も寂しいなら一緒に混ざりますか?」
熊野をじっと見つめていた俺の視線に気づいたのか、そう気遣ってくれるもその言葉にうなずくことはできない。男の小さなプライドとして。
近づいて熊野の髪を乱暴にかきまわし、寂しさを誤魔化すと麻衣が慌てて立ち上がって俺の足を全力で蹴っ飛ばしてくる。
子供といえど、意外と痛いその蹴りから追われるように逃げ、冷蔵庫から2人分の麦茶を出してから俺は机を安住の地を定めた。
俺へと勝ち誇った笑みを浮かべた麻衣は熊野の隣に戻ると、楽しく話をしながらオセロを始めていく。
何も持たないまま机へと来てしまったが、今から立ち上がって本を取りにいくのも面倒だ。なら、趣味でやっている仕事をやってしまうとしよう。
その仕事は目が見えない熊野専用の艤装改修案だ。
採用されるされないかはともかく、怪我をした艦娘を使い始めた今の状況なら実際に運用している者の意見を聞いて参考ぐらいにはするかもしれない。
軍内部での派閥や出世とは縁遠くなった俺なら、採用の可能性もわずかにはあるという希望もあるが。
そんな考えを持って考え始める。
俺が熊野と出会ってから、ぼんやりと考えていたがはっきりと形にまではしてなかった。
熊野の場合は目が見えない。そのため砲撃では命中を期待できず、偵察や周辺警戒も難しい。乱戦になった場合は行動することさえ危ない。
1つ目の案としては魚雷を外して主砲だけを装備し、対空砲弾の三式弾で対空、対地の支援専門。
問題は自分で目標を決められず、誰かに指示してもらわないといけない。
2つ目は8cm高角砲を大量装備して防空の面制圧。空母に随伴しての対空護衛専門。
対空時以外は役に立たず、対艦戦闘では8cm砲が当たったとしても深海棲艦を倒すのはとても難しいだろう。
3つ目は重雷装艦の真似で魚雷発射管を多数装備。
最後の案が最も有用性が高いだろうか。魚雷装備なら指示どおり撃ち、目が見える艦娘と一緒に帰るだけだ。
でもこんな案なら軍上層部でなくとも前線で簡単に考えられる。熊野は目が見えない以外は普通の艦娘なのだから、このままでは能力がもったいなく思う。
電探が使えても射撃のおおざっぱな補助か探索だけ。そもそも数が少ない電探をまわしてはくれないだろう。
熊野が前線で戦える良い案が思い浮かばず、机の引き出しから何度も読んでしわしわになってしまった艦娘艤装カタログを取り出す。
それをぺらぺらとめくりながら自分の頭の悪さに落ち込んでいると、机の前に熊野と麻衣がやってくる。
「どうした?」
「麻衣ちゃんが私たちの暮らしている2階を見たいと言っていまして」
少し困った顔をする熊野の隣には、目を輝かせて期待している麻衣の姿が。その向こう側にあるテーブルの上はオセロでの戦いが終わったよだ。
わざわざ見たがるほどに面白いのはないと思うんだが。他人の生活空間を見て楽しいものだろうか。
それでもいいなら構わないが、許可を出すまえに問題になるものはなかったかと思いを巡らす。
軍関係の資料は1階にあるし、そもそも重要な情報は俺のところにまで回ってこない。
2階の部屋は熊野がつまずかないように、普段から綺麗に片付けているし、さわって危ないものはない。
「熊野がついているなら見てもいい」
「さすがおじさん、いい人だね!」
俺の返事を聞くと、熊野の手を引っ張って気遣いながらゆっくりと2階への階段を登っていく。連れられていく熊野は「あらあら」と困った声をあげるが、一緒に何かするのが楽しいといった表情をしている。
普段は俺としか一緒にいないから、女の子の麻衣と一緒にいるのは新鮮で楽しいんだろうな。
階段を登っていく2人の後ろ姿を見送り、麻衣は急かすことなく熊野が上がっていくのをきちんと待っている。
子供なら早く早くと自分の都合を優先するかと思っていたが、気遣いができているのに感心する。
俺が同じ歳の頃はそこまで考えられなかった。
階段を上がりきった2人は2階から楽しそうな声が聞こえ、ばたばたと走り回る麻衣の足音が。
暑いっていうのによく体を動かせるなと上から響いてくる音を聞いて、ふと思いつく。
音だ。音なら目が見えなくてもわかる。熊野の艤装にそれを使えるはずだ。
艤装に空中の音がわかる装備はあったかと思い、カタログをめくるが見当たらない。
なければ代用として駆逐艦用の水中聴音機を改造して取り付ければいいと思ったが、それだと空気中の音を聞くのはまた別じゃないかと気づく。
音をうまく利用すれば、単独でも敵の位置がある程度分かるようになるのは間違っていないと思う。
だがそれはどうすればいい?
そこで考えに行き詰まり、じっと天井を眺めて上にいる2人が動く音を聴き続ける。
……空中だ。
頭にひらめいたのは陸軍が昔使っていた空中聴音機。今は電探が実用化され安定生産できるようになったために使われなくなったが、そういう変わった物があるのをどこかで聞いた覚えがある。
その設計を元に艦娘用として作れば熊野のような目が見えない艦娘でも使えるはずだ。
電探と違い、構造は単純で量産がしやすい。見た目はラッパを大きくしたもので、艦娘が艤装に着けて使うには身動きが取りづらそうになるだろうけど。
艦娘用空中聴音機ならコストは安くできる。気になる点は、聞くのは空中に伝わる音を聞くものだから、気象条件で大きく左右されるだろう。
他にも問題があるかもしれないが、ひとまず空中聴音機の資料を申請するか。理由は艦娘の追加艤装研究のために。
ひとまず問題解決の見通しができ、悩みがなくなるのはずいぶんと気分がいい。
疲れた頭を休めるために、角砂糖4つほど入れたコーヒーを飲むかと思い、ふと視界に入った時計は午前11時。
昼も近いため、たまには熊野の代わりにメシを作ってやろうかと思って台所へ。
冷蔵庫には野菜が多く、魚は少し。肉はまったくなかった。
焼く料理しかできない俺だが、まぁ少し考えれば熊野並みのうまいメニューは思いつけるだろう。
―――そう思ったのが間違いだった。
普段できないことをなぜできると考えてしまったのか。包丁を持ち、野菜を洗って切ろうとしたことで過ちに気づけた。
単なる野菜炒めぐらいしかできず、味付けは以前の鎮守府で艦娘たちに味が濃すぎる脂っこすぎるしょっぱいと、逆に褒められるほどの大不評だった。
そのなかで評判が悪くなかったのはサンドウィッチだ。
でも冷蔵庫にある材料で俺がサンドウィッチを作るには高難度で組み合わせが難しい。
だが幸いにも今は麻衣が持って来てくれた材料がある。
そう、水菜とニンニクにバジルだ。この材料の選択に麻衣の母親に対して感謝の心をささげる。
これらの材料を使うことで熊野に肉料理を要求する機会を失ってしまうことに一瞬悩んだが、俺自身のことよりも今ここで3人分のメシを作ったほうがいいと判断する。
それに久しぶりに料理をするのは楽しみだ。3つのものを使えるように処理したあと、ニンニクはすりおろしてから溶かしたバターと混ぜ、パンに塗る。その後はオーブンで焼き、刻んだバジルと適度な長さに切り分けた水菜を乗せるともう1枚のパンで挟む。
するとそれだけでおしゃれ感があるサンドウィッチのできあがりだ! 食べやすいようにカットして半分にするのも忘れていない。
我ながら惚れ惚れするほどの出来具合。これを名づけるなら、ガーリックトーストの刻みバジル水菜載せだ。それが3人分できるころには上から2人が降りてくる。
「熊野、麻衣、メシにするぞ」
「あら、作ってくれましたの? とても楽しみですわ」
「えっと、麻衣も食べていいの?」
来たときから元気いっぱいな麻衣が熊野の袖を握り、遠慮がちに聞いてくる。
今までの俺に対する遠慮ない態度はどこへ行ったのか。人の家で飯を食うというのは緊張するものか? するかもしれない。
「これはお前が持ってきたもので作ったからな。量が足りないと思うが、そこは我慢してくれ」
テーブルへとサンドウィッチと牛乳が入ったコップを置いていくが、椅子が2つしかないために俺は机へ行って1人離れて食べる。
ここに来て初日あたりに4回料理を作って以降は熊野任せで、今日は久々に作った。それゆえに2人の感想が気になりすぎてしまう。
気にしないふりをしつつ、ちらちらとテーブルのほうを見ては2人の表情をこっそりと観察する。
熊野は口に入れてから感心するように頷きながら食べ、麻衣は珍しいものを食べた的な表情をしている。
結果として悪くはない感じで安心した俺はようやく自分の分を食べていく。
全員が食べ終わり、お腹が落ち着いた頃に麻衣は帰ると言った。
本当はもう少しいたかったけど、夏休みの宿題が終わってないから1日の自由時間は決まっているの、と言って。
熊野は麻衣を心配して家まで送ると言ったが、目が見えないと雨の日は危ないと言われて遠慮されたことに落ち込んでいる。
かわいらしく落ち込む熊野は新鮮でずっと見ていたかったが、おみやげを渡さないといけないことに気づいて慌てて用意したのは軍支給の缶詰だ。それらをビニール袋に入れて渡した。
俺と熊野は監視所の中から傘を差してまっすぐ歩いていく麻衣を見送り、角を曲がって姿が見えなくなったときに俺は思っていたことを言う。
「ああいう子供を守るために俺たちは戦っていたんだな」
「あら、それは違いましてよ?」
何か間違っていることを言ったかと不思議に思う俺に対し、熊野は自信たっぷりに言う。
「今も守っています。そのために私たちがここにいるのです」
その自信に満ち溢れている言葉を聞き、ここに配属された理由はただの監視だけでそれほど熱心にやるつもりはなかった。
たった2人しかいなく、熊野の艤装は以前使っていたのとなんら変わらないものということもあって。
俺は無意識のうちに、こんな田舎すぎる場所では誰かを守ることなんてできないと思っていた。
でも熊野は違った。目が見えなくなり、戦うことが困難になってもなお戦おうとする。
俺はどうだ? もう嫌な目に合いたくなく、艦娘を指揮したくない気持ちが強く残っている。
はじめは人々を守るためという理想のために軍人になり、やがては艦娘たちを率いる提督として作戦を指揮し、鎮守府を運営してきた。
あの頃の情熱はどこへ行ったのだろう? 今の俺は残りカスぐらいの価値しかない。いや、それより悪い。いまだ艦娘たちを指揮して戦いたいという未練があり、提督という役職を辞めないのだから。
でも段々と今の俺はここで一生を終えてもいいという気にさえなっていた。
ひどく強い、深いため息をついて俺は自分の机へと戻る。
「提督、自分を責めないでください。私だってすぐにこんな考えができたわけではありませんの」
俺の背中に熊野の心配する声がかけられ、俺は椅子に座って一呼吸置いたあとに熊野へと体を向ける。
熊野は俺へと顔を向け、不安そうにしている。
「目が見えなくなってから、自分が何のために戦っていたかを考えることができました。自分に失望するのはまだ早すぎますし、私の考えがただしいというわけではありません」
熊野は壁から離れ、不安定な歩きながらもゆっくりと近づいてくる。
俺は杖も使わず、壁をさわらずに歩いてくる熊野が心配でたまらない。すぐにでも手助けしたくなる。
でもその気持ちを抑え、熊野が何を伝えたいのかを待つ。
熊野は俺のところまで来て、体を机にぶつけてから手を伸ばして俺の腕を手でさわる。そして、その手を俺の頬へと移動させ、優しく撫でてくる。
「あなたはあなたの答えを見つければいいんです」
「……そうだな」
その言葉に自然と頭がすっきりし、心が落ち着いてくる。
自分を決められるのは自分だけということか。
けれど、俺のほうが年上で人生経験もあるのに、熊野のような若い女の子に言われるとちょっとだけ恥ずかしくなる。
恥ずかしさを抑えるために、熊野の頭に手を伸ばして髪をぐしゃぐしゃと撫でまわしてぼさぼさにしたことに満足し手を離す。
手で髪をなおしながら、俺を恨む言葉を楽しげにいう熊野の声が聞こえてくる。
熊野と一緒なら人生をやりなおしていけると思いながら、俺は熊野へ雑にさわったことを丁寧に謝った。