熊野と世界の果てで 優しさの場所   作:あーふぁ

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思い出と幸せ

 半分の月が昇る夜空を時々見上げ、懐中電灯で足元を照らしながら遠くの海を見つつ1人で砂浜を歩いていく。

 そうしている今、俺がやっているのは深海棲艦がいないかの見回りだ。

 ジャージの上にジャンバーを着ているが夜の海は夏でも寒いものだ。

 俺は砂浜を歩きながら端から端まで歩いていく。途中、流木やゴミにつまずきながらも敵がいる気配もなく仕事を終え、監視所兼家へと戻る。

 砂浜から離れると波の音から虫の声へと音が変わり、段々と明かりがついている建物に近づくと持っていた懐中電灯の明かりを消して扉を開けた。

 部屋の中には制服姿の熊野がソファーに座っていて、膝の上に点字の本を広げながら俺へと顔を向けていた。

 

「おかえりなさい、提督」

「ただいま、熊野」

 

 ジャンバーを脱ぎ、普段仕事をしている机にジャンバーと懐中電灯を置いて椅子に座ると大きな息をつく。

 仕事の時にこういう挨拶のやりとりをするたびに、今日も仕事が終わったという充実感がある。

 信頼できる人がいて、帰りを待っていてくれるというのはとても落ち着くものだ。

 

「今日もお疲れさまでした。温かいコーヒーを飲みますか?」

「角砂糖をひとつ」

 

 と、俺の返事を聞いた熊野はソファーに本を置いて立ち上がり、台所へと歩いていく。

 ポニーテールの髪を揺らしながら歩く熊野の後ろ姿を眺め、あとはシャワーを浴びて寝るだけだ。

 でもこんな見回りだけでいいのかと今の仕事に少しの疑問を持つ。最も他に何ができるかと聞かれても困るが。

 ここに電探を設置して電波を飛ばしても艦娘の逆探にひっかかって近海にいる艦娘たちの邪魔になるし、何かができる設備も戦力もないから仕方がない。

 まぁ直接見て回るのは大事な仕事だ。ここでは近くに来た敵や上陸した敵の報告や熊野での時間稼ぎという役割があるから。

 でも、それがどれだけ防衛の役に立つかは疑問に覚えるが。ないよりはいいぐらいか。

 勝手に落ち込み始める思考は頭を振ることで止め、熊野の後ろ姿を心配しながら眺める。

 熊野はヤカンの音を聞きながら適量の水を入れると、ガス台に乗せて火をつける。

 そうしてから熊野は俺専用の大きなマグカップを棚から探して手に取ると、ガス台のそばに置く。

 次にコーヒーバッグが入っている箱を手に取る。

 その箱には点字でコーヒーの淹れ方が書いてあり、その中からティーバッグ形式のコーヒーバージョンであるコーヒーバッグを取り出してマグカップの中に。

 問題なくやっている姿に、ちょっとだけ心配してしまう。

 以前、同じように頼んだときに火傷をしたからだ。ヤカンからマグカップへお湯を入れるときに勢いが強く、カップを持つ手にお湯がかかって。

 その時はすぐに駆け付けると熊野の手を掴んで水で冷やし、そういうのは俺がやると言った。

 でも熊野は『ただの不注意だから私のできる仕事を取らないでください』と強く言ってきたために、そのまま任せている。

 だからと言って、こうして待つことしかない場合は心配でたまらない。

 もし火傷や怪我をしたときのために、いつでも心構えはできている。

 不安になりながらも待っているあいだ、俺の視線に気づいたのか振り向いた熊野は困った様子で微笑んでくる。

 

「そんなに心配しなくても私は大丈夫ですわ」

「火傷をしないかと思ってな」

「ふふっ、心配してもらえるなんて熊野は幸せものです」

 

 そう機嫌よく言ってはガス台に向かって、ヤカンの音を聞くのに戻る熊野。

 そんなまっすぐなセリフを聞いた俺は、熊野が目の前からいなくなっても恥ずかしい気持ちのままだ。

 普通はこんな心配せず、やりたいなら放っておくはずだ。でも熊野に関しては台所作業の全てを気にしてしまう。

 単に目が見えないというだけでなく、いつもおっとりしている性格だからだろう。

 もし何かの拍子にガラスを割り、怪我をしても平気に話をしてきそうだ。……艦娘だから、ちょっとの怪我なんて平気なのはわかるんだが。

 心配しすぎてしまう俺は、苦しい思いで熊野から目をはがし、目をつむる。

 そうして聞こえてくるのはヤカンの音と虫の声。

 外の見回りから帰ってくるときには虫の声がよく聞こえていたのに、ここに戻ってからはそんな音が聞こえないほどに熊野を心配していたことに気づく。

 その音を聞きながら心を落ち着けていると台所から熊野がマグカップにお湯をそそぐ音が聞こえて、目を開ける。

 熊野が集中した様子で慎重にヤカンを持ち、マグカップを手でしっかりと抑えている。お湯を注ぐ準備ができるとゆっくりお湯を入れていき、お湯が入る音とマグカップに手を当てて温まっていくのを確認している。

 マグカップの上のほうまでお湯が入ったのを温かくなったことで確認したあと、ヤカンをシンクの中へと置く。

 ガス台に戻すと、ちょっとバランスが崩れたらヤカンのお湯がこぼれて危ないから。

 安全をなによりも、と強く言った俺の言葉が守られているのにひどく安心する。

 お湯が満たされ、コーヒーバッグが入ったマグカップを熊野は片手で持つと反対の手で壁や机を探るようにしながら歩いてやってくる。

 

「ありがとう、熊野。そのままで―――」

「いいえ、私が最後までやります」

 

 力強く言って、俺が受け取ろうとするのを拒否して机の上へと置いてくる。置いたあとも俺が言った言葉の場所から正面を推測し、斜め前に置いたところから目の前へと置いてくれた。

 

「ええと、その、私はちゃんとできましたか?」

「ああ。ちゃんと俺の前に置けているし、お湯の量もいい」

 

 熊野を褒めるように明るく返事をすると、小さくガッツポーズをする熊野。

 普段しない仕草がとてもかわいい。褒められて気分がいい熊野はまた台所へ行くと小さな小皿を持ってくる。

 その皿の役割はコーヒーバッグを取り出したあとに置く場所だ。

 俺はマグカップに入っているコーヒーバッグの紐を持つと、マグカップの中で10回ほど揺らして小皿へと置く。

 そうして一口飲み、苦いコーヒーの感触がはっきりとわかる。そういえば角砂糖を入れていなかったな、と飲んでから思い出した。

 

「角砂糖は?」

「あっ」

 

 小さく声をあげると熊野は急ぎ足で台所へと行き、角砂糖が入っている瓶からスプーンで1個を取り出してスプーンに乗せたまま持ってくる。 

 

「提督、私が持つスプーンの下にマグカップを移動していただけませんか?」

「構わないが……移動したぞ」

 

 そう言うと熊野は角砂糖をスプーンごと中に入れ、ゆっくりとかき混ぜていく。少しのあいだ混ぜ続けるとそのスプーンをポケットの中に入れ、マグカップを俺の前へと机の上をすべらせながら置いてくる。

 

「熊野の淹れたコーヒーをどうぞ味わってくださいな」

「……あぁ」

 

 何も問題はありません、という堂々とした雰囲気に俺は何も言わず、ただ少しおかしくて笑い声が小さく出てしまう。

 熊野があらためて完成させたコーヒーを一口、二口と飲む。コーヒーバッグの味は安定しているが、角砂糖が溶け切っておらず甘味が混ざりきっていない。

 

「うん、まずまずだな」

「そこは『とてもおいしいよ』とか『さすが熊野だな』という場面ではありませんか?」

「お前は正直な男が嫌いなのか」

 

 そう返事をしてマグカップを机に置くと、熊野は俺の横へやってくると肩を軽くパシパシと何度も拗ねたように叩いきた。

 俺は苦笑いをしつつ、その叩いてくる手を押さえる。

 

「次もまたコーヒーを淹れて欲しい。次は砂糖を忘れずにな」

「……そんなに私のがダメなら自分でやればいいんです」

「俺は熊野のコーヒーを飲みたいんだ」」

 

 熊野は一瞬固まったあとに俺の手を振り払うと、背中を向けてしまう。

 恥ずかしがっているのか、それとも最初から素直に褒めろと拗ねているかはわからない。

 俺はコーヒーを味わいながら飲み干すと、まだ背中を向ける熊野に声をかけて手には空になったマグカップを持たせる。

 寝る前に体が温まるコーヒーを飲んでリラックスをし、今日はよく寝れるだろうなと思う。

 熊野が台所へ行く姿を見ながら、そういえば今日はよく行く古書店のおじいさんから銃をもらったことを思い出す。

 銃というけれども、撃てないように銃身に鉄が流し込まれた美術品で、無可動実銃と呼ばれるものだ。

 それを持ってくるために2階へと行き、その銃が入った袋と手入れをするサビ取りスプレーやメンテナンス用の油、タオルを持って1階へと戻る。

 机に銃と道具を置いて椅子に座ると、いまだになぜ自分にもらえたのかの理由がわからない。

 あのおじいさんは俺を気に入ったと言っていたが、それ以外にも理由がありそうな気がした。

 袋から銃と、くすんだ色をした8発の銃弾が入っていた。

 銃弾は弾頭と薬きょうがセットであり、緩んでいた弾頭を薬きょうから外すと中は火薬も雷管もない鑑賞用の弾というのがわかる。

 

「提督は今、何をしていますの?」

「今日おじいさんからもらった銃の手入れだ」

 

 マグカップを洗い終わり、台所を軽く掃除した熊野が机へとやってくる。

 俺は熊野も一緒にいたい雰囲気を察して立ち上がると、テーブルが置いてある場所から椅子をひとつ持ってくる。

 それを机の隣へと置き、熊野の手をさわって誘導する。

 俺は元の場所へ戻ると、その銃身がある先端部分が重くなって銃身が悪い銃を天井へと掲げて全体を見る。

 この銃はもらったとき、おじいさんに説明を受けた。

 これは13年式村田銃という単発式ボルトアクションライフルを猟銃に改造した、30番(11mm)の弾薬仕様のものという説明を受けた。

 家で代々使われていたようで、使われなくなったあとは無可動式に改造してもらって大事にしていたとのこと。

 俺はその銃を机の上に置くと閉まったままのボルトを動かそうとするが溶接されていて動くことはない。引き金は動きはするが、それだけだ。他に動くのは銃身下にあるクリーニングロッドが取りはずせることだろうか。

 これはもう実銃として復活することもなく、見るためだけの美しい美術品となっている。

 そう、美術品だ。木製ストック部分はひび割れが少なくてニスの深い色合いがいい味を出し、金属部分は黒さびがあるために光に当てるとツヤツヤとした輝きが美しい。

 感心のため息をつきながら眺めていると、隣にいる熊野がそわそわとした様子に気づく。

 

「熊野もさわってみるか?」

「ええ。お願いしますわ」

 

 両手を差し出した熊野の手にライフルをそっと置き、ちょっとずつ俺が持つ手の力を緩めて重さを渡していく。

 熊野は渡されたライフルを受け取ると、胸元で抱えるようにして持ちながら各部を手でさわっていく。

 そのあいだ、俺は銃弾の手入れをする。

 真鍮の薬きょうがくすんで色が暗くなっているが、これは綺麗にしないままの色合いがいいだろう。だが、このまま色が悪くなるのも嫌だ。

 だから持ってきた油をタオルに付けると、酸化防止として弾丸に油を塗りつけていく。

 それを3発目まで塗り終わると、満足した熊野が机の上へ銃を置く重い音がする。

 

「なんでこれを俺なんかにくれたんだろうな。結構手入れされていたから、いらないわけでもなさそうなのに」

 

 銃を置いて手が空いた熊野をそっと掴むと、まだ油を塗っていない弾丸の1発を渡す。

 熊野はそれの匂いを嗅ぎ、指でさわり、手のひらで転がす。

 

「あのおじいさまは1人で暮らしていましたよね」

「あー……そうだったはずだ。87歳なのに良く働いて、頑固で義理人情に厚いって八百屋のおっちゃんが言っていたな」

「私は食堂のおばさまたちから話を聞かされました。その方は50年ほど前に妻がなくなり、遠くで暮らしている子供や孫とも疎遠だと」

 

 俺たちが聞いた話を合わせてもどうにも納得できない。

 こんなに手入れしている銃をなぜ俺にくれたんだろうか。いらないなら売ってお金にしたほうがいいだろうに。

 他に何か理由があるはずだと、おじいさんに関することを思い出していくと銃に関する話を思い出した。

 

「これは父親が使っていたと言っていたな。で、おじいさんも少しのあいだ使っていたとか。狩猟をするために新しい銃に変えてからは整備だけはして、歳をとってからは無可動化してもらったと」

「この銃には人の想いがたくさん込められているものなのですね」

 

 親子で使い続けた銃。それを俺にくれた理由をまた考える。

 売るのが面倒だから軍人の俺にあげたというのもあるが、その可能性は低い気がする。それに俺が受け取ったときは、とても晴れやかな顔をしていた。

 あの人と出会ってまだ1カ月ほどだが、昼間は話をし、将棋を教えてもらい、時々店で本を買うぐらいだ。他には家の柵が壊れたときは俺が直したこともある。

 それなら今までの感謝の気持ちということだろうか。

 

「提督」

「なんだ?」

「提督の考えていることはきっと間違っていると思います」

 

 口に出していないのに、熊野は俺の考えを違うとはっきり言ってくる。

 俺の考えが違うのなら、他に何があるんだ?

 続きの言葉を待つように俺は静かに待っていると、熊野は俺に銃弾を返してくる。

 それを受け取り、机に置くと熊野は静かに喋り始める。

 

「提督はあのおじいさまと仲がよろしかったですわよね?」

「ああ、バカ話をするぐらいには仲がいいと思っているし、楽しいな。行くたびに歓迎されて茶を出してくれるし」

「ではそういう仲の良い人に物を送るときは、どのような感情がつくのでしょうか?」

 

 それは自分を気に入ってもらいたい、自分と同じ物を持って欲しい、同じものを好きになって欲しい、理解してもらいたい。すぐに思いつくのはこのあたりだが、熊野が言うのとは違う気がする。

 思い出せ。俺に渡したとき、どんな表情を浮かべていた? どんな声の色をしていた?

 ……あれは過去を懐かしみ、孫を見るような優しい目。俺に銃をくれたのは喜ぶ姿を見たかったのだろうか?

 唸り声をあげて必死に悩んでいると、熊野があきれたように息をついてくる。

 

「あなたはいつも難しく考えすぎです。あのおじいさまは自分という存在を覚えてもらいたかったのだと思います。私にはそれしか感じられません」

「そこまで断言できるのか?」

「はい。おじいさまも、その父親も使っていた大事なものです。銃という物や金銭的価値よりも重要なのは意思です。代々使ってきて大事にした物を渡すというのはどういう意味があるものでしょうか?」

 

 それは家族の絆、または信頼。おじいさんは俺を信頼してくれたのだ。

 まだこの場所に来てから1カ月ちょっとした経ってない俺のことを。

 

「言葉よりも、時にはそこに在るだけで何百何千の言葉の代わりになることもあります」

 

 そういう考え方があるか。今度会ったときに、なんでくれたのかと聞こうとしていたが、それはやらないほうがいいかもしれない。

 しかし熊野はいつだってよく考えている。

 目が見える時から読書好きでゲーテや哲学書を好んで読んでいたということがあるからだろうか。

 俺がずれている考えをしているときにはこうやって助言をしてくれる。熊野の存在は言葉がなくてもそこにいるだけで俺は心が落ち着く。

 ……ついさっき熊野が言っていたことを思い出す。

 物がそこにあるだけで言葉の代わりになるというのなら、すぐ隣に大事な人がいるというのはどういうことになるのだろうか。

 でもそれをちょっと考えただけでやめる。

 すべての行動、意味を理解しようとするのはつまらない。

 考え続けるということが大切なのではと思い、隣に熊野がいることはもしかしなくても幸せなのかと感じる。

 こんな女の子は外見も性格も素敵すぎて俺にはもったいないぐらいだ。

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