熊野と世界の果てで 優しさの場所   作:あーふぁ

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熊野の艤装案と肩車

 夏の象徴ともいえる大きな入道雲が青い絵具のように深く澄み切った青空に浮かび、真夏のまぶしい太陽が降り注いだ穏やかな海からは波音と海からのひんやりとした冷たい風がやってくる。

 そんな清々しい朝の空気を感じている俺はジャージ姿で、制服姿の熊野と一緒に人が誰もいない砂浜の波打ち際から少し離れたところを2人でゆっくりと歩いていた。

 熊野は右手で杖を持ち、左手でまっすぐに伸ばした俺のヒジをそっと優しく握っている。

 熊野に握られている腕をしっかりと体にくっつけ、あまり揺れないようにしていた。砂浜をふたりで歩くのはよくあることだけれど、今日はいつもと違って俺の気分が良くない。熊野は朝の散歩を楽しんでいるが。

 俺の気分が良くない理由は熊野の艤装についてだ。

 ここ1週間ほど、俺と熊野、摩耶を入れた3人で熊野用の艤装について考えていた。

 そのために目が見えない今の状態でどれほどの能力があるのか、軍から演習用の物を摩耶経由で届けてもらって砲撃や魚雷の攻撃と回避行動の試験をした。

 多くの艦娘の教育を担当していた摩耶によって確認をしたが、やはり成績はどれも今ひとつ。

 たとえ艤装に空中聴音機をつけて音を聞こえやすくしても、目が見えないのを補うほどじゃないと判断された。

 耳で把握する音だけでは相手の動きを予測しづらく、距離が遠いほど波や空気の状態に影響され、音を聞いてから考えるのではすぐに行動ができないからだ。

 音で相手がわかるようになっても、もう普通の艦娘のように海の上で自由な戦闘はできない。

 これが俺にとって物凄く不満だった。

 俺は目が見えていたときのように水上を自由に駆け回る熊野の姿を期待していたが、もうそれは見ることができないようだ。

 結果を見て、摩耶は艦娘用空中聴音機と水上機だけを使う艤装改修案を考えた。航空巡洋艦と違い、命中を期待できないために砲は持たない。

 俺は他に有効な案を思いつくこともなく、それが最善と思うものの改修案に納得ができない。摩耶から軍上層部に提案されても採用されない可能性はあるが、ないに近いだろう。

 熊野が海の上で自由になれないことは心の隅でわかっていたこととはいえ、落ち込んでしまう。

 このことを部屋の中でずっと考え続け、ため息がたくさん出ていた俺を心配した熊野に散歩へと誘われて今にいたっている。

 でも海へ来ても気分は変わらない。

 どこまでも続く水平線を見てもその向こうを想像してワクワクと心躍ることもなく、砂浜に打ち寄せる心落ち着く波音や優雅に空を飛ぶウミネコの声で気持ちが安らぐこともない。

 

「こんな美少女が隣にいるのに考え事ですか?」

「そうだな、熊野みたいな素敵な子を放っておいたら人生の1割は損する」

「あら、1割だけですの?」

 

 熊野のからいがある穏やかな声を聞き、不満しか感じていなかった心が少しやわらぐ。

 だが、この穏やかな熊野の声を聞くと今度は別の悩みがやってくる。

 それは熊野が戦闘に出るということ。

 今までは意識して考えないようにしていた。熊野を戦えるようにしていた俺の行動と矛盾するから。

 もし、目が見える時よりも能力が下がっていようとも、戦える状態なら戦局がよくない軍に召集されるだろう。

 その場合は俺の手元からいなくなり、前線で戦うようになる。戦い始めたら熊野の苦しみも悲しみもわかることなく、俺は陸の上で待つことしかできない。

 死ぬこともある。遠くの海で部下である艦娘、妹のように思える子がいなくなってしまうのは嫌だ。死に際を見ることもなく、遺骨さえもこない。

 それが俺はとてつもなく怖い。

 

「提督、悪いことばかり考えますと本当になってしまいますわよ?」

「大事なお前のことを考えすぎて何が悪い!」

 

 いらついた声を出してしまい、すぐに後悔をする。熊野は俺を心配してくれただけだというのに。

 いつも穏やかな顔をしている熊野が、もし怯えたり嫌悪感を出していたらと考えると怖く、すぐ隣にいる熊野の顔を見ることができない。

 

「雨にも負けず、風にも負けず。雪にも夏の暑さにも負けず。丈夫な体を持ち、欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている」

 

 立ち止まった熊野が、ふと静かに喋り始めた。

 その言葉は俺に向かって言うわけでもなく、ただ言葉を空へ向けて発している。

 それは宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』という詩。熊野が何かを伝えたいのかと考え、静かに聞く。

 

「東に病気の子供あれば行って看病してやり、西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い」

 

 言葉は言い続け、宮沢賢治が書いた詩の言葉ははじまりから最後まで続く。

 それを聞いた俺は熊野が言い始めた理由を考える。

 言い続ける言葉は、まるで祈りのようにも聞こえる。俺に向けて、謙虚で自己犠牲な人と言っているような。

 

「褒められもせず苦にもされず、そういうものにわたしはなりたい」

 

 最後にあるこの言葉を持って『雨ニモ負ケズ』は終わる。

 俺はゆっくりと立ち止まって熊野へ顔を向けると彼女は俺の顔を見上げて晴れやかな表情をしていた。

 

 「宮沢賢治の言葉は、誰かのために行動するという人間の理想像のひとつとわたくしは思うのです」

 

 そう言われるも、俺はそんな立派なことをしていない。自己満足のためにやっているだけだ。

 俺は熊野が元気に動ける姿が見たかった。だが、それは今の熊野を否定することになるのだろうか?

 目が見えずとも、たくましく生きている熊野の人生を。

 

「私が戦うことを心配してくれる提督は、前線に戻っても良い働きができますわ。艦娘を気遣える提督はとても信頼できるものでしてよ?」

「そう言われると嬉しいものだね」

「過去を反省し、前へ進もうというあなたをいじめる人がいたら、遠慮なく私が叱りつけてあげます」

 

 握りこぶしを目の前に持ってきて笑顔を向ける熊野を見ていると、過去の記憶が俺を責めてこようとしていたが熊野のおかげで心が軽くなった。

 そんな嬉しい言葉を聞き、笑顔を浮かべる熊野の頭を空いている手で普段よりもずっと優しく撫でる。

 熊野の言葉は2日前にようやく見た手紙のことを思い出す。内容は『提督でなくてもいいから、帰ってきて欲しい』とのことだ。

 俺を信頼してくれていた艦娘からの言葉だったが、返信は書かない。あの場所にはもう悪い思い出が頭の中にこびりついて行きたくはないからだ。

 それになんて書けばいいんだ。罪悪感のために逃げるようにしていなくなった俺が、あの子たちにかける言葉なんてない。

 今は熊野がそばにいてくれれば、俺はそれでいい。もしかしたら、近いうちにいなくなろうとも。

 大きくため息をつき、熊野を見る。

 熊野を見たおかげで心が落ち着き、摩耶提案の艤装改修案を不満ながらも妥当と認めることにして、監視所へと戻っていく。

 歩いていくにつれて波の音が遠くなり、代わりにセミの声が強く鳴り響くなかで監視所に戻ってくると、そこで見た光景はにぎやかなものだった。

 制服を着た摩耶が、前と同じように白のワンピースを着た麻衣を肩車し、監視所前の場所にある木を1本ずつ見ながら楽しげに歩いている。

 麻衣が手に持っているのは虫取り網と虫かごを肩から下げている。中にはカブトムシが2匹が入っているようだ。

 高校生の見た目をしている摩耶と小学生の麻衣との組み合わせは、こうして見ていると仲のいい姉妹だと思うほどだ。

 そんなふたりはあちこちにある木に近寄り、摩耶は頭の上から指示してくる麻衣と仲良くカブトムシを探しているようだ。

 摩耶と麻衣は初対面だったはずだが、俺たちがいない間に仲良くなってるのは相性が結構いいらしい。

 微笑ましい光景を遠くから立ち止まって見ていると、熊野がヒジを軽く引っ張ってきて、今の状況を説明してくれと文句を言う顔で見上げてくる。

 

「麻衣が摩耶に肩車されて、カブトムシを捕まえようとしているな」

「どちらも楽しそうな声をあげているのが聞こえますね」

 

 熊野はふたりの声を微笑ましげに聞き、俺も同じようにはしゃいでいる2人の声を聞く。

 少し距離があるからか、または夢中になっているのか俺たちに気付く様子はなく、しっかりと観察することができる。

 ふと熊野の表情を見ると何か物欲しげになっており、顔が向いている方向はふたりへと向けたままだ。

 その姿は肩車というものを、摩耶と麻衣の楽しそうな声を聞いてうらやましがっていると予想した。それと俺に遠慮していることも。

 たとえ目は見えなくても高い位置にある感覚はわかるし、風や音の感じ方も変わるから熊野も肩車なら楽しめると思う。

 

「肩車をしてやろうか?」

「私はそんな子供っぽいことはしません」

「子供っぽいとか、そういう理由で機会を逃すともうないかもしれないぞ。俺だって摩耶たちを見なければ肩車なんて言い出さなかったさ。だから、やってみないか?」

「……そこまで言うなら、乗ってあげてもいいですわ」

 

 俺に強く言われて渋々と言った様子だが、一瞬だけ嬉しさで笑みを浮かべたことを俺は見逃さなかった。

 それについて指摘すると怒るから言わないが、そんな仕草がかわいい。

 そして乗ってもいいと言った熊野は俺から手を離し、杖を地面へと置く。

 

「後ろから体を持ち上げるから、足をちょっと広げてくれ。……そう、それでいい。行くぞ、熊野」

「よろしくてよ?」

「足をさわるぞ」

 

 熊野の後ろにまわった俺は片膝をついてから熊野の足の間に頭を通し、太ももを掴むとゆっくりと体を持ち上げる。

 首に熊野の重さと太ももの温かさを感じながら立ち上がると、熊野は怖々と俺の頭を両手で掴み、俺の首を挟む太ももに力を入れてくれた。

 それで体勢は安定し、きちんとした肩車ができた。

 そのまま熊野に慣れてもらおうと立ったままでいると、俺たちに気付いた摩耶が麻衣を肩車したままであきれた顔をしてやってくる。

 

「なにしてんだ、お前ら」

「わー! 熊野お姉ちゃん、わたしと一緒だね!」

「え、ええ。ですけど、こう、男性に乗るという肩車は結構恥ずかしいものですわね」

 

 表情と同じく、あきれた声の摩耶とかなり嬉しそうな麻衣。

 恥ずかしがる熊野の顔はきっとかわいいはずだけど、肩車をしていると見えないのが残念でならない。

 声を聞いた感じだと怖がったり嫌がったりしてないから、この肩車は楽しめてもらえていると思う。

 

「お前たちはいつのまに仲良くなったんだ?」

「んー? さっきだな。このちっこいのが来たから、代わりに相手してやったってわけだ。接客対応の良さにあたしはあたしを褒めるぜ!」

 

 摩耶が麻衣を楽しませるために、話をしながら俺の周りをぐるりと一周しているときに、熊野と砂浜で決めたことを言わなきゃいけないことに気付く。

 

「摩耶」

「なんだ、今度はあたしを肩車しようってか?」

「摩耶がされたいなら、やってもいいが。突然だが、艤装のあれは摩耶が言ったのにしようと思う」

「おう、わかった。あとで申請書類持っていくからな」

 

 と、真面目な話をすぐに終えると頭上から困惑した熊野の声が降ってくる。

 

「あの、肩車というのが大体わかったので降ろして欲しいのですけど」

 

 わかったと返事をしてから腰をかがめ、割れものを扱うかのように丁寧に熊野を地面へと降ろす。

 体重がそれほど重くない熊野とはいえ、人ひとりを持ち上げたから腰や肩が少しばかり痛んだ。

 

「肩車をされた感想はどうだった?」

 

 地面に置いた白杖を取って熊野に返しながら言うと熊野は俺の横へやってきて、さっきと同じようにヒジを掴んでくる。

 まるで、そこが定位置とでもいうかのように安心した息をつく。

 

「提督の肩の上はいつもより風をよく感じ、音は綺麗に聞こえました。肩車ということでも世界は変わるということが実感できましたわ。……それと、私は重くなかったですか?」

「熊野の重みならいつでも感じていたいほどさ」

 

 俺を心配してくれる熊野に冗談めかしてそう答える。

 

「ん、なんだぁ? えっちな意味でか、おい」

 

 熊野と話をしているあいだに素早くワンコを降ろした摩耶は、熊野とは反対側の隣へとやって来てニヤニヤとした表情で俺の頬を人差し指でつついてくる。

 人差し指を払い、またつつかれるといったじゃれあいをしていると麻衣が熊野の前にやってきた。

 足音を聞いた熊野はおだやかな顔をワンコに向け、麻衣はまるで犬のようにしっぽや耳があってピコピコと激しく揺れ動いているような錯覚をしてしまう。

 

「熊野おねーちゃん、一緒に遊ぼ!」

「いいですよ、なにをして遊びま―――」

「カブトムシ!」

 

 熊野に会えてテンションが高い麻衣は、カブトムシと聞いて一瞬で引きつった熊野の笑顔を気にすることなくキラキラとした輝いた笑みを向けている。

 虫がそれほど好きでない熊野は数秒間固まったあと、助けを求めるかのような顔を俺に向けてくるが、俺の表情がわかるはずはないのに熊野からつい顔をそむけてしまう。

 それは俺の後に顔を向けられた摩耶も俺と同じようにしたことで、今の熊野を救うことは誰もできないことがわかる。

 こんな楽しそうな少女が遊びたがっているのに止めるのは大人としてやっちゃいけないことだからな。……本音としては俺も虫は嫌だ。小さい頃はさわれていたんだが、不思議と大人になると虫はさわれなくなってしまう。

 俺達の突き放す気配を察した熊野は俺のヒジからから力なく手を離し、麻衣に手を引かれて木のところへと連れて行かれた。

 その後ろ姿は恨みがずいぶんとこもっているようにも感じたが、滅多に見ることのない姿は新鮮でたまにはこういうのもいいと思う。

 

「助けなくてよかったのかよ」

「2人が仲良くなるのはいいことだろう?

「いじわるな奴だなぁ、おい」

 

 熊野の困る姿を見て爽やかな笑みを浮かべる俺に、摩耶はにんまりしてヒジで俺の脇腹を強くつついてくる。

 あとで熊野から『私に対する優しさが足りませんわ!』とすっごく怒られるだろうけど、いつも穏やかな熊野に、たまにはこういういじわるもしたくなる。

 なにか仕返しが来るだろうけど、なにをしてくれるか楽しみにしている俺はまったくおかしくはない。

 

「なぁ、あのちっこい子、名前はなんていうんだ?」

「知らないで遊んでいたのか。あの子は麻衣という名前だ」

「麻衣、麻衣か。あたしと呼び方が似ていて、親近感が湧くな」

 

 何度もうなずき、麻衣に対する好感度が上がっていく摩耶。

 名前も知らず、あれほど互いが楽しく遊べるのはすごいことだ。

 俺なら名前がわからない人とああやって遊ぶなんてことは怖くてできない。何かあったら、軍人である俺への不祥事に発展して訴えられるかもしれないと怯えて。

 摩耶に感心する目を向けると、恥ずかしそうに顔をそらして背中を向ける。

 

「世界平和のために戦ってるあたしが、子供に優しくできないとダメじゃんか。そういうことができないと世界のために戦うなんてのはおかしいとあたしは信じているからな」

 

 立派な心がけだから別に恥ずかしがる必要はないし、俺は素直に感心しているというのに摩耶は背中を見せたままだ。

 ここで俺のいたずら心が芽生え、気持ちを抑えつつ摩耶の後ろに近づいていく。

 

「肩車をするぞ」

「え、おい! ちょっと待てよ!!」

 

 強引に足のあいだへ頭を突っ込み、一気に摩耶の体を持ち上げる。

 熊野より筋肉があってハリがある足をしっかりと掴み、俺の頭をバシバシと強めで叩いてくる摩耶の攻撃に耐えてしっかりと立つ。

 

「さっき肩車がどうのと言っていたじゃないか」

「確かにそう言ったけどな、あたしの気持ちを考えてみないか? ほら、年頃の乙女がこういうことをされるのは恥ずかしいだろ」

「摩耶も楽しませてあげようという親切心じゃないか。それに年頃の乙女なら恥ずかしがってくれ。ほら、気をつけないと落ちるぞ」

「や、待て。あたしは肩車されるよりするほうが―――うおぉぉぉぉぉ!?」

 摩耶がしっかりと手足で捕まってきたのを確認すると、あたりをぐるりと早足で歩き出す。

 

 頭の上から響き渡る怒りの叫び声が段々と楽しげな声に変わっていき、その様子に安心する。

 摩耶への行動はいたずら心から。

 けれど誰かのために行動するということ、それは自分よりも他の人のことを多く考えるということだ。

 自分よりも相手を優先して相手が喜ぶ姿を見れたなら、それは幸せかもしれない。

 最も俺がしている今の場合は、摩耶に楽しんでもらいたい気持ちがあるが俺自身も楽しみたいだけなんだが。

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