熊野と世界の果てで 優しさの場所   作:あーふぁ

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優しさの場所

 摩耶と一緒に熊野が戦いに行き、俺ひとりでの生活が始まった。

 1人ということを寂しく感じながらも、その日のうちにこれからの大まかな計画を建てた。

 翌日には麻衣の親が仕事をしている八百屋へ行ってお願いをしに。内容は農業に関する知識を教えてくれ、と。

 麻衣のお母さんは世話になっているお礼だと言って、遊んでと言ってからんでくる麻衣とじゃれあいながら麻衣の家で勉強をするようになった。

 他にも軍へ手紙を出して土地を開発していいかの確認や追加資金の要請。返事が来るまでは農機具や種を扱う店で予算と目的に合うものを考えていく。

 監視所にあるもので農作業や草刈りをしていると4日で軍から返事の返事があり、どのあたりまでなら軍の土地かを明示してくれて開発も許可された。

 その範囲を見てから、俺は麻衣の父親経由でベテランの人に教えてもらいながら刈り払い機とチェーンソーの勉強を始めていく。

 そして、これから買っていく予定の農具をしまう物置小屋も1人で作っていく。

 以前いた鎮守府では暇つぶしとして建物の補修をしていたために、多少はその知識と経験を生かせる。

 だが、そううまくもいかず、結局は町の人たちに手伝ってもらった。

 お礼を出せるわけじゃないのに、なぜ手伝ってくれるかと聞くと「偉そうにしないし、軍人さんは俺たちを守ってくれるからな!」と好意的に言ってくれるのが嬉しかった。

 様々な人たちの力を借り、監視所周辺はわずかずつ農地として使える場所が広がっていた。

 畑を作って雑草を防ぐための防草シートやマルチシートを張り、花を植えるための花壇を作る。そんなことを続け、充実した生活を送っていく。

 そうした日々を送りながら1人で海岸を見回り、時々は何もしない時間を過ごす。

 テレビやラジオのニュースで艦娘たちが出撃した大規模攻勢の話があって勝った時には喜び、被害が出たときには熊野の名前がないか緊張して聞いた。

 やることは多くあって楽しいものの……自分だけしかいないこの場所は、ひどく寂しいものだ。

 

 ◇

 

 熊野がいなくなり、1年が経った。

 季節は一巡りし、8月の今日はいつも通りに暑い。

 雲ひとつない青空は畑仕事をしている俺へと強く降り注いできて、実にうっとおしい。

 農作業のために着ている上下のツナギと長ズボンに手袋がとても暑い。頭は麦わら帽子のために風通しのいいことが救いか。

 こうやって汗で苦労しながらも1人で1年ものあいだ、野菜や花のために頑張ってきた。

 そのおかげで以前は草ばかり生い茂っていた場所が、野菜畑と花畑になった。畑の前に立って見回すと自分がやった成果が目に見えるのは気分がいいものだ。

 広さをテニスコートで換算するなら、5面が野菜で12面が花とハーブ畑だ。

 この時期の野菜はトウモロコシ、きゅうり、なす、トマト、青じそ、ししとう、ピーマンを育てている。

 できている実の形は良くないが、味はまぁまぁいける。そして、この野菜たちを料理するために俺の料理技術も上がった。

 ……遊びに来た、小学6年生の麻衣のほうが圧倒的に料理上手だったことは心の奥底にしまっておく。小学生に負けたのを覚えていると、小さなプライドが痛んでしまう。

 畑にあるハーブはオレガノ、タイム、バジル、セージだ。青じそもハーブ畑に植えようかと思ったが、ハーブという見た目じゃないよなと思い、悩んだ末に野菜畑のすみっこに植えている。

 ハーブ畑で一緒に植えている花は、2本の背が高いヒマワリと紫色が鮮やかなラベンダーだ。その2つの花でテニスコート半面分は使っている。

 野菜もハーブも花も量を増やし過ぎたかと思ったものの、町にいる人たちが色々な物と交換してくれるから無駄にはならずに安心した。もし1人で全部食べるとなったら、確実に腐らせてしまうだろうから。

 自分で育てて収穫するというのは心躍る、という予定だったがどうにも憂鬱になってしまう。本当なら熊野と野菜の出来について話をしながら収穫ができたはずなのに。

 寝ても起きても頭から熊野のことが離れず、こんなにも女々しい男だったかとため息をつく。

 自分に情けなさを感じつつ、しゃがんでバジルを収穫してカゴに入れていく。

 ヒマワリの種はどんな料理にできるんだったかと聞いたことを思い出しながら考えていると、後ろの方から砂利を踏みしめる足跡が聞こえる。

 熊野のことばかり考えていたから、都合良く熊野が帰ってきたのかと思ってしまう。

 でもそれは単なる想像。熊野の性格だときっと電話や手紙で帰ってくる連絡をするに違いないからと。

 誰が来たのかと思って振り向くと、そこには杖を使いながら監視所へ向けて歩いていく熊野の姿があった。

 声をかけることも忘れ、制服を着て片手にバッグを持っている熊野の姿は夏の暑さが生み出した妄想かと思う。

 そもそも帰ってくるのが急すぎてどう反応すればいいか。怪我はしてなさそうに見えるから、それを喜んで声をかけるべきか。

 どうしようか頭で必死にかっこいい言葉を言おうと考えていたが、熊野が俺に気付かず監視所への扉の前に立ったところで声をかける決心がついた。

 

「熊野!」

 

 大声で声をかけると熊野が俺へと振り向き、その顔はまぶしいほどの笑顔を俺へと向けてくれる。

 それを見て、俺は手袋を脱ぎ捨てて熊野の方に歩いて行く。

 熊野はバッグ杖を降ろし、俺に向かってゆっくりと歩いてくる。

 その速度は遅いとはいえ、今まで走るのを見たのは滅多になく、さらには杖も使わずに来るものだから転びそうなのが心配で慌てて走っていく。

 熊野との距離はすぐに縮まったが熊野は減速する気配もなく、俺は段々と速度を落として熊野の前へと移動する。

 そして、熊野は速度そのままで俺の胸元に頭突きをするかのように突っ込んできてバランスを崩したが、俺の背中に手をまわして抱きしめることで耐えきった。

 熊野は俺の胸から顔を上げると、まぶしいほどの明るい笑みを浮かべている。

 

「私はあなたを驚かせることができましたか?」

「すごく心臓に悪かった。来るなら来るって連絡してくれ。それと走るな。転ぶかと心配したじゃないか」

「すみません。でも鈴谷が――あ、昔からの親友なのですけど、提督の話をしたら驚かせたほうが喜ぶと言われましたので。……それで、その、どうでした?」

 

 熊野は俺を見上げ、叱られるのを怖がる子供のような表情だ。俺は返事として抱き着いている熊野の背中に手を回し、強く抱きしめる。

 それと同時に片手で雑に頭をぐりぐりと撫でまわす。

 

「せっかく提督のためにと時間をかけてセットしてきたのですけど?」

 

 不満と嬉しいという感情が入り交じった複表情の熊野がかわいく見える。

 ひととおりじゃれたところで、熊野に言いたいことがあったのを言う。

 

「少しやせたか?」

「そこは健康的になったと言ってください。提督のほうは不健康な生活で太ったかと思いましたが、筋肉が増えましたね」

「お前のために頑張ったからな」

「私のため、ですか?」

「そうだ。この場所は前にいたときと匂いが変わったと思わないか?」

 

 そう言うと熊野は2歩ほど俺から離れ、周囲の音や匂いを感じていく。

 そのことに俺は黙ったまま見続け、疑うような顔で調べていた熊野が穏やかな笑顔になっていく。

 

「草木の葉がこすれる音が聞こえませんわ。それに花の香り……ラベンダーでしょうか?」

「ああ。熊野が好きかはわからないが、ラベンダーは熊野を待つ俺に、いい花だって薦められて。その理由がいまだによくわからないが」

 

 熊野が「ラベンダー……」と小さくつぶやくと、花の香りがする方向へ1歩1歩、確かめるように歩いていく。

 俺は地面に落ちている白杖を拾うと、その後ろをついていく。

 やがて熊野はラベンダーがある畑へたどりつき、足が膝までの高さにある柵を蹴っ飛ばしてしまう。

 

「あ、すみません提督」

「壊れたわけじゃないから構わないさ。それでどうだ、ラベンダーは結構植えたんだが。熊野の、お前のためにと思って植えたんだが……」

 

 いまだ、ラベンダーが好きとも言わない熊野の反応が怖く、恐る恐る聞くと。熊野は深呼吸をしたあとに俺へと体を向けてくる。

 

「この香りは好きですわ。私のために用意してくれた提督はもっと好きです」

 

 好きと言ってくる言葉が嬉しすぎて、反応に困ってしまう。1年ぶりの再会のせいか、熊野が言う言葉のひとつひとつが俺の心によく響いてくる。

 今になって熊野と会えたこと、褒められたことで安心した俺は目に涙が浮かんでしまう。

 それを気付かれないように静かに目元を指で拭う。

 

「どうかしましたか?」

「熊野は口が上手になったと思って、俺は嬉しさのあまりに感激したんだ。ほら、中に入ろうか。向こうにいた時の話を聞かせてくれ」

 

 男が涙を流すのは恥ずかしいと思い、涙を流したことは隠しつつ返事をする。

 

「今夜は寝かせませんわよ?」

 

 そう微笑みながら俺の隣へやってきて、ヒジを掴んでくる熊野に白杖を渡して地面に置いていたカゴを持って一緒に中へと入っていく。

 熊野をソファーに座らせると、熊野は持っていたバッグと白杖を床へと置く。

 俺はカゴを机の上に置いたあとは熊野を待たせて、ドリップ式の冷たいコーヒーが入ったガラスのコップをふたつ用意する。その自分のだけに角砂糖とスプーンを入れ、まとめてコップを持っていく。

 それを持って熊野の隣に座り、1つを手渡す。俺の分のはテーブルに置き、スプーンでかき混ぜて角砂糖を溶かしていく。

 

「聞きたいことはたくさんあるんだが、どうするか……」

「では、わたくしが自由に喋らせていただきますわ」

「頼む」

 

 コーヒーを少し飲んだあと、熊野の話を聞いていく。

 話したくてたまらないという熊野は頬に手を当てて考えたあと、ゆっくりと喋り始める。

 その内容は様々だった。

 久々の戦闘訓練は楽しかったけれど、水上機しか飛ばせない装備だから砲撃の快感がなかったこと。

 親友の鈴谷と同じ部隊で会えたのがとても嬉しく、でも耳が聞こえなくなっていたので驚いたこと。

 それでも鈴谷の提督という人を介して会話をし、お互いが無事で艦娘としてやっていることに安心したことを。

 戦いはあっさりするほど終わり、時間がかかったのは戦闘前の索敵と戦闘後の処理。そのあとは俺に早く会いたいために1人で先に帰ってきたと言ってくれた。

 今後も重要な戦闘があれば、上から借り出されることもあるとのことだ。つまりは予備役扱いになるらしい。

 そんなことを熊野は嬉しく、時には悲しく。ころころと変わる表情で話をしてくれた。

 1、2時間ほど会話をした頃だろうか。

 突然、熊野が口を閉じて黙ったままになる。

 たくさんの会話のあいだに、俺と熊野のコーヒーはすっかりなくなっていた。

 コーヒーのおかわりでも持ってこようか、と言おうとしたときに熊野の雰囲気が重苦しいものに変わったことに気付く。

 ソファーから浮かしかけた腰をおろし、じっと熊野の言葉を待つ。なにか重大なことがあるのかと緊張する。

 そして熊野が動き始めた。

 勢いよく立ちあがり、俺がいる方へやってくると身を投げ出すようにして乱暴に俺の体へと抱き着いてくる。

 そうしたあとに熊野は俺の肩へと頭を置き、優しく抱きしめてくる。

 

「……提督と一緒にいるのが1番安心しますわね」

「俺も同じ気持ちだよ」

 

 同じように俺も熊野を抱きしめ、穏やかな声で言う。

 すぐ前にいる熊野の髪の匂いは懐かしく、今まであった寂しさがなくなって心が満たされていく。

 もう熊野がいないと俺はダメになるんじゃないかなんて思えてきた。

 夫婦でも恋人でもない不思議な関係。それはとても落ち着くもの。

 他のなにかで補うなんてことはできないと思っていると熊野が恥ずかしそうに微笑む。

 大事なことをまだ言ってなかった俺は、熊野に微笑みを返して口を開く。

 

「おかえり、熊野」

「ただいまですわ、提督」

 

 今、この瞬間から退屈な日常がなくなり、いつもの日常が戻ってきた。

 俺と熊野しかいない、この世界の果てに。




終わり。

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