魔法使いに憐れみを   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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 3315//

 

 

 

 【 3315.3/January 1998 】

 

 

 

「まずはどうする?」

 

 煙草をふかしながら、先生が言った。ある程度は私に任せてくれるらしい。

 

 ――呑まれてはいけない。

 

 深呼吸を一つ。足を踏み出した。先生も後ろからついてきている。

 

 門をくぐった。喧騒が大きくなる。特に、体調に変化は起きていない。

 

 気は抜かなかった。「門」とは仕切りであり、つまりは結界の内と外を隔てるものだから、相手がそこに踏み入った部外者(わたしたち)に気づいたとしても不思議はない。

 

 それにしても、と思う。秘境の集落と云うには些か大きすぎるから、これは近代の隠れ里とでも言うべきだろうか。

 

 まるでヨーロッパの田舎町の風景だった。たくさんの家があって、大勢の人たちが集まって、普通に生活を送っているように見える。危険な死徒の魔術師が潜伏していると知らなければ――此処へ来るまでに辿った道程を知らなければ、この賑わいに不審など考えもせず、むしろ郷愁(ノスタルジック)な異国情緒の景観に、感嘆の息さえ()いていたかもしれない。

 

 それほど広くない石畳の道路で子供たちが遊んでいる。追いかけっこだろうか。近くでは親らしき大人たちが歓談していた。壁には台車が立てかけられ、街灯はあえかに点っている。

 

 ボールが足元に転がってきた。

 

 少年が走り寄ってくる。心臓が早鐘を打った。魔術師の手先である可能性が過ぎる。周囲に怪しい動きはない。ちらと振り返ると、先生は別のところを見ていた。

 

 あれ、お姉さん? 少年が近づいてくる。もしかして外から来たの?

 

「あなたは」

 

 少年がボールをつかんだ。後ろから親らしき歳いった婦人が現れる。苦笑していた。ふくよかな体形。武器を隠すならスカートの中だろうか。少年をたしなめている。それから、私を向いた。あなたたち、外から来たのね?

 

 慎重に頷くと、女の口元の皴が歪んだ。

 

 いらっしゃい、よく来たわね。手が伸ばされる。ここは素敵な街よ、きっと気に入ると思うわ。白い腕。握り返さなかった。婦人が不思議そうな顔をする。どうしたの? 婦人が私を見る。私は彼女の腕を見ている。まったく日に焼けていない、不自然なほどに真っ白い、皴のない肌。

 

 粟立つような感覚がした。

 

「―――」

 

 飛び退くも、追うように婦人が踏み込んできている。その瞬間、私の双眸は琥珀から赤色へと変じ、「()」を唱え終えていた。

 

 

「【(まが)れ】」

 

 

 婦人の腕の関節が捻じれ、瞬く間に砕けた。引き千切れた左腕が地面を跳ね、金属音を立てると、しかし人体にあるべきものが撒き散らされることはない。

 

 婦人は、わらったままだった。片腕を失った状態でありながら、鮮血を噴き出すことなく小首を傾げて。困ったひとね、そう言いながら、体躯に似合わぬ俊敏さで眼前を蹴り上げてくる。

 

「【凶れ】」

 

 危うく仰け反って躱した。突き出された脚が破壊されると、飛び散ったのは筋線維の塊と骨だけではなかった。

 

 宙を舞う歯車(・・)が、黄昏に煌めく。

 

「―――」

 

 婦人と子供の頭部が風船のように膨らんだ。「【凶――】」

 

「【粉砕せよ戦槌(サンダガ)】」

 

 猛烈な閃光が視界を染める。凄まじい電撃に親子が吹き飛ばされると、中身を露出させて蠢き、二人は衝撃を噴きながら飛散した。けれどそれは音だけで、爆風はこちらに届く寸前に薄れてしまう。

 

 私たちに掛けられた〈かたちある盾(プロテス)〉と〈かたちなき盾(シェル)〉の効果が、体内に仕掛けていたらしい爆薬の威力を、害なきものへと書き換えたためだった。

 

自動人形(オートマタ)か」外皮(スキン)が溶けて中身が露わになった残骸を見やりながら、先生が呟いた。「気を抜くなと言っただろう」

 

「……すみません」

 

 爆発とも異なる、重々しい物音が響いた。

 

 背後。

 

 開かれていたはずの門が閉じている。

 

「まあいい。これで正体が明らかになったな」

 

 遊んでいた子供たち、大人たちが、統一された仕草で私たちを見つめていた。一様に人間味の抜け落ちた貌。これが彼らの、本当の姿ということなのだろう。

 

「【招け睡惰の深淵(スリプガ)】」

 

 着香された風が走り抜けるも、人形たちに変化はなかった。先生が首をかしげる。「精神を模倣した機械ではないのか……」

 

「【凶れ】」

 

 飛び掛かろうとしてくるのを、私は冷静に()ていられた。【凶れ】。今度は腕ではなく、自動人形の上体が捻じ曲がって潰える。人形たちは悲鳴一つ上げずに這いつくばり、やがて機能を停止した。

 

「少し手間だな」

 

 家屋のシャッターが次々と上がり始めている。現れる大量の人形たち。人でない形態のものも混じっている。四足歩行。さながら大型犬のそれらが本物と違う点は、口が恐竜のように凶悪で、胴体が金属らしき剛性の素材であるということだった。

 

 見た者を委縮させる光景。脅威という言葉がまさに相応しい。

 

 それでも――

 

「【射貫く光(サンダラ)】」

「【凶れ】」

 

 見るだけで現実を曲げてしまえる私の生まれつきの異能(ちから)は、先生にいわく「赤」と「緑」の螺旋を描いて、私の敵を「破壊」する。的当ての練習と同じように。

 

 抵抗を無視して。

 反発を透過して。

 

 私は〈歪曲〉をもたらす〈魔眼〉で、先生は灼熱と雷撃で、人形たちを近づけることなく蹂躙してゆく。

 

 人形たちの斬撃や決死の自爆が、私たちに届くことはなかった。

 

「しかし数が多い」

 

 【融かす舌(ファイラ)】。そう唱えながらややうんざりしたような声で、先生が言った。「走り抜けるか?」

 

 その提案に、はい、と応えながら私は、すぐさま躰に命じる。

 

「【回路励起(Call)】――」

 

 それは魔術回路を持って生まれなかった私の、変則的な魔術行使。

 

 ――構成材質、〈解明〉。

 ――身体機能、〈強化〉。

 

 〈魔眼(・・)に備わった魔術回路を経由する(・・・・・・・・・・・・・)ことで、私は組み上げた術式を現実の世界へと反映させる。長い鍛錬の末に習得した運用技術を以てして、私は下肢の運動性能を〈強化〉する。

 

「ではどこを目指す?」

 

 私は、すぐに懐から「魔力針」を取り出した。方位磁石のそれと違って、磁力ではなく魔力を探知するこの自作の魔術礼装は、反射率によって透明にも鏡にもなる特殊なガラスの箱で出来ており、「針」は手に乗せたときからぐるぐるとひっきりなしに回っていた。

 

「【鏡よ鏡よ(Mirror mirror)】――」

 

 近寄る人形は、先生が蹴散らしてくれている。私は、私の血を垂らされて先端が赤くなっている「針」に向けて唱えながら、同時に最近使えるようになったもう一つの〈魔眼〉に、意識の〈チャンネル〉を切り替えた。

 

 軒を連ねる赤煉瓦屋根

 迷路のように曲がりくねった石畳の道路

 真っ赤な水堀に囲まれた門と城

 

 ――それら街の俯瞰風景。

 

 途端に脳裏に、いま自分が立っている場所ではない、見も知らぬ街の膨大な情報が脳に流れ込んできて、私はよろめきそうになってしまう。

 

「――っ、」

 

 音。人形の砕け散る音だった。再び私の意識は、自分の躰に戻ってきている。

 

 二秒と経っていないはずだった。〈千里眼(クレアボイアンス)〉。ほんの一瞬の行使でありながら、無用な体力を使っていた。まだ使い慣れていない、もっと練習しないと。先生は何も言わなかった。私は息を整えながら詠唱を続け、忙しくくるくると回る「針」を見つめた。

 

 ――教えて、私の求めるそれ(・・)はどこにあるの?

 

「【鏡よ、応えて(Mirror answer do)】」

 

 “マイ・ディア”と返す言葉はなかったけれど、「魔力針」の回転がぴたりと止まった。一点を差し続けている。

 

 神の視座で獲得した情報を元に、降霊術で探す。要するにダウジングと同じ要領の〈魔術〉であり、顕著な反応があったということは上手くいったという証だった。

 

 〈千里眼〉で見た風景と、針の指し示す方角を脳裏で重ねようとして――

 

 突然、「魔力針」が振り切れるような勢いで回転した。突き上げるような振動が起こり、足元が脈動するように大きく揺れる。

 

 正面の家屋の玄関扉が下から盛り上がり、家屋は激しい駆動音を立てながら「かたち」を組み替えてゆく。石畳が引っ繰り返り、道路に差していた影がみるみる長さを伸ばすと、完成したそれ(・・)は、呆気に取られている私を見下ろした。

 

 一〇メートルはあろう巨大な威容。

 あらゆる銃弾を弾き返すであろう分厚い装甲の、人型。

 

 鋼鉄巨人(ゴーレム)、あるいは巨いなる宝守り(スプリガン)

 

遊園地(ホラーハウス)かよ」

 

 飛び掛かってきた人形を雷撃で吹き飛ばしながら、先生が呆れたように言った。

 

 鋼鉄巨人が、倒壊した家屋のなかで唯一かたちを残していた煙突に手を伸ばす。膂力に任せて引き抜くと、それは巨人の掌にぴったりと収まった。一歩おきの地響きに、砕け散った煉瓦が驚いたように跳ね上がり、また一歩、もう一歩と、一〇メートル級の二足形体としてはありえない素早さで近づいてくる。

 

 常人であれば腰を抜かすような光景だった。額に「EMETH」の文字があったところで、立ち向かうという根本の意思すらも挫くであろう重圧。常識から外れたこの凄まじい異形は、きっと敵対者を鏖殺せしめる思想のもとに設計されている。

 

 けれど――

 

「無駄です」

 

 〈チャンネル〉を切り替える。

 

 赤くなった私の双眸は、「それ」を視る。

 

 私の〈歪曲〉は、「それ」を捻じ曲げる。たとえ「それ(・・)」が――

 

 どれだけ硬い鉄であったとしても。

 どれだけ怖い敵であったとしても。

 

「【凶れ】」

 

 私の「破壊」はあなたたち(・・・・・)を上回り、砕く。

 

「――【凶れ】」

 

 捻じ曲げて、砕き裂く。

 捻じ曲げて、砕き裂いた。

 

 捻じ曲がり、砕き裂かれた巨いなる威容が崩れ落ちる。土砂のような振動と中身を撒き散らし、道路に散らばる他の残骸たちのように呆気なく、機能停止する。

 

 駆動音はまだ続いている。今しがた破壊した巨人のものではなく、背後から――ばかりか視界にあるものだけでも、至る所の盛り上がった家屋から鳴り響いている。もしもこの道路だけではなく、街全体から発せられているとしたら、とても良い状況とは言えそうになかった。

 

「大量の人形に大量の巨人。飽和戦術と真っ向からやり合うのは下策だ」

 

「どうするんですか」

 

 にやりと笑った先生は、懐から五枚の霊符を取り出した。

 

「【元柱固具】」

 

 すると四枚の護符が勢いよく四方の地面に張り付いた。一辺はそれぞれが均等の距離であり、次いでもう一枚の、複数のルーン文字が組み合わせてあるそれが宙に掲げられると、いきなり護符から水が大量に噴き出した。「先生っ」慌てるも直後、噴き出した水は不思議と先生や私の服を濡らさずに、一瞬で霧になってしまう。家屋の倒壊する音も、聞こえなくなっていた。

 

「俺の手を」

 

「は、はい」

 

「【霧は真意を欺く(デコイ)】」

 

 声を上げそうになった。いつの間にか私の目の前には、手を握っているもうひとり(・・・・・)の私と先生が立っていた。

 

「これは」

 

「身代わりだ。さて、御髪(おぐし)を一本拝借」

 

 更に先生は紙の人形(ヒトガタ)を二つ取り出すと、私の髪と自身の髪をそれぞれに結び付け、もうひとりの私たちの背中に貼り付けた。

 

「多少は誤魔化しが効くはずだ。あとは」

 

 【回路励起(Cogito)】。そう一瞬で自身を〈強化〉し終えると、先生はびっくりしたままの私に言った。

 

「これからもう一つ術を使うが、決して声は出すなよ。状態を固定するから以降は攻撃も控えろ。術が解けてしまうからな」

 

「はい、あの」

 

 指で、唇を抑えられた。先生が首を振る。そして小さいながら、喨々(りょうりょう)とした声で唱える。

 

「【霧は真意を謀る(バニシュ)】」

 

 特に変わったことは起きていない。始めはそう思ったものの、先生が更に唱えると霧が晴れ、そこで私は目を疑った。先生の身体の向こう側(・・・・)の建物が、透けて見えるようになっている。自分の身体を見ても、同じように半透明になっていた。

 

 先生が背中を軽く押すと、偽物(デコイ)たちはこれまでに来た道を軽やかに逆走し始める。人形や鋼鉄巨人らは、走り出した分身を追うように移動して、駆動音はすぐに遠のいてしまった。

 

 辺りには私たちと、起動していない煉瓦家屋が残されているだけになっている。

 

 ――凄い。

 

 先生がハンドサインを出した。「行くぞ、気づかれないうちに」。私は頷き、走り出したその背中を追うことにした。

 

 

 

 【 3315.4/January 1998 】

 

 

 

「ほうほう。それからそれから、君たちはどうしたんだい?」

 

 まだ幼い少女が、ソファーに腰かけながら目を輝かせている。

 

 ライネス・エルメロイ・アーチゾルテ。美しい金髪と愛くるしい容姿、一見すると儚げでさえある彼女が屋敷を訪ねてきたのは、太陽もすっかり沈んだ夕方頃のことだった。

 

 先生の――本人曰く、趣味と実益を兼ねた――危険な仕事である魔術師狩りから帰国したのが二日前のことで。アサガミ・フジノは今日からまた時計塔に通う日常に戻っていたけれど、それを聞きつけたライネスが学校のあとにアポイントメントも無しにやって来て、こうして私に魔術師との戦いの話をせがんだがために、私は合間〃々にお茶菓子をつまみながら、あのときに見た光景を語ってあげているのだった。

 

「そのあとも、大変なことばかりでしたよ」

 

 私はソーサーにカップを置くと、年の離れた可愛い妹のような彼女に、苦笑しながら続きを語る。「私たちは、お城を目指していたんですが……」

 

 城は一〇〇メートルはありそうな水堀に囲まれていて、いざ近づこうとしたところで、門番の役目を与えられていたらしい三人の魔術師の死徒(・・)と戦うことになり。

 

「そこそこ手強かったですが」

 

 撃破して、それから水堀を飛び越えて、いざ門の封印を解いて城に入ってみたら、外からは想像もつかないほど広い庭と、たくさんの薔薇が咲き誇っていて。

 

「優に五〇ヘクタールは超えていたと思います」

 

 ライネスが、ため息を吐きながら瞳を閉ざした。隅々にまでいっぱいに咲いた、季節外れの、赤い薔薇の壮麗な景色を想像しているのだろうか。

 

 写真に撮ってくればよかったかも、とちょっとだけ後悔が過ぎった。

 

「それで花園を進んでいたら、やっぱり大きなお城が見えてきて」

 

 白亜の円柱と大理石の廊下。ほとんど宮殿のような大きな空間を探索していると――今にして思えば、狙われていたのだろう――部屋を移動した瞬間に私たちは分断され、そのままはぐれてしまうピンチに見舞われたのだった。

 

「迷子になった私は先生を探そうとしたんですけど、部屋を出ようにも、扉の向こう側には別の、未知の部屋にしか繋がっていなくて。仕方ないからそのまま壊して進むことにしたんです」

 

「フジノは果断と言うか、大胆な決断をする時があるよね。普段はぜんぜんそうは見えないのに」

 

 褒められているのだろうか。

 

「失礼いたします」

 

 談話室の扉が開き、黒髪の背の高いメイドが入ってきた。

 

「藤乃様。アーチゾルテ様。お夕飯はいかがなさいますか?」

 

 アムネヒルダは冷たいと誤解されがちな眼差しで、答えに迷っているライネスを見つめる。食べていったらと私が誘うと、おずおずといった様子で頷いた。

 

「かしこまりました。ではアーチゾルテ様のお食事も御用意させていただきます」

 

 ホムンクルスである彼女は、一礼すると音も立てずに部屋から出て行った。私は空になったダージリンを注ぎ、蜂蜜パンケーキの一切れをつまんだ。ライネスはじっと居心地悪そうに黙っている。

 

「苦手ですか、彼女が?」

 

「まさか。そんなのじゃないさ」カップに口をつける。「逆だよ。ああいうのも悪くないなって。それより話の続きを」

 

 私はそれ以上は追及せずに、語りを再開する。

 

 迷子になった私は様々なトラップの仕掛けられた部屋をなんとか潜り抜けると、「魔力針」の指し示す先生のいる儀式広間にやっと辿り着くことができたところで、先生の足元に縫い付けられていた、瀕死の死徒を目にすることになった。

 

 ――「言った通りだろう。俺の弟子は優秀なのさ」

 ――「貴様らは……私を、私の故郷(くに)を! どこまで!」

 ――「幻だ所詮は。もうお前に用はない」

 

 あのときの先生の恐ろしい微笑みと、死徒の怨嗟の響きを私は記憶している。

 

 ――「我が残骸(はらわた)で朽ち果てるがいい魔術師!」

 ――「お前の〈魂〉は俺が有効に活用してやる。安心して死に果てろ吸血鬼」

 

「フジノ?」

 

 ――「【元素転換(ジュエル)】」

 

 十字を模したレイピアのような剣で貫かれた死徒が、赤い稲妻のような輝きを放ちながらかたち(・・・)を変えてゆく。貌には恐怖が張り付いていた。光が消えた時、先生の掌には緋色の宝石が煌めていて、死徒の姿はどこにもなくなってしまっていた。

 

 恐ろしい魔術。私は先生が「混沌魔術師」と言われていることを知っている。錬金術師、呪術師、あるいは死徒狂い(・・・・)とまで言われ蔑まれ同時に恐れられていることも知っている。けれど私は先生の弟子でありながら、先生のことの多くを知らずにいる。

 

「フジノってば。そんなに引っ張らなくてもいいだろう」

 

「ごめんなさい、それから……」

 

 考え込みそうになるのをかぶりを振って抑え、私は一連の顛末を語る。

 

 魔術師を斃したあと、城を出た私たちが見た光景は、悪夢のように一変した街の様子だった。

 

「街が消えていたんです。代わりに海が広がっていた」

 

 本物の海であるはずはなかったけれど、あれはそうとしか例えようがなかった。黄昏のように赤く、どす黒い魔力で満ちた海。唖然としながら明るい空を見上げると、そこには数えきれないほどの人間たちが宙で逆さ吊りに列を為していた。

 

「海の正体が何であるのか、わかりますか?」

 

 顔をしかめているライネスが、もしかして、と口にする。「その人間たちの血か」

 

「ええ」

 

 海が生まれるほどの血液と呪い。魔術を扱う人間の言葉ではないけれど、狂気とか(おぞ)ましさとかの単語が思い浮かぶ以前に、あまりにも現実味が欠けていた。

 

 先生は、それほど驚いていない様子だったけれど。それでも街が無くなったことで出口も消えてしまっていたから、地響きがして大きなお城も崩壊し始めて、更には黄昏から落ちてくる粘性の泥や瓦礫が水飛沫をあげながら海に沈んでゆく光景には、ますます私も不安でいっぱいになっていたというのに、あろうことかそのときの先生は煙草に火を点けると、その場でのんびり然と一服を始めたのだった。

 

「君の師匠は相変わらずぶっ飛んでるな。流石のフジノも殴りたくなったんじゃないか」

 

 笑って誤魔化した。ほんの少しだけ捩じってやろうかと考えたのは、内緒だ。

 

 ともあれ一息ついた先生は、煙草を携帯灰皿に捨てると、何事もなかったかのように私に言った。

 

 ――「さて、帰るか」

 

 そして、私たちは戻ってきたのだった。

 

「いやはや、まったくたいした冒険家だな君たちは。毎度のことながら、よく生きて帰ってこれたものだよ」

 

 先生が結界に入る前に設置した「アンカー」。アレがなければ、今頃私たちは吸血鬼の体内のなかで養分になっていたかもしれない。先生は結界のなかであんなこと(・・・・・)が起きると分かっていたのだろうか。

 

「君も変わっている」

 

「なにがですか?」

 

「聞く限り今回の死徒は、とんでもない〈大魔術〉の使い手だったわけだろう。そりゃあ大禁呪の発動に立ち会えるのは垂涎ものだけど、だからと言ってそのたんび死にかけていては、何個命があっても足りないさ。それに付き合う君は、なにか弱みでも握られているのかい」

 

「先生は、私のお師匠さまですから」

 

「そりゃあそうだけども。(いや)になったりはしないのかい?」

 

 私は思わず、ぽかんとしてしまった。その質問が、あまりにも唐突なものに感じられて。

 

「なんだいその顔は」

 

「いいえ。そうですね、たしかに先生は、皮肉屋で、意地悪も言うし、……ときどき恐いと思うこともあります。でもね、ライネス」

 

 

 私、あの人の役に立つことができて、それだけで嬉しいの。

 

 

「………、」

 

 だから、一緒にいて厭と思ったことは一度もないのだと、そう私が微笑むと、目の前の少女は毒気の抜かれた面白い表情を浮かべていた。私は、小さく声に出してわらってしまう。この幼い友人は、生粋の魔術師の家系に生まれたにしてはとても常識的な感覚を持ち合わせてもいるから、もしかすると私に不満がたまっていると考えて、労おうとしてくれたのかもしれない。

 

 だけど私は、たとえあの人がどれだけ恐ろしい人であったとしても、そのことを理由に彼から離れたいという発想をしたことがなかった。先生に気を遣って嘘をついているわけでも、無理をしているわけでもない。ともすればライネス以上に一般的な倫理観にずれ(・・)がある、そんな私にとって何よりも大切なことは、彼があの日(・・・)からずっと、私にとって大切なものを与え続けてくれているということだった。

 

 かつては「鬼子」と忌み嫌われていた私のこのちから(・・・)

 私のなかの()

 

 私が「鬼」になることで、私の躰を治してくれて、私を認めて世界(そと)へと連れ出してくれて、私に帰る場所を与えてくれた彼の役に立てるのなら――私はきっと、どんなことにだって耐えられる。

 

 冷厳なほどに繰り返す煩雑で難解な魔術の修行にも。

 同じ人間である魔術師を無残に討ち滅ぼすことにも。

 

 彼が望むのなら。

 耐えられるし、きっと成し遂げてみせる。

 

 ……私の考えはたぶん、人でなし(・・・・)のそれなのだろう。それでも。彼が恐ろしい人であったとしても、あの初夏の日に出会い、彼と結んだ最初の契約が、私のなかで色褪せるということはない。

 

 何故ならアサガミ・フジノにとって、彼のために「鬼」になるという約束は、業のように甘美な実感を与えてくれるものだから。

 

「友人宅を訪ねたらパイを投げつけられた気分だよ。それもとてつもなく甘いパイだ」

 

「友だち、できたんですか?」

 

「うぐっ」

 

「やりましたね。安心しました、友人が私だけじゃなくて。少し寂しい気持ちもしますけれど……そうだ、お祝いしましょうか」

 

「いいよそんなのっ。友だちなんてべつに、私には必要ないし。……君の勘違いだ。アーチゾルテの娘に相応しい友人なんて、そうはないんだから」

 

「私は、違いましたか?」

 

「それはっ。――き、君は特別枠だ。感謝したまえ」

 

「えっと?」

 

「だから、君は私の友だちで……っ」

 

「ええ、そうですねライネス。私も、あなたのことは大切な友人だと思っていますよ」

 

「ああもうっ! まったく……この話はよそう。何か他の話にしよう。そうだ、最近聞いた話なんだけど――」

 

 ころころと表情が変わる彼女の様子を楽しみながら、私はふとあの日(・・・)のことを思い出す。まだ何も知らなかったわたし(・・・)()になるために交わした最初の契約の日のことを。魔術師としての人生が始まったきっかけである、可哀そうな黒衣の魔法使いとの在り得ざる邂逅を果たした日の記憶を。

 

 

 ――「君を五〇億で買った」

 ――「君の躰を治し、君に世界を見せる代わりに、君の力を俺に貸してほしい」

 

 ――「俺を、……助けてほしい」

 

 

 その記憶を誰かに語ることはない。これは、私たちだけの永遠の秘密なのだから。

 

 

 

 【 3315.5/January 1998 】

 

 

 

「藤乃」

 

 先生が言った。

 

「おかえりなさい」

 

「ああ。土産にシュークリームを買ってきた、冷蔵庫に入れてあるからあとで食べるといい。ライネスも。ゆっくりしていけ。じゃ」

 

 顔を出すと、すぐに先生は消えてしまった。

 

「なんだか、機嫌が悪そうだったね」

 

「だいぶ疲れているみたいでした」

 

 朝は体調は悪くなかったはずだから、たぶん精神的な疲れ。舌戦でもしたのだろうか。先生を疲れさせることができる相手は、時計塔にはそんなに多くいない。

 

 よく話すのがライネスの義兄であるロード・エルメロイ二世だけれども。もしかすると、と心当たりが浮かんだ。魔術師/死徒討伐に関連するもの。そうだとすれば、死徒に強い執着を持つバルトメロイ派かもしれない。私も声をかけられたことがあった。かなり高圧的な態度が印象の人たち。予想を話すと、ライネスはまるで巨大なムカデか蜘蛛を見たような顔になっていた。

 

 しばらくすると、下の階から激しい音楽が漏れ聞こえてきた。防音加工の施された部屋に引き籠りながらレッド・ツェッペリンやアイアン・メイデンといったヘヴィメタルを爆音で流し続けるという、お医者さまも匙を投げそうな先生のストレス解消法の一つ。やっぱり、何かあったらしい。

 

 後になって、私は私の予想が的中したことを知り、しかも実はそれが、先生と現代魔術科とバルトメロイ教室間を巡るちょっとした騒動に繋がることになるのだけども、このときの私はなんにも気づかないままライネスと一緒に、もう一人のメイドであるオルテミリヤが夕食を呼びに来るのを待つことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




















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