魔法使いに憐れみを   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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 【 3315.9/February 1999 】

 

 

 

 テレビを見るでもなくぼんやり眺めていると、甲高いチャイムが鳴り響いた。私は落ち着こうと努めていた心臓が、私の意志に反して本心を代弁するように激しくなるのを感じる。

 

 ドアスコープを覗き込むと、いつものネクタイとスーツ姿の先生が立っていて、一瞬、開けるか開けないか迷ってしまった。

 

「なんだ。まだ覚悟できてないのか」

 

 こちらの及び腰に先生は半目になって言うけれど、先生にだって今回の責任の一端はあると思う。

 

「どうする。やっぱり会わないことにするか」

 

 聞き分けの悪い子供を諭すような口調。私は、先生にこれ以上聞き分けの悪い娘だと思われたくなくて、訥々と浮かんでくるエクスキューズの口紐を縛ると、レンタカーの助手席に乗り込んだ。

 

「今からそんなに緊張していてどうするよ」

 

 滑り出したセダンに揺られながら、見かねたように差し出されたキャンディを口のなかで転がしつつ、私はこんなことになっている経緯を思い返す。

 

 前回から半年と立たずに日本を訪れることになり、私は普段のように先生に同行したのだけども、ホテルで荷を(ほど)いたあと、レストランで夕食を取りながら先生が爆弾発言を放ったのが、今から五日前の話で。

 

 ――「お前に会いたがっている人物がいる。お前が望むのなら、会わせてやってもいい」

 

 その内容というのが、まったく私には想像の外のものだったから、私は大いに悩まされてその日から眠れない夜を過ごすことになった。どうしてこのタイミングで言い出すの、と少し恨みがましくさえ思ったものの、時間をかけて悩み続けて、でも私のなかに会えるものなら会いたいという想いがあるのも事実だったから、思い切って先生に打ち明けたのが、二日前のお昼頃のことだった。

 

 ――「先方に伝えた。明後日にも会えるそうだ」

 

 それでもまさか、だからと言って本当にこんなにすぐに会うことになるだなんて、知らされた時まで考えもしていなかったのだけど。

 

「魔術師は容易く心を乱さない。そうだろう」運転席に座る、落ち着けない理由の遠因であるその人が言った。「成長した姿を見せなくてもいいのか」

 

 先生から学んだ一番最初の教え。「どんな状況でも平静を見失わないこと」。先生の言うように、今の状態では己の未熟を相手に知らせるようなものだった。本当に久しぶりに――もう会うこともできないと思っていた相手に――会えるというのに、こんな自分の姿を見せるのだけは、避けなくてはならない。

 

 口のなかのキャンディは、いつの間にか溶けてなくなっていた。私は手の平に「人」という字を三度なぞり、それを呑み込むように深呼吸をした。知らない人にとっては迷信にしか映らない行為も、きちんとした理解があればそれは(まじない)の意味に代わる。人間の掌にある気を鎮めるツボ(・・)と、生物にとって欠かせない「呼吸」を合わせた簡単な「(まじない)」。私は何度か繰り返すうちに、躰の芯にあった火照(ほて)りにも似た高ぶりが薄らいでゆくのを感覚する。そしてその認識を血管の流れと同期させながら、全身へゆっくり、範囲を広げてゆく。

 

「それでいい」

 

 私は聞こえるだけで耳に入らなかったラジオの内容がきちんと意味まで聞き取れるようになっていることに気が付くと、意識的に肩から力を抜いた。

 

「先生」

 

「なんだ」

 

「チャンネル、変えてもいいですか?」

 

 先生が苦笑しながら顎をしゃくったので、私は幾つかの番組を流すことにした。映画のサントラを放送しているところがあったので、そこに決める。聞き覚えのある、ゆるくてゆったりした音楽は、暫らくすると交感神経の興奮をリラックスさせて、私の気分も前向きにしてくれる。たとえ渋滞で、さっきからちっとも進んでいなくとも。

 

 曲が変わった。ピアノ。声質ですぐにわかる。ビリー・ジョエル。

 

「……ウィーンって、どんな場所なんでしょう」

 

「オーストリアだ。芸術に富んだ、いい街だったな。バロック様式の大図書館だったり、美術館だったり。歌劇場も有名か。宮殿とかもある。市の中央にはシュテファン寺院とかな。それに、サウンド・オブ・ミュージックの舞台でもある」

 

「見たことないです」

 

「本当かっ? ジュリー・アンドリュースだぞ」

 

 びっくりしている先生が、おかしかった。

 

「今度、見てみろよ。いい映画だから。そのうち――」

 

 クラクション。だいぶ前のほうから響き渡った。車が流れ出す。何かを言いかけた先生は、口元に笑みを浮かべていて、私は言葉にできない予感を覚えてしまう。善い予感、悪い予感かもわからない。ただふとしたときに、彼のこんな表情を見ることが増えたような気がする。

 

「先生?」

 

「いいや。なんでもない」

 

 また、曲が変わった。今度は私の知らない曲に。

 

「藤乃」

 

「はい」

 

「あまり気負わないことだ。向こうも同じだろうから、二人してそんな調子だとろくに話せないぞ」

 

 車が左折する。

 

 不意に、やさしい声が聞こえた。

 

「その服、よく似合ってる」

 

「―――」

 

「きっと驚くだろうな。久しぶりに会うお前は、記憶よりもずっと綺麗になっているんだから」

 

 私が驚かされています、先生。それも今、ここで。

 

「………、」

 

 昨日、お店で選んでいた時には、何も言ってくれなかったのに。

 

 なぜだろう。私はなんだか急に、隣を見ることができなくなってしまったみたいだった。むず痒いような感じが背中の辺りをくすぐっていて、顔もそうだし、躰もどこからか湧いてきたみたいに、さっきよりもずっと火照っている。せっかく整えたはずの鼓動も、大きくなって私に何かを訴えかけている。

 

 ――そうだ。

 ――たぶん私、先生に、初めて綺麗って言われたんだ。

 

「大丈夫だ。お前なら」

 

 おずおずと視線を上げると、先生と目が合った。

 

 思わず顔を伏せてしまう。こうなると今の私は、このまま俯き続けるか寝たふりをするかの二択しか選べそうになかった。窓のほうを向く。建設途中らしい、とても大きな海上橋が見える。ちょっと悔しいけども、それ以上に緩んでしまいそうになる口元を必死に堪えながら、私は瞼を閉じた。やっぱり、この人は意地悪だと思いつつ。

 

「ついたぞ」

 

 セダンは、駅のロータリーに停車した。寝たふりを開始して五分も経っていない気がする。私は自分でもわざとらしいと自覚しながら、身体を伸ばし、あくびを手で隠した。

 

「よく眠ってたな」

 

 私は意地になって「はい」とにっこり返すと、鞄を肩に提げて、地面に降り立った。

 

 周辺を見回す。平日の昼前で人も多いため、簡単には見つかりそうもない。

 

「あそこだ」

「えっ」

 

 車道側に降りた先生が、一か所を示した。

 

 そこには――

 

 同じように気づいたらしいその人が、驚いたような顔をして立っていた。私は鼓動が早まり、また緊張がぶり返してきたのを感じる。あの人が、本当にそうなのだろうか。期待と、不安。直感はそう言っていた、「あの人だ」と。あの人が、こちらに近づいてきている。眩いような笑顔だった。私は、きちんと話すことができるだろうか。

 

 私は、私に向かってくるその人のことを見つめた。その人も、じっと私だけを見ている。たくさんの人の群れの中で、私たちはお互いを真っ直ぐに認め合っていた。

 

 こんにちわ。そう言って私の前に立った彼女は、私よりも背が高くて、私よりもずっときれいで、それに懐かしくて。

 

「藤乃」

 

 先生の声。

 

「頑張れよ」

 

 振り向くと、車は既に発進してしまうところだった。迷路のような道路を走り、すぐにセダンは見えなくなる。

 

「お久しぶりです。お母さま」

 

 久しぶりね、藤乃。元気だった? 抱きしめられる。香水の香りだろうか。すぐ近くで見つめ合った顔は、昔は分からなかった化粧が薄らとされていて、けれどもその笑みは、記憶のなかの彼女と変わらないままだった。

 

「――はい」

 

 私は、母と九年ぶりに再会を果たすことになった。

 

 

 

 【 3315.10/February 1999 】

 

 

 

 工業地帯の中央近辺に立つ、工事段階で途中放棄された廃ビルのような建物が〈協会〉から「冠位」と「赤」を授けられた魔術師の秘密工房であることを知る人間は少ない。一階は車庫で四階は〈伽藍の堂〉事務所、間の階については唯一の従業員である黒桐幹也も、また魔術師の弟子である黒桐鮮花も知らずにいる。

 

 安置所(モルグ)のように寒々しいビルの不明階層にて、魔術師の女は大勢の肢体に囲まれながら立っていた。

 

「これか」

 

 一人ではない。シルバーのスチールテーブルに横たえられた作品(・・)の前で声を発したのは男であり、続けて「よくできている」と感嘆の意が漏らされる様子を、女は特に興味のない顔で眺めている。

 

 男は鏡と向かい合うようにしながら、己と瓜二つの「人形」を観察している。

 

 それ(・・)は人間が擬態していると言われれば信じてしまう程には真実味があり、水平に寝かされている様子は生きたまま命を停止させたかのようで、だからこそ死体とは異なり、魂を入れさえすれば容易く息を吹き返すであろう姿を見る側に想像させる仕上がりとなっている。そしてその想像は、同時に事実でもあった。既存の科学技術では未だに到達し得ない神秘の結晶が男の前に存在していたが、しかし制作者である女にとっては、さして驚くほどのことでもない。

 

「確認した。たしかに、これは俺の求めていたものだ。――蒼崎、まずは礼を言っておこう。それと少し、頼みがあるんだが」

 

「なんだ。礼ならいらんぞ、おまえが頼みなどと言い出すと厄介ごとの予感しかしないが、聞くだけならば聞いてやる」

 

「これを、しばらく保管しておいてもらいたい」

 

「私を倉庫屋と勘違いしているのか。自分のとこのコンテナにでも置いておけばいいだろ」

 

「長くとも二週間だ。そのぶんも追加で払う」

 

「何を始める気だ」

 

「さてね」

 

「何かを始めるのは、確かだろう」

 

「かもな」

 

 女は嘆息し、手近な椅子に腰を下ろすと、推測を立てたんだが、と言い放った。「おまえが始めようとしていることに関して。当ててやろうか」

 

 男はわらっている。「言ってみろ。非常勤講師の俺が採点してやる」

 

「思いついたのはこの間なんだがね。……時計塔にいた頃からおまえは、〈根源〉へさほどの興味を抱いていなかった。そうだな?」

 

「どうかな」

 

「真っ当な――なんて表現を私がすることがそもそもオカシイが――魔術師であれば〈根源〉への到達を至上の命題とすることは、生物が活きるのに酸素を必要とするくらい当たり前の常識だ。だがホウヅキという古い退魔の一族であるおまえが研鑽し求めていたのは古今東西の再生と破壊の魔術ばかりで、おまえの思想は魔術師というよりもむしろ、魔術使いのそれに近いと私は思っていた。……そしてこの間、鮮花がおまえに質問していたな、なぜ日本に帰ってきたのかと。おまえはこう返した、悲願を達する機会(とき)が近づいたからだ、とな」

 

 ――「魔術師として、何を望むんだい?」

 

「真理への興味がないおまえが言う悲願とは何を示しているのか。ずっと昔に聞いたことがある気がしてね。懐かしい記憶だよ。あの場には私と、おまえと、荒耶もいたな。師の問いに私が答え、荒耶が続き、そしておまえが言った。おまえの口から悲願という言葉を聞いたのはそのときだ。おまえは言った、ワタシは月からやってきた死徒を(ころ)すためにいるのだと。その達成こそが何よりも一族(ワタシたち)の悲願であると」

 

 いったん言葉を切った女は、証拠を突き付けられた犯人に迫る刑事のように男を見つめた。

 

「よく覚えていたな」男の反応は、驚きというよりも、呆れを含んだ苦笑だった。「そうとう古い記憶だぞ。俺の失敗のうちの一つだ、大勢の前で腹の内を明かすなど。若かったんだな」

 

 鼻を鳴らし、それで、と男は続きを促す。

 

「俺の失敗談を話して、昔を懐かしみたいわけじゃないだろう。結論を言え」

 

「まあな。といってもそれだけのことで、あとは簡単な組み立てだった。おまえが躰を受け取りに来たということから、つまり最後の準備が整ったのだろうという答えに至ったわけだ。で、どうだ、当たりか?」

 

 男は、小さく噴き出すように笑い声をあげた。

 

正解(ごうかく)だ」

 

 女はどことなく身構えるような気分になりながら、男の話に耳を傾ける。

 

「ある目的を遂げるために、崩月(おれ)は生み出された。正確には、崩月(おれ)たちは、だが」

 

「その目的が、死徒を殺すこと?」

 

「そうだ。ただの血吸虫(ちすいむし)じゃない、月からやってきた不死身の王様を(ころ)す。そのために、崩月(おれ)たちは何一〇〇年もずっと腕を磨き続けてきた。馬鹿みたいにな」

 

「それが本当だとして。珍しいな。いつもはだんまりか誤魔化すのに、今日はやけに素直だ。どういう気の変わりようだ?」

 

「俺にだって、たまにはそんな日もある」

 

「おまえ、明日になったら死ぬつもりか?」

 

「かもな」

 

「……霊墓(アルビオン)を生還し、死徒狂いとまで言われたおまえが、死を覚悟するほどの相手というわけか」

 

「ああ。これまで戦ってきた相手とは規模(ケタ)が違う、なんせ単騎で地球を滅ぼせる化け物だからな。可能な限り準備はしたつもりだ。知り合いで動かせる代行者や、バルトメロイにも利権と引き換えに大隊を要請したが、それでも。どこまであてにできるか」

 

「〈クロンの大隊〉か。驚いたな。素直なことに加えて、いつになく口が軽い。今なら、訊けばなんでも答えてくれそうだ」

 

「いいぞ。今の俺は気分がいい。何が知りたい?」

 

「ならたとえば、その吸血鬼は、本当に月からやってきたのか?」

 

「元々はそうだった。かつて支配していた月がなんにも無くなってしまった(・・・・・・・・・・・・・)とかで、この星と取引をして世界に降り立ったあと、喧嘩を売ってきた魔法使いによって殺されたが。今はどこかの城のなかで、復活を待ちながら夢でも見ているんだろうよ」

 

「どういうやつなんだ、そいつは」

 

「すべての死徒の原点(オリジン)だ。殺されたと言っても、未だに存在し続けている。そして目覚めれば、世界中の死徒を同時に相手取ったとしても、簡単に勝つだろうな」

 

「俄かには信じ難いが、ひとまず真実であるとしよう。おまえの一族はそんなやつ相手にこれまで何度も挑んできたということか。訊いた私が言うのもなんだが、一族の秘蔵じゃないのか」

 

「いいや、一族とは関係ない。たぶん、これは()自身の知識だ」

 

「多分だって?」

 

「自信がない。どこまでが俺で、どこからがそうじゃないのか……意味のない悩みだが」

 

 男は静かに話しながら、人形に手を伸ばした。

 

「――おい」

 

 女は目を見張りながら、男の触れた人形に近づく。

 

 人形の首に、あざ(・・)のようなものが現れていた。黒い、はっきりと輪のように喉を一周しているあざ(・・)。それは今この瞬間まで存在していなかったはずのものであり、まるで何かの手品のように、どう考えても今この瞬間に浮かび上がったとしか思えないあざ(・・)だった。

 

「何をした?」

「何も」

 

 男は現れたばかりのあざ(・・)をなぞると、陰鬱そうに顔を歪めた。「知っていた。ああ予想通りだよ、ちくしょうめ……期待はしないと決めていたはずなのにな。婆さんからも聞かされていたのに。いざ前にしてみると、なかなかに、(こた)える」

 

 女が物言いたげな視線を送り続けていると、男は気怠げにネクタイに指をかけた。

 

「聞いたことくらい、あるだろう」

 

 ボタンが外され、喉元が露わになる。

 

「誰しも呼ばれたくない名前ってのはある。呼ばれたくはないが知らないうちに有名になっている蔑称。蒼崎橙子にとって〈赤色(せきしょく)〉がそうであるように、俺にも許さないと決めたものが一つある。お前だって、聞いたことくらいはあるはずだ」

 

 男の首には、礼装と思しき包帯が巻かれていた。慣れた手つきでそれも外されると、女の視線は、現れた男の喉元に吸い寄せられていた。

 

 荒れ果てた肌。剥がれ落ち、疫病のように斑点の散りばめられた変色皮膚。そしてひときわ目立つ、真っ黒なあざ(・・)がある。

 

 人形のそれと同じように男の喉を一周して、まるで首輪のように繋がっていた。

 

 そのあざ(・・)を見て、魔術師は自身の双眸に映るモノに息を呑んだ。

 

 ――蛇。

 

 黒い、あざ(・・)のようにも見える長い蛇が、男の喉元で、自らの尾に喰らいついて円となりながら、まるで生きているかのように蠢いている。

 

「これは……」

 

「本音を言うとだ。悲願なんてのは、俺にとってはどうだっていいんだよ」

 

 だが、と男はわらいながら言った。包帯をつけ、ネクタイを締め直しながら。

 

「逃げることはできない、これ(・・)があるからな。逃げられないなら逃げられないなりに、もっと時間をかけて準備をしたかったっていうのに、俺にはその時間すらも与えてくれないらしい。悠長にしていると、怒ったこいつら(・・・・)が俺を内側から食い殺しちまいかねないんだ」

 

 今朝だってこいつらの鳴き声で目が覚めたくらいでね。おかげで〈煙薬〉が手放せない。今だって四六時中やってるってのに、これ以上増やしたら汗まで薄荷(ハッカ)臭くなりそうだ。

 

「―――」

 

 女は普段ならば「爽やかになっていいじゃないか」と返したであろう軽口も忘れて、人形に現れた黒いあざ(・・)のような、何の魔力も感じ取れない蛇の像に触れながら、思考を重ねる。

 

「おまえが接触した途端、人形(こっち)にも現れたということは」

 

「魂を移し替えたところで逃げられはしないってことを、丁寧に教えてくれてるってわけだ」

 

「……此処に在ることは見えているのに、何の感知にも引っかからん。影絵のようなもの、が一番しっくりくるか? 癪だな、精神干渉を受けていないのだけは確かだ。それだけははっきりしている。まったく、自分の作品に訳の分からんものが憑り付いているなど業腹でしかないが。いつからそうなんだ、おまえ?」

 

「最初からだ。生まれたときから」

 

「解く方法は」

 

「言うまでもないだろう。だからこその、悲願なんだぜ」

 

 愉快そうに言った。なぜ笑えるのかが女にはわからない。あるいはもう、この男は投げてしまっているのか。

 

「……直死の魔眼ならば」

 

 すぐに、かぶりが振られた。それは無理なのだと。何がしかの繋がりを持つ二重存在ならばともかく、水面に映った月を斬ったところで、月そのものを消し去ることはできないのと同じであると。

 

「仮にできたとしても、そうなる前にこいつ(・・・)が宿主を見逃すと思うか」

 

「それもそうか。だが転移……いや……増殖したとなると、この身体を作る意味はあったのか?」

 

「まあ、こうなった結果はともかく、出来栄えに関しては俺は満足している。それだけで十分、と思うことにするさ」

 

 両者の間に、沈黙が降りる。

 

「長くとも二週間か」

 

「保管、頼めるか」

 

「ここまで聞き出した手前、断れんだろう。今回だけだ」

 

「次はないと思うけどな。恩に着る」

 

「おまえの弟子も、連れて行くのか」

 

 男の表情が、わずかに揺らぎかけた。すぐに胡散臭い笑みに取り繕われる。

 

「そういえば、玄霧皐月はどうなった?」

 

「……礼園から姿を消した。死体は見つかっていないそうだ」

 

「そうか。なら、いい。あいつにくれてやったものだからな。どう使おうが、あいつの自由だ」

 

 呟くように言うと、男は改めて女のほうを向いた。

 

「最後だ。お前には、話しておこうと思う」

 

「なんだ」

 

「名前だ。――俺たちの、本来の名前」

 

「崩月じゃないのか」

 

「違う」

 

 鬼を灯す――鬼灯(ほおずき)ではない。

 月を崩す――崩月(ほうづき)でもない。

 

「両儀と似たようなものだ。ただ、五代前の当主が変えたらしい。俺はその理由を、恥辱の原点を、忘れないようにと教えられた」

 

 男は、それを語った。

 

 女はその意味を知り、魔術師として未熟だと知りながらも、目の前の呪われた血族を憐れむような気持になるのを感じた。

 

「皮肉だな。まるで運命を仕組まれたような……いや、魔術師が容易く運命などと言うべきではないか」

 

「どちらでもいい。それを突き崩すために、俺はいる」

 

 じゃあな。

 

「待て」

 

 女は、思わず呼び掛けていた。

 

「なぜ、私に教えた?」

 

 男は脚を止めると、振り返りざまに口元をほころばせた。

 

 

「今度、会ったときにな」

 

 

 女はしばらく立ち尽くしてから、無意識に懐から取り出した煙草をくわえた。火を点けようという寸前で作業場を禁煙にしていることを思い出すと、一度だけ人形に目をやり、明かりを落とす。

 

 主人の立ち去った部屋には、無数の肢体だけが残されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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