魔法使いに憐れみを   作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ

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 デート回です。















 3315/////

 

 

 

 【 3315.11/February 1999 】

 

 

 

 空は晴れている。ビルの隙間から窺える雲の塊が、ゆったりと見える速度で流れている。

 

 信号を待つ人たちが、変わったとともに動き始めている。行きましょう。私を抱きしめる、きれいな大人の女性が言った。先生の弟子となって以来、およそ九年ぶりに再会した母親が。

 

 私たちは着かず離れずの間隔をあけながら、音の洪水へと歩き出してゆく。私たちの距離は、お互いの期待と不安の物差しでもあった。

 

 藤乃はこの街のことはどれくらい知っているの? 母が訊いてくる。私は、ほとんど知らないと答える。日本で過ごすことはあまりない。生活拠点はロンドンだから。それを言うと、母はイギリスで暮らしているの、すごいわね、と朗らかに笑った。私はね、今はここで暮らしているのよ。そうだ、近くに雰囲気の好いカフェがあるの。ここから歩いて少しのところね。

 

 ロンドンだと何をしているの? それを訊かれると少し困る。私は言葉を選びながら慎重に答える。「学校に通っています」。どこの学校? 「あまり有名なところではないですけど。大学も一緒になっていて」。すごいじゃない! もし母がケンブリッジやオックスフォードを想像しているとしたら、少し気まずい。どんな勉強をするの? なかなかに難しい質問だった。「色々」としか答えられない、「民俗学とか、考古学とかを」。お友達はできた? 私は幾人かの顔を思い浮かべた。「はい」。どんな子たち? これも難しい質問。とても奔放で賑やかな男の子、獣性魔術を遣う賢くて紳士的な少年、公然とロード・エルメロイIⅡ世に好意を寄せる女子、義兄をサディスティックにからかうのが好きな女の子など。私の周りの人たちはみんな何かしら()だから――もちろん私も含めて――素直に話すのにも限度がある。

 

 ごめんなさい、質問詰めにしちゃったわね。母が苦笑している。いいんです、と私はかぶりを振った。せっかくこうしていられるのに、何も喋らないで時間だけが過ぎてゆくほうが悲しいから。でも私は弁舌にあまり自信がないし、質問されて答えるやり方のほうが、こちらとしても気持ちが楽だった。

 

 じゃあ今度は藤乃の番ね。質問はある? 何でも訊いていいのよ。屈託ない様子で、母が言ってくる。私は目の前の彼女に、不思議な印象を抱いていた。記憶のなかの母は、もっと言葉数少なかったはずで、果たしてこんなに明るく笑えるような人だっただろうか。

 

「この街に住んでいるんですか?」

 

 三年前からね。お父さんのことは覚えてる? どう答えるべきか迷っていると、母はセンセーショナルなことを告げた。お父さんね、三年前に亡くなったの。そのときに色々と思うことがあって、あの街から出ることになって。こっちに会社を作ったのよ。

 

 つまり、社長ということになるのだろうか。もう朧気にしか覚えてない父のことも驚きだけど、私のなかでキャリアスーツを着ている女社長のイメージと母の姿はまったく重ならなかった。疑っているわけじゃない。何もかもがびっくりで、しかしそれはある意味では当然のこととも言えた。

 

 私たちの間には、九年という時間が生んだ溝が紛れもなく存在していた。今は手探りで溝の深さを測っているような段階だから、親子としては不自然な緊張があることを、きっと母も感じている。でも、仲良くしたいという想いでは一致しているはずだと思った。

 

「母さま。覚えていますか」

 

 だからこそ、私には触れなければならないことがある。それだけは決して、無視して進めることができない重要な問題がある。

 

 この人は〈魔術〉について、どこまで理解しているのだろう?

 

「私の、異能(ちから)について」

 

 視線を感じる。口のなかが渇いているのを感じる。

 

 母が頷いた。寂寥を帯びたような眼差しで。ええ、忘れたことはないわ。あなたを苦しめていた理由、私たちが追い詰めてしまった原因だもの。

 

「私、この力を正しく使えるようになるために勉強しているんです。嘘だと思うかもしれないですけど、……魔術を」

 

 言いながら、怒られるかもしれない、と私は思った。もしくは、冗談だと笑われるかもしれないと。

 

 母の反応は、そのどちらでもなかった。本当なのね。驚くでもなく、呟くように言う。あの人の言っていたとおりなのね。

 

「あの人?」

 

 母は、先生の名前を口にした。どうも、ある程度の説明は事前に受けていたらしい。浅神(あさがみ)崩月(ほうづき)と同様に退魔の家系として日本の「裏」の一部には知られているため、魔術という非常識の実在を信じる下地は始めからあったということなのだろう。

 

 訊かせてくれる? 母が言った。今日まであなたがどんなことをしてきたのかを。私は頷いた。「母さま。訊いてくださいますか――」

 

 私は語り出した。すべてのきっかけである〈魔術〉について、触れずとも話すことはできただろうけれど、それでも私は母に伝えたかったから。私のことを、もっと知ってほしいと思ったから。

 

 

 

 【 3315.12/February 1999 】

 

 

 

 女の子が泣いていた。

 

「どうしたの?」

 

 私たちは母のイチオシだというカフェでランチを取ったあと、服屋やアクセサリーショップが軒を連ねる表通りを歩いていた。その子に気づいたのは、母に連れられて相当な数のお店を回った後のことだ。

 

 母に断ってから、近づいた。小学生の低学年くらいに見える。しゃがんで目線を合わせ、怖がらせないように訊いた。「どうして泣いているの?」

 

 女の子は充血した目で、時おり肩を震わせながら要領を得ない言葉で話す。どうやらお母さんとはぐれてしまったらしかった。気づいてすぐに見つけようと探していたら、いつの間にか此処がどこなのか分からなくなってしまったのだと言う。

 

「母さま」

 

 すかさず、近くに交番があるはずだと教えてくれた。それも方法の一つではあるだろうけれど、今の私には別の手段があった。魔術師の私にしかできない解決策。私は母に待ってもらうと、女の子に幾つかの質問をした。

 

 名前、年齢、恰好などを訊き出すと、私は懐から一枚の紙片を抜き取り、頂点が一つに繋がった二つの三角形を折り出した。唇に触れさせながら、先生から教わった「(まじない)」をそれへ吹き込む。次いで紙片を両手で挟むように覆い隠すと、女の子にお母さんのことを思い浮かべるよう言った。

 

「思い浮かんだ?」

 

 私は紙片の入っている掌を女の子の前に出すと、蓋をしていた親指をずらし、小さな隙間を一つだけ作る。「お母さんのことを考えながら、ゆっくり息を吹き込んでみて」

 

 女の子は戸惑いながらも、私の指示に従った。生暖かい風が送り込まれる。私は口のなかで連動する「呪」を唱えながら、女の子が息を吐き切るのを待ち、吐き切ると同時に再び蓋をした。

 

 藤乃? 母が言う。お姉ちゃん? 女の子も言う。私は答えなかった。瞼を閉ざし、「呪」を練り上げることに集中する。

 

 密閉された掌の「匣」に手応えが生じると、私は静かに「匣」の封を解いた。

 

 ふわり、と。

 重力を無視して、蝶が舞い上がる。

 

 すごい! 女の子が声を上げた。真っ白な蝶が、ひらひらと女の子の鼻先を飛んでいる。母も驚いていた。どうしたのよ、これ?

 

「ちょっとした魔術です。さ、行きましょう。この子が、お母さんのところまで案内してくれますから……」

 

 羽化したばかりで少し頼りない飛び方ではあったけれど、蝶は迷うことなく進んで行く。私たちが案内されて向かった先は、デパートだった。サービスカウンターに辿り着くと、女の子が急に走り出した。業務員に話しかけていた若い女の人に抱き着く。女の人は女の子を抱きしめ返すと、どこに行ってたの、と怒り出した。

 

「よかったです。無事に見つかって」

 

 ありがとう、魔法使いのお姉ちゃん! 女の子のお母さんは私たちに何度も頭を下げると、しっかり手を繋いで去っていった。私は胸を撫で下ろしながら、ただの紙片に戻ってしまっていた蝶を回収した。付き合わせてしまった母に謝ろうと振り返ると、気にしていない、どうせなら私たちも繋いで歩こうか、と茶化しめいた口調で手が差し出された。

 

 私は一瞬、躊躇ってしまう。母はすぐに冗談だと笑い、私の背中を押した。行きましょう? 並びながら歩き出す。外へ。手は組まないまま。

 

 藤乃。やわらかい声をして、母が言った。大きくなったのね。

 

 私は面映ゆい気分になりながら、おずおずと母の手に触れた。そっと、母が握り返してくる。訳もなく顔が綻ぶのを感じながら、私たちは街の様々な場所を歩き回った。

 

 いつの間にか、夜もすっかり深まっている。

 

 母に連れられて、私はフランス料理のレストランに入った。ディナーに誘われたときは先生に連絡を取るべきか迷ったものの、既に許可は取っていたらしい。母が食前酒にマディラワインを選び、私は未成年なのでミネラルウォーターを頼むことにした。

 

 此処のお店はテーブルマナーに堅苦しい場所じゃないからと母が最初に言っていたけれど、一通りのマナーはアムネヒルダに教え込まれているから問題はなかった。むしろそつなくナイフとフォークを遣う私に、母はすっかり感興を向けてくるから、逆にこそばゆいくらいだった。

 

「――先生ですか?」

 

 私の日常や母の仕事の話題から巡り、やがて今度は先生の話になった。グラスを置いた母は、ふち(・・)に付着した口紅を指先でなぞると、不意に思い馳せるように、不老の魔術ってあるのかしらね、と呟いた。

 

「不老、ですか」

 

 不老。不死。それは、歴史上多くの人間が追い求めた理想(ユメ)でもある。御伽噺に語られる伝承が時として魔術史における事実であるように、不老不死もまた存在しないはずはない――現に、死徒がそれに近いとされているし――謎の多い先生であれば、もしかすると色々と知っているかもしれない。でも、どうして急に母はそんなことを言ったのだろう。

 

 あの人は変わらないままだった。私はこの一〇年で、自分の躰に老いを感じることがだんだん増えてきたわ。老いることを否定しているわけじゃないの。だって、それは私が生きてきたということじゃない? でもあの人は変わっていなかった。あの人は……まるで初めて会ったあの時から、時間が止まっているみたいだったわ。あの男(・・・)は、まるで(・・・)――

 

 母が私を見る。私は射竦められたように、心の奥底が固くなるのを感じた。すると、母の目尻の皴が緩んだ。でも、と口が開かれる。

 

 あなたの話を聞いていると、もしかしたら違うのかもしれない。彼は、私の思うような人ではないのかもしれない。なんとなくそう思ったわ。あなたと会うことを許してくれたし、諦めていたチャンスも与えてくれた。彼にそんな義理はないはずなのに。

 

 ――チャンス?

 

 藤乃。あなたは、あの人からどういうふうに聞いてたの?

 

 ――どうって。

 

 彼はね。私に、チャンスをくれたの。本当なら、あの男(・・・)にあなたを差し出してしまった私にこんなことを言う資格はないのかもしれない。だけど、彼はあなたがそれを望むのなら、許してもいいと言ったわ。

 

 ――何を。

 

 何を言おうとしているのだろう、この人は。得体の知れない予感が、不気味に背筋を這い上がってくる。母の静かな気勢に呑まれ、私の指先は無意識にテーブルクロスを握っていた。

 

 

 藤乃。

 もう一度、私と一緒に暮らさない?

 

 

「―――」

 

 時間が、止まったような気がした。それは当然ながら私の気のせいであって、他の客たちのナイフを動かす音やお喋りの声は消えていない。

 

 消えてしまったように小さくなったのは、私の裡で弾んでいた感情だけだった。

 

「どういう、ことですか」

 

 今さらって、あなたは思うかもしれない。だけど、あなたは私の大切な娘なの。今も。昔も。あなたがいなくなって、あなたのおかげで入ったお金で、確かに浅神の家を残すことはできたわ。でも、後悔しない日は一日だってなかった。

 

 母は、私から視線を逸らさなかった。私は母に見据えられながら、まったく予想もしていなかった、ほとんど不意打ちのようなこの展開に、なんとか動揺を悟られまいとするので精一杯だった。

 

「せ、先生は」

 

 色々なことが、あまりにもいきなり過ぎている。声が引き攣ってしまった。怯えのようなものが生まれている。母のやさしげな双眸に、今はどんな〈魔眼〉よりも恐ろしいものを感じてしまう。

 

「……あの人が許すはずありません」

 

 居心地の悪さが、お腹からせり上がってくるようだった。それを、私は我慢する。私が感じていることを母に気づかせるわけにはいかないから。

 

 許可は貰ってあるの。

 今日から七日間、一緒に過ごしてみて、そのうえであなたが私を認めてくれるなら、あの男(・・・)はあなたの権利を放棄すると誓ってくれたわ。

 

 甲高い音が響いた。ワイングラスが砕け散り、中身が床に広がっている。母が慌てて怪我していないかと訊いてくる。私は自分の服に跳ねた染みを呆然と眺めながら、母の言葉を反芻している。

 

 驚かせちゃったわね。ごめんなさい、急かすつもりはないの。すぐに答えをもらえるとは思っていないから。

 

 駆け寄ってきたウェイターが謝罪しながらガラスを処理する一方、母は私を気遣うように笑みを浮かべた。よくわかっている(・・・・・・・・)とでも言いたげに。期待を隠しきれていない眼差しと共に。

 

 あなたはもう、あなたの異能(ちから)をちゃんと使いこなせているって聞いているわ。普通の生活に戻るには何の支障もないって。これから一週間、時間はまだあるけれど……よく考えておいてほしいの。どうするのがあなたにとって一番なのかを。お金のことなら心配しないで。お母さん、これでもそこそこ稼ぎのある社長なのよ。

 

 かろうじて動く思考で、私は何とか母の言葉を呑み込もうとしていた。母と一緒に暫らく暮らすことになるということも、母が私を引き取ろうと考えているということも。私は初めて知る情報の密度のせいで、今にもめまいがしてきそうだった。

 

「母さまは」

 

 なあに?

 

「いつから、先生と?」

 

 ほんのつい最近ね。

 あの人がこの話(・・・)を持ち掛けてきたときから。

 

「……うそ」

 

 私のなかで膨らみつつあったある予感は、どんどん私から暖かいものを奪ってゆく。もう、楽しいという感情は残っていない。今や頭を占めているのは、一つのことだけだった。

 

 ――先生が、私に嘘を吐いていたということ?

 

 藤乃? あなた、だいじょうぶ?

 

 先生が、私に嘘を吐く理由はなんだろうか。暑くもなければ寒くもない、なのに呼吸が乱れていた。自分のよく知る景色とそっくりな別の場所で目が覚めたような、奇妙な気分だった。私は今、どこに立っているのだろう? 果たしてどの(・・)現実の上に立っているのだろう?

 

「ごめんなさい。お手洗いに」

 

 何か言いかけた母を断って、私は鞄を手に、化粧台の前に立った。鏡には、真っ青な自分が映っている。持たされている携帯を取り出し、強張った指先で番号を押した。

 

 ――まさか。

 

 ある予感。こうしていても、依然と渦巻いている。それを、信じるわけにはいかなかった。信じたくない、という気持ちで私は窒息しそうになりながら、呼び出し音に耳を澄ませた。

 

 ――だって、私と先生は約束したのだから。

 

 あの日、先生に五〇億で買われて、私は先生の弟子になったのだから。

 

 私は先生に必要とされていたはずだ。私は先生の役に立てていたはずだ。

 先生が私たちの契約(やくそく)手放す(・・・)だなんて。

 

 そんなこと、ありえるはずが――

 

 鳴り響いている。心臓が締め付けられているみたいだった。声が聞きたい。先生の声。慣れ親しんだ彼の声を。「お前の勘違いだ」。「俺がお前を手放すはずないだろう」。待ち続けた。「馬鹿」。そう言ってほしかった。そう言ってくれるだけで私は、必ず自分がどこに立っているのかを思い出せるはずだった。

 

 

 おかけになった電話番号をお呼びしましたが、お出になりません。

 

 

 私は、レストランを飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 次こそ動きます(汗













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