彼女はサボテンだった   作:馬汁

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彼女はサボテンか?

 ぺた、ぺた、ぺた、ぺた。

 

 その足音は、この家の住民である少女にとって、ある筈のない音だった。

 とある事情により、この家には桜実の1人しかいない。勿論それは彼女も自覚している。ならば、自分が歩いている訳でもないのに聞こえてくるこの足音は、なんだ? 

 

「……あれ?」

 

 ぺた、ぺた、ぺた。

 

 足音がより近くから聞こえてくる。

 方向は階段の方。ジュージューと豚肉が焼ける音に紛れているが、桜実の耳は確かにその音を捉えた。

 

「……!」

 

 ぺた、ぺた。

 

 その時、侵入者の存在を確信した桜実は、即座に調理をやめて音の方を振り返る。

 警戒心を抱く彼女だが、この状況でどう行動すれば良いかが頭に浮かぶ。

 

 階段とキッチンの間は、ガラスの引き戸で隔てられている。

 

 彼女は椅子を持ち出すと、引き戸のフレームの側面を抑えるように立て掛けた。

 こうすれば開かない。

 

 

 ぺた。

 

 

 引き戸のガラスの向こう側に、人影が写る。磨りガラスを挟んでいるから、その人の正体はわからない。

 知らない人であるのは確かだ。しかしやけに肌色が多い。

 

 彼女は引き戸から離れ、携帯を手に取る。押す番号は『110』、警察に連絡を試みた。

 

【バシャン!】

 

「ひ!」

 

 が、引き戸が揺れたせいで、桜実は驚いて携帯を手放してしまう。画面には『11』としか出ていない。

 

【バシャンバシャン!】

 

 再び引き戸が揺れる。椅子で抑えられていると知って、前後に動かしている様に見える。

 椅子が倒れてしまってはいけない。と桜実が危惧する。

 

「あ……!」

 

 しかし、不幸なことに、引き戸を抑えていた椅子が外れてしまう。

 

【バシャンバシャンバシャン!】

 

 引き戸が開かれる。そう思って、すぐに離れた。

 どうすれば良い。携帯はどこにある。警察を呼ばなきゃ。あの人を抑えないと。

 思考が絡まる。彼女はこういった事態に慣れていなかった。

 

【バシャン……】

 

 しかし、どういう訳か、抑えが外れた筈の引き戸は一向に開かない。それを見た彼女の頭に浮かんだのは、引き戸を開けない理由でも携帯の場所でも、相手をどう抑えるかの手段でもない。

 この状況で出てくるにしては、やや緊張感に欠ける疑問が、その頭に浮かんできた。

 

「……なんで裸なの?」

 

「…………」

 

 思わず出てきた呟きが届いたのか、引き戸を前や後ろへ押して引いてという動作が無くなった。

 

「服を着てないから」

 

「服を……えっと、うん、そっか」

 

 質問に答えが戻ってきた。この時、自覚はしないものの警戒心が薄れていた。

 磨りガラス越しに見える相手の体格は、裸という事もあってその性別はすぐにわかった。

 声も、体格も、女性であることは間違いない。と少女は判断する。

 

 すると、またガシャンガシャンと引き戸が揺らされる。

 しかしそれも数回で止み、磨りガラスの向こうの人影が、首を傾げた。

 

「……どうやって開ける?」

 

「え? えっと……、右に引いて開ける」

 

「開いた」

 

 どうしてか。全裸でない方の少女は、とっくに警戒心を完全になくしてしまっていた。

 

 引き戸が開かれ現れたのは、ボサボサの縁の髪をした、丸顔の女の子。

 裸だから、その身体がやや貧相……よく言えば、スリムだという事はすぐに見て取れた。

 

 侵入者が、自身より数センチ程小さい女の子だと知り、そしてその顔や言動に悪意が全く見られなかった。

 故に、全裸でない少女は安心こそしないものの、警戒の必要はないか、と判断した。

 

「……あれは、夕飯?」

 

 そう言って、侵入者の指がキッチンの方を指す。

 なんの事だ、と思って少女は振り返り、そして思い出す。

 咄嗟のことだったから、フライパンに火をかけたまま放置してしまっていたのだ。

 

「あっ」

 

 幸か不幸か、炒められていた豚肉は焦げかかっていた。

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 少々黒焦げた部分が見える生姜焼きが出来上がった頃、侵入者の女の子はトレンチコートを着て、椅子にちょこんと座っていた。

 

 追い出される事もなく、むしろ玄関前のポールハンガーに掛かっていたトレンチコートが貸し与えられただけ、幸運だろう。

 

「えっと、食べる?」

 

「……食べ物を?」

 

 この食べ物以外に何があるのか。桜実は思う。

 

「……食べない」

 

 不思議な女の子だ。今度はその感想を抱いた。

 何故こんな子が家に居るのだとか、どこから来たんだとか。そもそも名前はなんだ。等の疑問は、とっくの前から出ている。

 

 それに、その様な疑問はとっくに問いかけたのだが……。

 

「桜実が持って行ったから」

 

「桜実の部屋から」

 

「サボテン」

 

 私が一体何をしたというのだ。と、逆に頭を抱える結果となってしまった。

 勿論、桜実にはこの様な女の子を部屋に連れ込んだ記憶はない。

 名前を訊いた筈が、自身もよく知る植物の名が出てきた事は、気のせいだという事にした。

 

「取り敢えず……いただきます」

 

「……」

 

 この女の子は何かするつもりなんてない様子だから、気が引ける思いを我慢し、まず空腹を満たす事にした。

 せっかく出来た料理を冷ましては、金曜日の晩御飯が不味くなる。

 

 まず一口食べる。白米も一緒に口へ運ぶ。

 豚肉の旨味に加え、生姜を始めとするタレが、この肉肉しさを爽やかな味覚へと進化する。

 

「……」

 

 ほんのりとした生姜の刺激と香りが、肉と米の相性をより素晴らしい物へと変える。

 焦げ目がある所は食感が少しだけ硬い上に、ちょっとした苦味が舌の上に乗っかってくる。

 

「……」

 

 と、この様に。生姜焼きは、うまく調理すれば美味しく出来上がるものだし、レシピ通りに作るだけでも満足できる料理の一つだ。

 

 だが、今の桜実には、そんな料理の味が感じられなかった。

 豚肉の味や、生姜のちょっとした刺激や香りなどは、味覚として認識される事なく噛み砕かれ、そして飲み込まれてしまう

 

「えっと……」

 

 目の前からの目線が気になって、気になって。ついに耐えきれなくなった彼女は、女の子を見つめ返した。

 この女の子は、無言で彼女の食事をただ見つめていたのだ。気になるのも仕方ない。

 

「……美味しい?」

 

「う、うん。美味しいよ」

 

(そもそも誰、この子?)

 

 この問いを頭の中から口へ出かかって、しかし言葉にならずに頭の中に返ってくるのを、何度も繰り返している。

 

 誰だ、と問いかけたところで、帰ってくる答えは決まって「サボテン」だ。

 桜実は食事と一緒に言葉を呑み込んだ。

 

「……」

 

「……た、食べる?」

 

「サボテンはものを食べない」

 

 遂には話さえ通じない。

 サボテンと名乗った女の子は至って真面目なのだが、桜実にとっては何から何までが全ておかしい。100人に同意を求めても、100人が頷く事だろう。

 

 所謂、電波系だろうか。

 しかし交信を突然開始するような様子は見られないから、植物系と言った方が近いかもしれない。

 

 そのような考察を続ける桜実だが、しばらくするとその思考が放棄される。

 考えるだけ無駄。結論はそれであった。

 

「ご馳走さま」

 

「……まだ、残ってる」

 

「あとは明日の朝食にするよ」

 

 タッパーを手にとって、生姜焼きの残りを移そうとする。

 明日に引き継ぐのは作り始める前から決めており、そのつもりで多めに作っていた。

 

「……」

 

「う、うう……」

 

 しかし、タッパーの蓋を開いて皿を傾けようとしたところで、強烈な視線に耐えきれず、呻き声を上げてしまう。

 なんというか、居心地が悪いというか。

 

 思わず振り向くが、そこで、サボテンを自称する女の子が桜実自身の方に目線が向けられていないことに気づく。

 よく見ると、その目線の先はタッパーと生姜焼き。

 

 なるほど、と、桜実はこの女の子が送る目線の意味合いを、少しばかり理解できたような気がした。

 

「……食べる?」

 

「…………」

 

 先程までは、サボテンだからと言って拒否していたくせに、今回に限っては無言で見つめ返してくる。

 

 その目が、まるでご飯をねだる犬の目に近いものを覚えた。

 

「じゃあ、ほら」

 

 まだ片付けていなかった箸で一枚の肉を掴み上げると、女の子の目の前の差し出した。

 スプーンもまだ掴めない子供に、食べ物を食べさせるように。

 

「口開けて。あーん」

 

「あーん? ……むきゅっ」

 

 簡単に桜実の言葉に従った女の子の口を目掛け、すっと肉を滑り込ませる。

 

「むぐ、む。もぐもぐ、もぐ?」

 

 まるで食べ方さえ知らないような仕草だったが、少しずつ時間をかけて噛んで……、

 

「こくん」

 

 呑み込んだ。

 

「……どう?」

 

「……美味しい」

 

「そっか」

 

 桜実は頷く。やっぱりこの女の子に害はないと、確信したのだ。

 この子の親とか、どこから来たか、そもそもなんで裸だったのは気になる。が、『とりあえず害はない』。今の所はそこだけ結論を下すことにした。

 

「…………」

 

 さて、この子をどうしようか。警察にでも連絡して親を探した方がいいだろうか。

 そう思って腕を組んで考えてみる。

 

「…………」

 

「……まだ食べたい?」

 

 こくり、と仕草だけで答えた。

 

 なんだか、見た目よりも幼いみたいだ。

 桜実は微笑んで、二口目の生姜焼きを箸で摘まみ上げた。

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