彼女はサボテンだった   作:馬汁

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サボテンは人間だ。

 渾身の名付けに、サボテンの反応を見た桜実が膝をつきかけた後。

 何時までもくじけていられないと、桜実は再び立ち上がる。

 

「ちょっと布団の準備してくる」

 

「ふとん……」

 

 桜実が使っているベッドはシングルベッド、つまり1人用であり、2人が一緒に寝るには身を寄せ合うしかない。

 女の子同士、それも一応は長い付き合いの2人だが……、それでも、接触が免れない程の距離で共に寝る程には緊張が取れていない。

 もしサボテンが良くても、すなくとも桜実はそう思っている。

 

 

「お客用の布団だけど……よいしょっ」

 

 隣の部屋から持ち出された布団が、桜実の手から離れて床にぼすんと落ちる。

 特別高級な布団というわけでも無いが、適切な手入れはなるべくこなしているからか、それなりに寝心地はいい筈だ。

 

 サボテンが寝心地という物を理解するかは兎も角。

 

「とりあえず今日からここで寝る事。いいね?」

 

「ん。欠かすべきではない三大欲求。ちゃんと知ってる」

 

「お、おー……」

 

 元サボテンの割には、語彙力も知識もちゃんと備わっている。少々天然っぽい所はあるかもしれない。

 とりあえず床に布団を敷いて、寝る準備を整えておく。まだ就寝の時刻ではないが。

 

「よっし、それじゃあ……お風呂にしよう。お風呂は分かるかな?」

 

「……お風呂。お湯に浸かる」

 

「うんうん。植物とは縁がないかもしれないけど、人の姿になったからには、ちゃんと体を洗わないと」

 

 植物とは違い、動物は汗や老廃物、その他諸々を出さなければ生きていけない。先ほどの排泄と言うのもそうだ。

 それらを体から洗い流す行為は、人間に限らず、様々な動物が行なっている事である。

 

「……」

 

「……もしかして、緊張してる?」

 

 やはり、やったことのない事を初めてやると言うのは、このサボテンでさえ緊張を覚える事の様だ。

 サボテンは、自身がお湯に浸かっている姿を想像しているのかしていないのか、首を傾げている。

 

(……これは、この子1人でお風呂に入れるべきじゃないね)

 

 下手したら、お風呂で溺れてしまうかもしれない。植物としての経験が豊富な彼女の場合、その可能性も十分あるだろう。

 そう考えた桜実は、サボテンの手を取った。

 

「じゃあ、一緒に入ろうか」

 

「一緒?」

 

「うん、一緒に」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

「服の脱ぎ方、着方、ちゃんと覚えたかな?」

 

「……覚えた」

 

「それは良い」

 

 風呂に入る前に服を脱ぎ、そのついでにサボテンに桜実が服の着方、脱ぎ方を教える。

 そうすればサボテンの肌が見えることは勿論、手が触れることも普通にあった。

 

「それにしても、痩せてるね。なんというか、ふっくらとした感じが少ないと言うか」

 

 見て、触れて、そう感じた桜実は、サボテンの体型をそう表現した。

 見た目は中学生ほどだから、成長の余地はありそうだが……この元植物のサボテンだ。もしかしたら成長の仕方が違うという事もある。

 

「?」

 

「んん、君には分からないよね。気にしなくていいよ」

 

(私が十分な食事を取らせて、運動させて、あとは友達でも作らせて)

 

 そうすれば、とりあえずは健康的に生活できるだろう。友達を作る方法に関しては悩みどころだが。

 

 桜実も手早く服を脱ぎ、サボテンの手を引いて脱衣所から風呂場に入る。

 風呂の大きさは、まあ3人は入れないだろうが、女子供が2人入っても大丈夫な程度だ。

 

「……蒸し暑い」

 

「お風呂はそういうもんだから。最初はシャワーからにしよっか」

 

 風呂場に踏み入れて最初に行うのは、まずこれだろう。

 

「……サボテンに過度の水は」

 

「いや、人間でしょ。今は」

 

「んぐう」

 

 サボテンを座らせて、髪を洗う準備をする。

 

「ほら、目を瞑って。……うん、じゃあそのままじっと」

 

「見えない……」

 

「そりゃあ、目を閉じたら何も見えないよ。悪いけど、我慢してね」

 

 サボテンの目が閉じられた事を確認して、シャンプーを付けてサボテンの髪を揉み始める。

 

 

(……人としては、生まれたてだからなのかな。随分と髪が柔らかい気がする)

 

 泡立って、シャンプーの香りが髪に纏わりつく。

 洗っている片手間に手櫛で弄ってみる。よく手入れすれば、この様な髪を維持できるかもしれないが……。

 

「流すよ」

 

「んん……」

 

 我慢するような呻き声を了解の意と解釈して、シャワーで流す。

 そのついでに、また手櫛で、そして持ち上げたりしてみる。

 

「やっぱり、綺麗な髪だね」

 

「きれい……、髪が?」

 

「うん」

 

(肌も綺麗だし……なんというか、新品って感じ? いやこの表現だと語弊しかないけど)

 

 やはり生まれたてだからか、傷はどこにも見当たらない。平和な日本でも、転んだり怪我をしたりする事は少なくないのに、だ。

 

「……よし、洗い終わった」

 

「ん」

 

 すると、桜実に背中を向けていたサボテンが振り返る。

 

「えっと、どうしたの?」

 

 そしてサボテンがおもむろに立ち上がって……顔を近づける。

 目と目が見つめ合う……事は無く、サボテンの目線は桜実の髪に向けられている。

 

「……桜実の髪も、綺麗。だと思う」

 

「そ、そっか」

 

(け、結構近い……)

 

 もしこれが異性で同年代だったら、さぞや大変なことになっていた事だろう。

 そのような条件だったら、そもそも一緒に風呂場にいるという状況にはならないが。

 

「リンスも付けるから、元の場所に戻ってくれるかな」

 

「……わかった」

 

 

 ・

 ・

 ・

 

 

 シャンプー、リンスを終えて、身体も綺麗に洗い流したところで、後は風呂に入ってスッキリ出来る頃となった。

 

「髪纏めるから、こっちおいで」

 

「まとめる……?」

 

「ちょっとだけ我慢してね」

 

 サボテンに後ろを向かせると、手早く髪を束ねて、纏めて、留めた。

 次に自らの髪も同じように留めて、桜実が先に入る。湯船に立った桜実は、手でサボテンを招く。

 

「気持ちいいよ」

 

「んん……」

 

 無表情を貫いているが、躊躇や葛藤を感じられる声を漏らす。

 植物を水中に漬けるのは、適応していない植物にとっては確かに危険な事である。

 

(やっぱり、怖いのかな)

 

 しかしこのサボテンは今や人間で、女の子である。危険の心配は無いし……、

 

「大丈夫だよ」

 

 その側には桜実が居る。

 

「……?」

 

「何かあったら助けてあげるから」

 

 だから、心配の必要はない。その意味を込めて、伝えた。

 

 強風から、大雨から、雪から匿った時と同じように、桜実は助けてくれた。

 

「助ける……」

 

 サボテンの頃は、そうだった。

 

 それじゃあ、今はどうだろうか。

 姿は人に変わり、実体を持って、その2本の足で歩いている。

 目線の高さは、前とは比べ物にならないぐらい近くなった。

 

 それでも、桜実は助けてくれるのだろうか。

 

 彼女は、湯船に足をつけるのを手伝おうと、両手を差し出している。

 この手を取れば、楽に桜実の元へ行くことができるだろう。

 

「……桜実」

 

 サボテンは、心配の必要はなさそうだ、と、一歩歩み寄って、彼女の名前を呼んだ。

 

「うん?」

 

 サボテンは、その両手を掴んで……。

 

 自らの頰に、添えさせた。

 

 

「……えっと」

 

「桜実、いつもこうやって、抱えて運んでくれる」

 

「か、抱えて……。いや、うん。何時もこんな感じで運んでたね」

 

「だから、連れて行って」

 

「っ……」

 

(そんな事、言われたって……)

 

 

 

(女の子の頭を持ち上げて、連れて行くなんてできるわけないでしょ?!)

 

 首から下の体重全てが首にかかった時、どうなるかは想像もしたくない。

 桜実は目線を下げて、微妙な表情を隠す。

 

 どうやら、サボテンの鉢を持ち上げて運んでいた頃の経験を基準にしているのだろう。

 残念ながら、今回はその経験を人の姿になってから活かす事は叶わない。しかしサボテンはそれを理解していない。

 

(さ、桜実。君は実質、サボテンの保護者なんだ。この子の“人”生経験はたったの数時間分しかない。ちゃんと事実を伝えて、手を引いて上げないと……。持ち上げるんじゃなくて)

 

「えっとね、サボテン?」

 

 サボテンは、両頬に手を添えられたまま首をかしげる。

 

「植物だった頃に比べてすごーく重いから、今までみたいに持ち上げて運ぶとかは出来ないかな……」

 

「……」

 

「……ね?」

 

「……」

 

 サボテンは沈黙した。

 そして理解した。この姿では、今までの様に運んでもらうことは出来ないのだ。出来なくなったのだ。

 

「諸行、無常」

 

(いきなり何を言いだすんだこの子は)

 

 目のハイライトが何処かへ消えた。サクラミの手を掴む力も無くなった。

 

「こんな事なら、いっそ元の姿に……」

 

「ちょちょちょ、はーいストップ。語彙力暴走させた上に軽く絶望してるんじゃありません。ってかその言葉どこで覚えたの」

 

 ただでさえ多い謎が、また増えた。

 

 それはともかく、サボテンの見当違いな絶望は、本当に見当違いで無用な物である。

 確かに人間の姿になった今、かつての様に運んでもらうことはできない。

 だが、本当は運んでもらう必要はない。

 

「運んではあげられないけど、君には足があるんだよ。……ほら、跨いで」

 

「跨ぐ……?」

 

 足という存在を、今の今まで忘れていたのだろうか。サボテンが足元を見て、2本の足の存在を確かめてから、頷いた。

 

 サボテンが恐る恐ると片足を上げ、もう片方の足だけで体を支えつつ、体の重心を移す。

 本来、二足歩行というのは非常に不安定な移動方法である。

 

 慎重に、湯船の底に足を付ける。両手は桜実によって支えられたまま。

 今度は、もう片方の足を浮かせて……──

 

「あ」

 

 サボテンが、バランスを崩す。水の抵抗に、思うように足を動かせなかったのだ。

 

 本能的に目を閉ざす。

 サボテンは、これから来るであろう衝撃と痛みを、一瞬で想像した。

 

 

「──よっと」

 

 けどそれは、一向にやってこない。

 代わりに、暖かい何かが、体を包む様な感覚を得る。

 

「大丈夫だよ、目を開いて」

 

「……あれ?」

 

 目を開けば、自分は湯船の中で立つことに成功していたことに気付く。

 しかし体が動かない。サボテンが身体を見下ろすと、胴体が桜実の手でしっかり抱えられているのが見えた。

 

「持ち運んであげられなくても、支えられるから」

 

「……」

 

「ほら、座って。暖かいよ」

 

 サボテンの姿勢が安定して、桜実の手がサボテンから離れる。

 

「あ……」

 

「……どうしたの? やっぱりこわい?」

 

「……ううん」

 

 桜実の言う通り、確かに暖かい。

 サボテンがしゃがみこんで、胸の辺りまで浸かる。すると暖かさが全身に伝ってくる。

 

「……」

 

「どう、お風呂。気に入った?」

 

 サボテンは、ゆっくりと頷いた。

 まだ慣れないのか、やはりおっかなびっくりな様子だが……。それに、何やら落ち着いていない。

 

 

「……桜実」

 

「うん?」

 

「……さっきの、やって」

 

「“さっきの”?」

 

 一体なんのことを言っているのだろうか。

 サボテンの言葉に、桜実は意味を理解しかねる。

 

 すると、サボテンがおもむろに桜実に対して背中を預け出した。

 

 桜実の両足に挟まれつつ、背中を桜実に押し付ける。彼女を背もたれにするように……。

 

(……背もたれ? そういえば、さっきもたれかかっていた時……)

 

 サボテンが、背中を預けたままこっちを見ている。

 “さっきの”の意味を少しだけ予想出来た桜実は、サボテンの背中から手を回して抱きついてみる。

 

「ん……」

 

 もぞもぞと、少し動いて……。それだけして、動きが止まった。

 

 サボテンは桜実に後ろから抱きつかれたまま、湯船に浸かっている。

 

「安心、する」

 

「……そっか」

 

 サボテンが何を思って、これを要求したのか。

 それの殆どを理解した桜実だが、しかし何も言わずに、その一言だけで返した。




とうとい

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