ケツアゴサイコ総帥に一生ついていきます【完結】 作:難民180301
川沿いの土手に一人の女性が仁王立ちしている。灯りの乏しい深夜、高架を通過する電車から漏れ出た光が、彼女の美貌を映し出す。
彼女は神月かりん。日本政府とも深い関わりを持つ神月財閥の当主にして、神月流格闘術を駆使する一流の格闘家でもある。万事において勝者であるべし、欲しいものは実力で手に入れるという家訓およびモットーに従い、あらゆる分野で勝者であり続けてきた。
そんな彼女の生き方をあざ笑うような活動をしているのがシャドルーだ。
世界を表舞台から支配するよう路線変更したシャドルーは、風水シリーズと呼ばれる健康グッズを売り出した。一般人でも波動の力が使えるようになる画期的なアイテムだという。
幼い頃から鍛錬と実戦に明け暮れ、ようやく今の実力を手に入れたかりんには許せない商品だった。力とは金で買うものではなく、努力でつかみとるもの。ましてや波動の力を売りつけるなど言語道断だ。
風水シリーズには隠れた欠点がある。一般人が垂れ流す微量の気を増幅、波動に練り上げる仕組みなのだが、増幅しても気が足りない場合は無理やり利用者の体から吸い出しているのだ。生命力である気を吸収されれば当然体調が崩れ、それでも使用を辞めない場合は寿命が削れることになるだろう。
かりんだけでなく世界の格闘家たちは声を大にして商品の危険性を訴えた。しかし波動の力に酔った民衆は耳を貸さないため、直接シャドルーにクレームの電話を入れ続けるしかないのが現状だった。
たとえ世間での覚えが良くなろうとも、人の命や力を軽んじるシャドルーはやはり悪の手先。いつかは神月の名に賭けて成敗する、と決意したかりんの元に朗報が舞い込む。
シャドルーのナンバー2、山内アヤが一人でここを通りかかるというのだ。神月直属の密偵からの報告なので間違いはないだろう。
財閥主幹の反シャドルー団体に連絡を入れる暇もなかった。可能なら今夜にでも山内を打倒し、しかるべき機関に突き出す覚悟で仁王立ちしているというわけだ。
「来ましたわね」
土手の上を爆走する人影が見える。かりんは神月流の構えを取り影の接近に備える。
しかし、姿を現したのは懐かしい顔だった。
「せんぱーい!」
「さくらさん?」
「えっ、かりんさん!? 先輩は!?」
春日野さくら。常勝無敗のかりんに初の黒星をつけたライバルであり、優れた格闘家の女子高生だ。
いつものハチマキ姿とセーラー服の彼女は、呼び止められるとその場で足踏みしながらかりんに向き直る。
「久しぶり! こんな時間に何してるの?」
「悪を成敗しに参りましたの。さくらさんは?」
「先輩を助けに行くんだ!」
かりんはふと気づいた。さくらの波動が以前よりも力強くなっている。どうやら相当の鍛錬を積んだらしい。
「助けに、とは穏やかではないですわね」
「うん。ブラック企業に就職して、その企業のために無理やり悪いことをやらされてるみたいなの。実はさっきこんなメッセージが来て――」
『さくら、私はもうダメだ』
『取り返しのつかないことをしてしまった』
『悪に堕ちた。私の正義はもう死んだ。誰も私を許さないし、私も自分を許せない』
『生まれてきてごめんなさい』
「もうじっとしてられない、ってことで本社カチコミだよ!」
「カチコミ……ちなみに企業のお名前はシャドルーではなくて?」
「な、なんで分かったの!?」
メッセージアイコンの名前がまんま山内アヤだったからなのだが、そこは重要ではない。ただもし山内が悪事を反省しているとするなら、通りかかったところを問答無用で成敗するのは忍びない。ふうむ、とかりんは顎に手を当てる。
「本社まで行く必要はないですわ。もうすぐ山内さんはここを通ります」
「そうなの? なんで?」
「それは分かりません。ですがいい機会です。辞職するようさくらさんから勧めてみてはいかが? 口ぶりからして親密な仲なのでしょう?」
「もちろん! これ以上先輩に辛い思いはさせないよ。まったくシャドルーなんて最悪よ、あんな記者会見で先輩を吊し上げて笑いものにして」
「そ、その通りですわね」
慌てて顔をそむけ、口元を抑える。かりんたち反シャドルー派の格闘家たちは例の記者会見を、シャドルーが山内をスケープゴートとしてメディアのさらし者にした、と見ている。シャドルーに無理やり働かされている事情があるなら笑ってはいけないのだが、どこか笑いを誘う部分があることは否定できず、思い出し笑いをこらえるのにかりんは必死だ。
「かりんさん、どうかしたの?」
「い、いえ……んんっ、それより、待ち人が来たようですわ」
土手の階段をフラフラと上がってくる小さな影が見えた。
片手にビンを持つそれは、千鳥足でかりんたちの方へ歩いてくる。かりんの踏み込みの間合いの半歩手前で立ち止まり、首をかしげた。
「あれ、さくらと悪質クレーマー当主じゃん。こんばんはー」
「先輩、お酒飲んでるんですか?」
「誰が悪質クレーマーですって!?」
山内アヤは体を左右に揺らしながら、とろんとした目を虚空に向けている。
「飲まないとやってらんないよ、労働なんてさあ。あと誰がクレーマーだって君だよこの野郎。番号変えてアホみたいにかけてきちゃって、ストーカーですか?」
「失礼な方ですね。格闘家として当然の抗議を入れているだけですわ」
「取説に書いてあるじゃん、元になる気が足りないと体調を崩すかもよ、って」
風水シリーズを買うような一般人に気や波動の知識があるはずもない。その程度の注意書きで寿命が削れるリスクまで察するのは無理があるだろう。
しかし相手は酔っ払いだ。かりんは反論をこらえ冷徹に「詭弁ですわ」と吐き捨てるに留めた。
「先輩、もうシャドルーなんて辞めましょう? 先輩に悪事なんて似合わないですよ」
「似合う似合わないじゃないのよー、嫌なことでもやるしかないのよー。私だってやりたいことだけやってたいけどさぁ……」
「だからって、先輩ならもっといい会社に――」
「うるさーい!」
ゾクリ、と肌が粟立つ。何かが禁句だったのか、山内から黒い波動が漏れ出る。ほんのわずかな波動に対し、かりんは反射的に構えを取っていた。
「こんな私をどこが雇ってくれるのさ! ふんっ、どうせさくらみたいな明るい勝ち組には分かんないよ。持たざる者の気持ちなんかさぁ!」
「そんな……」
「ちくしょー、誰か養ってくれ、甘えさせて、チヤホヤしてぇ……」
「あらあら」
情緒不安定。身構えたことがアホらしくなるほど、山内はへべれけだった。泣きべそをかきながらさくらの胸に顔を埋めている。こんな一面を見るのは初めてなのか、さくらは困惑顔でかりんに助けを求めるが、かりんだって対応が分からなかった。
山内は波動の質からすると間違いなくとてつもない強者。神月の当主として手合わせをした上、拘束して反シャドルー派のアジトまで連れていきたいのが本音だ。
ただ、酔いつぶれて前後不覚の相手を陥れるような真似をしていいものか。一応被害者の可能性もあって、見た目だけは普通の少女にしか見えない彼女を拘束などしていいのだろうか。
対応に悩んだかりんは、さくらと山内をじっと見つめる。
目を離さないまま無意識のまばたき。
ほんの刹那の間視界が切れたスキに、その男は現れた。
「己の帰る場所を忘れたか」
鮮やかな赤い衣。山のように盛り上がる筋肉と、視線の読めない白目。シャドルーの総帥、ベガその人が山内の真後ろに立っていた。
あまりにも唐突なシャドルートップの登場に、かりんとさくらは動きが止まる。するとベガは山内をひょいと担ぎ上げてしまった。
「こ、このっ、咲桜拳!」
「明王拳!」
さくらはベガの大きな顎に飛び上がるアッパー、かりんは震脚と掌底を同時に放つ。回避の素振りすら見せないベガに直撃するかと思われた。
しかしベガの体が紫に霞んだとたん、気づけば二人の間合いの外に立っていた。
ベガワープ。サイコパワーを使った超常の技だ。調べの通り手強い相手と相対し、かりんは血が騒ぐのを感じた。
「その方をどうするおつもりですか」
「知れたこと。こやつはすでに我が所有物、いるべき場所に連れ帰るのみよ」
「何がいるべき場所よ、この悪党! よくも先輩を騙してくれたわね!」
「騙すだと? なんのことだ」
「とぼけるなっ、波動拳!」
頭に血が上っているようだ。かりんが諌めようとするものの、それよりも早くさくらの手から波動拳が発射される。
「効かぬわ!」
「うわっ!」
ベガは片手で波動拳を受けると、自身のサイコパワーを上乗せして弾き返した。腕を十字にして受け止めたさくらが後ろへ吹っ飛ぶ。
その間もかりんは攻め入るスキを窺っているが、踏み込めない。さすがに力を信奉する組織の首魁だけあって、すさまじい圧を放っている。どこを攻めても迎撃される未来しか見えない。
にやりと笑うベガと、にらみつけるさくらにかりん。
膠着した状態を動かしたのは三者のうちの誰でもなかった。
「なっ!?」
ちょうど三者の中間に、黒い泥が出現する。地面から浮き上がった泥はアメーバのようにうごめくと徐々に人形へ成形され、ドレッドヘアの男を顕現させた。
その男はかりんたちに見向きもせず、ベガ――いや、ベガに抱えられた山内を食い入るように見つめている。
「ほう、古の戦士か。こやつが現れるということは、決戦の日は近い。そうだろう、神月の娘よ?」
「世迷ごとを」
内心の動揺はおくびにも出さず、とぼけてみせる。
かりんの明晰な頭脳は、突如現れた男の正体に当たりをつけていた。根拠は古の戦士という言葉、獣のような闘気、山内のそれに似たおぞましい波動。数百年に一度、大きな戦が迫ったとき現れると言われる伝説の戦士、ネカリだろう。
事実、大きな戦が迫っている。反シャドルー派の格闘家たちの都合がつき次第、シャドルー打倒を目的とする大規模な戦いが始まるだろう。
だが、ネカリの登場でこちらの思惑を見透かされるとはかりんをして想定外だった。表情はポーカーフェイスを保っているが果たしてこの魔人にどれほど効果があるものか。
「く、喰らうう、うう」
「黙れ泥人形が」
ベガの体が消える。
瞬時にネカリの頭上で姿を現し、体重とサイコパワーの加速を乗せてネカリの頭を踏み抜く。ネカリの顔面は土手の地面を抉り幾筋もの亀裂を入れた。
ただそれだけでネカリは限界を迎えたのだろう。全身を泥に変え、いずこかへ消える。
「その程度の力で我が所有物を喰らおうなどと、笑止千万。泥は泥らしく土に還るがいい」
(強い……)
恐るべきは伝説の戦士を瞬時に屠るベガの力だろう。脅威とは分かっていたが、報告や想像を大幅に上回る力だ。
「うっ……」
「先輩!?」
苦しげなうめき声。今まで静かにしていた山内が顔を真っ青にして、両手で口を覆っている。ベガはなにかに気づいたように「ん? 貴様その体……」と言い出すが――
「うおえええ」
「……」
びちゃびちゃ、と水音が響く。キラキラした何かはベガのブーツにもかかっただろう。空気が凍った。
泥酔状態で小脇に抱えられた人間が、サイコパワーを駆使したワープやヘッドプレスに巻き込まれるとどうなるか、山内は身を持って示したことになる。やはり恐るべきはサイコパワーの破壊力だろう。
ベガはただ無言で帽子を深くかぶり直す。
「あっ、待ちなさい!」
「待つのはあなたですさくらさん。さすがにここで追うのはないですわ」
ベガは高架の上へワープすると、もう一度ワープ。それきり姿が見えなくなった。
戦う空気ではなくなったこともあるが、真面目な話今のベガと二人で戦っても勝てる公算は低い。反シャドルー派のリーダーとしてはここで退くのが適当だろう。
焦ることはない。
ネカリの存在が示唆したように、決戦の日はすぐそこまで迫っているのだから。
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翌日、シャドルー副総帥室にて。
「よう、随分景気良くやってるみてえじゃねえか」
「戦士を探しているのだろう? 強く美しい私が手を貸そう。ありがたく思うがいい」
「就活なめてんですか自己中ズ! おーい誰か塩、塩持ってきて!」
酔ってる間に女を捨てていたアホの子が、上から目線な応募者に塩を投げつけていたとかどうとか。