かつサンド、半分あげる。【完結】   作:イーベル

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五月:遭遇

 ゴールデンだか、ブラックだかよく分からない連休を過ごしていた。割と激しめな運動部に当たる我ら野球部に世間一般的な休みはない。代わりに練習時間と試合が配布される。

 本日、連休の最終日でもそれは例外ではない。毎年恒例となっている県外遠征に出向き、練習試合をこなした。その帰り、貸し切りのバスを殆ど寝て過ごして、終着点でミーティング。バスの運転手さんに一同で礼をして、その場で解散となった。

 

「スズ、お前この後暇? 夜遅いし、腹減ったし、飯でも行こうかって話になっているんだけど」

 

 チームメイトの内の一人。坊主頭の北乃が僕に問いかける。ああ、これだと分からないか。このチームにおいて選手は例外なく坊主頭だった。言い直そう。キャッチャーの北乃だ。試合中はレガースを付けていて分かりやすい。……試合中は。

 明るく、チームの空気の調整役。彼の気遣いによって、人付き合いが得意ではない僕でもこのチームに馴染めている。

 そんな彼からの誘いだが、僕は断るつもりでいた。今の心身でチームメイトと一緒にいたくはなかった。

 まあ彼は、そんな所を含めて僕を誘っているのだと思う。僕の抱いているものを、わだかまりを仲間と共有することで緩和させてあげたい。そう考えているのだろう。

 でも、僕の気持ちを言葉で明かした所で、完璧に理解できるのは僕自身だけだ。緩和することはあっても、解決することは絶対に無い。これは僕自身がしっかりと考えて、答えを出すべきだ。そう考えていた。

 

「悪い、せっかくだけど今日は帰るわ。疲れたし、早く寝たいし。夕飯がかつカレーらしい。食い逃したら後悔しそうだから」

 

 嘘だ。カツカレーかどうかは分からない。だが、昨夜の残りのカレーがリメイクされる可能性は高かった。

 そんな細かい情報はともかく、彼らには嘘が効果バツグンだったようで「なら仕方ない」と手を振ってこの場から去っていく。僕も手を振って別れる。駅の近くの駐輪場に止めていた自転車を回収し、自分の家へと最短ルートで向かっていく。

 その途中、コンビニが目に入った。すでに真っ暗になった帰り道。不自然に真っ白に輝くその建物は僕の欲望を掻き立ててくる。

 水筒も尽きて、寝起きでカラカラになった喉。そう言ったコンディションも手伝って、結果、誘蛾灯に釣られる羽虫の様にふらふらと入店を決めていた。

 自転車を停めて、自動ドアをくぐる。最奥の冷蔵庫に向かおうとした時だ。「いらっしゃいませ」と気の抜けた挨拶。レジの前に立っている店員と目が合ってしまう。

 

「涼川君じゃん。やっほー、久しぶり。どうしたの? こんな所で」

「勝呂? 僕は部活帰りだけど……お前こそ、こんな所で何してんだよ」

「バイトだよ、バイト。制服見れば分からない?」

「それは分かるけどさ、部活はどうしたんだよ」

「んー……サボり?」

「疑問形になるな」

 

 バイトしてるってことは計画的なんだから、そこに疑問を持っちゃダメだろうに。

 

「お前、部活も終盤だろ。そんなんでいいのかよ」

「私が全力なのは部活じゃなくて人生にだからいいの」

「……お前がいいならいいんだけどさ」

 

 本人がいいと言っているのだから俺はそれ以上言う事ができない。彼女には彼女なりの事情がある。

 

「あ、涼川君さ。コンビニに来たってことはお腹空いてる? カツサンド奢ろうか?」

「勝呂、お前は何かにつけてかつサンドだな。それしか食べ物を知らないんじゃないかと心配になる」

「もー、馬鹿にして。それ以外の食べ物も知ってるよ。ただ、まだ約束を果たしてなかったって思い出しただけ」

「ああ、そうだったっけ」

 

 僕も思い出す。彼女との、かつサンドを半分貰う約束。それが果たされることのないまま既に一ヵ月が過ぎていた。でも、今日もそれが果たされることはない。

 

「それで、どうかな? かつサンド食べない?」

「いや、今日は飲み物を買いに来ただけなんだ。だからまた次の機会に」

「そっか、残念」

 

「飲み物取って来るよ」と言って最奥の冷蔵庫に向かう。立ち並ぶ飲み物から、一本引き抜いて彼女のいるレジに通して会計を済ます。「レシートはご利用ですか」とわざとらしく聞かれて、僕も「いらないです」と丁寧に返す。違和感丸出しの会話に笑い合った。

 

「涼川君は家この辺なの?」

「まあね」

「そっか、私もなんだ。ね、良かったらさ。一緒に帰らない? バイト、もうすぐ終わるから」

 

 勝呂の誘い。それに頷くか少し、迷う。今の自分の精神状態で、このわだかまりを抱えたままで、人と接するのは不安だったからだ。

 でもチームメイトの彼らと違って、彼女はその根本を知らない。だからきっと突っ込まれることはない。彼女とは普段通りに話ができるはずだ。そうなれば少なくとも帰り道では自分と向き合わなくてもいい。そう思った。

 

「いいよ。帰ろうか。外で待っていればいい?」

「うん。じゃ、ちょっと待ってて」

 

 頷いてその場から離れ、店から出る。勝ったばかりのビタミン炭酸を一口飲んだ。冷えた液体が喉を通り抜ける感覚が気持ち良かった。

 それから何となく自転車に跨って、軽くペダルを漕ぐこと数分。彼女がコンビニの裏手からこちらに向かって来た。

 服装が制服から制服に……いや、そうなんだけど分かりづらいな。訂正しよう。コンビニの制服から学校の制服に着替えていた。さっきまでの違和感が補正されて、何となく落ち着いてくる。

 

「お待たせ。行こっ」

 

 彼女の声が跳ねる。何が楽しいのか僕には分からなかったけれど、その声は落ち込んだ自分にもその熱を分けてくれた。

 帰宅している途中。河川敷に差し掛かったあたりで先を歩く彼女は振り返って僕を見る。

 

「ねね。ちょっと寄り道してもいいかな?」

「寄り道って、この辺りなんもないぞ」

「お店に行くわけじゃなくて、そこの土手に行くだけ。普段は心細くて、通り過ぎちゃうんだけど、今日は涼川君がいるじゃない?」

 

 この辺りは人通りが少なく、それに応じて街灯が少なかった。彼女が普段この場所に近寄らないのは賢明だと言える。でもそんな場所で何をしたいのか僕には分からなかった。

 でも、断る理由もない。悩んだ末「……まあいいけど」と返事をした。彼女は短く「ありがと」言った。

 ちょっとした坂。自転車を押して登る。土手の頂点にたどり着くと、さっきまでは遮られていた風が半袖のワイシャツを突き抜けて肌を撫でた。月に照らされる山々。まばらな住宅の光と川の向こう側にある高速道路のオレンジの光。自然に囲まれつつ、人の営みを感じるこの風景を知ってはいたけれど、こうしてまじまじと見ることはなかった気がする。

 

「好きなんだ、ここ」

 

 一足先にたどり着いていた彼女は呟く。

 

「へぇ、勝呂はよく来るの?」

「ううん、最近はあんまり。昔は、お父さんとよく来たんだけどね」

「そっか」

 

 平坦な場所に自転車を停める。スタンドを止めるカツンという音がやけに響いた。さっき買った飲み物を手に取って彼女と並んだ。

 

「ちょっと座ろ。今日ずっと立ちっぱで、疲れちゃってさ」

「いいよ。僕も丁度疲れてたんだ。でも制服汚れないか? 僕は気にしないけど女子はそういうの気にするだろ」

「レジ袋下に敷けば大丈夫。さっき貰って来たから、涼川君もどう?」

「じゃあ貰おうかな」

 

 勝呂からレジ袋を受け取る。僕のは新品で、彼女のは使用済み。その開いた袋から彼女はかつサンドを取り出して、下に敷いた。

 

「またかつサンド……。太らないの?」

「やっぱ涼川君デリカシー無いね。そういうのどうかと思うよ。ま、私は食べた分動いてるから大丈夫だけど」

「そうかな。具体的な数字が出た訳でもないのにそう断言できるのは──」

「そういうのいいから! 私がそうだといえばそうなのっ!」

「絶対王政のエリザベス女王もびっくりする一言だね」

 

 からかってやると勝呂はほっぺを膨らまして、一つ目のかつサンドを頬張った。もっとゆっくり食べればいいのに。

 手持ち無沙汰にペットボトルを開けて、さっきよりも弱々しくなった開封音を聞いた。口に含むと炭酸が弱くなってきているのが実感できる。砂糖水二歩手前と言った感じだった。

 それがここ最近の自分と重なって、見ていたくなくて、逃げ差す様に一気に飲み干す。

 

「ね、やっぱりかつサンド食べない?」

「なんだ。僕が言ったことやっぱり気にしてる? 冗談だから真に受けなくてもいいよ」

「ううん。そうじゃなくて。なんか、元気ないように見えたから」

「そんな風に見える?」

「見える。意識がここじゃなくて、もっと遠くにあるような気がする。良かったら話してみてよ。話すと気分が楽になる事もある。……らしいよ」

「らしいって、酷く曖昧だな」

「しょうがないじゃん。私そこまで自信過剰になれないもん」

「そうかな」

 

 普段は結構根拠のない事を押し通している気がするんだけど。そんな意味合いがこもっていることを察したのか、彼女の目線がきつくなっていた。

 

「で、話すの? 話さないの?」

 

 二択を迫られる。

 これとは遅かれ早かれ向き合わなくてはいけない。自分だけで消化できるかどうかも分からない。相談にいい思い出も無かった。

 でも彼女曰く楽になる可能性があるのなら、それ相応のリスクは背負わなければならないのだろうとも思った。

 結果「じゃあちょっとだけ」と前置きをして、彼女に抱えていたものを話すことに決めた。

 

「最近、どうしたらいいのか、よく分からなくなっちゃってさ」

「それは、部活の事?」

「そう。言ってないのによく分かったね」

「だって涼川君が悩むってそれぐらいでしょ。勉強も苦にしてないし、友達が少ないのも気にしてないんだから、残りは部活しかないじゃん」

 

 指折りながら彼女はそう言う。さっきは断言しなかった彼女がそう言ったことで、彼女の中の自分は構成要素が三つしか無くて、随分とシンプルなんだなと思った。

 

「それで、部活の何が分からなくなっちゃったの?」

「まあ、いろいろ。いっぱいあるんだ」

「そうなんだ。例えば、どんなこと?」

 

 それから僕は勝呂にゆっくりと話す。自分のごちゃ混ぜになっている中身を整理する意味を込めて。

 故障明けからいまいち戻らないコントロール。加えて勝負勘。よくできた後輩と、エースナンバーを奪われる危機。他にも野球をやった事のない人間にとって、半分も理解できるかも分からない話をした。

 本当はもっと分かりやすく話せたのだろうけれど、僕にはそんな余裕が無くて、後日、それを恥じることになる。

 だけれど、彼女はそれに文句を言うことも、茶々を入れることもなく、ただ静かに耳を傾けていた。

 

「勝呂は、『もっと頑張れ』とか言わないんだな」

「ん? どうして?」

「こういう相談に乗ってくれる奴の第一声って、だいたいそんな感じだろ」

 

 これは自分の苦い経験談。相談をすると十中八九、大抵の奴からそう返って来ていた。聞きたくはなかったけれど、言われなかったら言われなかったで、調子が狂ってしまう。

 加えて陸上部で一年から第一線で活躍している彼女はこんな悩みとは無縁で、そんな風に返してくるだろうと想定していたのもあったと思う。

 そんなイメージを首を振って壊して、彼女は言う。

 

「だって、涼川君はもう頑張ってるでしょ。頑張ってるのに、『頑張れ』って言われるのは結構、辛いじゃない」

 

 勝呂は眼を伏せる。目線はかすりもしない。彼女がどんな表情をしているのか分からなかったけれど、その言葉は自分の中にすっと、運動後のスポーツドリンクみたいに染み込んでいった気がする。

 それが心地よくて、返事をつい忘れてしまっていた。

 

「…………何か言ってよ」

「ああ、ごめん。つい、な」

「何がつい、なのさ! 私なんかおかしなこと言った?」

 

 含みのある言葉にいつもの勝気な表情で噛みついてくる。当然、素直に自分の気持ちを言える訳もなかった。

 

「『頑張ってる』なんて一言も言った覚えはないんだけどなぁ……って」

「なっ……、もう! 私の気遣いを返せ!」

 

 手を伸ばして軽く肩を小突かれる。

 

「痛ってぇな。また故障したらどうするんだよ」

「しないよ、このバカ!」

 

 ぽかぽかと繰り出される拳から逃げるように、立ち上がって彼女から距離を取った。彼女がそれを追いかけて、馬鹿みたいに走った後、呼吸が乱れたままで笑う。

 息苦しかった。でも、明日はいつもより頑張れる気がした。


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