王になれなかった女の話 作:石上三年
イグレインが死に、モルゴースが魂と命に癒えぬ傷を負い、モルガンの瞳が赤く染まったあの日は間違いなく分岐点だった。モルガンが槍持つ勇士の死に様を夢に何度も繰り返し見るようになってから、私はウーサーと相談してからその夢に入り込んだ。
予想はしていたものの、やはり驚いたよ。
あの子の夢は、聡明なあの子が想像力を膨らませて作った世界ではなかった。あの子の肉体に刻まれた記憶から再構成された世界でもなかった。
あの子の魂そのものに刻まれた過去の記憶、あの子の前世とも言うべき女神の記憶、その過去の完全なる再現だった。
……ああ。あの子は生まれ変わりだったんだよ。
古きケルトの戦女神、敵に死の恐怖を与え味方に加護を与え戦場の運命を支配する三柱にして三姉妹その長女、女神モルガンの紛れもない生まれ変わりだった。
流石に私の生まれるより遥か昔のことだから、私もその頃のことを調べるとなると伝承に頼らざるをえない。
確かなことはケルトの民にとって、魂とは死すれば次の命へと廻るものであったということ。それは神々でさえ例外ではない。
ここからは私の推測だ。
そもそも死を命の終焉と考え、争いを生命のひとつの状態と考えるのは人間に知性があるからだ。
他の生物にとっても死とは命の終焉かもしれないが、生存と争いは等しいものだ。生きるためには餌場にしろ住みかにしろ伴侶にしろ競って奪い合うものだからね。
つまり戦いという概念は人間が作り出したものだ。人間が存在しない世界で戦という概念は成立しない。
そう考えたケルトの戦女神たちは、この世界から戦女神のままで星の内海に逃げ込んでも自分達の存在を維持できるか危ぶんだ。故に戦女神の魂のまま他の存在の概念という皮を被るために、他の何かに生まれ変わった。
ここまでが私の仮説だ。……混乱しているようだね。
そうだね。
皮袋に入った蜂蜜酒があるとしよう。その袋には蜂蜜酒と書いてある。その袋の上から更に皮の袋を被せる。新しい袋には葡萄酒と書く。
何も知らない者は皮袋には葡萄酒が入っていると騙される。
そんな感じで女神たちは世界を騙そうとしたんじゃないかな。蜂蜜酒は女神、皮の袋は肉体と精神、葡萄酒が人間。酒そのものが魂だ。
君の母親であるモルガンは、人間の肉体に無理やり女神の魂を埋め込んでいる状態なわけだ。
あの子は夫であるロット王が死んだ後、魔術師がよく行う分割思考を応用し、思考と感情を三つに分けて自分の魂諸共切り裂いた。そうして自我を三つの人格に分けた。
……うん、正気の沙汰ではない。
あの子も狙ったわけではないだろうが、そうすることで擬似的に1つの神格を共有する三姉妹の女神たちの状態を再現した。そのために人から女神への揺り戻しが緩やかなものになっている。
……もし女神に戻ってしまったのなら、先ほどの例えでいうなら、葡萄酒と書かれた皮袋だけが破れた状態になるね。
人間のモルガンとしての人格は死ぬだろう。女神にとっては仮初めの人格でしかなかっただろうしね。肉体も女神の魂を収めるにふさわしい人外のものに変化していくだろう。多分今も変化している最中だ。 肉体が変化を終えてしまえば、きっと、あの子の記憶は女神にとって実感の無い記録と成り果てる。
……そして、今のあの子はそれに気づいて自分の運命に抗っている。けれど抗いすぎても、激しい揺り戻しが起きる。運命に抗いながら、アーサー王をブリテンの王から追い落とすために画策している。多分。
本当に、きょうだい揃って頑固だよ。
あの子にとっては自分がいつまで人間としての心を持っていられるか、ブリテンという土地の神秘がいつまで保つか、時間の争いなんだろう。
だから自分が王位につくのを諦めた。
あの子はブリテンの救済よりも、アーサー王を追い落とすのを優先した。
人間の心を持ったまま自分が王位についてブリテンを救う時間は無い、あの子はそう判断してしまったんだろう。そうでなければ自信家のあの子がモードレッドなんて送り込むものか。
もし復活した女神なんてものが王位についたら、流石に世界を誰も騙せない。
世界はブリテンごと復活した女神を滅ぼすように運命を動かすだろう。
……私とウーサーがあの子を完全に後継者から外したのはそういう理由だよ。
女神の目的が単なる自己保存ならいいけれど、その権能を用いて何かをされては困る。今はもう人間の時代なのだから。
ただ、それをまだ自覚の無かったあの子に告げるわけにもいかなかった。伝えればあの子自身に女神としての自覚と覚醒の切欠を与えてしまいかねなかった。
そうして私とウーサーは、あの子に彼女が如何に私たちの思うところの王にふさわしくないか騙そうとした。しかしあの子はこれまでに教えた王としての教育から、それらが嘘だと看破した。
その日から、あの子の心の片隅にはアーサーへの嫉妬と怒りとやるせなさが永住することになった。
姉としてアーサーへの親愛が全くなかったわけではなかった。けれどロット王が死んで、あの子はアーサーへの負の感情をようやく自覚してそれと夫を失った悲しみに耐えられなくなったんだろう。
そのせいで魂を裂くような暴挙に出たんだと、私は思う。
私の知ってるあの子はとてもプライドが高いけれど、その高さと同じくらいに身内への情の深い子だったから。