王になれなかった女の話   作:石上三年

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夢の終わりの後、語られることなき顛末

 

 咲き誇る花々が海のように果てなく広がる大地。

 花の海のただ中を割るようにそびえたつ堅固な石造りの尖塔。

 その塔は死を忘れて世界を眺める半人半夢魔の魔術師が、地球という星の終末までの己が居場所と定めた牢獄である。

 

 魔術師マーリンは最後に仕えたアーサー王の死後、地球という星に内包された世界に引きこもった。

 そこは人間たちのために変化する世界から逃れた妖精たちの住処であり、妖精郷や常若の国、あるいはアヴァロンとも呼ばれる場所であった。

 

 アーサー王の死後、およそ100年。

 マーリンは尖塔の中から妖精たちに思い出話を語るか、「千里眼」と呼ばれる空間を超えて世界を映す目を以て人間たちが日々の営みを続ける世界を眺めるかして過ごしていた。

 ときおり興味を引かれる人間が居れば夢を介して助言もしたが片手で数える程度の回数のこと。

 

 さて今日はどこの国を見てみようかとマーリンが思案した矢先、塔についた窓から妖精たちのざわめきが届いた。

 耳を澄ませれば、どうやら人間とも妖精ともつかぬ何者かが足を踏み入れて、マーリンの居る塔にまっすぐと向かっているらしい。

 

 その者は美しい女のような容貌ではあるが、なめらかな肌が石のようにひび割れ、砕けた石の欠片ような何かを歩くたびにひび割れから零すも、その何かは風にさらわれると雪のように溶けて消えるらしい。

 

 そんな妖精たちの噂話に、マーリンはらしくもなく胸をざわめかせた。

 灰色の髪を持つあの弟子が、人間として死ねる時期を逃してしまっているなら、このアヴァロンに足を踏み入れる可能性はある。

 

 アヴァロンという場所は、この時代の只人が一度息を吸えば、大気中の魔力の密度が濃すぎて耐性が足らずに即死するような魔境でもある。

 マーリンは無事なのは夢魔との混血故に、肉体は人間のものといえないからだ。

 モルガンはその魂が本来女神のものであるが故に、肉体の方が本人の意思と関係なく人外のものへと変じている。

 

 マーリンは千里眼を使って妖精たちの視線を集めるものを探した。

 そしてそれは既に塔のすぐそばにまで近づいていて、マーリンは息を呑んだ。

 

 かつて輝いていた宝石のような赤い瞳は、今は虚ろでくすんだ石のよう。

 アラバスターのごとくなめらかな肌は、文字通り黒いひび割れが入っていて、壊れた石膏像が誰かの魔術で動いているのではないかと錯覚しそうな状態だ。

 外見だけなら、人間でいうところの三十歳前後の女性だ。顔の造形にはかつての弟子の幼いころの面影が色濃く残っている。

 

 灰色の風よけのマントの下から、彼女は黒く塗られた木彫りの小鳥を取り出した。

 ひび割れて今にもそこから折れてしまいそうな指で彼女が小鳥の頭をなでると、小鳥はなめらかに羽ばたいて、尖塔の窓、マーリンの傍らにまでやってきた。

 

 塔の外の女性が口を開くのに合わせて、黒い小鳥の嘴が震える。

 

「お久しぶりね、我が師、マーリン」

 

 小鳥の嘴から響いたのはマーリンにとっては記憶の中よりも静かで、懐かしさも覚える女の声だった。

 もしかしたら、もう声を張り上げられるような肉体ではないのかと思うとマーリンは非人間であっても少しだけ胸の痛みを感じた。

 

「久しぶりだね。モルガン。君がまだ私を師と呼んでくれるとは思ってもいなかったよ」

「……多分、私の気持ちの問題。貴方をどう評しようと私の勝手」

「君がそれでいいなら構わないけどね」

 

 人の感情を餌にする情報生命体の夢魔、その性質を引き継ぐマーリンをして、会話しているモルガンからはかつてのような情動を感じ取ることはできない。

 

 己の気持ちの問題などと言いつつも、それは過去の記憶から彼女の身体の方が場に適した言葉と行動として選択してしまった条件反射に近い。

 それだけ彼女の魂が、心までもが、女神のものに近づいてしまっているということか。

 

 本来用意されていた女神への完全な変質をモルガンが己の意思で拒否しているが故に、肉体と精神と魂のバランスは崩れ、彼女は肉体から崩壊が始まった。

 彼女にはもう人間として必要な痛覚も残っていないから、あんな身体で世界の果てまで歩いてこれたのだ。

 

 モルガンの心は人としての最期を迎えようとしている。

 それはマーリンにも理解できたが、何故末期にマーリンの元へやって来たのか。

 

 マーリンが小鳥に向かって尋ねると、モルガンは「答え合わせに」と呟いて塔を見上げた。

 

「あの愚妹が、カムランで、屍の丘に座り込んでいるのを見て思い出したのよ。

 私の魂がどこから来たのか。私が子供の頃に見ていた槍を持った戦士の夢の意味も。

 私がお父様の後継者から外された理由もなんとなくわかった気がする。

 けれど、なんとなくでは駄目なのよ。

 私は多くを踏みにじったのだから確かな理解をしておくべきだと思ったの。

 私が王になれなかった理由を」

 

「あの子が死んで100年近く経った今になって?」

 

 マーリンの問いに、モルガンの表情が歪む。口元を引き結び、乾いている目で何度も瞬きを繰り返す。

 マーリンはその時彼女に残った僅かな情動を感じ取り、もはや彼女は涙を零す機能さえ失っているのだと気づいた。

 非人間の魔術師は自分がまた彼女の心に追い打ちをかけるような行いをしてしまったことを悟り、久々に苦さを感じる。

 

「……またボクは意地の悪いことを言ってしまったみたいだね。

 君がこの100年何をしていたのか、たまに見つけて眺めて少しは知っている。

 だから君がここに来たのが不思議なんだ」

 

 荒れ果てるブリテンに力なくとも残るものに魔術で加護を。

 ブリテン島と滅びから逃げ出すために抗うものに知識と技で支援を。

 彼女はそうして幻想種の民としてのブリテン人たちが滅びるまでを見届けた。

 

 見届けた後は各地を流転しながら、善も悪も区別なく乞われるがままに代価を要求することもなく魔術師としての力を振るった。

 彼女の力は災禍といっても過言ではなく、彼女が不幸にした人間の数は彼女が幸福にした人間の数よりも遥かに多かった。

 

 愛する家族も、肉親も、故郷も彼女は失った。

 彼女に感謝を捧げた人間たちは永遠の眠りについて、子孫たちが感謝を語り継ぐこともなかった。

 彼女に残ったのは、客観的に見て「魔女モルガン」の悪名と罪過だけだ。

 

「君は誰かに滅ぼされたかったのだと思っていた」

 

 マーリンの呟きに、彼女は首を横に振った。

 

「誰も本気で災厄を振りまく魔女を殺しには来なかった」と、モルガンはため息をつく。

 

「マーリン、貴方の言うような気持ちはもしかしたら、塩の一つまみ程度はあったかもしれない。

 けれど、それでは女神にこの魂を明け渡すことになるの。そんなのは嫌よ」

 

 モルガンは詩を吟じるように囁く。

 

「この血と命はウーサー王の娘として使うもの。この魂と心は私の、私のためだけのもの。

 そんな風に生きて死ぬと決めていた身勝手な私に、命も心も全部使ってしまった人が居た。

 私はそんな人に何一つ返すことができなかった」

 

 モルガンの心に浮かぶのは、政略結婚によって結ばれたはずの男の姿。

 

「だから旦那様の最期に約束したのよ。

 私が貴方に差し上げられるのはもう私の心しかありません、だから私の恋心は生まれかわることがあろうとも未来永劫に貴方のものです、って。

 そうしたら旦那様、自分は死ぬっていうのに心底嬉しそうに笑ったの」

 

 ペリノア王によって致命傷を負わされた一人の男は、そうして二人目の妻に見守られながら息を引き取った。

 

「だから私の魂と意識とあの方への想いを女神なんて過去の遺物に明け渡して、あの方への想いをただの記録にして堪るものですか。

 そんなことになるぐらいなら、私は私の魂を壊します」

 

 マーリンは彼女の狂気のような決意に寒気を感じた。

 そして彼女が王の娘として出来ることを終えた後に、彼女が自身の魂が何なのかを悟った後に、こうして生き長らえた意味を理解してしまった。

 女性の心のこわばりを溶かす時滑らかに動くはずのマーリンの口舌は、鞘の中で錆びついてしまった剣のように動かない。

 

「マーリン、答えて。私を王の後継者から外した理由を」

 

 モルガンは、幼い頃にマーリンから教えを乞うていた頃と同じような表情で、塔を見上げて問うのだ。

 千里眼越しにモルガンのその顔を見て、マーリンはかつて気まぐれに幼いモルガンへ教えたことを思い出す。

 

 遠い昔のエルサレムに居た王が、最後に使った魔術に関する推測。

 モルガンといえどそれをそのまま再現できようはずもないが、応用して己にまつわる因果を散逸させ、自分の魂が英霊として世界に召し上げられる可能性も無にするだろう。

 恐らくその影響で彼女に関する伝承も、まともに残らないはずだ。

 

 マーリンが止めてくれと願ったところで彼女は困ったように笑ってみせるだけで意に介さないだろう。

 マーリンにできるのは彼女の問いに答えてその死を見届けるか、口をつぐんでその死を見届けるか、そのどちらかだけだ。

 

 マーリンはモルガンの問いに、昔、彼女の息子に語ったものと同じ内容を伝えることにした。

 もっともその語りは流暢とは言い難いものだった。アルトリアの生まれた日からずっと、マーリンはモルガンを前にして完璧にことを運べた試しがない。

 

 モルガンは全て聞き終えると、静かに頷くのみだった。

 

「教えてくれてありがとう。さようなら、マーリン」

 

 モルガンは感謝を述べて、塔に背を向ける。

 

 これがモルガンとマーリンの最後の対話になるはずだ。

 彼女の最後の魔術が成功すれば、彼女が自身の魂を壊してしまえば、彼女が英霊として姿を現すことも無い。

 

 塔の部屋に設けられた窓、マーリンの眼前から黒い偽物の小鳥が役目は終わったと言わんばかりに飛び立とうとする。

 

「待ってくれ」

 

 マーリンは思わず彼女を、呼び止めた。小鳥は広げていた羽を閉じ、モルガンは素直に振り返って首を傾げる。

 マーリンは自分でも不思議なほどに、吐き出す言葉に迷った。

 半人半夢魔の魔術師は、結局どれだけ考えても自分では答えが分からないことを、彼女に尋ねることにした。

 何せ、幼かった頃の彼女の話なので。

 

「……餞別代りに教えてくれないかい?

 子供の頃の君が、あの頃の私を心底慕っていたその理由を」

 

 あの頃の私マーリンが人の道や道徳といったものから外れた行いをモルガンに教えたし彼女にしたこともある。

 王や魔術師としての教育で関係ないところでもそういうことはあった。

 あの頃のモルガンとて、マーリンの非人間ぶりは分かっていた。

 

「野暮ね。無粋だわ。本当にそういうところも昔から変わってないのね」

 

 モルガンは半眼になってマーリンの居る塔を見上げた。

 

「誰かを好きになった契機を説明できる人間はいても、何故誰かを好きになってしまうのかを答えられる人間は少なくてよ」

 

 モルガンはそっと目を閉じる。

 

「まあ、そうね。きっかけぐらいは教えてあげる。

 いつだったか貴方が言ったのよ。

 私に最初に接するときに、私に向けられた感情の中で一番強くてしっかりしていたものを参考にした、と。

 それは人間が慈しみと評するような心でお父様のものだった、と。

 貴方が私の前で、お父様の臣下と私の教育役を兼ねた立場として振る舞うなら、一番無難なのは他の臣下の感情と振る舞いを真似て見せること。

 それで私の師として失敗したのなら、それから別の人を参考にすればいいでしょう?

 でも、そうしなかった。貴方は最初からお父様の心を参考に選んだのよ」

 

モルガンの瞼は開き、塔の窓へと視線を向けた。

 

「私と出会ったころの貴方は温かで優しい人に見えたわ。

 簡単に移ろうことの無い確かで温かな心を真似するのを選んだ。

 貴方のその選択をあの頃の私は、非人間なりの貴方の優しさなのだと信じていたかったのよ。

 きっと貴方に夢を見ていたの。貴方が心を弄んだ女性たちと同じように。

 私の愚妹に負けず劣らず愚かだったのよ、あの頃の私はね」

 

モルガンの目元は緩み口元は柔らかな弧を描く。

 

「これで答えになって?」

「……ああ、時間をとらせて済まなかったね。モルガン。ありがとう」

「そう。それでは今度こそ、さようなら。マーリン」

「さようなら、モルガン」

 

 

 微笑む女は塔に背を向け、マーリンのすぐそばの窓から黒い小鳥は飛び立った。

 黒い小鳥は夕暮れのような淡い黄金に染まる空を飛び、唐突に動きを止めて花々の中へと墜落した。

 音もなく乾いた朽ち木のごとく小鳥は割れ、残骸は瞬く間に黒い砂となって風に攫われて跡形もない。

 

 牢獄と定められた塔の中、マーリンは立ち上がって窓から外へと目を向け、その目で弟子の後ろ姿を追いかけた。

 地球の表面で空が夕焼けから宵へと姿を変える程度の時間がたった頃、崩れかけの体でもまっすぐに背筋を伸ばして歩いた彼女の姿を、マーリンは肉眼で追えなくなる。

 マーリン千里眼で彼女の影を追うと、彼女はそのまま一昼夜に等しい時間を歩き続けた。

 

 その間に空の色は移ろい、青白い輝石の煌めく夜空から夜明けの紫と黄金へと色を変えた。

 

 明るくなっていく空を目を細めて見上げて、モルガンはその目を閉じて最後の魔術を囁くのだった。

 

 彼女の体は花々の上に崩れ落ち、指先から足先から土くれのように灰のように崩れいく。

 安らかな寝顔に見える顔が崩れて壊れて、風よけのマントが風に舞い上がったあとには何も残らなかった。

 

 マーリンは、王になれなかった女の最後を見届けて、腰を下ろして目を閉じる。

 不意にかつて仕えた王とその子と最後に仕えた娘の顔が、彼の頭の中に浮かんだ。

 

「なんだろうね。私は得難いものを私に向けてくれる人に限って必ず何かを間違えた気がするよ」

 

 その独り言を、聞く者はどこにも居なかった。

 





この話のモルガンですがsnセイバールートを想定しています。

アルトリアがランサーになる世界線、獅子王になる世界線などでは彼女は別の選択をするかもしれません。

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