王になれなかった女の話 作:石上三年
頭に上った血でガヘリスは目眩がした。
押し入った部屋の寝台では、突然の侵入者に警戒したのか男が女を抱き寄せていた。
男はラモラック。ガヘリスと同じくアーサー王に仕える騎士である。
女の名はモルガン。アーサー王の異母姉にして、アーサーの治世を騒がせる魔女。
ガヘリスにとってはアーサー王に仕えるために旅だって以来、十数年ぶりに見える母だ。波打つ灰色の髪は艶やかで、赤い瞳はルビーとも血とも似て非なる色。それらは記憶のままだった。
しかしモルガンの顔はガヘリスが想像していたよりも遥かに若々しく美しく、いっそ作り物めいて見えた。
ガヘリスは歯噛みする。
ガヘリスの父、オークニー王・ロットとモルガンは仲睦まじく、ガヘリスの記憶の仲でモルガンは留守がちとはいえ、いつでも優しい母親だった。
故に、父ロットを殺した相手ペリノア王の息子ラモラックと、モルガンが情を通じるような行いはガヘリスにとっては裏切りに等しかった。
ガヘリスにとっては母に対する三度目の嘆きでもあった。
一度目は父と供に諸王の反乱に荷担した時。
二度目は兄ガウェインが危機に陥った緑の騎士一件で騎士に呪いをかけたのが母と知った時。
ガヘリスは剣を鞘から抜いて叫んだ。
「魔女モルガン! アーサー王の治世に騒乱をもたらすものとして貴殿の命頂戴致す! 緑の騎士の一件、忘れたとは言わせん!」
ガヘリスは知らなかった。
モルガンに面と向かって彼女を魔女と呼んだ初めての人間が、ガヘリス自身であることを。
そして彼自身が苦痛に堪えるような顔で剣を構えていたことを。
モルガンはそんな我が子の顔を見て、彼女の肩を抱くラモラックの腕に白い繊手を添える。
ラモラックは一瞬縋られたように感じ、驚いてモルガンを見るがすぐにそれが錯覚であることを覚った。
ラモラックの目にはモルガンの表情が憂いに満ちているように見える。
ラモラックの知る彼女は、我が子に敵意を向けられて嘆くような儚い人ではない。我が子が自身の感情の板挟みで苦しみになりながらも剣をこちらに向けることを悲しむような人である。
憎んでしまった方が楽だったでしょうに、という憐れみに似たなにかを抱いている。
けれど内に抱いた憐憫の情を人に見せることを嫌う女性でもあった。
「ラモラック卿! そこをどけ!」
ガヘリスが足を一歩踏み込み剣の間合を詰める。
ラモラックは険のある視線をガヘリスに向ける。
「ガヘリス卿、私を見ろ。貴殿は武器を持たぬ騎士を斬る卑劣漢か?」
「貴殿は殺さん! 私が斬るのは貴殿が庇っている魔女だけだ! 貴殿こそ、その人の所業を知らぬわけではあるまい!」
ガヘリスとラモラックは睨み合うが、先にしびれを切らしたのはガヘリスだった。
二人の居る寝台へ駆け出すガヘリス、その剣の切っ先は迷いなくモルガンへ向かっている。
ラモラックは動けば剣に貫かれて死ぬ。しかし彼は瞬時にモルガンを後ろに押しやった。
ガヘリスは目を見開くが、ラモラックはその表情にしてやったりと嘲笑う。
剣がラモラックの腹を裂かんとした瞬間、甲高い音を立ててガヘリスの剣が弾かれた。
二人の騎士は呆然と、間に音もなく呪文もなく現れた赤い光の障壁を見つめる。
モルガンの魔術であるその赤い光は氷が溶けるように消えた。
「母上……」
ガヘリスは勢いと共にあらゆる怒りを削がれたように悄然として、母を見た。
「母上、ラモラック卿は父上を殺した男の息子です。父上は母上を愛しておられたし、母上も父上を愛しておられたではありませんか。 どうして……」
「私の旦那様を殺したのはペリノアでしょう? あの男はとっくに死なない程度に不幸になれって呪ってるわよ」
モルガンの声は氷のように冷たかった。
彼女の言葉に、ラモラックは「ああやはり」と思った。
ただしラモラックは不幸になる因果を父ペリノア自身が引き寄せた自業自得だと思っている。あくまでモルガンは引き寄せられやすくしただけだ。
「ねえ、ガヘリス。愛や恋は正しさとは無縁の心ではなくて?」
今度のモルガンの声は労るように温かい。ガヘリスは震える声で問う。
「父上と母上はウーサー王の政略の一環とはいえ夫婦となったから愛し合った。違うというのですか!?」
「結婚は切っ掛けに過ぎないわ。そも政略による婚姻は、愛情の観点からいって正しいと言えないのではなくて?」
ガヘリスは言葉をつまらせる。
モルガンはうっとりと、蜜のように甘い声を溢す。
「私は幸運だった。あの方は私にとって最高の夫だった、私の恋心はあの方に捧げたわ、永遠に」
「……待ってください。では何故あなたはラモラックと」
「求められるのは退屈しないわ。ラモラックも承知のうえよ」
モルガンが婉然とした笑みを向けてくるので、ラモラックも微笑み「ああ、そうだな」と肯定した。
その途端ガヘリスの顔が理解できないものへの嫌悪で歪む。
「貴方とラモラックの間にあるのは愛ではない! そんな関係間違っている!」
「貴方には関係ないことよ」
モルガンは温度の無い声で告げると、指先を空中で滑らせる。すると、どこからともなく黒い鎖が現れてガヘリスを締め上げた。
「うぐっ……」
ガヘリスが苦鳴をもらすと、少しだけ鎖がゆるむ。
モルガンはガヘリスから興味が失せたようにラモラックへと微笑んだ。
「じゃあ、もう行くわ。あと私と貴方はこれでおしまい。約束は約束だもの」
ラモラックは情けなく眉を下げる。
「今回は不可抗力ってやつだろう?」
「そうかもしれないけど、約束だったでしょう? 閨に貴方は剣を持ち込まない。閨で私は魔術を使わない。どちらかが決まりを破ればこの関係は終わりにする」
なおも言い募ろうとするラモラックの口に、モルガンは指を添えてそれを封じて微笑んだ。
「さようなら、ラモラック」
次の瞬間、部屋の中に風が荒れ狂い黒い烏の羽根が舞う。
風が収まると、黒い羽根もガヘリスを縛る黒い鎖も、モルガンの姿も跡形もなく消え失せていた。
ガヘリスは歯軋りしながら立ち上がる。
剣を鞘に収め、ガヘリスは寝台の上のラモラックを見やる。
「ラモラック卿、貴方はあの人とあれで良かったのか」
「いいわけあるか馬鹿め」
思わず反論したラモラックに、一瞬ガヘリスは目を丸くする。
「俺は愛している者に愛していると言うこともできない意気地無しには成りたくなかった。彼女のたったひとつの特別になれないことは俺にとって悔しいことだ。しかし、それがどうしたというのだ? 彼女の中で俺がただの有象無象で終わるより余程いい 」
そこでラモラックはため息をついた。
「ただな俺は少しでも長くこの関係を維持したかったんだ。それをお前が邪魔したんだ」
「……それに関しては謝らないぞ」
「知ってるさ、そんなこと」
ぶっきらぼうに言うとラモラックは天を仰ぐように顔をそらした。
この日より、モルガンはブリテンの表舞台から完全に姿を消した。
ラモラックがモルガンをその腕に抱くことは二度と無かった。
目的を果たせなかったガヘリスは、早々に密会の現場を後にした。
「愛や恋は正しさとは無縁、か……」
ガヘリスは母の言葉を口にして、心の中でそれを否定した。
正しさから生まれる男女の愛もあるはずだ、と。
ガヘリスは知らない。
モルガンの放ったその言葉が彼女も意図せずして、ガヘリスにかけられた呪いと成り果てることを。
その呪いは王妃ギネヴィアと騎士ランスロットの不貞が暴かれた日から、ガヘリスの心を蝕むこととなる。
※なおモルガンはガヘリスが駆け出した時にラモラックが迷った場合、自分は迷わずラモラックを肉盾にする。