王になれなかった女の話 作:石上三年
後に花の魔術師と呼ばれる半人半魔の男は、仕事の合間に城に作られた塔から中庭を眺めていた。
魔術師の男マーリンが王の長子を喜ばせるため作った中庭はマーリンの魔術で花が咲き乱れ、華やかながらも花をつける薬草園と変化している。
その中庭で王の後妻イグレインが王の長子である王女モルガンと己の連れ子であるモルゴース相手に薬草についての知識を与えていた。
笑顔が絶えず仲睦まじくある義親子の様子は、マーリンが端から見て三人の中でモルガンに血の繋がりがないということを忘れかけるほどである。穏やかな光景だ。
そんな中、ふとモルガンが視線をあげて当の上のマーリンに気付いて目映いほどの笑みを見せて大きく手を振った。マーリンはそれに小さく手を振り替えしてから、穏やかな光景に背を向ける。
マーリンは人と夢魔の合の子であり、名実ともに人でなしであり、またうっすらとその自覚があった。
モルガンは幼いながらも聡明でマーリンの実態を知りながらも、心の底から師として憧れの対象として慕っていた。
マーリンはそれを心底不思議に思いながらも、好奇心から夢の中で彼女の憧れを男女の慕情に変えてしまうような真似を魔術の修行の一環も兼ねて試してみた。マーリンはその試みに期待はしていなかった。
しかしマーリンの戯れは成功してしまい、夢魔としての栄養価と味の好みを両立する感情を彼女から継続的に得られるようになった。
その一方で王の臣下として、師として、人として、あるまじき振る舞いであることも彼は理解していた。
そして王の娘はマーリンの理解を超えていた。マーリンの非道を理解しながらも、彼女の感情は今なお若芽が成長するようである。
マーリンは己の主であるウーサーにそのことを話してみたが、現実の肉体に手を出していないことを知ればウーサーはその拳を下ろした。
「私が王でなければ、お前とモルガンが魔術の師弟でなければ、双方に自覚がなければ、あの娘の肉体に傷がついていれば、貴様を殺す気で殴っていたぞ。マーリン」
そう凄んだウーサーの怒りは本物であった。
ウーサーは知っていた。
マーリンが最初モルガンに接するにあたり、ウーサー自身がモルガンに直接向け損なった父親としての感情を再利用していたことを。
それによってマーリンは保護者らしい態度を獲得し、モルガンを導くのに成功したのだ。
ウーサーの怒りの具合からして、マーリンはようやく自分がかなりのことをやらかしたようだと曖昧ながらも理解した。
まあ、でも、王になったあの子の手をひくのは自分になるだろうし。
マーリンはこの時点で問題ないだろうと、たかをくくっていた。
しかし、ウーサーが9番目の後継者候補をつくる計画を提案した時、マーリンは「自分好みの過程が長そうだから」 と、モルガンの最期までそばにいるという予定をあっさり放棄した。その選択はマーリンであっても他の誰であっても罪と呼べるものではなかったかもしれない。当然彼もまた何ら罪の意識を抱いてはいなかった。
それから時は流れて、マーリンとウーサーの「理想の王」を作る計画は、その要となる9番目の子は世に生まれ出でた。
アルトリアの実母イグレインは、出産の時に逆流してきた赤子の魔力によって死亡した。竜の性質を持つ赤子の魔力によって内側から体を焼かれるような苦痛を味わって気絶するように事切れたはずだ。
その日はモルガンの魔力の暴走もあり、イグレインの遺体の処置は後回しになってしまっていた。
出産に使った部屋につくと、焼け焦げた肉の臭いが漂っていてマーリンは顔をしかめた。魔術的な処置の理由もあり、産婆を務めた老婆を除けばその部屋にいたのはマーリンだけ。部屋に残されたイグレインの遺体は簡素な木の寝台の上に横たわり、首から下には布がかけられた状態で安置されていた。老婆の体力ではそれができる限界だったのだろう。
布をペラリとめくれば過剰な魔力の余波のせいかひどい有り様である。これを見たらただでさえ弱っているモルガンが更に消耗すると予測して、マーリンは非効率かと思いながらも魔術で遺体を修繕していった。
修繕しながらマーリンはふと思い出す。イグレインの最期、マーリンが苦痛以外に夢魔として感じ取ったのは、彼女の二人の娘の未来への憂いだ。
人の心への配慮が薄いマーリンでさえ疑問に思った。
「一般的な母親というものは出産時には、目の前の赤子を気にかけるものではないのか」と。
こういった疑問に答えてくれそうな弟子も、流石に慕った義母の悲惨な最期を知ればとても苦しむだろうと思えたのでマーリンはその疑問を忘れてしまおうとすぐに決めてしまった。
恐らく伝えていれば、後のアーサー王と妖妃モルガンの運命はまた違うものになっただろう。伝えていれば恐らくより凄惨な方向に。
マーリンはそういった予想をしたわけではないが、忘れると決めた疑問を胸のうちにしまいこみ、モルガンが死ぬまで掘り起こすような真似をすることはなかった。
生まれて間もない赤子といえど大声を上げて泣くアルトリアの息吹は竜種のそれである。
マーリンは結界を張ってアルトリアを城の地下に隔離せざるをえなかった。
最初は護符を与えた乳母をつけていたものの、すぐに壊れてしまう護符の費用が馬鹿にならないのでマーリンはウーサーに睨まれてしまった。
結局動物の乳をマーリン手ずから匙でアルトリアに与え、その隙に魔術でアルトリアを強制的に眠らせる仕掛けを施した。その他の世話は眠っている間に侍女たちに行わせた。侍女の仕事が終わればマーリンは、アルトリアの肉体を魔術で弄りながら人の中でも生活できるよう機能を調整していく。
そんな日々を過ごすうちにマーリンはモルガンへの説明を疎かにした。
侍女たちの噂話からモルガンが奇妙な夢を夜毎に見ていると聞くまで、彼は自分が弟子に義母の死に関してまともに言葉をかけていないことに気づいたのだ。かといって人間らしい情の通った慰めの言葉など、ウーサーや弟子から知識として学んでいる最中であったマーリンには見当すらつかないのである。
結局非人間の魔術師は弟子にかける言葉を後回しにして、ウーサーの執務について城の外へ出かけてしまった。
翌日帰ったマーリンを出迎えたのは、アルトリアの眠る部屋の破れた結界の気配である。マーリンが焦って己の千里眼で地下を垣間見ると、モルガンが赤子のアルトリアを腕に抱いて涙を滝のように流しているのである。
結界破りが誰かは分かった。しかしマーリンにはその光景の意味するところが全く分からなかった。
マーリンが息をせきって地下に駆け込むと、モルガンは赤子を抱いたまま彼から距離を取る。光彩以外も赤く染まった目でモルガンはマーリンを睨んだ。
マーリンは愕然とした。
モルガンから強い警戒とかつてない怒りを感じ取ったからである。
「この子を王にするつもりなの。あんな騎士たちの屍の上で孤独な終わりを迎えるのを良しとするの? どうしてこの子を一人にするの? 私の妹なのに」
そのモルガンの問いかけの声は、並みの人間であれば背に冷や汗をかくようななおどろおどろしさが溢れていた。
しかしマーリンはその問いのきっかけこそが恐ろしいものだと直感した。
「モルガン、君はいつ何を見た?」
「この子を腕に抱いた時に見たの。この子が大きくなった姿で、何故かこの子だとら分かる姿で、屍の丘の上で治せないのような傷を負いながら剣を握って、一人でうずくまって泣いていた」
モルガンは赤子を更に強く抱き締める。
マーリンは、何故かそれがモルガンが守るためでなくモルガンがすがるための振る舞いに見えた。
マーリンは非人間である。
夢魔の血をひくためがモルガンの心が血を滴らせるように深く傷ついていることは分かっても、彼にはそれがどんな風についた傷なのかは分からなかった。
マーリンが歩み寄るとモルガンは更に赤子を抱き込んで身をすくませる。
マーリンはモルガンがもっと幼い頃に誉めた時のように彼女の雨雲のような髪の上に手を置いた。あの頃はそのまま髪をすくように撫でるだけで、少女の笑みを見ることができた。
今は灰色の旋毛が見えるだけ。
「どうか今はお眠り」
マーリンが眠りの魔術をかけると少女の体がふらりと揺れる。マーリンが赤子共々倒れるモルガンを抱えこむ、赤子の方はすやすやと眠ったままだ。
マーリンは魔術で赤子を浮遊させ寝台の敷布に収めると、モルガンを横抱きにして部屋を出た。
彼の足取りに迷いは無い。ウーサー王に使える魔術師として、千里眼の持ち主として、為すべきを為す。彼はそのためだけに歩き出したのだった。