時空に空いた大きな穴の中から、金色の鯨は舞い降りた。
晴天の空から一変して吹き荒ぶ雪によりホワイトアウトしてしまい、イレブンには自分の掌さえも見えなくなっていたが、そのような中でもケトスは迷うことなく翼を動かしていた。
固く降り積もった雪を崩すほどの強風が、常に吹き荒れる。
だが如何なる強風でさえも、その翼を狂わせることはできない。
雪の中を泳ぐように呼ぶ姿は、あの最後の戦いを彷彿させるものであった。
灰白に塗り潰された世界に、薄らと煙のようなものが見えた気がした。
同時に、何かが焼けたような煙たいにおいが流れてくる。イレブンはよく目を凝らした。
ケトスはその方向へと飛んでいるようであったので、暫くすると、チラチラと見え隠れする赤が姿を現す。それはこの世界で見る唯一の『色』であった。
聳え立つ山の中に建物らしきものが見える。
何かと不便そうな所に建てられたそれは、家というよりも何かの施設、あるいは研究所のように思えた。
先ほど見えたものはやはり煙であったらしい。なんと煙は、その建物から上がっていたのである。
そうして、やっと全貌が明らかとなった。
雪の中、燻り続ける火。崩れ落ちた建物。
そこには……。
かつての彼の故郷を思い起こさせる光景が、広がっていた。
――……。始まりの地は此処に。
ずっと黙したままであったケトスが、告げる。
イレブンはただ、じっと、瓦礫となった建物を見ていた。
――空を求めし時は 天空の笛で
どうか私を 呼んで下さい
着地出来そうな距離までその巨体を近付かせたケトスは、イレブンを下すとそう言った。
ばさり、ばさりと、金色の翼がはためき、降り積もる雪を崩す。
ケトスは大きく声を上げると、再び空へと飛び立っていった。
残されたイレブンは、その姿が消えるまでその場に立ち尽くしていた。
「……っ、」
不意に、彼の耳に何かが聞こえた。
後ろを振り向くが、人影はなく、崩れ落ちた瓦礫の山がただ広がっているだけであった。
周囲を見渡した彼は、何とか形を残している建物へと向かうことにする。
吹雪に足を取られそうになるが、旅の中で何度も雪山を駆け回った経験が役に立つ。
火が燻った痕を残す壁が、その身を崩しながらも何とか聳えていた。
元は白亜の壁であったのだろう面影を残しながら、ただそこに立つ姿はもの悲しい。
地面に崩れた欠片は爪先で踏んだだけで、あっという間にぼろぼろと砕け散っていった。
守りの壁を失った建物の内部は、雪に侵食され始めていた。
その降り積もり具合から、この場所が陥落してからそう時間は経過していないようである。
「……い、」
ふと、声がした。
耳を澄ましたが、それはもう聞こえなかった。
イレブンは入れそうな部屋を一つずつ見ていく。
使い方も名前もわからなかったが、機械のようなものが沢山あることから、やはりこの場所は研究所のような場所なのだろうことは想像に付いた。
彼は部屋の隅に並んだクローゼットへと近付くと、ぱかりと開けた。
中には白衣と、少女を模った人形が置いてあるのが見えた。
フィギュアというヤツであっただろうか。
精巧につくられた少女は、可憐な笑顔と完璧なポーズを保ったまま、綺麗に整列させられていた。
「……お、……」
また、声が聞こえた。恐らく先ほどの声と同じだろう。
イレブンは耳をすませた。
しかし、なにもきこえなかった。
次に、イレブンはクローゼットの隣にある壺を手にすると、躊躇なく地面へと叩き付けた。
ぱりん、と軽い音を立てて割れた壺の中から葉っぱのようなものが出てくる。
彼は手慣れた動作で、その葉っぱ『やくそう』をふくろにしまう。
そして、部屋をぐるりと見渡すと、踵を返すことにした。
この部屋はもう何もないだろうと判断したからである。
そうして、また次の部屋を探索しようと彼が出口へと足を向けると……。
「お、い!……待……て、」
ぴたりとイレブンの足が止まる。
その声は、今度ははっきりと聞こえた。
声がした方を振り返ると、なんと半分瓦礫に圧し潰された部屋の隅の方に何かが蹲っているのが見えた。
それは、深くフードを被っており顔は良く見えないが、ぼろぼろになった服に血が滲んでいることから、何処かを怪我しているのだろう。その姿と苦しみが滲んだ声からして、動けなくなるほどの深い傷を負っているに違いない。イレブンは男に近付くと、膝を付いて様子をうかがった。
「……っは、……。
随分……騒々しい、物取りが……来たもんだ。
いい度胸、してやがる……」
フードの隙間から見えた獣を想わせる目が、ぎらりと輝く。
男は手にしていた杖を、イレブンに突き付けた。
「……だが、……ここには、もう……なにも、ないぜ……。
全部、壊されちまった……」
からん、とその手から杖が落ちた。
男は奥歯を噛み締め、口惜しさを隠さずに、イレブンを見上げた。
見えるのは口元だけであったが、男の感情を窺い知るには充分であった。
どうやら男に話を聞く必要がありそうだと判断したイレブンは、治療をするためにその手を、男へと翳した。男は警戒するように身を動かしたが、思うように動かすことができなかったのだろう。
男が回避しようとするよりも早く、イレブンは呪文を唱える。
――あたたかな光が男を包み込んだ。
「……っ!……こいつは、驚いた」
見る見るうちに塞がっていく傷口に、男は驚いた様子で目を見開いた。
そして、魔力の枯渇により鈍っていた頭も体も、霧が晴れるように満たされていくのを感じた。
回復したのは傷だけではなかった。なんとその体に流れる魔力までも、満タンに戻っていたのだ。
「……アンタ、マスターなのか?」
訝しむ、というよりも不思議そうな顔をしたキャスターに、イレブンは首を傾げる。
その反応に眉を顰めた男は、地に落ちた杖を拾うことなく崩れた瓦礫に靠れると、空を見上げた。
「……。此処で何が起きたか知りてえって顔だな。
アンタもワケありだろう?此処に新顔が来れるわけねえ」
大きく息を吐いた男は、そう言うとぽつぽつと語り始めた。
―勇者の星を知っているかい?
ああ、良く知っているじゃねえか。
かの伝説の勇者サマが邪神を討った後、世界を見守るために星となった。
だから、勇者の星なんてご大層な名前が付いているが、そりゃ違う。
あの星は勇者サマじゃなくて、邪神サマが眠っていたってことさ。
んあ?なんでそいつを知ってるかって?
そのくらいは誰でも知ってるぜ。特に俺のような知的な英霊はな。
……何だよ、その顔は。
だがまあ……知られた話でも、あくまで歴史の一つだった。
いや歴史っつーよりも、伝説の一つだな。
知っているだけで、実際にそいつをこの目で見ることになるとは……。
ああ、そうだ。突然勇者の星が、落ちて来た。
空が赤く染まり、頭上には赤い巨星が浮かぶ。
まさに世界の終わりだ。
もちろん、はいそうですかと簡単に諦めるわけがねえ。
何か対策がある筈だと思ってな、カルデア中がてんやわんやよ。
物理的に止めようとしても、魔術を当ててみても……。
何をしても効果はない。
そこでカルデアきっての頭脳派である俺が、転送魔術で星ごと飛ばしちまおうと提案したのさ。
だがな……問題が起こった。
邪魔が入ったのさ。
エネミーとは違う、あれは伝記に記されていた『まもの』と同じ姿形をしていた。
闇の気配を感じ取った時は遅かったんだ。
見たこともねえ禍々しいモンがひしめいていやがった。
……。最悪なことに、奴らに
せめてマスターだけでも逃がそうと思ってな。
手を打とうとしたんだが、回り込まちまってよ。
……。ああ、そうさ。守り……きれなかった。
あの機械を見ただろう?
あれは、マスターの代わりに英霊へと魔力を供給する重要な機械だ。
破壊されていただろ?
あいつら真っ先にあの装置を壊しやがった。
まるではじめから……。いや、なんでもねえ。
暫くして前衛が崩された。んで、後は想像できるだろ?
魔力供給を絶たれ、マスターを失った英霊は現界するのがやっとだ。
……単独行動スキルの低いモンから順に座に還っていったさ。
俺も魔力は尽きていた。もう直ぐ消えると思ったんだがなあ……。
にしてもわけわからねえ野郎だな、お前さん。
突然現れて何をするかと思えば……。
引き出しは開けるわ、ツボは割るわ、散々荒らしやがって。
火事場の物取りかと思ったぜ。
そんなヤツに、まさか助けられるとはな。
相変わらず悪運が強いのか……。
アンタの魔力は、悪くねえぜ。
……寧ろ、上等だ。これ以上ないぐらいにな。
……。俺の話は此処で終わりだ。
次はアンタの番だぜ―
男の話に、イレブンは目を細めた。
この地に現れた勇者の星は、彼にとって憶えがあり過ぎるものであったからである。
何を隠そう、邪神の封印体であるそれを滅したのは、イレブンとその仲間たちであったのだ。
勇者の星が、何故この地に現れたのか。そこまで考えて、ふと気が付いた。
そもそも此処が何処なのだろうか。
ケトスに連れて来られたため、この場所のことを何一つ知らないのである。
はっとしたイレブンは、目の前の男に尋ねた。
「あん?此処は何処だって!?
……。そういや、アンタ……何処から来たんだ」
男は眉を顰めると、鋭い目をイレブンに向けた。
いくら助けられたとはいえ、疑わずにはいられない。
彼が、いや他の人間がいること自体がおかしいのである。
「……はああ!?ロトゼタシアだと!?
おいおい、こんな時に冗談言ってる場合じゃね……え……」
イレブンは咄嗟に、自分のいた世界の名を告げてしまったが、よくよく考えればとてもざっくりとした答えである。世界の名前を言ったとしても、それはそうだろうと呆れた目を向けられるだけだ。少なくとも彼はそう思って慌てて彼がいた村の名前を付け加えようとしたのだが、何故か怒鳴られてしまう。
男の反応を理解できず、イレブンは困惑した。
良くわからないが拙いことを言ってしまっただろうかと、謝罪の言葉を口にしようとした時、イレブンの頭の天辺から爪先まで目を向けていた男が、その険しい表情を変え驚愕した。
その
「そ、……の、紋は……!」
力なく靠れさせていた体を、バネのように跳ねらせると男は、がしりと乱暴にイレブンの手を掴んだ。
そしてまじまじと手の甲を見る。
そこにあるのは、命の大樹より認められた証である竜の紋章であり、男の言葉に応じるかのようにその紋章はふと光輝いた。
それを信じられないものを見る目で見た男は、息を詰まらせると、何かを言おうとして口を閉ざす。それを何度か繰り返した男の、震える唇と、手。ぎりりと奥歯を噛み締める音が響いた。
「……っ、くそ!!そういう、こと、かよ……。
あと、……あともう少し……、堪えて、いれば……」
竜の紋章を持つ者。その存在の名前に、男は気付いてしまった。
そして、その者が此処にいる意味を……。
「……っ!……悪いな、ちいと……一人にしてくれや」
力なく項垂れた男は、小さな声でそう言った。
イレブンは一つ頷くと、立ち上がる。
そうして部屋を出て行くその後姿を、男は見つめていた。