ハチナイ PM   作:ファルメール

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第10球 龍VSみづき 1

 

 昨年の夏。

 

「有原、バッティングピッチャーやりに来たわよ!!」

 

 元気の良い声が、グラウンドに響く。

 

 地区予選で見事優勝し2日間の休養の後、全国大会へ向けての特訓を行なっていた翼達、藤浦シニアの練習場にやってきたのは、誰あろう決勝で地区代表を争った好敵手、みづきと将城であった。

 

 二人ともユニフォーム姿であり、いつでも練習に参加出来る出で立ちだ。

 

「鏡原さん、どうしたの?」

 

「さ、どうぞどうぞ」

 

「あぁ、気にしないで続けて続けて」

 

 集まってくる藤浦シニアのメンバーを「いいからいいから」と制すると、みづきは持っていたバッグから愛用の両利き用グローブを取り出した。将城も既に、防具の装着を始めている。

 

「いやあ、中学での野球が終わってヒマだからね。私達に勝ったあなた達には全国で頑張ってほしいから、バッティングピッチャーやりに来たの。邪魔にはならないわよ」

 

「ほ、本当?」

 

「やったあ、鏡原さん。早速俺からお願いします!!」「いや、俺から!!」「決勝で投げた浮き上がる球を投げて下さい!! 今度こそ打ってみせます!!」

 

 思わぬ助っ人の登場に、藤浦シニアの士気は上がったようだ。特に決勝でみづきにきりきり舞いさせられた二人は、バットを持って我先にとバッターズボックスに駆け込もうとしている。

 

「よし、じゃあ将城。さっそくキャッチャーズボックスに入りなさい」

 

「応さ」

 

 防具を装着し終えた将城がどかどかとグラウンドを走りつつ、守備位置に付いた。

 

 みづきもマウンドへ向かおうとする。

 

 と、そこで、翼に呼び止められた。

 

「鏡原さん」

 

「ん?」

 

「ありがとう。ここまでしてくれて」

 

「良いのよ」

 

 あっはっはっと笑いつつ、みづきは機嫌良さそうに大きな体を揺らす。

 

「私が好きでやってる事だしね。私達に勝ったあんた達が一回戦で負けたりしたらこっちの立つ瀬が無いでしょ。それに……」

 

「それに?」

 

 ここで、みづきはちょっと言葉に詰まった。

 

「ん……いや、これは個人的な事なんだけどね。あなた達には、少なくとも去年の私よりも強くなっていってほしいのよ。でないと、私は友達に合わせる顔が無いと言うか……何と言うか……」

 

「??」

 

「いや、まぁそれは良いか。さ、練習よ有原!! 全国大会まで、時間はもうそんなに残ってないんだから!!」

 

 

 

 

 

 

 

「有原さん、鏡原さん、そして岩壁さんも。あなた達はいつまで素人とこんな野球ごっこをしているつもりかしら?」

 

 女子野球同好会のグラウンドにやってきた東雲龍は、開口一番にそう言い放った。この暴言には夕姫や茜も怒りを見せる。

 

「なっ……いきなりやって来てそんな言い方はないと思います!!」

 

「茜たちだって真剣にやってるのに……」

 

「そもそも、あなたは何なの?」

 

「彼女は東雲龍。2年前の全国大会で、私が所属していた君嶋シニアと対戦した蔵元中央シニアに所属していた選手よ」

 

「私が居た藤浦シニアとも、去年の全国大会で対戦したよ」

 

 みづきと翼が、それぞれ説明する。そんな二人へ龍が向ける視線には、明確に敵意が籠もっていた。

 

「有原さん、あなたとはもう一度対決するものだと思っていたのに、素人を集めて野球ごっこを始めるなんて」

 

 鋭い龍の視線が、今度はみづきへ移った。

 

「そして鏡原さん。あなたは私との約束を破った」

 

 みづきは「あちゃ、やっぱりそれか」と額に手をやる。

 

「東雲、確かに私は再戦の約束を守れなかった。でもそれは……」

 

「私が怒っているのは再戦できなかった事、それ自体ではないわ」

 

 みづきの言葉の途中で、龍は強い口調で押し出してきた。心なしか、先程より語調が荒くなっている気がする。

 

「勝負は水物だし、相手チームだって死に物狂いでプレイするから絶対は無い事ぐらい私は分かっている。私が許せないのは、あなたが本気で試合をせずに負けた事よ」

 

「!」

 

 ぴくり、とみづきの右眉が吊り上がった。

 

「……東雲、それはどういう事かしら? 私は野球については真摯で清潔なつもりよ。断じて手抜きで試合をやったりはしないわ。それに今のあなたの言葉は、当時の私達どころか、私達に勝った有原達にも失礼よ」

 

「撤回してもらいたいな」

 

 みづきと将城が、どちらも顔と声に僅かな怒りを滲ませ始めた。

 

「ではどうして、あなたは地区大会の決勝戦で、最初からピッチャーとして投げなかったの? あなたのチームは素人に毛が生えたようなメンバーばかり。そんなメンバーに投げさせていたから、6打点を守り切れずに負けたんじゃ……」

 

「東雲!!」

 

 強い声で、みづきが言った。

 

 思わず、びくりと龍が体を震わせる。

 

 同じ反応を、将城以外の女子野球部のメンバーも見せた。彼女以外では比較的付き合いの長い翼でさえ、優しくて穏やかなみづきしか知らない。彼女がここまで大きな声を上げるのを、皆初めて見たのだ。

 

「東雲、私はあなたの実力も才能も、素晴らしい事は知っているわ。そして、それを支える努力をしている事も分かる。でも、でもね、東雲」

 

 噛み含め、諭すように言う今のみづきは、既にいつもの穏やかで大人しい彼女に戻っていた。

 

「人様をナメちゃいけないわよ。最初から上手く出来る人間も、いつまでもダメな人間もいないわ」

 

「……それは、どういう」

 

「東雲さん、あなたは去年の地区予選決勝、試合展開と結果しか見ていないだろ」

 

 将城が、相棒の言葉を補足した。

 

「私とご主人が2年の時と3年の時では、チームが変わったんだ。チームが変われば、メンバーの編成が変わるのも当然だろ」

 

「確かに東雲、あんたのチームと試合した時は、1試合平均失策数15の大ザル集団、チームの平均打率は2割を切るという貧打線だった。だから勝つ為には、私が1番で出て可能な限り沢山ホームランを打って、可能な限り三振を取ってボールを前に飛ばさずに勝つしかなかった。でも、あなたのチームに負けてから1年、みんな頑張ったのよ」

 

「『あんなに頑張ってくれた鏡原を見殺しにした悔しさを、忘れるんじゃねーぞ!!』ってな」

 

「そして、一年後に有原達と試合する頃には、みんな変身していたのよ。平均失策数は0.7、チーム平均打率は4割5分3厘……私は自分でも相当練習する方だとは思ってるけど、当時のチームのみんなはそんな私が見ても引くぐらい真剣に、物凄い練習をしたのよ……嬉しかったなぁ、あの時は」

 

「みんなが自分の為にそこまでしてくれるなんて、嬉しいよね」

 

 遠い目をして懐かしそうに語るみづき。翼に掛けられたその言葉を受けて、一瞬だけきょとんとした表情になった。

 

「ん? あぁ、有原、それは違うわ」

 

「えっ?」

 

「確かに、私の事をそこまで思ってくれるのは嬉しかったけど。それ以上に、自分より凄い練習をする人がこんな身近にいるって分かったのが、嬉しかったのよ。そして刺激になった。野球に限らずあらゆるスポーツは、上手くなったと思ったその時から下手になっていくからね。こんな凄いチームメイトに、負けてたまるかって気持ちになれたのが、嬉しかったのよ。たまらなくね」

 

「くくっ、野球バカが」

 

 将城が、楽しそうに喉を鳴らした。

 

「……と、話が逸れたわね、東雲。そんな風にチームがパワーアップしたから、編成方針も作戦も変わったのよ。私一人が投げて打たなくても、ピッチャーは実力的に二番手三番手でもローテーションさせて負担を減らし、多少点を取られても打線が強力になっているから取り返せる。それでもどうにもならなくなったら、私がリリーフとして出て鎮火する。十分、戦術としては成立すると思うけど」

 

「む……」

 

 みづきの言葉は嘘ではない。昨年の地区予選決勝でも、翼達藤浦シニアは9回で1点勝ち越し、更にノーアウト満塁という大チャンスながら、リリーフとしてマウンドに立ったみづきによって抑えられ、そして9回の裏では、一人出て危うくこれまで三打席連続ホームランのみづきに回るかという所で、辛うじてゲッツーで逃げ切り、打順を回さぬまま7対6で勝利したのだ。

 

 もし。野球に「もしも」など無いが、それでもあの時、もしみづきに打順が回っていたとしたら、彼女は確実に逆転サヨナラホームランを決めていただろう。あの時の試合は、それほど紙一重の勝負だった。

 

「……確かに、それは私が間違っていたかも知れない。謝るわ」

 

 龍は認め、頭を下げた。

 

「でも、鏡原さんに有原さん、そしてキャッチングの技術だけに限れば岩壁さんも。あなた達3人は、もっとレベルの高い所で野球が出来る筈よ。こんなお遊びじゃなく、もっとちゃんとした野球が出来る、自分に相応しい場所に行くべきよ。あなた達の才能が涸れる前に。特に鏡原さん」

 

「え? 私?」

 

「そう、悔しいけどあなたには私や有原さんよりも、何倍も凄い才能がある。なのにあなたはその才能をモノマネなんていう余興野球で無駄遣いするばかり。野球をやる人なら誰でも泣いて欲しがる才能を、遊びで使い潰すなんて野球の神様への冒涜よ。今度、私が所属するクラブチームに推薦するから……」

 

「ちょっと……」

 

 何故、赤の他人である龍にそこまで言われなければならないのか。

 

 そう考えた将城が流石に咎めるように前に出るが、みづきに制された。

 

「うん、東雲。あんたの言う事、間違ってないわよ」

 

「えっ」

 

 意外と言えば意外な言葉が、みづき自身の口から飛び出した。龍も、食って掛かってくるのかと思っていたらしい。狐につままれたような顔になった。

 

「私も時々思うわ。もし、子供の頃から実績のある指導者に恵まれて、設備や環境が整った所でカッチリとトレーニングを積んでいたならどれだけ完璧で最強で無敵で……いやまぁ兎に角スゴイ選手になってたんだろうなぁ……ってね」

 

「分かっているなら話は早いわ。今からでも遅くないわ、あなたはその才能に見合った場所で野球を……」

 

「でもね、東雲」

 

 大きな声で、みづきが言った。今のは、先程のような怒気を孕んだものではない。大きくはあるが、自信に満ちて、落ち着いた声だった。

 

「今の私は、完璧でも無敵でも最強でもない……でもだからこそ、それ以上なのよ」

 

「…………」

 

「納得出来ないって顔ね?」

 

「当然よ。あなたは……」

 

「言葉で説明するものでもないでしょ」

 

 ひょいと、みづきは置いてあったバットを取ると、手の中でくるりと回転させて持ち手を龍へと差し出した。

 

「今の私が上手くなっているか下手になっているか、才能が溢れているか涸れているか。自分で確かめていったらいい。ちょうど昨日……遂に、私が野球を始めた時から十年以上の時間を掛けて、研究と練習を続けていた魔球が、とうとう完成したのよ。東雲、あんたはその実戦テストに、うってつけの相手だ」

 

「魔球……?」

 

 胡散臭そうな目を向ける龍。

 

「魔球!!」

 

 対照的に、翼はそのキーワードを受けて目を輝かせた。

 

「そう……名付けて『魔球0.0625』!!」

 

「魔球0.0625……?」

 

「私に、味わっていけという事かしら……?」

 

「うん♪」

 

 にっこり笑って、みづきが頷く。

 

 ハッタリではない。龍にもそれは分かった。十分な練習を積んできた、その自信、重厚さを感じさせる笑みだ。直感で、それが分かる。

 

「良いわ。バットとヘルメットを借りるわね」

 

「じゃあ、キャッチャーは……」

 

 ここで、本来であれば恋女房の将城が受ける所だが……

 

「すずわか、あんたに頼むわ」

 

「えっ……」

 

 これは、予想外だった。確かに、ポジション決めではキャッチャーを志望してはいたが……

 

「ちょ、ちょっと待って……私はまだ普通の変化球も取れないのに、ましてや魔球なんて……」

 

「いいからいいから」

 

 あたふたして断ろうとする和香だが、ささっと動いた将城が手際良く道具を付けさせると、キャッチャーズボックスまで連行して、力尽くで座らせた。和香も少しは抵抗したが、ぽっちゃり体型でみづきほどではないにせよ体が大きな将城はパワーがあって、押さえ込まれてしまった。

 

「じゃあ、審判は有原に頼むわ」

 

「私?」

 

「うん。私が投げて東雲が打つ。残った野球経験者の中で将城は私の相棒だから、あんたのジャッジのが公正でしょ。それに……」

 

「それに?」

 

 にんまりと、悪戯っ子のようにみづきが唇の端を吊り上げた。

 

「見たいと思わない? 魔球を、特等席で」

 

「見たい!!」

 

 今の翼は、瞳の中に星が見えるようだった。それぐらい、目が輝いている。

 

 こうして翼が審判の位置に立った。

 

 みづきは和香と10球ばかりキャッチボールをして肩を慣らした後で「良いわよ」と合図を送る。

 

 それを受けて龍が右打席に立って、構えた。

 

 良い構えだ。

 

 翼にも、みづきにも一目で分かった。

 

 きっと毎日素振りをして、何度も鏡の前でフォームをチェックしたのだろう。力みが無く、リラックスした自然体でだが力強さを感じさせる姿勢だ。

 

「じゃあ、行くわよ!!」

 

 みづきが、振りかぶる。

 

 投げ手は右。フォームはオーバースロー。

 

 ゆったりとして、体重移動も完璧。こちらも龍のバッティングフォームに劣らず、美しさをも感じさせる完成度の高い動作だった。

 

『魔球0.0625……0.0625って何の事だろう? 0.0625シーム? それとも打者の0.0625メートル手前で曲がる変化球とか?』

 

 翼が、興味津々という目でみづきの一挙一動に注意を払う。

 

『魔球……曲がる球か落ちる球か……それとも、まさか浮き上がる球かも……』

 

 どんな球が来るのか。和香は緊張して捕球に全神経を集中すべく、構えに力を入れた。

 

 そして、リリース。

 

 みづきの手から離れたボールが、向かってくる。

 

 打者、捕手、審判。三者全員が、それぞれ目を見張った。

 

『こ、これが』『鏡原さんの』『魔球か!!』

 

「甘いっ!!」

 

 キィィィンン……!!

 

 心地良ささえ感じさせる、澄んだ打球音がグラウンドに響く。

 

 龍のスイングはボールの真芯を確実に捉え、白球はピンポン球の如くみづきの遙か頭上を越えて、センターオーバー。そのままグラウンドの外へと消えていく。文句の付けようがない、見事なホームランだった。

 

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