総勢11名となった女子硬式野球同好会。
本日は、龍が入会して初めての練習だった。
ひょろっ、ひょろっ……
この日、茜は素振りをしていたが、恐らくは十数回目に達した所でみづきに止められた。
「宇喜多さん、その振りじゃダメよ」
「え……」
うっすらと汗を浮かべて、ちょっと息を切らしている茜はバットのヘッドを地面に付けて、みづきを振り返る。
「良い? 今の宇喜多さんの振りは腕だけでバットを振っている。それじゃダメ」
そう言ってみづきは、バッターズボックスへと移動した。右手にバット、左手には硬球を持って右打席に入る。これはノックの構えだ。
「見ていて。腕だけの振りでは流石の私でも……」
ぽいっと投げ上げたボールを、打つ。しかしこのスゥイングは確かに言った通り腰を回さない、腕だけを振り回したものだ。
響く快音。
打球は低い軌道を描いてセンター前に落ちた。
「……と、このように内野の頭を越えるぐらいが精一杯」
「う、うん……」
「バッティングはね、まずは足で地面を蹴ってその力を腰に伝えて腰を回し、その回転の力を腕からバットに伝達させる。要するに全身の力で打つの。寧ろ腕の力は右打者の場合、左手はバットの操作、右手はボールの勢いに負けないようにバットを支える為に使うぐらいで良いの」
ジャージのポケットから、みづきは二球目の硬球を取り出した。
「全身の力を使って打つ。だから……」
投げ上げて、打つ。
先程と同じく快音が鳴って、だが弾道は全く違っていた。
高く上がった白球は青空に見事な放物線の軌跡を描き、ヒマワリ畑を越える程の飛距離を叩き出した。「おおっ」と歓声が上がる。
「だから、クリーンヒットもホームランも打てる。その為には……」
みづきは構える茜の傍まで来てしゃがみ込むと、右足に触った。
「この軸足を、振る瞬間に前に蹴り出す。そして腰を回転させる。腕はその体幹の回転に巻き付くように、最後に出てくるようにする。すると……」
ぶおんっ!!
「……音が、変わった」
「ね?」
フォームの矯正の前後で、同じ人間が出しているものとは全く思えない程にスゥイングが様変わりした。
「へえ」
龍が、感心の溜息を一つ。
「少し、意外だったわ」
「え、どうして?」
隣にやって来た翼が尋ねてくる。
「こう言ってはなんだけど、鏡原さんのプレイスタイルはピッチング一つ取ってもマンガの選手のモノマネで左右両方でしかもオーバー・サイド・アンダー・スリークォーター・トルネードなどを投げ分けるというとんでもないイロモノだから……他の選手の指導を、あんなに真っ当にやっているとは思えなかったわ」
「あぁ」
成る程と、これは翼も龍の意見が分かるのだろう。苦笑いして頬を掻いた。
「でも東雲さん、それはもしかしたら逆なのかも」
「逆?」
「うん」
翼が頷いた。
「『モノマネばかりだけど意外と基本がしっかりしている』……んじゃなくて『基本がしっかりしているから色んな選手のモノマネが出来る』んじゃないかな」
「……確かに」
目から鱗と言った表情で、龍は頷く。
みづきは次には、和香の元へと移動した。
「良い? すずわか。キャッチャーの仕事はキャッチングにリード、グラウンド全体を見渡してチームの司令塔となる事などどれも重要だけど……ランナーを牽制する事も同じように大切だという事は、勿論分かっているわね?」
「ええ、それは勿論」
「よろしい。でもすずわか、今のあなたのスローイングにはムダが多い。今日はそれを矯正する練習をするわ」
「……それは、どんな?」
「まぁ、論より証拠。実際にやってみましょうか。有原、東雲、阿佐田先輩。ちょっとこっちへ来て!!」
「? どうしたの?」
「何かしら?」
「何なのだ? 鏡原」
三人がホームベース前にやって来る。
「これから牽制の練習をしようと思うの。協力して」
「良いわよ。でも、どんな練習をするの?」
「まず、ピッチャー東雲が投げる。同時に、一塁ランナーの阿佐田先輩が盗塁を仕掛ける。その投げた球をキャッチャーのすずわかと私が捕球して、二塁に牽制球を投げる。牽制に入るのはショートの有原で、阿佐田先輩を刺せるかどうかの練習よ」
「成る程」
ここまで聞けば、オーソドックスな牽制の練習である。やはりモノマネという大道芸ばかりが目立つが、決して基本を疎かにはしていないのだと、龍の中でみづきの評価が少し上がった。
「ただし、私とすずわかでは肩の強さが違うから、私がキャッチャーを守る時は一塁ベースを3メートルほど先に置く。これが条件よ」
「3メートルも?」
驚いた翼が頓狂な声を上げた。
塁間は27.43メートルだから、みづきの時はあおいが走る距離はおよそ24.5メートルに縮まる事になる。いくら初心者で肩の強さが全然違うと言っても、和香の方が有利なルールに思える。しかし先程、みづきは言った。和香のスローイングにはムダが多いから、それを矯正する練習を行なうと。
そんな事を言うからには、みづきはこの条件で和香はあおいを刺せずに自分は刺せると思っているという事だ。
流石にここまでハンデを付けられると、ちょっぴりプライドが刺激されたらしい。
目にもの見せてやるぞ、という闘志が前面に出た表情になった。
「では、全員ポジションに付いて。まずはすずわか、あんたからよ」
「分かったわ」
防具を身につけた和香がホーム前でしゃがむと、一塁のあおいは適度なリードを取り始める。
龍はセットポジションで構え、そしてクイックモーションから投球。同時に、あおいも盗塁すべくダッシュした。
パァン。
気持ちいい音を立てて、 捕球。
「ふっ!!」
間髪入れず、和香はボールを掴むと、二塁へと牽制球を投げる。
投げ返されたボールは龍のすぐ脇を飛んで、セカンドベースに入っていた翼が捕球。そのままタッチに向かうが……しかしその時には既に、スライディングしたあおいの足がベースに付いていた。セーフだ。
「ああ」
「惜しい惜しい。鈴木さん、良い球来てたよ!!」
翼は、ボールを龍へと送球した。
「有原の言う通りよすずわか。確かに投げたボールは良かったわ。でも、あんたの問題点は他にあるのよ。じゃあ、次は私の番ね」
みづきはそう言って、和香と交代でキャッチャーズボックスに座り込んだ。あおいは打ち合せ通り一塁ベースを二塁に3メートルばかり寄せる。
準備完了。
リードを取るあおい。ただでさえ近いセカンドベースが、更に近くなった。
龍はセットポジションで再び構えると、首だけを動かして視線でランナーを牽制。そして頃合いを見計らって、投げる。
同時に、あおいもダッシュ。
パァン。
やはり気持ちの良い捕球音が上がる。ただし今回音を立てたのは、みづき愛用の両利き用グラブだった。
ここまでは、和香もみづきも全く同じ。
違うのはここから。
「むん!!」
みづきは素早く立ち上がると、スローイング。
矢のような送球が低い軌道を一直線に飛んで、翼のグローブに収まる。
翼はそのままグローブを下げてタッチ。ちょうどそこに、滑り込んできたあおいの足が触れた。
「……刺されたのだ」
「ナイス……スロー」
「凄い肩だね、鏡原さん」
それぞれが賞賛を述べる翼達だが、しかし和香は違う事を考えていた。
『……確かに鏡原さんは凄い強肩だったけど、それだけで3メートルものハンデを覆せるものとは思えない。何か、私と鏡原さんの間には他の違いがある筈。これは、それを指摘する為の練習なのでは……』
と、そんな思考が読めた訳ではないだろうがみづきは満足そうに頷く。
思考は読めなくても、様子を見れば考えている事が分かる。
考える事は大切だ。どこまで想像出来るか、空想出来るか、妄想出来るか。それが人間の限界を決める。
何故なら人間は、考えられない事、想像が及ばない事は努力する事すら出来ないからだ。闇雲に頑張るよりも、どうやったら上手くなるか常に考えながら練習する方が、きっと上手くなれる事を彼女は知っているのだ。
「なに、大した事じゃないわすずわか。私とあなた、両者を並べてみれば違いは一目瞭然よ。将城、ちょっとスマホを出して」
「分かったぞ」
「じゃあ、すずわか。私と並んで、捕球姿勢を取って」
「分かったわ」
ホームベース前に、キャッチャー二人が並んでしゃがむとミットを前に出してキャッチングの体勢になる。
将城はそれを確認すると、スマホを横にしてカメラアプリを起動、撮影ボタンを押した。カシャッというシャッター音が何度か鳴る。
「よし、じゃあ見てみましょう。有原達も、一緒に見て」
みづきに促され、和香は勿論この練習に参加した他の3名も集まってくる。
将城のスマホの画面には、並んで構えたみづきと和香が並んで表示されていた。
「さて、問題。私とすずわかの構え、その違いは何でしょうか?」
「「……んん?」」
4人はしばらく画面に見入っていたが、ややあって翼が「あ!!」と声を上げた。
「分かった!! 脇だよ、脇。ミットを持つ鈴木さんの脇は開いているけど、鏡原さんの脇は閉まっている。そこだよ」
「……言われてみれば、確かに」
「ええ」
龍と和香も頷く。確かに二人の構えは、そこが違う。
「正解。すずわかの構えだと、脇が開いていてスローイングに移るまで時間が掛かってしまう。対して私の脇は開かずに閉じたまま、最短の動きでスローイングに移る。私が阿佐田先輩を刺せてすずわかが刺せなかったのも、それが理由よ」
「……脇が開いているか閉じているかで、そんなに違うの?」
「勿論」
頷くみづき。
「えーと、将城。女子高生の100メートルの平均タイムって何秒だっけ?」
「17秒3だぞ」
「と、いう事は塁間は27.43メートルだから、単純計算で4秒745……まぁ実際にはリードの分とか初速とか加速が乗るとかで色々違うだろうけど……それに盗塁をしてくるって事は足に自信がある選手だろうから……仮にランナーがスタートしてから二塁に着くまで4秒3とすると、逆に言えば4秒3以内にセカンドにボールを届けられれば、必ずランナーを刺せるって事よね」
「理屈の上ではそうなるわね」
「理屈じゃなくて道理よ。東雲」
「……むう。まぁ目標となる数値を設定するのは大切よね。具体的な数字を争うトレーニングは、モチベーションの維持にも関わってくるし」
「脇を閉めるフォームの矯正で短縮されるタイムは、0.2秒から人によっては0.5秒にもなるわ。ちなみに私の場合、0.75秒の短縮に成功したわよ」
たかが0.2秒、されど0.2秒。4秒3を成否のデッドラインとする作業の中で、0.2秒という時間がどれだけ大きいかは、推して知るべしである。まして0.75秒も時間差があれば、完全にセーフのタイミングであった走塁でさえアウトにしてみせる事が出来るだろう。
「成る程、3メートルものハンデをものともせずに、阿佐田先輩の盗塁を阻止できる訳ね」
「そういう事。このフォームの矯正には近道は無いわ。地道な反復練習で、体に覚えさせる事ね」
「分かったわ」
このやり取りを見て、翼と龍はどちらからともなく視線を合わせて頷き合った。
彼女達の本職はショートとサード。他のポジションも守れなくはないが、専門ではない。だから他のメンバーにどう指導したものか不安に思う部分はあったが、そこはみづきがしっかりフォローしてくれている。
「もう一つ、すずわか。確かにキャッチャーはランナーを刺すのも大切な役目だけど、そもそもランナーを走らせないのも大事な役目よ」
これも正論である。走らないランナーは、盗塁の成功率は絶対に0パーセントなのだから。
「やはりこれも、実際にやってみましょう。有原、東雲、もう一度守備に付いて」
「分かった」
「分かったわ」
二人はダッシュでマウンドとセカンドまで移動すると、翼がグラブを掲げる。「準備OK」の合図だ。龍もマウンドでセットポジションを取った。
「すずわか、良く見ていて。試合の時は、開始前の守備練習から既に勝負は始まっているのよ。鍛えたスローイングを、相手チームにアピールするの」
龍が投げたボールが、みづきのグラブに収まる。
と、同時に。
「こんな風に!!」
「「「!!」」」
みづきは今度は少しも腰を浮かさず、座ったまま牽制球を投げた。
白い糸のようになったボールは地表30センチを一直線に飛んで、翼のグラブに飛び込んだ。
「「……!!」」
「ドンピシャ、ナイススロー!!」
神業を目にして、翼は興奮した声を上げる。逆に龍と和香は、それぞれ生唾をごくりと呑み込んだ。
「……確かに、こんなのを見せられたらランナーは走れないわね。盗塁を企む泥棒は、全て逮捕されるわ」
この賛辞にみづきは気を良くしたらしい。鼻の下が伸び始めた。
「そういう事。じゃあついでに、余興もお見せしようかな。東雲、もう一球頼むわ」
「ふっ!!」
龍の投球。キャッチしたみづきは、今度は腰を浮かせ立ってスローイングした。
「セカン!!」
「……? えっ!?」
しかしライナーで飛んだ牽制球は翼が伸ばしたグローブの先を横切って、そのまま低く伸びてセンターの守備位置まで飛んで漸くバウンドし、転がってヒマワリ畑に飛び込んだ。
「どやっ」
すがすがしい程のドヤ顔を見せるみづき。
「……お見事」
流石の龍も、これには脱帽という顔を見せる。確かにこんな鉄砲肩を見せられては、盗塁を試みようなどとする愚か者は居ないだろう。みすみすアウト1つを献上するだけに終わってしまう。
「ん? あれ、宇喜多さん……」
ボールを追って視線が外野に向いた事で、一同は茜の姿に気付いた。
彼女は少し前までは、ベンチの近くで素振りをしていた筈だったが……いつの間にかレフト脇にまで移動していた。
グラウンドには、ベンチ前から今の茜の軸足にまでずっと、何かが這いずったような跡が刻まれて続いている。みづきの指導通り、振る時に軸足を蹴り出しているので一度につき数センチほど前に進む。それをずっと繰り返しているので、いつの間にか茜はベンチ前からレフト脇にまで前進していたのだ。
「……」
そろりそろりと、茜に近付いていくみづき。茜のすぐ脇に立つ。しかし茜に気付いた様子は無い。ただ前を見て、素振りを続けている。
「はあ、はあ……」
茜の息は荒く、膝は笑っている。
漫然としていたり、手抜きの練習ではこうはならない。真剣に、集中して行なっている証拠だ。
「宇喜多さん」
「ひゃっ!?」
上擦った悲鳴を上げる茜。ここで彼女は初めて、みづきがここまで近付いてきた事に気付いたようである。
「後ろを見て」
「後ろ? ええっ?」
言われるままに振り返った茜は、先程と同じく驚きの声を上げた。彼女からすればベンチ前に居たのに、いつの間にかレフト脇にまで来ていた感覚なのだろう。それほど、集中していたのだ。
「宇喜多さん、ナイスコンセントレーション!!」
会心の笑みと共に拍手するみづき。当の茜は何故褒められるのか、その意味が分からずに当惑した様子である。
今のみづきの言葉、コンセントレーション、集中力。
「みんな、この際だから言っておくわ!!」
すうっと息を吸ったみづきは、同好会全員に聞こえるように大声で叫んだ。
「いい加減な練習は、しないほうがいいわ!! それは無益どころか有害!! 何故なら野球だけでなく、何事からも人を散漫にするからよ!! 逆に、全力で練習に取り組めば、単純に体を鍛えて技術を磨くだけではなく、集中力をも養える!! 何気ない動きでも必ず課題を持って取り組み、動くからにはただノルマをこなすだけでなく、何の為に練習するのか考えること!! それは必ず実戦に役立つわ!!」
「「「……」」」
同好会の面々は、しばらくはじっと聞き入っていたようだった。
ややあって、最初に動いたのは翼だった。
「オス!!」
「オス!!」「オス!!」
次々に、会員達が返事していく。
「オ……オス!!」
最後に、茜もちょっぴり恥ずかしそうだが返事する。
「真剣にやるからこそ、野球は楽しい!! そうでしょ、有原!!」
「うんっ!!」
こうしたやり取りを経て、いつの間にかみづきは女子野球部の練習を指導する立場となっていった。
「みづき、次はウチの打撃を見てくれ」
今度、声を掛けてきたのは良美だった。
「良いですよ、団長。ではトスバッティングをやってみましょうか」
「分かった」
打撃姿勢を取った良美のすぐ傍にしゃがみ込むみづき。
準備が整った事を確認すると、ボールをぽいっと投げる。
だがすぐに、唖然とした表情になった。
良美の振ったバットは、ボールと50センチも離れた空間を薙いだのである。
「……」
「どうだ?」
「……まず、踏み込む時の足の上げが大き過ぎます。だから頭がブレて棒球を自分で魔球にしてしまっている。それに足を大きく上げた分のタイミングの遅れを取り戻そうと膝が突っ張ってタメが無くなるから低めが打てない。これじゃ高めにボールが来ない限り打てないですよ。それに肩をいからせて余計な力を入れ過ぎている。速いスゥイングをしようという考えでしょうが、逆効果です。力が入りすぎで筋肉が硬直して、スムーズに動かないです」
「……むむっ」
ダメ出しの嵐で、さしもの良美も落ち込んだらしい。だが、みづきは落ち着いたものだ。初心者を指導するのは、初めてではない。
「別に悲観する事はないですよ。私が言った欠点の逆をすれば良いんです。まずはヘッドアップしないように顎を引いて、足の上げを小さくする事を心掛けてください」
「よし、やってみよう」
アドバイスに従い、フォームを修正する良美。
トスバッティングを再開し、最初の数球は上手くミートできるようになった。
しかし、十球目ぐらいからやはりついついクセが顔を出すのか、顎が上がって足の上げが大きくなってしまう。
「……うーむ……やはりすぐには無理か」
「……これは顎を引いたりとか足の上げを小さくとかそんなチマチマした改良じゃなくて、抜本的にフォームを修正するのが良いかも……ちょっと、失礼しますね」
しゃがみ込んだみづきがぬっと手を伸ばして、良美の腹部や脇腹をぺたぺたと触り始めた。
「な、何だ? 何をする?」
「うん……これなら、行けるかも」
何やら納得した顔になったみづきが、立ち上がって良美と視線を合わせた。
「団長には特別に、私が編み出したバッティングの奥義を伝授しましょう」
「バッティングの、奥義だと?」
「そう……名付けて、阿蘇山打法!!!!」