「あの球、凄く曲がるのだ」
「ドンマイドンマイ。チャンスは後2回はあるよ」
三振を喫してベンチに戻ってきたあおいに、翼がねぎらいの言葉を贈る。
3回を終えて、里ヶ浜高校女子硬式野球同好会と清城高校女子硬式野球部との練習試合は、2対2の同点となっていた。
清城高校側の神宮寺は、初回にみづきにホームランを浴びたものの、その後はショックを引きずらずにスライダーを織り交ぜたピッチングで、後続をピシャリとシャットアウト。追加点を許さなかった。
一方で里校側のみづきはストレート一本の配球で、清城高校側が早打ちせず球筋を見極める練習をしている事を看破していたので三球目以降はやや甘い球を投げる事で打ち気を誘って、ナインの守備練習に当てていた。
その結果、2回までエラーによって2点は失ったものの、みづきはその都度ナインに的確な指導を行ない、提示した問題点の改善が見られた場合には必ずしっかりと褒める。その繰り返しによってナインの動きは少しずつ滑らかになり、また褒められる事で余裕と積極性が生まれ、3回はノーエラー無失点で乗り切る事に成功した。
僅か1イニングとは言えミス無く乗り切った事で、初心者ばかりのチームにも少しだけ自信が生まれたようだった。
「まだ同点だし、上手く行けば勝てる……かも?」
不安そうな茜に対して翼は「そのつもりで頑張ろう!!」と朗らかに応じる。
しかし一方で、みづきは彼女ほど楽観的には考えていないようだった。
「そこまで甘くはないわよ」
振り返ると、そこには今日はベンチウォーマーとなっている龍が、難しい顔で仁王立ちしていた。
「東雲、ベンチから全体が見えているあんたなら、気付いているんじゃない?」
「……」
「えっ……」
難しい顔のまま、龍は頷いて、一方で翼は少し驚いたようだった。
と、グラウンドでは神宮寺が審判に選手交代を告げると、内野と外野の守備位置が入れ替わった。
「向こうは、最初から一巡目は苦手なポジションの練習に当てるつもりだったのよ。ここからが、彼女達の本当の守備位置という事ね」
「欺かれてたのだ?」
目をぱちくりさせるあおいに、みづきはからからと笑う。
「苦手なポジションの練習は大切よ? 私だってリトルリーグ時代から色々やっているわ。左投げにしてセカンド・ショートを守ったりとかね。今ではどちらもすっかり名手よ。私を目指して、左利きでも二遊間を守ろうとする人が少しでも増えれば良いのだけど」
「……そんな事ばかりしているから、才能の無駄遣いだと言うのよ、あなたは……」
頭痛を感じたようで、こめかみを揉みほぐしながら龍が言った。しかしすぐに気を取り直す。
「それは兎も角、清城高校側はしっかりと目的を持って、この練習試合に臨んでいるという事よ」
「東雲の言う通りね。守備は今言った通りサブポジの練習。そして攻撃では、球筋を見極める練習よ。やはりマシンと投手の生きた球は違うからね。ことに実戦では」
龍の言葉を、みづきが補足する。
「つまり……」
「そう、ここからは向こうも本気になってくるって事よ」
不安そうな智惠に対して、ベンチにふんぞり返って座るみづきは落ち着いている。余裕と自信が、その振る舞いから伝わってくる。
「なぁに、目的意識を持って試合しているという点では、こっちだって負けちゃいないわよ」
すくっと、立ち上がるみづき。
「みんな」
ナインを振り返る。
「勝つわよ、この試合」
「「「!!」」」
自信たっぷりに紡がれたその言葉を受け、少なからずチームの面々は衝撃を受けたようだった。
ここまでは何とか五分五分で渡り合っていたのが、実際には相手はハンデ付きで戦っていたようなものだったと思い知らされた。それがここからは、そのハンデ無しで襲い掛かってくる。勝ち目は薄いと思われるが……
「……」
事前にこの練習試合の目的を聞かされている龍は、腕組みして思案顔だ。
初心者の多いナインに経験を積ませ、実戦練習を行なうのがこの練習試合の目的であり、勝敗は度外視すると。
……とは言え、負けるつもりで試合するのではみづきが言った中身の濃い練習とはならないだろう。そうして気持ちを切らさせない為に、みづきは投手として試合の流れをある程度は自分がコントロールするとも言っていた。
要するに「勝つ」というのはこの試合に臨む心構えの話だろう。
勝つつもりで試合をするからこそ、良い練習になるのだ。
「でも……あのピッチャーは鏡原さんの打席から、曲がる球も一緒に投げてきているにゃ。あれをどうやって打つにゃ?」
「ああ、中野さん。スライダーの打ち方なら……」
「はい、有原。ビークワイエット!!」
何事か言い掛けた翼だったが、みづきに制された。
「ええ?」
「スライダーの打ち方は、清城高校さんに教えてもらう事にしましょう」
「「「???」」」
おかしな事を言い出したみづきに、首を傾げたナインが怪訝な目を向ける。
自チームの投手の決め球の打ち方を、清城高校がどうして教えてくれると言うのだろうか。
「ふふふ。それはね……」
面白い悪戯を思い付いた子供のような笑みを見せるみづき。
「ん……」
更に何か言い掛けた所で、口を閉ざした。
「細工は流々、仕上げをご覧じろ……ってね。まぁ、見ていて。すずわか!!」
「!!」
いきなり呼ばれて、和香がぴくっと背筋を正した。
「ちょっとだけ、この試合の予定を変更するわ。次の回から、私は変化球を投げる。あんたの変化球捕りの練習をやるわよ。まずは球筋を見極める所から。ミットは右打者の外角に構えて、決して動かさないで。そこに魔球0.0625を使って、ボールを投げ込むから」
そうして4回裏。
清城高校側の攻撃となった。
『……ここね?』
今、打席に立つのは右打者。指示通り、和香は外角にミットを置く。
『OK』
みづきは頷いて、振りかぶって、そして投げる。
「「……ん?」」
打者と和香。
二人共が、違和感を覚えて間の抜けた声を出した。
ど真ん中へと投げ込まれたボールは、キレ良く曲がってミットに飛び込み、気持ちの良い音を立てた。審判がストライクをコールする。
「「…………」」
どちらからともなく、清城高校の打者と和香は顔を見合わせた。
今のみづきの投球フォーム、どこかで見たような……?
疑問に思いつつも和香が返球する。
今回は和香はサインを出さない。ミットは常に、同じ位置に置く。
この位置は、ちょうどど真ん中に投じられたスライダーが入る位置だ。
サインが出ない事もあって、無造作にみづきが振りかぶって投げる。
振りかぶる腕の高さ、上げた足の位置、伸ばした腕。
「さ、小也香!!」
バッターが、上擦った声を上げた。
どこかで見たピッチングフォームだと思って投球動作を観察していたが、注意深く見てはっきりとした。
何の事はない、自分達が一番見慣れているフォームだったのだ。
自分達のチームのエースピッチャーである、神宮寺小也香の投球フォーム。みづきは今は、体格の差異はあれそれを鏡に映したように(より正確にはその鏡像を更に反転させたように)再現して、投げてきているのだ。
そして、今のみづきが投げてきている球は、紛れもなくキレの良いスライダーだった。小也香のウイニングショットだ。
「……」
ちらっと、バッターがベンチの神宮寺を伺う。
神宮寺は頷いて「打っていけ」のサインを出した。
『み、見ただけで相手ピッチャーのフォームをマネるなんて……しかも球種まで』
受けている和香は愕然とする。
マネといっても猿真似ではない。そのものである。一瞬だが和香の目にも、みづきに神宮寺の姿がダブって見えた程だった。
そして投げたスライダーは、神宮寺が投げたものと同等か。和香の目に狂いが無ければそれ以上にキレているようにさえ思えた。
この恐るべき野球センス。これが鏡原みづきの実力の一端なのであろうか。
「あ、相手のピッチャー、小也香のフォームを真似てきたよ!?」
清城高校ベンチにも、これを見て走った衝撃は大きかったようだった。
特に、オリジナルの球を何百球と受けていて、最もそれを見ている牧野の反応は顕著だった。
「試合でモノマネをしてくるなんて……」
「向こうはふざけてるんじゃ……」
非難の声が上がるが「静かに」と神宮寺が制した。
「見るべきはフォームではありません」
「小也香……?」
「初めて見る筈の私の投球フォームを、寸分違わず真似る。しかもスライダーまで」
投手として神宮寺も、クセの修正の為に鏡の前でのシャドーやビデオで繰り返し繰り返し、自分のフォームはチェックしている。だから分かる。今のみづきは、もう一人の自分と言って良いレベルで同じ投げ方をしていると。
確かにモノマネ投法の奇抜さは目を引く。だがそれは所詮卵のカラに過ぎない。大切なのはその中身。
神宮寺はそれを見誤ってはいなかった。
「そんな事が即興で出来るという事は、それだけ基礎がしっかりしているという事です」
和香は、またしても先の二球と同じ位置にミットを構えた。
『鏡原さん、そろそろコースを変えた方が……同じ球を三球も続けるなんて……』
そんな彼女の内心の不安を余所に、再びみづきが投げる。
コースはやはりど真ん中。球種は右打者から見て、外へと逃げるスライダー。
バッターは、焦らず構えてボールを引きつける。
そしてそれまでは真っ直ぐに思われたボールが曲がり始める。
その瞬間に、右足をぐっと蹴り出した。
『!!』
一番近い位置にいる和香からは、それが全て見えていた。
『軸足となる右で地面を蹴って、腰を移動させた!!』
右打者が外に逃げるスライダーを腕で追おうとすれば、腰が泳いで手打ちになる。それではたとえボールにバットが当たった所で、スイングには力が無く生きた打球は飛ばない。
それを避ける為に腰から移動して、腕を後ろに残してスイングにタメを作り、曲がっていくスライダーの動きに重心の移動を追随させ、振る。
これが右打者の、スライダーの打ち方。
キィィィン……!!
重心が傾いてはいるがしかし力強いスイングがボールを捉え、流し打ちになったボールが一二塁間を越えて飛んでいく。
「ライト宇喜多さん、右よ!! 走って!!」
「は、はい!!」
茜は精一杯ダッシュして打球を追うが、追い付けずにライン際のヒット。
しかし当たりが良すぎた事とクッションボールを上手く処理した事で、何とかシングルヒットに食い止める事が出来た。
「よーし、宇喜多さん。ナイスファイト!! よく走ってくれたわ!!」
機嫌良くみづきは茜にエールを送ると、今度は一塁側のバッターランナーに向き直った。
「そしてあなたも!! ナイスバッティング!!」
打たれたみづきが、打ったバッターを拍手で讃える。
練習試合とは言え珍しい光景が生まれたのだった。