季節は巡り、4月。
市立里ヶ浜高校の講堂では、まだ新しい制服に身を包んだ新入生達が勢揃いしていた。
<以上で入学式を終了します。続いて在校生による部活オリエンテーションです>
少しだけ音割れした放送が響いて、薙刀部、柔道部、演劇部など様々な部活の紹介が行なわれていく。
「ふふふ……」
にやりと悪い笑顔を浮かべつつ、鏡原みづきは懐に忍ばせた物の感触を確かめた。
心臓が、心地良い早さで脈打っているのを感じる。頭のどこかで、大統領とか大物政治家を暗殺しようとしているヒットマンはこんな気分なのだろうかと妄想した。
「……本当にやる気か、ご主人……」
名字の関係でみづきより前の席に座っている岩壁将城は、着席した姿勢のまま振り返って心配そうな視線を送る。
この入学式の晴れの席で、みづきが何をするつもりなのか? 彼女は事前に聞かされてはいたが、しかし多分冗談だろうという思いが先に立っていた。いくら彼女でも、高校に入学早々にそんな事をしでかすだろうかと、そういう思いが先に立っていた。
<これで部活紹介が終わりましたが……>
「すみませーん、私もいいですか?」
「ああ……」
やはりやりやがったかと、将城は顔を覆う。
しかし違っていた。みづきは懐に手を入れたまま、今にも立ち上がろうと腰を浮かせた姿勢のままで固まってしまっていた。
<何ですか?>
軽やかな足取りで壇上に駆け上がったその少女に、みづきと将城は覚えがあった。
「あれは、去年の決勝の……」
「有原……」
その少女、有原翼は、持っていた紙を新入生の誰からも良く見えるように、両手を一杯に使って大きく広げた。
ここが裁判所の前であれば「勝訴」と書かれていたであろうその紙には「メンバー暮集、女子硬式野球部」と記されていた。
「やったーーっ!!」
みづきは我が事のように目を輝かせて、
「ご主人と同レベルの人が、もう一人居たのか」
将城はやれやれと頬杖付く。
「ああ……」
「女子……」
「野球部……」
新入生の幾人かがこの入学早々の珍事件に少しだけ反応を見せたのは、また別の話である。
「よ、久し振り」
「有原さん、お久し振りです」
当然と言えば当然の成り行きで、部活オリエンテーションの後で生徒会に呼び出され、こってり油を絞られたであろう翼とその友人である河北智惠を、みづきと将城は教室前の廊下で捕まえた。
二人とも、特に翼の方はこの二人を覚えていたらしい。「わあ」と弾んだ声を上げた。
「鏡原さんと、岩壁さん。二人ともこの学校だったんだ」
「見ての通りよ」
「意外そうですね?」
「うん……てっきり、二人は野球部のある学校に行くと思ってたから……」
「「…………」」
視線を合わせる二人。みづきはくすっと笑い、将城は苦笑いだった。
「ま、色々あってね」
「右に同じ」
「はぁ……」
「そっちの人は……去年の全国大会で応援に来てた……えっと……」
「河北さんだよ、ご主人。河北智惠さん」
「そうそう、河北さん。改めてよろしく。私は鏡原みづき。こっちが相方の……」
「岩壁将城です。よろしく」
二人が差し出した手を、智惠は順番に握り返す。
「うん、私も覚えてるよ。去年のリトルシニアの全国大会で、翼のチームに帯同してた人達だよね。これからよろしく」
挨拶が終わった所で、みづきは本題に入った。
「ところで有原、あなたこの学校で、女子硬式野球部を創部するつもりなの?」
「うん。でもまだメンバーが足りないから、同好会スタートだけど……」
あははと笑いながら、翼は職員室でもらってきたのだろう、この学校の同好会規定が記されたプリントを差し出した。
「二人とも、良かったら……」
「ええ、喜んで入部、いやまだ入会か……させてもらうわ……って言うか、あなたがやらなかったら私がやっていたし」
「え?」
「ほら」
みづきは懐から、一枚の紙を取り出した。今はもうくしゃくしゃになってしまった紙には「求ム!! 新入部員、女子硬式野球部!!」と、ぶっとい毛筆で力強く書かれていた。
翼がタッチの差で、みづきに先んじた形になったのだ。
「ちなみに有原、あなた募集の「募」の所が「暮」になってたわよ」
「もう少し国語の勉強が必要ですね」
「うぐっ……」
「さて、それはさておき、メンバーは私達で4人。ひとまず試合をするにも後5人集めなくちゃだけど、当てはあるのかしら?」
「いやぁ、それはまだ……でも、明日体験会を開く予定なんだ。この後、ビラ配りするんだけど……」
「ビラ?」
「うん、これ」
翼が差し出したビラを見るみづき。
そこには可愛いイラストでバットを構えたユニホーム女子と硬球のイラスト。それにカラフルな文字で「来たれ女子、みんなで野球をやってみよう。ジャージで来てね。体験会は河川敷だから、軟式ボールだよ! 雨天中止」と書かれている。
目線を二度三度と上下左右に動かして、みづきは眼光紙背に徹し、内容をチェックする。
「……誤字は無いわね」
「……あはは」
照れ顔で、翼は頬を掻いた。
「じゃあ、私はみんなの分のお弁当を作っていくわ」
「えっ、やった!!」
野球経験が長く、体を動かした後の食事の美味しさを知っている翼は、目を輝かせた。
「腕には自信があるから、期待していてね」
そして、次の日。
「うん、野球日和だー!!」
翼の言葉通り、この日は快晴。河川敷にはさわやかな風が吹き、心地良い陽光が降り注いでいる。
「しかも……じゃーん!! 二人も来てくれましたー!!」
「野崎夕姫です」
「う、宇喜多茜です」
翼と智惠の前に立っているのは、みづきほどではないにせよ長身の少女と、猫耳付きのパーカーを被った小柄な少女だった。
「私、野球初めてなんですけど……」
「あ、茜も……」
二人とも少しばかり申し訳なさそうだが、翼の笑顔は少しも曇らなかった。
「全然オッケー。今日は後二人来る事になってるから、揃ったら始めよっか。それまでは準備体操でも……」
と、翼が言い掛けた時だった。
ピー、ヒャララー♪
風に乗って昔懐かしい、チャルメラの音が聞こえてきた。
「? ラーメンの屋台の音?」
「珍しいね、こんな時間に……」
そう呟きつつ、音のした方を振り返って……四人の体と表情が固まった。
小さな屋台を引いて、ジャージ姿のみづきと将城が歩いてきていたのだ。チャルメラを吹いていたのは、将城の方だった。
屋台ののれんには「やきゅうスープ」と書かれている。
四人のすぐ近くに屋台を止めると、二人が近付いてくる。
「や、有原。少し遅れたかしら?」
「い、いや……まだ五分前だけど……」
「で、でも、鏡原さん……この屋台は?」
当然と言えば当然の疑問を、智惠が口にする。
「これは私の屋台よ。小学生の頃に読んだ「出刃とバット」ってマンガに出てきた主人公のモノマネがしたくて、自作したのよ。中々の出来映えでしょう?」
「私も手伝ったのよ」
と、将城。
「そしてほら、これが私が長年研究と改良を続けている、やきゅうスープよ」
「味は私が保証するね」
寸胴鍋の蓋を開けるみづき。食欲を掻き立てるスタミナスープの芳香が、翼達の鼻孔を刺激した。
まだ昼にはずっと時間があるのに、口内に唾が湧いてお腹がぐるると音を立てるのを翼は自覚した。
「お昼になったら食べましょう」
「あれ? じゃあ、お弁当って言うのは……」
「それはこっちね。ホームラン弁当よ」
みづきがパチンと指を鳴らすと阿吽の呼吸、流れるようにスムーズな動きで将城が屋台の荷台に置かれていた弁当箱を取り出して、蓋を開いてみせた。
「わぁ……」
「美味しそう……」
「そっか、お弁当箱がグラウンドなんだね」
翼の感想を受けて、みづきは満足そうに胸を張った。
「流石は有原。分かってるわね」
長方形の弁当箱はちょうど四分割されていて、四分の一のスペースにご飯が詰められていて、残り四分の三におかずが入っていた。確かにこれは、ご飯を内野の部分、おかずを外野・芝生の部分に見立て、野球グラウンドを模しているようにも見えた。
「ちなみにこれも、「出刃とバット」に登場した料理だね。やきゅうスープと同じく、ご主人が研究していた得意料理だよ」
「す、少し味見を……」
伸ばしかけた翼の手を、みづきがぱしっとはたいて止めた。
「それは運動してからね。それじゃあ、始めましょうか!!」