9回表、里ヶ浜高校の最後の攻撃。
練習試合には延長が無いので、泣いても笑ってもこれが最後の攻撃となる。
翼に言われ、里校ナインは円陣を組んだ。4点差だが、食らい付く気満々である。
「みんな、まだまだこの回の攻撃があるよ!! 頑張っていこう!!」
「うん!!」
真っ先に反応したのは、茜だった。
少しばかり、意外な反応だった。
最終回で4点差。忌憚の無い意見を語るなら、敗色は濃厚と言える。
正直な所、初試合でコールドにもならずにここまで戦えただけでも良くやったと、そう考えても良い場面だろう。ことに、里ヶ浜高校は野球初心者が多いのでそうなっても仕方の無い所は多分にある。諦めるか諦めないかの境目となるのは、やはり今迄積み重ねてきた練習量、流した血と汗であろう。里校ナインにはそれが足りていない者が多い。
だからこそ翼は、ここでハッパを掛ける事で士気を高めようとしたのだが……
そうするまでもなく、そのような後ろ向きな気持ちでいる者は、皆無。
「鏡原さんが本気を出したからには、もう点は入らないわ。後は私達が追い付くだけよ。打てば追い付く。追い付けば、勝てるわ」
と、和香。将城と交代でベンチに下がった彼女だが、この円陣に加わっていた。彼女もまた、ベンチを温める者ながら一緒に戦う事に何の疑問も抱いていなかった。
そして、この士気の高さにはやはり、8回裏、みづきが150キロオーバーの剛速球と高速ナックルのコンビネーションによって、3人を9球で片付けピシャリと切って落としたのが効いている。
野球に於いて、攻めと守りは決して別々のものではない。
攻めは守りに、守りは攻めに繋がっている。ファインプレーをすればチームは良いムードになるし、点差で負けていても投手が頑張っていれば点を取って楽にしてやろうという気持ちになってくる。スラッガーがホームランをかっ飛ばせば、その点を何としても守り通そうと、守備にも身が入るというもの。
今回の場合では、ピッチャーみづきが圧倒的な実力を見せ付けた事もあって、心強い味方の存在に気が大きくなった。そしてこれならもう点は入らない、後は打てば勝てる。そう思うようになったのだろう。
攻めの守り。チームが勢いづくピッチングを目指したみづきの思惑は、見事に成功したと言える。
「では団長。景気づけよ。派手に頼むわ」
「よーし、任せろ!!」
みづきに促された良美はどんと胸を叩くと、すうっと息を大きく吸う。「ウチに続け」という意思表示だ。
「里校ファイトー!! 勝つぞーーーー!!!!」
「「「おおーーっ!!!!」」」
皆、気合いは十分。
この回、打順は良し。1番の綾香からだ。確実にみづきに回り、一人出れば4番打者の翼まで回る。
「中野さん、スライダー打ちのコツを忘れないで」
「腕を畳むように打つだったにゃ。分かってるにゃ」
「向こうのチームは気合い入ってるね」
内野陣がマウンドに集まった清城高校側でも、このやり取りは当然聞こえていた。
「何しろ8回裏のピッチングは圧巻でしたからね。9回裏で私達に逆転される事は無い。1点でも勝ち越せば、それで勝てると勢いづいているのでしょう」
点を取ってももしかしたら逆転されるかもと思うのと、打てば勝てると思うのでは気合いの入りようも違ってくるというもの。
「……4点差がありますが、決して安全圏とは言えませんね。皆さん、気を引き締めて下さい」
「「「オス!!」」」
上位打線からの攻撃とあって神宮寺も慢心を戒め、そうして守備位置に散る清城高校ナイン。
綾香への初球。アウトローいっぱいのストレート。綾香は見逃す。
続いて第二球。これも外角へのストレート。今度はバットを振る綾香であったが、元々外側はバットが当たる部分が少ないのもあって、空振りを喫してしまう。
ここで今度は内側に一球。綾香はこれは見送った。審判がボールをコールする。
1ボール2ストライク。カウントはまだピッチャー有利だが、神宮寺はここで勝負に出た。
四球目、内角気味のコースから切れ込むスライダー。
『来た!!』
高目へ向かってきたボールが、内角に食い込んでくる。
綾香は踏み込む足は、膝を開かず内側へ絞り込むように。
体に腕が絡み付く程に畳んで、バットがそれに追従して一番後ろから出てくる。
ミートポイントは体の真正面。
「よし、捉えた!!」
みづきが思わずそう叫ぶ程の、良い打撃だった。
センター返しとなった打球で、綾香はシングルヒットで一塁へと出塁。
続くは2番打者のあおい。
4点差があるので構えは小さく、確実に出塁・ランナーを溜める狙いである。
『……正直、私も心のどこかで彼女達をまだ侮っていたのかも知れません』
ちらりと、ネクストバッターズサークルで控えるみづきへ視線を送る神宮寺。
『ここが正念場。全力でお相手しましょう』
心なしか今迄より足が高く上がり、思い切り腕が振られる。
球種はストレート。だが思わずあおいが腰を引いてしまう程に威力のある速球が、花のミットに決まった。
『……は、速いのだ』
あおいは、ごくりと苦い唾を呑んだ。
「今の球、今日一番速いんじゃ……」
ベンチで、夕姫が戦慄した表情になる。
9回になって、普通なら疲れから球威が落ちる所なのに。逆に神宮寺は球速が増した。
「これは一体……」
「……どうやら彼女、神宮寺さんは相当、高度に完成されたピッチャーのようね」
龍が、警戒を強くした表情で言った。
「ど、どういう事?」
「ともっち、神宮寺さんのここまでのピッチングは、9回までのスタミナ配分を考えた八割程度の力のものだったんだよ。今は「ここぞ」という時の為の、全力投球をしてきたんだね」
本当に力のあるピッチャーはみんな、窮地を乗り切る為の、渾身の力を振り絞った球を隠し持っているものだ。神宮寺もまた、その例外ではなかったらしい。
バットを握る翼の手に、力が入る。
「あれじゃあ、阿佐田さんが打つのは、難しいかも……」
「いや」
みづきは立ち上がると、素振りを始めた。
「ストライクツーウ!!」
2球目、思い切りスイングしたあおいであったが、完全な振り遅れとなった。
『……やはり速い。私では打つのは難しいのだ……ならば!!』
ぎらりと、あおいの目の光が強くなる。
三球目。
コースは外角。
きわどい所なので、手を出さない訳には行かない。だが今の自分では振っても当たらない。
さっと、バットを差し出すあおい。
「バントだ!!」
花が声を上げ、ほぼ同時にファーストとサードがダッシュする。しかしスリーバントは想定外だったのか、やや初動が遅れた。これなら仮にフェアグラウンドに転がす事が出来れば、セーフティーバントが成立するかも知れない。
『とらえたのだ!!』
そう、あおいが思った瞬間だった。
くくっと、球が外角へと曲がっていく。
『スライダー!!』
やられた。
一瞬にも満たない時間で、あおいの体中から冷や汗が噴き出す。
既にツーストライクなので、スリーバント失敗はアウトになってしまう。
この局面でのバントは、清城高校バッテリーは読んでいた。そこで二球目まではストレートで攻めて、三球目に決め球のスライダーを持ってきたのだ。
外へ逃げるスライダーは、腕だけでは追い付けない。
『打ち取った!!』
『いや、まだなのだ!!』
あおいが思い切り飛びついて、ボールにバットを届かせた。
コン、と情けない音が鳴ってボールがファースト方向へと転がる。ファールにはならない。
「セカンドは無理です。ファーストへ!!」
神宮寺の指示が飛び、彼女もまた体勢を整えるとバッターへ向けて突進する。
飛びついて転んでしまっていたあおいは立ち上がりつつ一塁へ走るが間に合う訳も無く、捕球したファーストの送球が、一塁にカバーに入っていたセカンドへと届いてアウトに。
しかしこの間に、俊足の綾香が二塁に駆け込んだ。
ワンナウトではあるがランナーが得点圏に達した。あおいの打席は、結果的には送りバントの形になった。
そして次のバッターは、初回にホームランを打っているみづきである。否応なく、チームの期待は高まるというもの。
「鏡原さん、頑張って!!」
「かっせ、かっせ、鏡原!!」
応援の声を浴びながら、くるくるとバットを回しながらボックスに向かうみづき。中程の位置で足を止めると、ベンチを振り返った。
「東雲!!」
「!!」
「バット振ってなさい!! この回、あんたにも出てもらうわよ!!」