ハチナイ PM   作:ファルメール

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第29球 明日の約束

 

「なっ……」

 

 驚きに驚きまくった舞子は、「開いた口が塞がらない」とはきっと今の自分のような状態を指すのだろうと、頭の中の妙に冷静な部分で自己分析していた。

 

 こんな夜の繁華街でみづきと将城に会うのにも驚いたが、そのみづきがコートを脱ぎ捨てて、彼女の背中に龍の頭が描かれていたのは……何と言うか、想像を遙かにブッちぎった出来事だった。

 

 人間は自分の想像を超えた状況に遭遇した時、考える事はせずに色んな事をただ思い浮かべるのだとどこかで聞いた事があったが、生まれて初めてそうした事態を体感出来た事を実感していた。

 

「お、おい……この子……ヤバイんじゃ」

 

「い、いや……ただのハッタリだぜ、きっと……」

 

 ナンパ男達は、その背に龍のモンモンを背負った女子高生など完全に想定外であったのだろう。

 

 いずれにせよ二人のどちらも、先程のようにリラックスする事は出来ていないようだった。

 

「と、とにかく一緒に来なよ」

 

 強気な態度に出る事で、胸中の不安をごまかそうとしたのだろう。

 

 男の一人が、みづきの腕を掴もうと近付いてくる。

 

 つん、と不快な匂いが将城の鼻を突いた。

 

 男達の息や体から出る匂いだ。

 

 良く見るとこの二人は足下が微妙にふらついている。

 

 どうやら既に相当量のアルコールを摂取しているようだ。

 

「あ、ヤバッ」

 

 どこか他人事のように、将城は表情を変えずに呟いた。

 

 同じ匂いを、みづきの鼻の粘膜も嗅ぎ取ったらしい。ぴくりと、表情を歪める。

 

「う……うぷっ」

 

 ヒマワリの種を大量に食べたハムスターのように、みづきの両頬が膨れ上がった。

 

「「げっ」」

 

 足の小指をぶつけた時、一瞬ではあるが「痛みが襲ってくる!!」と覚悟する刹那の時間がある。同じようにこの時のナンパ男二人は、次の瞬間に何が起きるかを予想して、顔が引き攣った。

 

 そして一秒の半分程の時間で予想していた通りの事態が発生した。

 

「オ……オエエエーーーッ……げえーーーっ、げげげーーーっ!!」

 

 いきなり、大量の吐瀉物を嘔吐するみづき。

 

「わわわ……っ」

 

「汚ね……っ!!」

 

 アスファルトの上に吐瀉物が撒き散らされて、思わず男二人は跳び退った。

 

 これで距離が開いた事もあって、スキが出来た。

 

「ほれ、逃げるぞご主人。倉敷先輩も」

 

「え、ええ……」

 

「うぷ……や、やっぱり酒はダメだ……」

 

 呆気に取られている舞子と、流石にリバースしたばかりで体力を消耗しているらしい、よろめいているみづきの手を引いて、将城は繁華街の出口へと走っていった。後には想像を超える事態が起こりまくって、ぼうっと立ち尽くしている男二人が残るのみであった。

 

 

 

 

 

 

 

「ほれ、ご主人。ゆすげ」

 

「え、ええ……ありがと、将城」

 

 近くの公園。

 

 取り敢えず逃げ出して一息ついた三名。

 

 みづきは、ようやく気分が落ち着いてきたらしい。将城が近くのコンビニで買ってきたミネラルウォーターでうがいすると、やっと普段のはつらつとした彼女に戻った。

 

「ふうっ、やっぱりあんな所行くもんじゃないわね」

 

 やれやれと首を振る。

 

「あの」

 

 置いてけぼりの形になっていた舞子が、ここでやっと口を開いた。

 

「ええ、どうしました? 倉敷先輩」

 

「大丈夫なの? あなた……その、急に戻したりして……」

 

 表情も声も、心配そうではある。まぁ、いきなり嘔吐しだした人間を見れば正常な反応と言える。

 

「「……」」

 

 問いを受け、みづきと将城は顔を見合わせる。

 

 そしてどちらからともなく、にやっと笑い合った。

 

「ああ、あれな……」

 

「昔、ヤスタケのマネをしようとしたら、ね……」

 

「ヤスタケ?」

 

 誰だそれはと、舞子が目をぱちくりさせる。

 

「あー、えーと、まぁ簡単に言うと、昔のマンガでホウレンソウを食べたら強くなるポパイのように、お酒を飲んだら野球が上手くなる野球少年が登場する話がありましてね」

 

「ポパイって誰?」

 

「「……!!」」

 

 今度の質問には、みづき・将城ペアは「マジかよ」とでも言いたそうな顔になった。育った文化圏が違うと言うか、いっしょくたにされたくないなとでも口走りそうだなと、舞子は思った。

 

 でも、すぐに気を取り直して話を続ける。

 

「ま、まぁ、それは兎も角として私はそれをマネして小学四年生、リトルリーグに入ったばかりの頃、こっそり家から持ち出したウォッカを一気飲みして9回裏ツーアウト満塁三点差、ホームランが出ればサヨナラの打席に立ったのよ」

 

「そして、見事ホームランを打った。あの一本は今でも私の目に焼き付いている程に素晴らしかったぞ、ご主人」

 

「はぁ……それで?」

 

「初めてのサヨナラ満塁ホームランに、上機嫌でダイヤモンドを走る私。しかし、三塁を回った時だった。胸の奥から、こみ上げてくるような感覚が走った!!」

 

 9歳児がウォッカを一気飲みした直後に運動したのである。正常な反応だろう。

 

「結局、神聖なグラウンドでしてはいけない事をする訳に行かないからその場は何とか我慢してホームインし、トイレに駆け込んだのだけど……私はそれ以来、お酒はダメで……飲むなど論外、匂いを嗅いだだけでも気分が悪くなって、下手をするとさっきみたいにリバースしてしまうんです」

 

「はぁ……それで、その背中のイレズミは?」

 

「あぁ、これは昔ナインの背中に龍の各部位のイレズミが入っていて、9人集まると一匹の龍になる野球漫画があって、そのモノマネです。ちなみにボディペイントですよ。本物じゃありません。昔、シニアの時にチームでそれを再現したのも、今となっては良い思い出です。それで、今でも外出する時は時々背中に描いたりするんですよ」

 

「ちなみにこれが、その時の写真ですね」

 

 将城が、写真アプリを立ち上げたスマホを渡してくる。

 

 舞子が見ると、画面には確かに、ユニフォームを脱いだ9人のチームメイトが背中を見せて整列していて、龍の頭を背中に描いたみづきを左端に、それから右へと順番に前足、胴体、後ろ足、尻尾と各人の背中に描かれた龍のペイントが繋がって、一匹の龍になっていた。

 

「ちなみに、全員の背中に龍のイラストを描いたのは私ですよ」

 

 と、将城。結構、彼女も多才なようだ。

 

「……それで、あなた達はどうしてこんな所に居たの?」

 

「いやあ、雀荘で手に麻雀タコを作って、新魔球『麻雀タコボール』を習得しようと思って」

 

「ちなみに麻雀にはボロ負けしたぞ。やっぱり哲也を読んでるだけじゃダメだったな」

 

「ダメだったわねぇ。コブラも剣を使った事あるかと聞かれて、五輪書は全巻読んでるって返したからいけるかと思ったんだけど……」

 

「ご主人、あれはヤツがコブラだからだよ。他の人じゃムリだ」

 

「???」

 

 どうにも、この二人のやり取りは舞子には理解不能である。

 

 だが、一つだけ分かる事がある。

 

「……あんた達ぐらい簡単に考えられたら、人生はもっと楽しいでしょうね」

 

「ええ、そうでしょうそうでしょう。将城と家族と友達と、後は野球があれば他には何も要らないですよ」

 

 カラカラと笑いながら、みづきが返す。すぐ後ろで秘書のように控える将城もうんうんと頷いていた。調子を崩された舞子は、頭を掻いた。

 

「皮肉で言ってるのよ」

 

「分かってますよ」

 

 と、みづきはあっさりと返す。

 

 どうやら彼女に皮肉は柳に風、暖簾に腕押し。通じないようだ。

 

 はぁ、と舞子は溜息を一つ。

 

「……聞かないの?」

 

「へ? 何を?」

 

「だからどうして、私があんな所に居たのかって事」

 

「ん~」

 

 みづきはしばらく考える姿勢を見せた。

 

「まぁ、馬鹿な事するようなら止めますけどね。倉敷先輩に限って、そんな事無いでしょ」

 

「まだほんの一週間、部活で一緒に居るだけなのに、随分私の事知った風に言うのね?」

 

 この時の舞子は、自覚無く強い口調になっていた。

 

「確かに私は先輩の事はまだ良くは知らないですがね。でも、みんなが先輩を頼りにしてるのは知ってますから。特に野崎さんですね」

 

 あっさりと、みづきは返した。

 

「……良く見てるのね」

 

「一応、私の志望ポジションはPM(プレイングマネージャー)。現役選手であると同時に、指導者である監督としても一流を目指してますからね。チーム全体に、ちゃんと気を配らなきゃでしょ」

 

 そう言った所で「さてと」と、立ち上がったみづきは将城が持っていたコートを羽織る。

 

「それじゃあ先輩。また明日も練習に来てくださいね。みんな待ってます。勿論、私も」

 

「じゃ、倉敷先輩。私達はこれで」

 

 一礼した将城を従えて、みづき達はふらふらと家路に就く。

 

 そんな二人の姿が舞子には、羨ましくあって、同時に妬ましくもあり、眩しくもあった。

 

 彼女達ぐらいシンプルに物事を考えられたり、生きる事が出来たらどんなに素敵だろう。そんな風に生きられる二人は羨ましい。自分にはそれが出来ないから。彼女達のようにするには、自分は少し事情が複雑になり過ぎてしまっている。

 

 そして自分が野球部に参加しているのは、家に帰りたくないという不純な動機であると自覚している。そう、自覚しているだけに、本当に混じり気無く野球を楽しんでいるみづきと将城は、幼子にとってのおもちゃ箱のように、輝いて見えていた。

 

「私も、あんな風にやれたのなら……」

 

 ふっと微笑して、舞子もまた家路に就いた。

 

「また明日、ね」

 

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