ハチナイ PM   作:ファルメール

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第31球 みづきの技

 

「鏡原さん、これで良いの?」

 

 ポジションであるショートの守備位置に就いた翼。バッターボックスではみづきと、ホームベース上にはいつも使っているエアーポンプの噴射で疑似ナックルを発生させるトスマシンが置かれていて、トス役として将城。そして伽奈がそのすぐ傍に立って見学している。

 

「? 何をしているのこれは?」

 

「また鏡原が面白い事始めたのだ?」

 

 みづきが何やら特別な練習を始めたのを見て、龍やあおいもやって来た。

 

 そうしてギャラリーが増え始めたのを見て取って、みづきも気をよくしたらしい。顔がにやけている。

 

 将城と野球が出来れば何も要らないという彼女だが、それはそれとして口にはしないが『私TUEEEEE!! 私SUEEEEE!! どいつもこいつも私にひれ伏せ愚民共!!』という思考も同時に持ってはいる。時々見せるドヤ顔はその証拠である。

 

「じゃあ有原。あなたはそのショートの定位置とセカンドの定位置とを結ぶライン上を、シャトルランの要領で往復してくれないかしら?」

 

「? こう?」

 

 言われた通り翼はショートの定位置からセカンドの定位置まで走ると、そこでターンして再びショートの定位置へと戻った。

 

「OK。じゃあ、そのままそれを繰り返していてね」

 

「? 分かったよ?」

 

 イマイチみづきの狙いが分からない翼であるが、取り敢えずは言われた通りシャトルランのように二遊間を往復し始める。

 

「では、九十九先輩。今からあの動き回る有原が捕れるように、私がノックを打ってみせます!!」

 

「な……」

 

 表情筋が運動不足の伽奈も、これにはあんぐりと口を開きっぱなしにした。

 

 昨日バッティングセンターで会った一二三ゆりという野球選手のバットコントロールの技術にも瞠目すべきものがあったが、その彼女ですら、バッターから最も近い場所でしかも投球動作の直後で動けないピッチャーを狙うというものだった。

 

 そこへ行くとみづきは、ユラユラと揺れるボールをバッターからより遠く。しかも動き回る野手へ向けて打とうというのだ。彼女の実力が凄いのは知っているが、果たしてそんな事が、本当に出来るものなのだろうか。

 

「……出来るんでしょうか。いくら鏡原さんでも、そんな事が……」

 

「いくらなんでもムリなんじゃ……」

 

 夕姫や茜は流石に半信半疑という表情である。

 

「いいえ」

 

 ここで、一言物申したのは意外と言うべきか龍であった。

 

「……以前に見せた魔球0.0625のコントールだって、経験者である私達からすれば信じられないものなの。はっきり言って、プロ野球選手が裸足で逃げ出すような神業だと言えるわ。それをやった鏡原さんが言うのだから。少なくともハッタリではないでしょう」

 

「じゃあ……?」

 

「ええ」

 

 龍が頷いた。

 

「シニアの時から凄かったけど、ピッチングはその時から何倍もパワーアップしているのは既に分かっているわ。ではバッティングの方は? とくと見せてもらいましょう」

 

 そう言うと龍はぐっと前傾姿勢になって、瞬きもせずにみづきを睨み付けた。

 

「よし、将城。始めて」

 

「あいよ。ほれ」

 

 言われたとおり、硬球を放る将城。ポンプから出る気流に乗って、ユラユラとボールが空間を揺れ始める。

 

「ふーーーんっ!!」

 

 阿蘇山打法こと独特のローテイショナル打法から繰り出されるシャープなスイングがボールを捉え、快音。

 

 この時、翼はちょうどショート・セカンドを結ぶラインのほぼ中間をセカンド方向へと走っている所だった。

 

『あのナックルもどきを確実に捉えるだけでもやはり天才的なバットコントロール』

 

『ここまでは完璧。問題は打球。本当に有原さんの所へ飛ぶのか、どうか』

 

 ギャラリーの中で、特に龍と伽奈は目を皿のようにし、食い入るようにみづきの動作の一つ一つを子細に観察している。

 

 果たして、飛んだ打球の方向は。

 

「一塁方向!!」

 

 そう、白球の行方はファーストのやや右方向。明らかにセカンドの打球ではない。

 

「これは……捕れない……」

 

 走っている翼は、すぐにそう確信した。

 

「失敗?」

 

「やっぱりムリだったんじゃ……」

 

 ギャラリーの反応も同じだ。

 

「……って、思うじゃん?」

 

 にやっと、みづきが口角を歪める。

 

 その時だった。

 

 打球が、曲がった。

 

 ファーストの右側を抜ける筈の打球が、更に右へと曲がって、ちょうどセカンド方向へ走っていく翼の真っ正面へ。

 

「!! ボールの方からこっちに向かってくる!!」

 

 走りながら、ちょうど自分の真っ正面へと飛んで来た打球をキャッチする翼。

 

「……!!」

 

 ぱちくりと、グラブに収まったボールに目をやって次に、バッターボックスのみづきへと視線を動かす。もう一度、ボールとみづきへと、それぞれ二度見した。

 

 伽奈や龍も、夕姫や茜達も揃って愕然とした表情を浮かべている。

 

「打球が曲がって、有原さんの所に……!!」

 

 ここで、ドヤ顔のみづきがすぐ後ろの伽奈を振り返った。

 

「九十九先輩、まぐれだって、そう思ってるでしょ」

 

「え……あ……うん……」

 

「ふふっ」

 

 不快に思った様子も無く、みづきはにやりと微笑すると再び構える。

 

「有原、も一回よ」

 

「う、うん」

 

 合図を受けて、再び翼は二遊間の往復を始める。

 

「そいじゃ……将城」

 

「あいよ」

 

 再び、ぽいと放られる硬球。気流に乗って揺れ始めるそれを、みづきのバットがぶっ叩く。

 

 今度は、サード方向へ。この時、翼はショートの定位置へと走っている所だった。先程と同じく、とてもショートが捕れる筈がない打球の軌道。

 

 しかし、先程と同じなら。みづきが見せたのが、まぐれでないとするのなら。

 

 先程よりも強くはなかった打球が落ちて、跳ねる。

 

 そのバウンドの瞬間、急激に方向を変えてショートへ向かって跳ねた。

 

「!!」

 

 この瞬間、翼は見た。

 

 白球に、横方向へ急激なスピンが掛かっているのを。

 

 先程もそうだったに違いない。空中で、あるいはバウンドの瞬間に打球の方向を変えたのはこのスピンが原因だ。

 

 翼のグラブが、乾いた捕球音を立てる。

 

「ドンピシャ!!」

 

 まぐれは二度は続かない。

 

 ボールを曲げてしかも狙った所へ打つという離れ業が、偶然どころかみづきの実力に他ならない事が証明されたのだ。

 

「でも、どうやって?」

 

 上空では風の影響でボールがスライスしたりするのは分かるが、こんな内野での近距離で打球が右に左に曲がる理由とは?

 

「別におかしな事じゃないですよ。テニスや卓球で、ボールをこするように打って回転をかけ、変化を付ける技がありますけど……基本的にはあれと同じです。ただ使う道具がラケットかバットかの違いだけ」

 

「「……!!」」

 

 みづきは何でもないように言ってみせるが、実際には恐ろしい事この上ない神業である。

 

 野球にあって野手の配置とは打球が飛ぶ方向を計算されての位置取りである。それが、真っ直ぐ飛んでくる筈の打球が曲がるなど、全く完全に想定外の出来事。勿論だがシニアで全国優勝・準優勝経験者の翼も龍も、曲がる打球を捕球する経験など試合は勿論の事、練習でも一度もない。

 

 ……と、言うよりそんな経験があってたまるかという話である。

 

 テニスや卓球での変化打球は知っているが、それはあくまで平たいラケットだからこそ出来る事だと思っていた。それを、丸っこいバットでやるなど。

 

 みづきは、そんなぶっ飛んだ技を涼しい顔でやってのけるのである。最早奇跡と言っても過言ではない。

 

「でも、どうやってそんな事が?」

 

「よくぞ聞いてくれました!!」

 

 伽奈のその問いに、待ってましたとみづきは機嫌を良くしたらしい。

 

「あれは昔、私が一刀流打法という打撃フォームを会得する為に、日本刀の使い方を勉強していた時の事でした」

 

「日本刀、ですか?」

 

「ええ。かの王貞治も、一本足打法の習得の為には日本刀を使う練習をしたと聞いた事がありますからね。それで話を続けますけど、日本刀は切断する対象に対して、刀をそのまま押し当てただけでは切れないんです。本当の切れ味を発揮する為には、必ず切断する瞬間に、振る方向に対して垂直方向へ押すか引くかしないといけない。真剣の刃の上に裸足で立つ大道芸がありますけど、それも原理は同じです」

 

「……つまり鏡原さんはバットがボールに当たる瞬間に、バットを引くか押すかして回転を掛け、打球に変化を付けているという事ですか?」

 

「はい。打球に変化を付けるのに一年。それを狙った所へ打ち分けるのに一年。動いている野手にキャッチさせるようにするまで更に二年掛かってしまいました。ただしそれも、今の二遊間を往復する有原みたいに規則正しい動きをする野手に捕らせるのが今の私の限界。ランダムな動きをしたり逃げ回ったりする相手には捕らせられないですけどね。私もまだまだ未熟です。それを考えると、少年野球の時代に既にノックアウト打法を完成させていた花形満はやはり怪物だったんですねぇ……」

 

「ノックアウト打法? 花形満?」

 

「ええ、ノックアウト打法とはその名の通り、野手の間を抜く代わりに鋭い打球をぶつけて野手を倒してしまうバッティング技術の事です。野手がどれだけ逃げ回っても、吸い付くように命中する恐ろしい威力と精度。私はまだまだ、花形満のレベルには達していないです」

 

「それは、昨日の一二三さんがやっていた……」

 

「ええ、同じ発想ですね」

 

 バットでトントンと肩を叩くと、みづきは不敵な笑みを見せる。

 

「折角ですから余興もお見せしましょうか。有原。今度はショートの定位置を守って!! 今から、あなたの真っ正面にライナーを打つ!! それをキャッチしてみせて!!」

 

「分かったよ、ばっちこーい!!」

 

 翼がショートの定位置に陣取ったのを確かめると、相方にアイコンタクトを送る。

 

 将城が、硬球をトス。

 

 揺れるボールをやはりみづきのバットは確実に捉える。

 

 打球が飛んだ方向は、予告通り翼の真っ正面。

 

 じっと目を凝らす翼。ボールの回転は左でも右でもない縦方向。

 

 この打球は、真っ直ぐ飛んでくる。グラブを突き出す。

 

「もらった!!」

 

 と、思ったその時だった。

 

 グラブに収まるかと思われた打球がその手前で急激に落ちてバウンドし、翼の股下を抜けていったのである。

 

「嘘ぉ!!」

 

 振り返って、翼がボールの行方を追う。白球は左中間へと転がっていってやっと止まった所だった。

 

「なっ……今のは……!!」

 

「球が、落ちた……」

 

「打球で、フォークボール?」

 

 全員、絶句。

 

「バックスピンを掛けたボールは浮上する。ならばその逆で、トップスピンが掛かったボールは沈む。上に擦り上げるようにしてボールを打つ事で前方への回転を掛け、フォーク以上の落差を実現したのです」

 

 やはり見事なドヤ顔を浮かべるみづき。

 

「今は完全に無回転の打球を実現して、ナックルを打てないかと研究中なんですよ。世間一般で言う魔球とはつまり魔投球の事。それのバリエーションとして魔送球なんてのもありますが、これは言わば魔打球ですね」

 

「ま、魔打球……」

 

「相変わらずそんな事ばかりしているのね……」

 

 頭を抱えながら、龍がやってきた。

 

 いつもながらみづきは凄過ぎるぐらいに凄いが、やってる事が果てしなくかつ凄まじくメチャクチャだ。何度も思う事だが彼女程の超越した才能があれば、まともな練習を積んでいれば今頃どんなに凄い野球選手になっているのか……? 正直想像も付かない。

 

 いや、このノックアウト打法(未完成)だって恐るべき技術である事には変わりないし、中学を出たばかりでこれほどまでの技術を習得した事それ自体は、一アスリートとしてみづきは尊敬に値すると思っている。

 

 だがこれは車のレースに一人だけ宇宙ロケットで出場するようなもので、実戦的ではない曲芸の領域にあるオーバースペックである。そんなの練習するぐらいならもっと普通に打球を打ち分ける技術を練習した方が遙かに有意義だろうに。

 

「ああ、あんたの言いたい事分かるわよ東雲。こんな技の習得に血道を上げるぐらいなら、普通に野手の間を抜けるバットコントロールを練習した方が良いって話でしょ?」

 

「ええ、まぁ……」

 

「私もそう思うわ」

 

 嫌な顔をするでもなく、笑いながらみづきは認めた。

 

「でも世の中には、信じられないようなボールを投げる凄い投手だっているかも知れない。180キロの剛速球とか、S字に曲がる変化球とかね。そんな凄い投手が現れた時の為、そいつをぶっ倒す為に、練習するのよ。勿論、マンガのピッチャーやバッターのようになりたいって、そういう願望があるのも本当だけどね」

 

「……信じられないようなボールを投げる、凄い投手……」

 

 鸚鵡返しに、伽奈が呟く。

 

「……打てると思うんですか? そんなもの……」

 

 180キロの剛速球もS字を描く変化球も、現実には絶対に有り得ないと初心者の伽奈でも断言出来る。だがみづきはそんな投手と戦う事を夢見て、その時の事を想定した練習を積んでいる。

 

「必ず打てます。いやむしろ、打てなければおかしいですね」

 

「……それは、どうして?」

 

「簡単な理屈です。それが超スピードの剛球戦闘機であろうが二度曲がる異常な変化球であろうが、こと人間の力と技によって投げられる球である限りは、人間の力と技で打つ事は可能であるのが道理です」

 

「……!!」

 

 そんな凄い投手なんて、居ないかも知れない。

 

 仮に居たとしても、巡り会う事なんて無いかも知れない。

 

 でも、もしそいつに会った時に。

 

 お前ご自慢の魔球なんざこちとらとっくに打ち方を研究しているんだよと、ドヤ顔でホームランを打ってみせるか。こんな球が打てる訳ない、こんなピッチャーに勝てる訳がないと絶望して、三振を喫するかでは天と地以上の違いであろう。

 

「鏡原さん」

 

「はい、九十九先輩」

 

「どんな相手にだって勝てるように練習を積むとは、こういう事なんですね」

 

 効率的な見地からすれば、みづきの練習方法は論外である。居るかどうかも分からない凄いヤツと出会った時をシミュレーションしているのだから。しかしそんなハチャメチャな練習をするからこそ、彼女にここまでの実力があるという矛盾。野球のコーチが見たら卒倒するだろう。

 

 効率良く練習する事は勿論大切だが、それを超えた境地もある。

 

 一二三ゆり。彼女とみづきは違う。同時に自分とも。

 

 どんな相手にだって実力で勝ち切れるように練習する。習いを練る。練って練って練りまくる。きっとそうして培った実力と実力とがぶつかり合う真っ向勝負こそがみづきの望む所であり、その上での勝利こそ至上なのだろう。

 

 自分も、きっと同じだ。

 

 最高の勝負の、その先にあるものを求めて。

 

 ふっと、伽奈は微笑する。

 

 胸のつかえが取れてスッキリした。今日からは勉強にも野球にも、また身が入りそうだ。

 

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